☆MENU☆

  What's New

  プロフィール

BBS 

 過去への扉 

エッセイ

最新エッセイ

 詩 

妻から見た夫の病気<診察日記アリ>

 

1.子供のこと

咲笑(サエ)はもうすぐ2歳になる。

2年、私は親としてどうだっただろうか。

ほにゃほにゃの赤ちゃんだった頃はただただかわいくて天使だと思った。

柔らかくて小さい。

どうして、こんなにかわいい子供を虐待なんてするんだろう?と思った。

だけど、今、虐待をする気持ちが少し分かる。

サエがあんまりにも言うことを聞かない時。

カッとくる事がある。

そうなると自分の中の何かがおかしくなる。

サエに対してイライラして怒ってしまう。

ときには手がでる事も。。。

その後、後悔して涙があとからあとからこぼれる。

後悔するなら二度としなきゃいいのに、繰り返す。。。

私の中に母を見つける。

ちゃんとさせたい母。

私もサエをちゃんとさせなきゃと思ってしまうようだ。

感情で怒っているとき、サエはいうことをけして聞かない。

あの透明な小さな瞳ですべてを見つめているのだ。

私がイライラしているとき、サエは奇声をよく発する。

「きゃーーーーーっ!!」

あともう一つサエが奇声を発するとき。

それは、私がよその子に優しくするとき。

独り占めしたいようだ。

サエと2人きりのとき、優しく抱きしめて言う。

「咲笑ちゃんはかわいい、ママの宝物だよ。ホントにかわいいね」

サエは赤ちゃんのまねをする。

おぎゃぁ、おぎゃぁ、と泣き真似をして、赤ちゃん抱っこをして欲しいと言う。

私が赤ちゃんの方のサエを好きだと思ってるようだ。

赤ちゃんなら優しくして貰える、とでも思っているのか。

「そのまま2歳の咲笑でいいのに。そのままで宝物なんだよ」

サエはにこっと笑う。

何かを確かめたいのかもしれない。

                                          (2002.11.16)

 

2.便利屋さん

私は掃除が苦手だ。

子供が産まれて、義理の父母や子供の友達が遊びにくるようになった。

居間やキッチンなど人の目に触れるところは、綺麗にするようにしている。

が、北の部屋、一室が物置となっている。

それはそれは凄まじい。

これではいけないと思い土曜日夫が実家へ遊びに行くというのを機会に片づける事にした。

本当に片づけるのが苦手な私。

捨てるのも苦手で物があふれそう。

本当に凄い。

足の踏み場もない。

一応捨てる物と残す物をやっとの事で分けた。

そしてゴミが結構ある事に気付いた。

魔が差した私は便利屋さんに電話をした。

捨ててもらおう。

見積もりを取りに来てくれるそうだ。

便利屋さんに引き渡す分を分けて整理している時、これではいけないと思った。

「先程電話した者ですが」私は電話を掛けた。

「このまま、人に頼ってしまうと同じ事を繰り返しそうなので、今回は自力で頑張ってみます」

便利屋さんは嬉しそうに「頑張って下さいね。もしお役に立てそうな事があれば伺います」

と言ってくれた。

私は何故か涙がでそうだった。

もっと怒られたり、そっけなくされるものだと思いこんでいたのだ。

後日、便利屋さんがもう一度電話をくれた。

「どうですか?何とかなりそうですか?」心配を掛けてしまったようだ。

夫は商売の為だよ、と言った。

そうかもしれない。

だけど、私はそのあたたかい声が嬉しかった。

                                            (2002.11.25)

3.存在価値

私は本が好きだ。

が、最近はあんまり読む時間がない。

活字の本を読むのは久しぶりだったけど、本を1冊買った。

「輝ける子100メートルを10秒で走れって言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っていいるじゃん」

(明橋大二・著)

・・・長いタイトルだな。

だけど、やる気を育てるだとか英語に親しむだとかいう本が並んでいるなか、

ちょっと異色に見えてすごく惹かれた。

家に帰ってサエが寝てから読み始めた。

サエの育児に役立てばと思って育児コーナーに行ったのだけど、私は私の為の

本を買ったのだと気付づいた。

私の自己評価が異常に低いのは前にも書いたけど、理由はそんなに確実には

分からなかった。

この本を読んで理由が明確になったような気がする。

涙がとまらなかった。

存在についての安心感というのがあるそうだ。

いてもいい、大事な存在だと誰かに認めてもらうこと。

過保護にして支配下に置くのではなく子供にやらせて達成感をあじあわせて

あげる事が大切だという事

私は叔母や父に従兄同士の関係の中で私だけ卑下される存在だった。

大事な誰かになれないのは自分が悪い子だからだと思っていた。

そのうえ母には支配され、いじめにあい(これはたいしたことないけど)、

結果的に過剰適応と思われる状態になった。

相手によって態度を変える事もあった。

この子にはこういう風に振る舞おう、みたいなルールを決めてどんな人間にでも

なれると思っていた。

どんな人にも好かれようとした。

それがどんなに愚かでもそうやって存在価値を見つけようとしていたのだ。

普通、小学生の考える事ではない。

今という時間が、本当はお墓の中で見ている夢なんじゃないか、いつか覚めるの

じゃないか。

頭の上から何かが降ってきて自分はすぐに死んでしまうのではないか。

いや、死んでもいいと思っていた。

夜寝る前に布団の中で自分のお葬式を想像しては誰が泣いてくれるだろうと

考えた。

もう忘れてしまいたくて、記憶の底に封じ込めていた事。

実際忘れていた。

こうやって小さい頃の自分と向き合う前は。

私はみんなからなんの苦労もなく幸せに生きてきた人という印象を与えるらしく、

こんな心を抱えているなんて想像もできないだろうと思う。

夫は私をコドモ扱いして、優しく頭をなでたりしてくれる。

無意識に私に欠けているモノを補ってくれているのだと思う。

きっと彼は何かに気付いているのかもしれない。

聞き分けのいい、成績のいい、大人にとって都合のいいカエ。

衝動的で、知恵熱ばかり出す、大人にとって不可解なカエ。

どっちも私。

都合のいいカエは過剰適応なカエ。

不可解なカエは辛いの気付いて!っていうSOSのカエ。

大人はSOSを問題視して問題児としてしまった。

サエに冷たくあたる事は自分と向き合うようになってから、すごく少なくなった。

小さいカエが教えてくれる事はあんがい多いのかもしれない。                                          (2002.12.6) 

4.会いたい

私には同じ年の従姉がいて、その子は産まれた時の事故で寝たきりの生活を

送っている。

その事を知ったのは随分大きくなってからだ。

伯父伯母が私を見るたびに目を潤ませるのはそういう訳があったのだ。

私はそんな事は全然知らなくて、優しい伯父達が大好きだった。

ある時、従姉の弟が私に辛く当たるようになってきた。

私に接する時、自分の父親や母親の態度が彼にとってかなり辛い物だったから

なのだろう。

私は知らなかったので従弟がそうする理由が分からなかった。

何年かして故郷を離れて暮らしているこの伯父伯母の家の近くに私が

就職する事になり、やっと母がその事を教えてくれた。

私は衝撃だった。

優しかった伯父達は私にその従姉の姿を映して見ていたのだ。

涙が出てきた。

その頃18歳。

従姉は今も元気に暮らしている。

実は私はまだその子に会った事がない。

勇気がなかったのだ。

私が会う事で、伯父伯母に悲しい思いをさせるのではないか?とか色々考えて

しまって。

だけど、娘が産まれてそれではいけないと思った。

確かに彼女は寝たきりかもしれない。

だけど、感情があるかもしれないじゃない?

誰にも分からないけど何か思って生活してるかもしれないじゃない?

もし、普通に産まれていたら私とはきっとイチバンの仲良しになれただろうし、

サエにもいいお姉ちゃんになったハズだ。

障害があっても彼女は生きている。

それを無視するように会いにもいかなくていいの?

それも自分の都合良く解釈した言い訳で。

ダメだよね・・・それじゃ・・・。

もし、サエが同じ運命を辿ったとしたら私はどう思うだろう。

生きていて欲しいそれだけを願うんじゃないだろうか。

この子にしてあげられる事があるだけでイイと願う。

障害があっても側にいて欲しいと思う。

伯父伯母はそんなことは一言も言わないし、すごく明るいし、本当の所は

分からないけどやっぱりそう思っているのじゃないかな?

介護もしたことがない私が言う言葉は軽くてきれい事かもしれないけど、

それでもそう思う。

サエが産まれたとき伯父は「よくやった!!頑張ったなぁ!お前は偉いなぁ」と

涙ぐんだ。

あの笑顔に会うのは胸が少し痛むけど、今度彼女に会いに行こうと思う。

                                                                                                 (2003.3.29)

5.うつ病

産後うつは私のかかった病気だ。

サエを産んだばかりの頃からしばらくの間、私はおかしくなった。

色々な事が楽しくなくなり、夢中にもなれない。

一人になりたくて、赤ちゃんと離れたくなる。

そのくせ、赤ちゃんが死んでしまうような気がして夜も眠れない。

家にいるのがイヤで暑い最中でもサエを連れて散歩に行ったりした。

生活が色を失っていく。

それではいけないとHPを立ち上げた。

疲れ切っていた私は他人とのコミュニケーションが欲しくなったのだ。

そして日記を書いたりする事でサエに対する愛情も復活して

夫ともまた仲良くなれた。

文を書いて自分の心を整理する大切さ。

みんなの為ばかりでなく自分を大切にできるから生まれるゆとり。

いっぱい泣いたけどこれでよかったんだと思う。

さて、感情起伏の激しい夫。

実は先日うつ病と診断された。

あれれ?それは私の病名だったはず・・・。

                                                                                    (2003.5.6)