|
あと何年、自分が思うとおりに動けるのだろうか?そう、考えると今本当に自分の思うとおりに動けているのか?と疑問だ。だからといって、秒、分、時間、日にち、月、年単位で動きが止まってしまうのは辛い。
別に現段階で、残り時間を宣告されているわけではない。しかし、それは「人間」にというだけであって、人間には解らない領域はどうなのかは解らない。人間はそのわからない残り時間を日々、模索しながら生きている。しかし、たぶんリミットのすぐ前でさえ、それだと解らないままではないだろうか?だから、人は常に「死の不安」というものを持ち続けるのではないだろうか?
それは、きっと求め続ける定めだから。「何か」を求め続けるために探し、「何か」を得るために求めるのだろう。「何か」を言い表すとするのならば、それは「欲」であり「欲望」なのだろう。
欲望があるから、その残り時間を気にして不安になる。しかし、その流れが生きている「証拠」でもあるだろう。
何故ならば、仮に今すぐ「死にたい」と考えたとしよう。しかし、「その前に部屋だけは片づけたい」と考えた。それだけで、生きている証であり、生きようとしているのではないか?だから、例えその場で部屋を片づけたとしても、きっと次の何かが生まれ、その何か欲望を満たそうとする。それらを「生きている、生きようとする証」の他に何があるのだろう?
本当に死を望むのであれば、それ自体を欲望に変えなければ、自ら死を選ぶことはできない。
暗い無限の宇宙の中に 無数の欲望と言う名の惑星たちがある
一等級の星は 安定 静寂 と言う名の惑星
二等級の星は 夢 希望
三等級の星は 物欲
自分と言う名の惑星の周りに 大小の欲望の惑星が廻る
だけど、現実は一番近く見える惑星にさえ 一度降り立つのが精一杯
そう 近くて遠い惑星たち
欲望の惑星たちは明るく 手中に収まりそうで溢れ零れ出る
全てが見える様で 見えない
|