|
またまた、自分の話で恐縮なのだが、正直、「自分」は嫌いである。嫌いだからこそ好きなのだろう。だが、いつも履歴書なんかを書くときに困るのだが、「自分の長所」というのが解らない(最近の履歴書とかはないのだが)。その延長線で、「得意な科目」「得意な分野」というのも苦手だ。
「得意」というのだから、そこそこの成績を残してなければならないのだが、残念ながら「好き=得意」というのは違う。絵を描くのは好きなのだが、成績には結びつかないのが実状で、私の場合、その「好き」という訳の分からないモノを押し通して現在の職に至るのである。要するに好きな科目は「美術」なのだが、「得意」と言い切ってしまえる程、何かがある訳ではないのだ。だから、そういった記述を埋めるのには苦労する。これは、余談なのだが世の全ての人間が「得意なスポーツ」があると思うな!スポーツなんぞ、死ぬほど嫌いだ。仕方がないので、あまり苦にならない「水泳」と書くのだが、それも学生時代しか泳いだことはなく、「得意」だったのは小学校までのことである。まぁ、そういうのを突っ込んでくる事はないのだが、空欄にしてしまうことも出来ずに悩んでしまうのだ。
自分の中で何が嫌いと問われれば迷うことなく「女である自分」と答える。自分の内面と不釣り合いな胸も月に一度、苦痛に襲われる子宮も嫌いだ。かといって、男になりたいかと問われるとそれとはまた少し違う。生まれてくるのであれば、男の方が良かったのだが、今更、男になりたいとは思わない。それならば、寧ろ「人」として生まれてきたこと自体が嫌だ。
「女として生まれてきて嫌なこと」。それは、「女だからやらなければならない事」が嫌だ。「女」だからお淑やかに。「女」だから、家事や雑務をこなすのが当たり前。「女」だから細やかな心遣いが必要。「女」だから、化粧するのだ当たり前。「女」だから身綺麗に。。。。そんな、「女」だからというのが嫌いだ。つまり、どれも「女」として私にはこなす事ができないからだ。どれもできない、遣りたくない。でも、遣らなければ社会から逸脱してしまう。逸脱してしまうと社会での認知度、信頼性が失われ社会生活を送る事に対してマイナスにしかならない。
そもそも私が「人間」として生まれ墜ちたこと自体が間違いなのだ。私は未だに「子供」のままなのである。どんな小さなことでも自分が理解し納得し答えがでないと動けない。いつまでも「どうして?」「なんで?」がつきまとっている。しかも、くだらないことで。思えば、幼い頃より実年齢より3〜5歳以上に見られ、接せられていたから常に「大人のフリ」をしてきていたのである。だから、いつまでも中身は子供のまま、また、それを押さえて生きてきたからである。
例えば、前述でも記したように未だに自分が「女」であることの意味、答えに疑問を持っている。そして、人との距離、接し方に戸惑いと不安を押さえきれず、自分の居場所が分からない。物事に深く考慮することができず、行き当たりばったりで優柔不断で、責任感にも欠けている。「子供」と書けば格好いいように聞こえるのだが、要するに「社会不適合者」なのである。確かに、上記なようなことが一つや二つ、心当たりのある人もいるだろうし、そういうものを一つや二つ抱えている人もいるだろう。しかし、私は全てに置いてそういったものが当てはまるのだから、救いようのない「大馬鹿者」だろう。
私は社会に取って俗に言う「いじめられやすい体質」なのだろう。体格も良く、物怖じせずに発言する態度、何事にも動じない顔つき、そしてそれらを全部裏切るように何も何一つ出来ない不器用さ。自分ではびくびく、おどおど過ごしているのだがそれがどうも世間では「態度がでかい」、「太々しい態度」に取られてしまうのは何故だろう?何故、そう言った姿に映ってしまうのだろう?どこまで、完璧な人間を演じれば他人に迷惑を掛けない人間になれるのだろう?どんな仮面をつければ人に不快な思いをさせない人間になれるのだろうか?
私は社会の人形にすらなれない自分が嫌いだ。
|