ガンの常識、非常識(2001年9月23日)
【Health】

◆こうしてガンが見つかった◆
 ちょっとした体調不良のために受けた診察から甲状腺に腫瘍が見つかった。それも悪性つまりガン。自覚はなかったが、思いがけず早期発見となったのは幸いだった。直前に受けた定期検診では発見されなかった。同じ病室の男性は、扁桃腺の腫れかと思い放置して、肺までガンが進んでいた。

 右目の下あたりが痛くなったのがはじまり。職場の近くの眼科で診察を受けた。「眼球自体に異常はない」との説明。「鼻のあたりも少し痛いが何か考えられないか」と聞いたが、「とにかく眼には異常がない」との答え。ずきずき痛むのに「異常なし」とはどういうことか。

 翌日、しつこく医大病院の耳鼻科にかかる。診断は副鼻腔炎。その際の触診で首の付け根のあたりにふくらみがあるのを医師が見つけた。腫瘍だった。ガンの可能性もあるからと、さらに調べることになり、その日のうちに血液検査、レントゲン、検尿など基本的検査を受けた。
 超音波(エコー)検査の際、ふくらんだコブの部分から注射器で組織を採った。その結果、悪性の腫瘍とわかった。そして、あまりにもあっさりしたガンの宣告を受けた。

◆あっさりしたガンの宣告◆
 検査の結果がわかるまで、ガンの可能性はあると言われながらも、そんなことあるまいと楽観する一方、もしそうだったらどうしようと日に日に心配が大きくなっていた。

 診察室の椅子で「悪性の腫瘍(しゅよう)、つまりガンです」と、えらくあっさりした宣告を聞いた。床屋のように診察台が並び、看護婦が早足で行きかう。となりでは、10人ほどの研修医が、診察を見学している。深刻なケースもあると思うが、家族だけ別室に呼ばれて「余命は・・」と宣告されるという先入観とは異なっていた。
 「2、3週間の入院で済みます」と医師に言われた時には、仕事の予定も確かめず「できるだけ早く、最短の時期でお願いします」と積極的に手術を受けることに決めていた。

 甲状腺の悪性腫瘍。ガンの中では処置しやすい部類に入るという。幸い早期の発見で、リンパ節や肺への転移はなかったが、切除したほうが良いとのこと。手術以来4年、2ヶ月に1度は通院する。今のところ元気に生きている。
 勉強したところ、ガンは遺伝とは関係ないということも知った。ガンは突然やってくる。テレビ番組で、「○○を食べるとガンにならない!」「へぇー」「一日○グラム食べましょう」「(うんうんと頷く客席)」などと言っているのはいかに気楽なことかと、ガンに罹ってみてわかった。                                     
2001年09月23日 03時06分52秒

インド旅行記(2001年8月31日)
【Travel】
宿を決めず、飛行機のチケットだけとってインドを訪ねた。カルカッタ空港で飛行機から出たとたん、3月の成田では想像できなかった熱風と湿気が体を覆い、未知の土地を旅する気分を盛り上げた。

                ◆◇◆◇◆
                  
 ダウンタウンの定食屋でインドの人たちに混じってカレーを手づかみで食べていると、ひとりの青年が話しかけてきた。日本にも行ったことがあるという。大阪のことをよく知っていた。「今仕事でカルカッタにいる。これから郷里に帰るのでいっしょに行かないか」という。

 少し不安はあったものの、インドの田舎町を旅するのもよいと思い行くことにした。田舎町へ向かう夜行列車に乗るため、中央駅に向かった。夕方のラッシュを避け、通勤客で混み合うフェリーで大きな川を渡り、駅に向かった。早朝、列車でイシリーという小さな町に着いた。

 彼の実家では、父親がカレーで歓待してくれた。夕立ちをやりすごしながら、近所の寺院を参拝したり散策を楽しんだ。夜店をひやかしたり、裸電球を吊った飲み屋でウィスキーを飲んだ。あまり大っぴらにアルコールを飲めるお国柄ではないらしく、ウィスキーはいつも紙袋に包んだびんから注がれた。

 田園風景の中、ブッダガヤ、そしてベナレス(ヴァラナシー)までの長距離をドライブした。どの車も警笛をさかんに鳴らして未舗装の道を猛スピードで走る。大型トラックが路肩から転覆したり、パンクして道のまん中で立ち往生するのを何度も見た。数十頭の野良牛が道路を占拠して車が動かないこともあるが、みんなのんびりと待っている。峠の茶屋でチャイ(紅茶に砂糖とミルクを入れて煮た飲み物)を飲んだ。ブッダガヤではチベット寺院の宿坊にも泊まった。

               ◆◇◆◇◆

 青年が「車を修理するからお金を貸してほしい」という。不安と疑惑が渦巻いたが「デリーに着いたらすぐ返す」というので、同行の友人と合わせて3万円分ほど貸した。ベナレスからは列車でデリーへ向かうことに。しかし全員の切符が取れず、彼はあとから来ることになった。

 デリーの連絡先であるホテルに行ったが、彼らしき人は泊まっておらず、アパートの電話番号も別人のものだった。「してやられたか?」と複雑な心境だったが、観光名所では見られないインドの人々の暮らしをかい間見ることができてよかったという思いの方が大きかった。
 「知らない人にはついて行ってはいけません」という子供がよく言われる教訓をすっかり忘れていた。「人を見たらドロボウと思え」ということも。10年も前のできごと。

※新聞に投稿し、掲載された。
2001年08月31日 00時21分26秒

一緒に暮らす男:田勢康弘さんのエッセイを読む
(2001年8月28日)
【Life】
 日経新聞・論説副主幹の田勢康弘さんのエッセイは、肩書きのイメージを超え、さわやかで孤独を好む人柄を感じさせる。「一緒に暮らす男」(『日経WOMAN』1999年7月号)を読んだ。結婚したり、一緒に暮らしたりするのにいい男として10項目をあげる。

「ごつごつした、人付き合いの下手な男」
「友だちの少ない男」
  「一人で何時間も過ごせる孤独に強い男」
  「何が面白いのだろうと思うような小難しい本を読む男」
  「ハンサムではない男」
  「おしゃべりではない男」
  「人のうわさをあまりしない男」
  「貧乏を経験したことのある男」
  「何か夢中になれるものを持っている男」
  「会社人間ではない男」

孤独に耐え、高い志を持った男がいい男ということだ。さらに指摘は続く。

「若い男のやさしさは・・・恋人を見つけるための下手な演技にすぎない・・・」「(若い男から)あなたに向けられていたやさしさが明日にはほかの女性に簡単に向けられるかもしれない」「やさしい男は自分にもやさしい・・・すなわち自分に甘い・・・それを求める女性も自分に甘い」と手厳しい。陥りがちな偽善のやさしさへの警告。女性に向けて書かれた教訓だが、わが身にも感じる一文だった。

 著者のエッセイ集『次は女に生まれたい』中央公論新社(2000年)は、連載のエッセイが一冊にまとまった本。抑制の効いた読みやすい文で、旅のこと、お金のこと、家族のこと、政治のことなどを静かに語る。
2001年08月27日 23時23分25秒

日本語文の書き方反省(2001年8月27日)
【Book】
『英語小論文―英語のロジック・日本語のロジック』
加藤 恭子、ヴァネッサ ハーディ (著)、 Vanessa Hardy (原著)、
講談社現代新書、1992年

 英語文の書き方としてよりも、日本語文の書き方を反省させられた。「日本人の書いたものは、ふわふわしてつかみどころがない雲」「独善的で読者を意識していない。今こう思ったから、これをちょっと書いてみた」という態度なので意思が伝わっていないと言う。距離に非依存な通信ができるインターネットを通じて、国際的なやりとりが多くなりつつある。電子メールなどで、容易に情報を受発信できるようになり、文章で意思を伝えることはますます重要になったと思う。
 一方、日本人の書き方のロジックで世界の人々とわかりあえるだろうか。また、視覚障害者のためにも、音声合成装置で聞いてわかりやすい文章に配慮することも必要ではないだろうか。
 
 なぜ書けないか? どんな文章がいいのか? どう書くのか? 目的にそった実用的な文章を書くためのノウハウが詰まっている。

※Amazon.co.jp/に投稿(2000年11月17日)。
2001年08月27日 22時31分32秒

男の不妊原因(2001年8月27日)
【Health】
 歩くと足の付け根に近い睾丸の裏あたりが痛い。生は性なり、生きるのに重要な性に関連深い下半身のことと考え、躊躇せず大学病院の泌尿器科をたずねた。精策静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)の診断。睾丸から腎臓に向かう細い静脈の流れが悪くなり、陰嚢(いんのう、キンタマの袋)内で血管が瘤(こぶ)のようになるものだ。

 通常、睾丸は外部に露出し、体温より5度ほど低く冷やされた状態に保たれている。しかし、睾丸付近の血流がとどこおると、精子をつくる精巣は血液で体温近くに温められる。すると、正常な精子をつくりにくくなったり、睾丸が小さくなったりする。これが不妊の原因になる。

 そういえば、夏の夜など股間が熱くて汗をかいたり、下半身がダルい日があったような気がする。触診の際、自分でもさわったら陰嚢内の血管が束のようになりゴリゴリしているのがわかった。この太い血管が睾丸の裏側にまわり込んでいる様子がMRI(※)でも確かめられた。超音波検査で、血管の瘤(こぶ)の写真もとられた。下半身裸でペニスをつまみあげ睾丸をあらわにして表面温度計で温度の測定もされた。幸い症状は初期の段階で、精子の形や数、運動能も充分だった。チェインにつながれた睾丸のサイズ模型と比べながら、「ご立派です」と担当医は言う。

 手術は、へその下から内視鏡を入れて行われた。両側の睾丸から出ている血管を腹の付近で止めるもの。年末に2週間の入院で済んだ。手術後6ヶ月も経つと、正常な静脈へ迂回(うかい)するバイパスの血管ができてきた。下半身のだるさも熱さもない。精子の数も「平均値の2倍」、運動能も形も問題ないという。

 不妊は伝統的に女性のせいにされがちだったが、男性原因の不妊症が5割強を占めるということも初めて知った。

(※)Magnetic Resonance Imaging、磁気共鳴造影
2001年08月27日 03時05分18秒

貸し金庫(2001年8月25日)
【Money】
 「銀行の貸し金庫を借りた」と友達から聞いた。一人暮しの部屋に貴重品を置いておくのは物騒だ。友達も身近にどろぼうに入られた例があったという。
 いつも不安に思いながら、パスポートや実印を引出しに入れて、まあいいかとそのままにしていた。昼間は家を空けるので不安がないことはなかった。
 金利が低いのでタンス預金でもいいとの考えもあるが。自分を守る危機管理として、やっておいて損はない。月1000円程度で安心が買えるのならこれに越したことはない。親にもすすめた。
 もともと預金残高も高額でないのだが、本やガラクタ、紙くずしかない今の自宅は、ドロボウさんにとっては収穫のない部屋になった。
2001年08月25日 14時30分43秒

経験と科学(2001年8月20日)
【Health】
 「精進したから病気が治った」という経験的な知恵や秘訣は時には大事だ。しかし、こればかりに頼っていては表からはわからない重大な症状を見逃すことがある。うまく行く時と、いかない時のぶれも大きい。科学と経験則のバランスがうまくいってこそ、適切な対処ができる。自分自身のぜんそく治療の経験から感じた。

 「夏は戸外で運動をして、よく日焼けしなさい」「この漢方薬を使いなさい」「体がつらいからと、いつまでも寝ていてはいけない」・・・。小児ぜんそくがぶり返してひどかった20歳すぎの頃に受けた診察はたいがいこのようなものだった。
 大きな病気をした2年ほど前から、大学病院の呼吸器専門医に診察を受けることにした。定期通院のついでに、同じ病院で受診する。

 90年代に入ってから、ぜんそくの治療方法は様変わりした。データに基づく理にかなった治療がほどこされる。ピークフロー(瞬間の呼気量)を毎日グラフに記録する。ぜんそくの状態ではないと思っていても、ピークフローの上がり下がりで自覚できない症状が見えるという。アレルギーの原因物質も、血液検査でわかった。おまけに「最近飲み過ぎてるでしょう」と肝臓に関する数値までわかる。
 医師の指示どおり、朝晩の吸入を行い、アレルギー症状をやわらげたり、気管支を広げ呼吸を楽にする薬を飲む。吸入の回数や薬の量は、日々の症状や肺機能、血液などの検査結果により増やしたり減らしたりする。

 かつては、ひどくなった時だけ「発作を静めるこのスプレーを」と応急処置ですませていた。根本的な治療をせず長い間放置していたため、気管支の柔軟さがなくなり呼気の維持能力が低くなった。話す、歌う、楽器を吹く際、ハンディになっているということもわかった。
 このように継続的な治療をはじめてからは、悪くなる前兆が把握でき、体を冷やさないようにする、薬を増やしておくなど、具体的な対処がしやすくなった。その結果、受診前に比べて大幅に苦しむ回数が少なくなった。

 「解明しきれないことがある」「伝統的でない」と科学や新しい技術を否定する話を聞くことがある。時代が変化するなかで、昔のまま留まっていることは、居心地の良さはあるものの、停滞しているとも言える。どんなに伝統的と言われるものでも、改良が加えられ向上し続ける。だからこそ長続きして、伝統的と言われるのだと思う。
 すでにわかっている科学・技術を利用しない手はない。その上でわかっていないことを解明していけばよいのではないか。
2001年08月20日 01時11分59秒

めざせビジュアル系(2001年08月16日)
【Music】
 細身で金髪の男が音楽バーに現れた。20歳頃と思われる女性ファン連れ。半年ぶりに会った彼は20キロも減量していて、最初は誰だかわからなかった。彼は今、35歳にしてビジュアル系バンドのベース奏者となった。その道のりは、聞くものを笑わせ、前向きな姿勢は感動を呼ぶ。

 音大出身のクラシック奏者だが、その後、ジャズ、ブルースなど渋い音楽を大人のお客の前で演奏してきた。音楽の腕を買われてビジュアル系と呼ばれるバンドの助っ人で演奏したところ、ファンの熱狂と興奮に感動してしまった。「ジャスやブルースは年をとってからでもできる、若い時しかできない音楽をやろう」と思ったという。

 ビジュアル系はキュートな外見のカッコよさが勝負。それにしては大きい顔に太った体、ひげが口のまわりを覆い、黒ぶちのメガネ。年下のバンドリーダーから「痩せろ」と言われ減量をはじめた。酒は控え食事も制限し、おやつは食べなくなった。まゆ毛は薄く剃り、ほんのり化粧。半年でビジュアル系ミュージシャンが出来上がった。

 バンドの履歴書には26歳と、10歳近くサバを読んでいるが通用するという。飲み屋で、そうとは知らない5歳ほど年下の男から「俺はもう年食ったから、お前らみたいな音楽はできないけどがんばれよ」と説教されることもある。「ビジュアル系への変身がうまくいってうれしい」ので、腹も立たないという。

 今日も関西のどこかのライブハウスで、ひと回り以上も年の離れた少女たちを熱狂させていることだろう。
2001年08月16日 23時13分37秒

三橋節子美術館(2001年08月16日)
【Art】
 日本画家・三橋節子(みつはし・せつこ)さんの代表作を展示する美術館が、三井寺の近くに建ち、滋賀県大津市によって運営されている。
 三橋さんは、右肩鎖骨腫瘍で利き腕を切断されたが、その後も絵筆を左手に持ちかえ、代表作と言える「三井の晩鐘」などを描かれた。1975年、35才で亡くなられた。

 琵琶湖の伝説をテーマとした作品、インドでの作品は恩師・秋野不矩さんを彷彿とさせる。二人の子供を描いた作品、田の畦(あぜ)に咲く草花のスケッチなど、ご自身の周りにあり、思い入れのある対象を作品として完成されていく様子がよくわかった。パートナーに宛てた「あなたの夢を見るために眠ります、オヤスミ」や、子供たちに宛てたハガキなど、家族の絆が強かったことを物語る。
 美術館入口からは裏手の石段を下った突き当たりに、節子さんの夫「鈴木靖将」さんの名前の彫られた表札をかけた家があった。

(1999年5月2日訪問)

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【ガイド】三橋節子美術館
〒520-0035 滋賀県大津市小関町1-1
TEL&FAX:077-523-5101
京阪電車京津線上栄町駅から徒歩10分、JR大津駅から徒歩20分

開館:AM9:00〜PM5:00(入館PM4:30まで)
休館日:月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料:一般=220円
    高校・大学生=150円
    小学・中学生=100円

入館チケットの半券には三橋さんの作品が載っている。
一つの角にひもが結ばれていて、栞(しおり)にできる。


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【参考資料】
三橋節子美術館の展示およびパンフレット
三橋時雄『吾木香−三橋(鈴木)節子を偲ぶ』(1976)
梅原猛『湖の伝説−画家・三橋節子の愛と死』新潮社(1977)
2001年08月16日 20時01分27秒

ホームページ公開(2001年08月16日)
【Diary】 2001年8月16日、ホームページを公開。
京都は大文字の送り日。あと20分ほど点火されるところです。
2001年08月16日 19時41分57秒

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