出産(無痛分娩&帝王切開)
生まれました。
2002年、4月1日。予定日より2日早く出産となりました。まだ記憶が新しいうちに記録しておきます。
陣痛に気付いたのは3月31日午前3時半頃。
それから何となく眠れなくなり、陣痛の間隔を紙に書き始めた。案外規則的に来る。もしかして?と思った。前日寝る前に、すこーーしだけ出血というか、そういうものがあったから。でも、「おしるし」と確信できる量でなく、よほど注意して見ないと分からない程度だった。
また前日、1万歩以上歩き、洗車に水槽掃除、と例によって動き回っていたので過労かとも思った。
結局朝まで起きていて、7時に実家の母に連絡。夫はいたけれど、仕事が立て込んでいたし、仮に出産となっても夜以降だろうと、のんびり考えていた。万が一、入院になった時のために家を簡単に片付けたり、洗濯もした。
私の実家はここから1時間ちょっとで行ける場所だけど、母も泊まりこむつもりで身支度をしてきたので到着はお昼前頃だった。母が買って来たサンドイッチを夫と母と3人で食べて、私と母は病院へ向かった。一応おしるしのようなものと、腹痛があるということで診察を受けた。
いつものように尿検査をするので採尿したら血が・・。自分でもびっくりした。
あーついに来たかー・・・と思ったけど、内診では子宮口は1〜2センチしか開いていない。
でも、陣痛があるということで入院となった。希望の部屋も空いていたので、早速入院手続き。スイートルーム希望だった。結構広くてバストイレ付き、ベッドもダブルサイズ。バラ色の入院生活と思われた。
暫くは話をしたり、ある程度普通で居られたけど、夕方頃からとんでもない激痛が。今までにない感じの痛みだ。
母が背中をさすってくれたりしたけれど、どうにも治まらず部屋の隅で思わず唸り声をあげてしまう。
そのうち、夫も到着。母と夫が「あらあら」みたいにちょっと笑ったのを見て、私は真顔で「笑うなら帰ってよ」と苛ついていた。
6時頃、陣痛室に移動。一人で歩くのも辛くて、夫と看護婦さんに手を借りて移動。
あまり痛くなる前に、と看護婦さんが浣腸を・・・。生まれて初めての浣腸。薬液注入後、5分は耐えてと言われたのに一分も持たなかった。
まあ、便秘もしてなかったので大丈夫でしょう。
陣痛室は、二つベッドがあって、カーテンで仕切られている。隣には二人目出産らしい(話も聞こえるので)妊婦さんが同じく陣痛に耐えていた。
当初からの希望通り、無痛分娩。しかし、麻酔は子宮口が5センチの段階までは使わないらしい。麻酔によって陣痛が微弱になることがあるかららしい。
しかし、もうとてもじゃないけど耐えられる痛みでなかった。痛みに耐えられず苦しむ私に、先生は硬膜外麻酔を注入。背中に針を刺して細いチューブを入れる。そこから麻酔薬を入れていく。針はそう痛くなかったが、背中に冷たい薬液が入っていくのは気持ち悪かった。麻酔注入後暫くは強い痛みからは解放される。
微弱陣痛が心配されたが、思いのほか子宮口はスムーズに開いていった。その間、看護婦さんや先生に子宮口を指で触診されるんだけどそれもまた恥ずかしいというか痛いと言うか・・。当初、出産は午前3時過ぎと言われていたが、子宮口が早く開いたので午前1時頃には出産、と言われた。その時は夜11時頃だった。子宮口が8センチになったので陣痛室から分娩室へ移動。
一旦家に戻っていた夫を急いで呼んだ。
麻酔薬の投与量には限界があるため、早く出産することが望ましかった。
ところが、分娩室に入ると陣痛が微弱に。それより、痛む場所の異常に気付いた。私の骨盤は狭く、普通分娩ができるか分からなかった。骨盤に対して胎児の頭が大きく、普通の骨盤の人よりも難産になることは元々予想されていた。なので、尚更無痛が良かった。
お腹よりもむしろ、尾てい骨の辺りが激しく痛む。先生の言っていた骨盤の場所だ。
そのうち、陣痛室で隣にいた人が分娩室に。先を越されてしまった。入って30分も経たずに出産。でも私はカーテン越しに聞こえて来る声や音に恐怖を感じ、必死で耳を塞いでいた。産声と共に、「おめでとうございます、女の赤ちゃんですよ」という声が・・・。
私は「どうして?どうして私はまだなの・・?」とますます辛くなった。
私の陣痛をしめすグラフは平坦なまま。でも、やっと子宮口は全開までこぎつけた。なのに胎児が下りてこない。少しでも出てくれば、吸引なりの処置ができるけれど、骨盤に胎児の頭がつかえたまま動かない。もう日が変わって4月1日。時間は既に午前5時をまわっていた。私は一昼夜眠らずにいたので、体力的にもかなり参っていた。
先生が、「力みたい感覚はある?力んでみて」と言うけれど私はとうとう「力みたい」という感覚は分からなかった。それどころか、もう力む力もなくなっていた。
お腹は切りたくなかった。
でももう精神力も限界、胎児の状態が心配になってきた。先生はもう少し様子見る?と言っていたけれど私は帝王切開を希望。分娩室に入ってから約7時間、私は十分に頑張ったと思ったし、もうこのまま待っていても駄目な気がした。先生も私にはもう体力が残されていないと判断し、帝王切開の手術の準備に入った。部屋で待っていた夫に手術合意の確認をし、手術となった。
日曜はスタッフが少ないらしく、急遽スタッフが集められた。私の記憶では10人近い人たちが忙しそうに行き来していた。お腹全体に消毒薬が塗られ、布をかけられた。その辺りまでは割と意識があった。下腹部から赤ちゃんが出される感触は分かったし産声も聞こえた。赤ちゃんを目の前に持って来てくれたけれど、私はもう目を開ける事もできなかった。
その後は、全身麻酔で眠ってしまった。何故全身麻酔かというと、その病院では傷を縫う際、周辺の脂肪を少し取り去るから。これはオプション。
そうすると、傷の治りが良いらしい。故に、美容外科のようにウエストが細くなる程ではないらしい。
結局丸1日以上かかった4月1日の6時39分、男の子を出産。希望通りの早生まれ。ギリギリの。
身長は46.4センチ、体重は3142グラム。
気がついた時は集中治療室。母と夫がいた。
初めて我が子を見たのは集中治療室。看護婦さんに抱かれた我が子は余りにも小さく、しかしお腹に入っていたにしては大きい、というのが感想だった。その後ストレッチャーに乗せられて入院室に入った。暫くは起きたり動いたりが大変だった。傷が痛い。それに怖くてガーゼの下の傷口を見ることも出来なかった。
手術当日は飲食禁止、点滴だけで過ごす。次の日から重湯、お粥、と徐々に普通食になっていった。傷は痛いし何も食べられないし赤ちゃんには会えないし、とても辛い日々だった。しかし、4日もすると動きもスムーズになり、スタスタと歩けるまでに回復した。
帝王切開は2週間入院。前半の一週間はまだ良かったけれど、後半の一週間は長かった。何しろ退屈。赤ちゃんと一緒の部屋で昼間は過ごしていたけれど、寝てしまえば暇になってしまう。
傷口は、人差し指くらい。緊急なため縦切り。でも結構下で、ローライズパンツも履けると思う。で、溶ける糸で縫ってあるので抜糸がない。傷は皮膚に黒い線だけ。赤くもなっていなくて、案外きれいで安心。
で。産後の体について。
体重は7キロ増しで、出産直後は分からないけれど一週間後の計測では妊娠前の体重プラス1キロ。
2週間経った今では妊娠前の体重より1キロ減。あと、お腹ですが、皮膚がのびのびになると聞いていたけれど全然。皮膚はまだ黒ずんでいるけれど、皮膚はのびのびではなく、鏡で見る限り妊娠前をほぼ同じ。退院時にはジーパンで帰ったから、サイズ的にも殆ど戻っていると思う。
まだ完璧じゃないけど、夏までには大丈夫でしょう。慣れない子育ての中、無理をしないでいきたいです。
ただ、腹筋は弱くなった。前はすいすいできた腹筋運動ができなくなっていた。今は、筋力を回復するべく軽いエクササイズをしています。
あと、スリミングジェルとかでお手入れもしています。
個人差はあると思うけれど、7キロ増しの感想。周りに知られずに、済んでしまいました。そして元の体型になるのはそう難しくないです。
出産はハードだったけれど、我が子は思いのほか可愛い。最近は女の子が人気らしいけど男の子はメチャメチャ可愛いです。何故に嫌なのか分からない。
夏頃には色々お出かけしたりできるかな?楽しみです。