あの青春の日々 1
題してわたしの青春残酷物語。なんたって今から30年も前の昔話、お気にめすやら、召さぬやら。一席やらせて戴きます。のっちんは美術系の短大の二年生でした。商業デザインをやっていたひとです。
当時、わたしは三流業界新聞の記者をやっていました。わたしは都内の某私立大学の夜間部を卒業して、学生時代からバイトをしていたちっぽけな業界新聞社にそのままずるずるっと就職、バイトで二年間も広告取りから取材原稿書き、校正、記事の割り付けまでやっていたので、かくべつに就職したぞっていう感慨もなかった。
ずるずるっていうのが、どういう訳かわたしの人生に付いてまわる。もしかして、こりゃ遺伝かななんて思う。親父とお袋がずるずるとくっついて、ずるずるっと私を生み。私はずるずる大人になってしまっていた。「だらだら」も私のお得意芸、だらだら時間を浪費する。ちいさな座布団を頭にのっけた大学生がうようよいる東京のNORTH・WESTの大学街で六年もダラダラ過ごした。専門は法律のはずが、憶えたのはチー、ポン、イーシャンテンと中国語ばかり。故郷の親も息子の自堕落な生活ぶりを察し、仕送りをストップ。しょうことなしに、中国語の猛勉強。やがて、学費の半分近くを雀荘の中国語講座でお金持ちのボンボンからいただいていた。あの頃のポン友諸君、あの時はありがとね。
* * *
ところで、その短大生ののっちん、実は隣のアパートというか、長屋というか平屋建ての建物の住人でした。6畳ひとま、一間の押し入れ付き。台所共同、共同トイレ(どっぽん式の懐かしい奴。)、風呂なし。部屋代5千500円なり。あのあたり、まわりはまだ畑ばかり、巨大な欅の並木があちこちに残っていました。競馬場まで歩いて三十分でいける町です。そう、東京競馬場です。わたしは、当時ギャンブルも好きでした。競馬場にもよく通っていました。競馬は勝ったり負けたり、結局はすってんてんになることが多かった。
いわゆる、がちがちの本命対抗できまりそうな銀行馬券というやつを、絶対買わない。当時のわたしの美学が許さなかった。すってんてんにやられた時のみじめさで、なんとなく生きていることの実感を味わえた。いきいきといきている実感を味わいたいなんて、生意気にも思っていたのです。
今考えればお笑いです。死と隣あわせに生があり、本当の「生命の輝く時」を感んずるなんてことは、命をいくつ持っていてもたりないのに。理屈はともかく、当時の一月分の給料をワンレースで、一点買いでまけると、ほんとうに惨めな気持ち。しかし、そいつで、当てりゃ天下を取ったような高揚感。セックスよりも遥かによかった。そうです。馬券で当てて、万円札を何枚も握りしめて新宿三丁目あたりの、お風呂屋さんで泡踊りでパーと散財した後の虚しい気持ち、若い時のセックスは、とかくそうしたもの。まあ、当時のわたしをひと言で自己評価するなら、「ろくでなし」です。
そう、肝心の短大生の話ですよね。多分165センチくらいの当時の女性としては大柄でした。のっちんは、色浅黒く骨格も逞しく女プロレスに出場していてもおかしくない偉丈婦でした。付き合いが深くなってから、わたしは彼女に組み敷かれるたびに自分は、巴御前に組み敷かれて勃起したまま、首をかきとられた平家の公達のようだとおもったものです。彼女は東海地方のさる町出身で、高校時代に剣道をやっていて有段者でした。インターハイに出たという位だから、パイより重い物を持った事の無いわたしよりも当然力持ちでした。
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