あの青春の日々 2

さてさて、話はどこまでいったやら、巴御前の力持ちぶりまでいきました。でも、みかけによらずのっちんは気が優しい。それに結構家庭的だったりしたのです。気がやさしい人は力持ちと、昔から相場がきまっている。だから。格別驚く事も無かったのですが、初めてMAKELOVEをしたら、その後がやたらにしおらしい。えっ、えっと言う感じなんです。

のっちんは、ごく最近まで彼氏がおったのです。わたしが口を聞きはじめの頃は。学生風の彼氏が、時々のっちんの部屋に泊まっていらしい。わたしが初めてのっちんに組み敷かれるすこし前まで、朝帰りする学生君の姿をみたことがあり、のっちんの乳首を舌でちろちろしながら聞いてみたんです。のっちん、目を閉じてわたしの物をさぐりながら、「N大の学園祭で知り合ったひと。私の他にも彼女がいるから別れたわ。」わたしは他人の情事に関心を持つほどの閑がなかった。それに、基本的にわたしは女本人にしか関心がなかった。その彼女が、どんな男と付き合ってどうした、こうしたなんて関心外だった。

わたしの業界紙はやたらに忙しくて就業時間に決まりが無い。真夜中だろうが早朝だろうがこちらの都合にお構いなし。週一回の締め切りがすべてだ。残業だとか休日出勤だとかいう言葉がない世界。勿論、月々のお手当てなんざ、笑っちゃうくらいの微々たるもの。しゃないや、「ろくでなし」に正業が勤まる訳が無い。30語くらいの中国語をやっと憶えた法科出身の俺にぴったりの仕事、文句いう筋合いのものじゃなかろうと報酬にも勤務時間にも不満はなかった。当時、自分は自由な身で世界を飛び回るジャーナリストが夢だった。絶対に実現しない妄想といってよかった。

傷だらけになったニコンを二、三台肩に担いで、例えば東南アジアのジャングルの湿地帯でベトコンと行動を共にしてみたり、チェ、ゲバラの殺されたボリビヤで反米ゲリラの活動家たちの拠点で、彼等のインタビュウー記事と写真を世界に配信するとか。とにかく、ビッグな事をしたかった。しかし、現実には短大生の巴御前に組しかれながら、ひたすら彼女のジャングルを掻き分け、ピンクの湿地帯でポコチンをビッグして突撃することに専心してたのです。


MAKELOVEのテクには自信らしきものはあった。巴御前にたどり着くまでに、そこそこの女性遍歴もあった。プロ、アマとりまぜて両手くらいか。その中で、きみちゃんという彼女とつきあっていた時にみっちり仕込まれていた。きみちゃんは、人妻だった。きみちゃんとは幼馴染だった。中学、高校の頃、いろいろごちゃごちゃあった人。でも、キス、ペティング程度の幼稚な男女交際という奴。きみちゃんと初めて寝た時、彼女は人妻暦三年。セックスのイロハから教えてくれた。きみちゃん、実に研究熱心でセックスがすきだった。彼女は、女の立場から女性の愛撫のしかた、性感帯の位置、性交後のクールダウンプレイまで手取り足取り丁寧に教えてくれた。

何回目かの逢引の時、2ラウンド目の後で、きみちゃん先生は真っ裸でぐったりしていた。わたしにお腹をさするように指示しておいて連れ込み旅館のすすけた天井の節穴をかぞえながらいったのです。今日は本当に良かった、K君も上手になったわね。免許皆伝です。


*  *  *

のっちんは昭和22か23年生まれ、戦前生まれの女性よりは性をタブー視する度合いが少ない。高校三年の初体験いらい短大二年生になるまでの三年間で片手を超える数のボーイフレンドがいた。勿論、性的に関係のあった男の子だ。当時としては進んだ子といえるかも。でも、学生同士のセックスなんかありゃ器械体操の一種。腰の一部を動かして、いいわいいわなんて悶えている。

馬鹿、てめえら、10年早いんだよ。彼等、彼女らはセックスを理解していない。一発やるのが大事業でも成し遂げたような気になっているだけ。馬鹿げた話だ。私自身の学生時代のセックス暦なんか、考えてみれば幼児期のお医者さんごっこの延長に過ぎないことを知った。きみちゃんのレッスンを受けた事は、それほどわたしの「ヴィタ・セクサアリアス」上の重大事件であった。

のっちんは性交の数は賞賛すべきものがあった。しかし、きみちゃん道場の逸材、一刀流の遣い手からみると、まったくのおぼこ娘。基本がなっていなかった。そこで、のっちんに手ほどきをしてやる事にしたのです。

技術というものは先輩が後輩に伝承すべきもの。例えば、かの太閤秀吉が朝鮮に兵を出して朝鮮半島の焼き物師達を根こそぎ「拉致」してきた。ために、かの地では高麗青磁の伝統がたたれ、朝鮮の焼き物文化は壊滅したとか。技術の伝承が絶たれる事は、かくも重大な結果をもたらす。一方、「拉致」された焼き物師達の技術伝承はこの大和の国に伊万里,有田、薩摩、萩、九谷といった絢爛たる焼き物文化を華ひらかせたのです。技術の伝統を絶やすなと、昨今わが国の職人技の伝承がなにかと声高に叫ばれているのですが、三十四、五年前にわたしがのっちんに性技の手ほどきも始めたのも、わが国の誇るべき巧緻細密な数奇者文化の衰微に心痛めてのこと。黄綬褒章は無理かしら?やっぱだめか。


はてさて、なんぞ適当な教則本はないかしらと、考えたのです。たとえば、ピアノならバイエル、合唱ならコーリュウブンーゲンがある。そうだ、謝国権先生の「性生活の知恵」ならどうだろう。男の人形と女の人形の関節が曲がるようになっている。それぞれ離れた位置で四十八手の体位をとっている。男人形が膝でたって腰を前方に突き出し、両手を斜め前方にだしている。女人形は4つんばいになって反身になり尻をやや高く突きだしている。独立して離れた写真を、ひとつにしてみりゃワンワンスタイルの完成だ。さすが、ベストセラー。解かり易い。決まりだ。

さっそくのっちんを誘って新宿にでたのです。当時、新宿で本といやぁ紀伊の国屋が決まりでした。ありましたね、うずたかくとまではいかないが、売り場の中央に。「性生活の知恵」はベストセラー。セックスのご相談はドクトルちえこ先生が定番、謝國権先生のやつはちとばかりアカデミズムのかおりを漂わせていた。しかし、うす闇につつまれて男と女がくんずほぐれつ、あられもなく乱れみだるるがよろしき筈のお●ん●のノウハウ本がですよ、東京の第一の盛り場新宿の紀伊の国屋の白々と昼をあざむく蛍光灯の下で売られているたあ、どないなっとんじゃ。


情欲は、暗く湿って惨めな薄汚さ、後ろ暗さがあってこそもえるもの。青白い命の炎となって私たちの体の奥で、じりじり燃えつづける陰火。「ろくでなし」のわたしは生意気にも、世も末じゃのうとおもったりもしたのです。

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