あの青春の日々 3
のっちん、165センチの剣道二段。色浅黒い健康優良児が「教則本」をぱらぱらとめくってみて乙女の恥じらい、ポッと更に浅黒くなった。その後、店内の純喫茶ブルックボンドでお茶をのんでいたら、前の席に新劇俳優の山● 努と寺● 農がいる。あ、あの人は「天国と地獄」の山●努だぞ。わたしがのっちんに囁く。のっちんは、田舎の映画館で黒澤監督週間で「天国と地獄」をみて以来の山● 努の大ファン。それに、テレビの「青春とはなんだ」で中学時代良くみていた寺● 農。
わたしが、山● 努さんですよねっと、ずうずうしくもこえをかけた。なにやら演議論でも戦わしていた二人がこっちをみた。のっちんは教則本を投げ捨てていきなり田舎の中学生に還った。そして、天国と地獄の映画スターに握手を求めた。のっちんスクリーンでしか見たことのない芸能人にあって興奮気味。握手した掌を一生洗わないなんて、口走るのです。きったねえな、洗わない手じゃ、きみちゃん直伝の「べろで全身なめるの術」は、このさいカットだ。
その日、渋谷にまわり前週の当たり馬券を金に換えた。万円札一枚残して、あと何枚かの万円札を全部その日のレースの馬券につぎ込んだ。今日は強気だ。のっちんの下のチリチリしたオケケをむしりとって財布に馬券と一緒にいれてある。そして、恋文横丁のみんみんで餃子を食い、丸山町の連れ込みでさっそくのっちんにレッスンの開始。
のっちんは体育会系だけにちとばかり、淫靡な色気に欠けていたのです。なんのためらいもなくスッポンポンになっちまう。まぐろみたいにゴロンと横になってやがる。わたしをすぐに組み敷きたがる。駄目だってのに。エロの道はそれなりに厳しいのだよ。
のっちんは高校時代剣道に夢中になっていたという。
しかし、私たちはなんで剣の道というのか?海の向こうの剣術はただ「フェンシング」というだけだ。道なんてつけて呼ばない、この「道」とはなんだろう。彼女は中学では書道でもなかなかのものだったらしい。市の中学生書道コンクールで入選したとか。のっちんは典型的なやまとおみな。「道」がついて、日本的な捻りはじ巻きのストイシズムを連想させる物が好きらしい。
「道」には深山幽谷の神秘的秘儀的なえもいわれぬ神聖な感覚を伴うではないか。
のっちんは、いまや色の道の修行もはじめたのでした。とにかく、ものごとをはじめると夢中になるひとでした。To teach is to learnとかで、のっちんの修行のお付き合いのなかで、わたしも女弟子に教えられる事も沢山あったのです。
わたしは子供の頃講談本に淫するところがありました。例えば、こんな話があります。宮本武蔵が塚原ぼく伝という名高い剣の達人に教えを請うべく、人里はなれたぼく伝のあばら家をおとずれました。逢ってみれば、よぼよぼのただの爺さん。じいさん、聴き取りにくいしわがれ声いったのです。よろしい、わしに隙あらばいつでも打ちかかってきんしゃい、ゴホン、ゴホン。じいさん、扁桃腺が弱くて咳き込んでいました。
まあまあ、遠路ようこられた。ぼく伝じいさんは、すいとん汁を若い武者修行の旅人に振舞うべく囲炉裏に鉄なべを懸け、曲がった腰をとんとん叩きながら薪をくべておりました。生木も混じっていて思うように燃えてくれない、じいさん囲炉裏のはじに四つんばいに蹲り薪を並び替えていた、武蔵は、名人に隙見つけたりといきなり爺さんに斬りかかる。ところが、ぼく伝じじいパッと鍋のふたを取る。武蔵の剣を鍋蓋で受け、もっていた灰ならしの薪で武蔵の眉間めがけはっしとばかりに打ちおろす………・という具合に修行となれば、時も所も選ばない。これが、日本の伝統の伝承法です。わたし、のっちんの色の道修行に、これを実行したのです。
あの頃、昭和元禄とか呼ばれていた。ハレンチ、サイケデリック、ゲバルト、ノンポリ、ブルーライトヨコハマ。なにが、止めてくれるなおっかさんだ、聴いて呆れるよ。てめらみたいな自己中のナルシストどもは好きなように解放区とかを作って、世界の労働者学生どもと連帯していやがれ!「ろくでなし」のわたしには、カタカナ語、意味不明な外国語の乱用にこんわくしていた。チー、ポン、ロン、トン、ナン、シャー、ペーしか知らないのだ。セックス用語だけはすぐに覚える。アイ、ワナ、ファッキユー。金髪ちゃんに迫るチャンスがなかったけど。(その後、いろいろそんなチャンスもあったけれど。)思い出してみると厭な時代だったなあ。
霞ヶ関ビルがまずでき、虎ノ門あたりの風景が一遍にかわった。あの辺りの街路樹が初夏の強い日差しを受けていた。でも、緑の葉が輝きを失い茶色に変色して、落ちていった。わたしのいた業界紙の事務所、下がタバコと文房具をあつかう大家さんの店。その横に錆びた鉄の階段。階段を登ると、週間●●工業新聞の看板。がたぴしする扉を開けると、板張りの8畳ほどの新聞社。汚いソファーひとつ。ソファは応接間兼休憩室兼徹夜仕事の仮眠所だ。それに書類置き場兼資料庫兼電話台兼仕事机もある。机、ぼんやりガラス窓の外を眺めるときの肘置き場でもあった。
イエルサレムに嘆きの壁とかがあるらしいが、溜息の机というやつもある。窓の外に歩道橋があった。夕暮れどき、溝鼠色のスーツの男が歩道橋の手すりに登って、ラッシュ時の車道に飛び降りた。「ろくでなし」のわたしは、無関心。人間の輝きをうしない落ち葉みたいに地面で車に踏みつけられてやがる。ひでえもんだ。
時をえらばず、場所をえらばずの修行は順調でした。夏、蒸し暑い夜わたしとのっちんは、夜陰に乗じて野菜畑の向こうの小学校のプールにしのびこみました。あの頃警備員なんていなかった。宿直の先生が回ってこない零時すぎ。物陰でのっちんはするりと全裸になった。わたしも。水にはいり静かに泳いだ。月明かりの下でのっちんとわたしは静かに平泳ぎをする。
鏡のような水面に、のっちんの方から丸い波紋がゆっくり広がり私の波紋と交じり合い校舎を照らす常夜灯の光を複雑に反射して揺らいだ。
蟲の声に混じって常夜灯のトランスがジージーなっていた。
平凡なしあわせ、世間並みの恋人どうし。それ以上に何かあるのだろうか。もう、修行を止めた方がいいんじゃないだろうか。しかし・・・・
のっちんすぐに欲しがる。馬鹿者め、セックスは軽い触れ合いから始めるのじゃ。軽いじゃれあいで触覚で楽しむ。互いの体を大自然の月明かり、星明りのなかで視覚で楽しむ。静かに、そして性感帯の周辺部をちょろっとさわるんじゃ。馬鹿もん、いきなり師匠のポコチンを握るな。色道修行は厳しいだぞ。
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ここで、「あの青春の日々」を一寸中断させて下さい。あらためてご挨拶をさせていただきます。私はすこしボケの始まったエロじじいです。息子の嫁にお守りをして貰っている情けないじいさんです。息子の嫁はなかなか可愛らしい。おっぱいの形もよろしいし、おしりもほどよく肉がついていて、ついつい撫でたくなってしまいます。これは、男の本能というやつ。先日も食事の支度でキッチンで立ち働いている嫁のお尻をみていたんです。ただみていただけですよ。そしたら、くるって振り向いて、「スケベ」って言って、もうおじいちゃんのご飯つくらないからね、お酒もお燗してやらないから、ときました。いきなりクルッツと振り向いた。嫁はお尻に視線感知器でもつけてるのかしらネ。それとも、案外みられて嬉しいのかもネ。さて、横道にそれたお話をまた「あの青春の日々」に戻しましょう。
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そうそう、ここで皆様にのっちんのプロフィルを描いて差し上げなければ。165センチ以上の身長はすでにかきました。でも、正確ではありません。わたしの勝手な推定。のっちんを電柱に押し付けて置いて立ったままの体位でしたとき、なんとなく推定したのです。所かまわず厳しい修行は夜道を歩いている時でも、彼女が油断をしていると見るやいきなり襲い掛かって電柱に押し付けてやつのパンティを剥ぎ取ってレッスンです。のっちんにのしかかられた時に体重も推定できました。59キロはあった筈。でも、嗚呼、数値なんか挙げたところで何になるんじゃあ。理想体重。理想体型。あほくさアアア。ひとは数値の奴隷じゃない。
わたしがのっちんに興味を持った理由のなかに、彼女がわたしより大きい人だったこともある。ひとは己がたらざるものに惹かれるのかな。大男はちび女、大女は蚤男。デブは痩せ。美女はぶ男。思い当たるもあり,あたらぬもある。まあ、この世界は、光と闇とでつくられている。生の輝かがやかしい歌声は、おぞましき死の重奏低音にささえられてこそのもの。
陰陽、二元論の世界観が色の道修行にはさしあたり便利な哲学だ。男と女。凹と、凸の狭間に稲妻に似たある種波動する力が働いて両者をひきよせる。おんなは恍惚として凹部を開き甘い愛液をだし、おとこは凸部をいよいよおったてて忘我の愛液の海に突き立てる。二人は互いの心臓の鼓動に耳を済ませ、この世にあらざるひろがりの響き、聖なる世界に浮動するたえなる音楽をきく。そして互いの触れ合う肌を通して相手の熱を感じ、無限にひろがる宇宙の暖かさを予感し安らぎに包まれたようにかんじる。
みじめたらしい現実をわすれさり赤子のように、腕の中の相手を信じきる。
男と女は暖かさと柔らかさと優しさ満ちた妙なる音が何処かでなっている空間をただただ浮遊する。性交とはそうしたもの・・・・・こんな風に、わたしはのっちんの乳首の先を軽くタッチしながらレクチャーしたのです。
が、のっちんはわたしの講義に聞く耳をもたない。うっとりと目を閉じてわたしの物を手荒くしごいて、自分の凹部に導こうとする。こらぁ、急ぐな。困った娘だ。はやく、器械体操から卒業してもらいたいもんだ。
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