あの青春の日々 5
わたしは自分の仕事の先行きに絶望感をかんじていた。社会の変化にもついていけない「のろま」、「ぐず」であった。昭和40年代の高度経済成長というやつ。虎ノ門あたりの街路樹の若葉を、さわやかな初夏に落葉させた自動車の排気ガスと工場煤煙。でもそれ以上に時代の空気は息苦しかった。退屈、単調。無意味。わたしはシラケていた。どっちらけじやーあ。
いつだか、事務所のわたしの目の前、歩道橋から夕暮れ時の渋滞しつつある車道にジャンプしたあのバカ、ありゃ俺の影か。
わたしは、バカな空想に耽っていた。フリージャーナリストになってベトナムのジャングルとか,アルジェリアの民族解放戦線に身を投じて砂漠で命の危険もかえりみずに駆けずり回る。たとえ殺されたとしても、今よりもましだ。なにかしなくちゃ。なにかにならなくちゃ。いったいわたしは何を求めていたのだろう。
金?名誉?生きている実感?どでかいこと?全てに対してYESともいえる。NOといえばNOだ。完全にいきづまって、病んでいた。ただ、のっちんと一緒に暮らして平凡な暮らしは、わたしは怖かった。家庭に埋没したくなかった。もう、間もなく30歳になっちまうのに成りたいもの、したい事がない。相変わらずの「ずるずる、だらだら」。その日暮らしをしていた。
溜息の机に肘をついて、ボロ会社の二階の窓越しに虎の門近辺の変貌ぶりを眺めながらぼんやりしていた。のっちんとの関係もずるずるひきづっていた。わたしは胃をやられていた。きりきり痛む胃を押さえ、タバコを止めなくちゃ。俺このまま駄目になるかもなあ。こんな生活をつづけていたら駄目だ。まったく、人様に道の厳しさを説く前に手前が修行をしろってんだ。偉そうに馬鹿ぁだな俺は。助けてくれよ、のっちん。悲しいのは俺のほうなんだ。
*** ここで、一寸休憩いたしましょう。 ***
やわはだの 熱き血潮に ふれもみで 悲しからずや 道を説く君この歌、与謝野鉄幹先生がまだ人の妻だった晶子のおっぱいを舐め舐めしようか、どうしようか散々迷っていた。鉄幹先生の右の手は晶子女史の隠しどころあたりを恐る恐るさまよいっていった。女史は色の達人、師匠の舌とフィンガー攻撃に髪ふりみだし、こころよい忘我の境をさ迷いながらも、指を折って5.7.5.7.7と数えていた。
色の道を究めればこんな芸当は朝飯前。私が伝統の伝承だ、色の道が私たちの国の誇るべき伝統だなどと、わたしが勝手にエロの道をご大層なカルチャーとして茶化して語っているとお思いの方がおられたら、それは思い違い。とんでもない思い違い。
古来このトヨアシハラの国はエロい人たちの国でした。島国に住む人たちは、異民族の侵略を心配する必要がすくなかったから、軍事政治外交に長けている必要もなかった。これが、いまだに尾をひいている。昨今のわが国の外交のまずさが、いろいろ言われる。しゃーないよ。島国育ちなんだから。
いにしえの おおみやびとは いとまあれや 梅をかざして きょうもあそびつ。
奈良時代の高級官僚たちは「いとま」がやたらにあって、フリーセックスにいそしんでいたのです。
この世をば わが世とぞおもう思ふ もちつきの かけたることのなしと思えば。
藤原道長がこんな歌で、己が権力の栄華を誇れたのも娘の彰子を天皇の後宮に送り込み、かつ彰子が皇太子を生んだればこそ。彼は娘の子宮で権力をゆるぎのないものとしたのでした。そして、彰子のブレーンがご存知紫 式部女史です。彼女は宮中のセックスライフのカリスマリポーターでした。嘘とほんとうの狭間を見事について、宮中男女相姦図をえがきました。私達現代人と違って、「いとま」がやたらにあった平安貴族たちは、登場人物たちの話をあれはだれそれ。これはあの人。なんだよ困るな俺の話を書きゃがったな、なんてやっていたのです。
春は曙、ようよう白くなりゆく山際すこしあかりて・・・・などと色気のないことしか書けないリポターは、どうしたって人気薄です。やがては、歴史の波に埋没しわすれさられるのでしょう。セックス小説家紫ちゃんの文名は時代とともにますますあがり、巨人軍以上に不滅なのです。紫女史は私たちの根源的な性を語ったひとだからです。誰もが知っていて、ほとんどのひとが読んだことのない「源氏物語」、でも古典なんてそんなもの。いいじゃ、ありませんか。えらそうにいう私も読んでいない口のひとり。
** ここで、元のお話に戻りましょう **
はてさて、青春残酷物語・あの青春の日々、どこまで語りましたっけ。のっちんと鏡の間で魚のようにのけぞった話まででしたね。
のっちんの故郷は東海地方のある町、一応はそうさせて置いてください。でないと、あの人の話かと思い当たる人がでないとも限らない。のっちんは実在の女性で、50代前半。
「ろくでなし」のわたしと違って、優しくて家庭的で力もちだったから、多分いまでは平凡でどこにでもいるような肝っ玉母さんになっているでしょう。
わたしと知り合う前ののっちんはこんなでした。あの長屋は駅前の不動産屋でみつけたのです。この不動産屋のおじさんがかなりのヒヒ小父さん。当時40くらいか、うす汚いボンコツ、「すばる360」にのっちんを乗せて徒歩20っぷんの長屋を案内したのです。
田舎育ちののっちんは、部屋が大いにきにいりました。家賃が前にいた部屋より高いけど、閑静だし彼氏が泊まりにきてもだれにも文句を言われない。前のアパートでは下に大家さんが住んでいて、彼氏が来るたびにいやみたらたら。
のっちんにすりゃ、いいだろう家賃払ってるんだから。なにが年頃の娘に悪い影響がだ。おめえの娘だって、3年もすりゃあ自然にセックスしたくなって、親のみてないところでちちくりあうようになっちまう。
この部屋がいいけど、予算厳しいなあ。このスケベ不動産屋、のっちんにいい提案をしたのです。お嬢ちゃん、一度させてくれたら礼金をおまけしてやるよ。一ヶ月分の5500円也。ふーん、5500円かどうしよう。母ちゃんからの仕送りじゃどうしても苦しい。のっちんが思案しているうちにポンコツ軽ポコは連れ込み旅館の生垣の奥まった玄関にピタリ。軽く二ラウンドで5500円がちゃら。
わたし、のっちんの薄いおけけをつんつんと引っ張りながら、のっちんの寝物語にかなりびっくり。軽いジェラシー。あの不動産屋め、ちょっとしばいたるか。どないふうにいたぶりゃ薬になるか考えたりした。考えながらセックス疲れで眠り込んでいた。
のっちん、19歳の春。
可愛い顔してあの〜こ、なかなかやるもんじゃない〜、ですか。へるもんじゃないし、第一これは、わたしの物よ。他人にとやかくいわれる筋合いじゃないでしょ。うぜーなーなんて、ルーズソックスをずるひきずりながら「ウリ」をしているグエンダイのクヲウコウ生と違った、昭和40年代のお嬢ちゃんのお話し。本当のお話し。
のっちんと町を歩いていて、お腹の大きい妊婦とすれ違ったりする。のっちん顔を赤らめて、あのひともやったのねなどと恥かしそうにいう。おいおい、三十分前にお前さんとやってたばかりの事じゃないのか。この短大生、いったいどういう精神構造になっているのだろう。
わたしはのっちんという女に昔の旧い時代の女をみていた。優しいのだ、のっちんは男の攻撃的なお●ん●をやろうよという誘いを断れないお嬢さんなのだ。わたしもそういった。のっちんは断らなかった。その時、のっちんにはボーイフレンドもいたのだ。でも、わたしの誘いを断らなかった。けっして喜んでオーケーしていた訳ではない。初めての時、マグロちゃん状態、しかたなしにお貸しいたしますみたいに体をひらいていた。
体と心をひとつにしたんじゃ、哀しくなっちまうんだぞ。のっちん、お前さんは失敗しちまったんだ。それにしても、困ったもんだ。
のっちんとわたしはあまりうまく行かなくなっていた。わたしは、社会との折り合いがどうもうまく付けられなかった。膨張してゆく高度経済成長は、「ろくでなし」には息苦しいことであった。
わたしにとって生きて行く場所を次々と奪われて滅びてゆく野獣。狩りの場を宅地開発、道路建設、ゴルフ場造成で破壊され、淘汰されてゆく猛禽、いやそれほどかっこよくはない。おれは消えて行った肥溜めの金蝿。暗渠にされちまったドブ河の薮蚊。俺は「ろくでなし」さ。
* * *
週間●●工業新聞が、にわかに忙しくなってきた。発行部数が爆発的にふえていた。虎ノ門のタバコ屋の二階を引き払い新橋の駅近くに移転した。給料は少しだけふえた。しかし、相変わらず安い。部下らしきものもできた。わたしはあいもかわらない競馬狂い、給料がはいると一月分の味噌と米を買う。残った万円札は憎い仇のように馬券に注ぎ込んだ。そして負けた。中山のオケラ街道をジャンパーのポケットに両手をつっこみ、寒々しく肩をすくめてあるいた。
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胃はますますきりきり痛んだ。のっちんとも逢いたくなかった。あいつは俺に首輪をつけたがっている。おれは悲しい顔の女をみたくない。あっちにいっていろ、お前をみていると俺はつっぱりきれなくなる。俺に近寄らないほうがいいよ。
あの頃、ビートルズ、紅衛兵、カラーテレビ、カー、クラーの三種の神器ときた。「ろくでなし」の色の道の修行者には無縁のもの。のっちんと逢うのを、なるべく避けた。ミニスカート、アングラ、フーテン、ドロップアウト。
お母さまお餅おいしゅう御座いました…幸吉はもう走れません…と書置きを残してあの年、昭和43年の正月9日円谷幸吉が自殺した。
かわいそうに、あいつ27歳か。俺も、もう走れないよ。
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