あの青春の日々 6



或る日、学生時代の麻雀仲間がひょっこり仕事場に現れた。この男はわたしに輪をかけたようなズッコケおとこだった。NORTH・WEST大学の昼間部の学生で、わたしより一年下だった。学生時代のわたしの蝦蟇口、お得意さまだった。いいところで振り込んでくれるナイスガイだった。

関西のお金もちのボンボン。卒業いらいの再会だ。聞いてみりゃ、彼は七年間学生をやっていたが結局卒業しないままずるずると退学したらしい。それから巣鴨地蔵のちかく、飯屋兼飲み屋の「中屋のしんちゃん」と同棲していたというだ。
わたしたちは、中屋に良く行っていた。しんちゃんは、当時16か17。色白のかわいらしい少女だった。白い汚れたエプロンをつけ、中屋の店内を走り回って注文取ったり、料理や酒を運んでいた。しんちゃんは東北なまりが抜けていなくて、なにかものをいうたびに顔をピンクにそめた。

わたしたち「ろくでなし」学生グループは徹夜麻雀に疲れてボーッとしたまま、しかししんちゃん目当てにわざわざ山手線で巣鴨にいって中屋でかつ丼か親子丼をくい、ついでに焼酎をのんだ。
私たちは田舎の中学から集団就職できていたしんちゃんの「私設応援団」だった。健気に立ち働くしんちゃんには、守ってあげたくなる何かがあった。それで、焼酎でほろ酔いになると500円、1000円のチップをあげた。
明日の飯代に事欠いているにもかかわらずそうだった。「ろくでなし」学生のろくでなしたる由縁である。

しんちゃんが中屋の板前見習といい仲になって、そのあと若造はドロン。しんちゃんが捨てられたという噂をきいたことがあった。それがMと何時の間にか同棲していたとは。へえーである。男に捨てられ中屋に居辛くなっていたしんちゃんの相談を受けている中に、しらないうちに同棲するようになってしまった。

あいつ板前のガキを孕んじゃって、ボテ腹で「焼酎2はい、牡蠣フライ2人前、焼き魚ひとつですね。」なんてやってるのをみて、かわいそうになっちゃってさ。赤ん坊には親父がいなけりゃ。Mはアパートに腹のでかいしんちゃんをひきとった。そしてピンチヒッター親父は巣鴨のピンサロでボーイをやり、出産費用を稼いだ。
しかし生まれてきた赤ん坊は死産。あいつ、可哀想なくらいしょげちまってなあー。そんなこんなで半年くらいどたばたしてたら、授業料未納により大学は除籍。親の仕送りも、みんなあいつの「入院費」と生活費なんかで消えちゃったんだ。お袋には泣かれるし、親父はかんかん。しばらくは勘当されていたんです。Mはいたってくったくがない。

しんちゃんは田舎のおふくろさんが死んだので、田舎にかえったという。親父が出稼ぎに出ていなくなるので、母親がわりに小さい弟や妹の面倒を見るためだ。しんちゃんに上野駅で泣かれて困ったよ。そんなこんなで、Mはどこか旅に出ないかと誘いにきたのだ。Mはすべてを忘れたかった。しんちゃんの事。死んだ赤ん坊のこと。ばかなやつだ、人様の孕ました赤ん坊だぞ、わたしに輪をかけたばか者だ。

「旅行」というより、そりゃ旅だな。目的地は特にない。どこか、遠くにいきたいのだ。風に吹かれて行き当たりばったりの『旅』だ。いいなあ。わたしは、ちょっと心が動いた。
そうだ、旅とはいい思い付きだ。この行き詰まりを打開するなら旅だ。そうだ、ゆくならあそこだ。イスタンブール ワズ コンスタンチノーブル。何とか海峡、ボラポラス海峡とかいったな。アジアの西の果て。海峡の向こうはヨーロッパ。課外活動の中国語しかやっていないので、世界の地理なぞまったくわからない。でも、雑誌で見た。イラン高原の岩だらけの荒野、パキスタンからカイバル峠をこえてアフガニスタン。いいな。ひでえめに逢うかもしれないな。でも、今よりはましだ。

のっちんをさけていたが顔を逢わせれば、結局抱き合ってセックスをやっている。わたしはのっちんとどう付き合えばいいのか解からなかった。マンネリのギリマン。
荒廃した快楽だ。のっちんがいった、わたしの顔が性器に見えちゃっているんでしょ。違うんだよ、のっちん、それは違う。でも、のっちんに違うと言い切れなかった。

でまかせにMにイスタンブールまで大陸横断はどうだろうと提案してみた。それも、オートバイか徒歩でどうだろうか。Mは、オートバイでイスタンブールですか、いいですね。やつは乗ってきた。
のっちん、しかたないんだ。おれは「ろくでなし」さ。

九段下にエレックという英会話学校があった。わたしは週間●●工業新聞の仕事をさぼって英会話教室に通い始めた。カイバル峠をホンダのバイクで超えるのには、「これはなんですか?」、「これはいくらですか?」、「わたし水が欲しい。」「あなたは綺麗です。」「わたし貴女と●マ●コしたいです。」くらいは話せなくちゃ。

のっちんはわたしが旅にでるというと、わたしの前から消えた。
仕事はやたらに忙しくなって来ていた。わたしは、徹夜、徹夜でねぐらに帰ってなかった。のっちんを避けていたんではない。のっちんにしばらく逢っていなかった。のっちんどうしてるかなと、長屋の隣にいってみた。部屋は空部屋になっていた。

のっちんはまだ若い、子供をつくりたいなら「ろくでなし」はやめておけ。俺は、お前さんに縛られたくないんだ。おれは誰にも縛られたくないんだ。俺は「ろくでなし」の色の道の修行僧だ。学生やろうが安田講堂を燃やしたって?アホクサイ。ベトナムで僧侶がガソリンをかぶって燃えていやがる。アポロ11号が月面に到着しただと、それがどうした。ナセルが死んだ。ニクソンのやろうがいきなり毛沢東と手を握った。猿芝居もいい加減にしろ。所詮あっしには関わりのないことでござんす。俺は旅に出る。

色の道こそが俺の真実。
この世界が開けた時、はじめに光があった。
光はこの世界をくまなく照らした。

いや、隈なく照らせないのだ。この世界に存在する生きとし生けるものは光に照らされれば、光の届かない影が出来る。この影こそが人や物の存在を際立たせてくれる大切なもの。まばゆい光と漆黒の闇の交差するあたり、薄明るくしかも物の形が定かでない薄闇、そこに人間の根源的な性がある。
一筋の「色の道」は頼りなげではあるが、光と闇の間をいったりきたり。二人でしか歩けないかぼそい哀しい小道が確かにあるのだ。
「ろくでなし」はその頼りなげにつづくかぼそい道を辿るしかないだろう。


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