夏・あの海・そしてKのこと 5



わたしたちは、潮の岬を目指して何時間もあるき続けた。地図でみると、直線でも10キロはありそうだった。潮の岬全体は起伏の激しい山だった。

荷物は宿に置いたまま、女将さんに借りた水筒とおにぎりを持ってしゅっぱつした。目の前に紀伊大島がせまっている。島まで二キロくらい在ろうか。想像していたより大きな島だ。海峡の流れは速そうだ。風で、ちいさく白波がたっていた。
清子は麦藁帽子を目深にかむり、無言で私の前をあるいた。

わたしは、さっき裸で抱き合っていた時の会話を、思い出しながらあるいていた。

・・・彼女は唐突に、私のことが好きってきいて来た。わたしは、好きだよとこたえた。
愛している?とまた,重ねてきいてきた。うーん、ちょっと考えた。愛していると思うよと、わたしはこたえた。

じゃあ、俺の事はどう思っているのかなって、わたしがきいた。清子は、私の背中にまわした腕に力を入れた、好き、好きよ、でも良くわからないわ、と答えた・・・・・

わたしは、多分清子のことが好きになっていたのだ

清子は、山道にさしかかっても、だまって先を歩いてゆく。彼女も、きっとさっきの会話を考えているのだろう。石ころだらけで自動車も通る埃っぽい道をさけて、山越えの脇道をあるいた。樹木の枝がうまい具合に影を作ってくれている。狭くて、木の根も露出して歩きにくいが、土の上のほうが気持ちがいい。

風が潮の匂いをはこんでくる、そしてクマゼミがシャンシャンうるさいくらい鳴いていた。清子のデニムのスカートがリズムミカルに左右にうごいている。白いノースリブのシャツの背中が汗で濡れている。彼女は、肌着もブラジャーもしていない。背中の左右の筋肉もリズミカルに、緊張し緩んでいる。右、左、右、左と正確に運動を繰り返していた。だいぶ登ってきた。海峡の向こうの島が、すっかり後ろになった。

もう2時間以上はあるいている。

彼女のデニム地の紺のスカートの両足のつけ根あたりが濡れて来ている。汗のにじみで彼女の尻の割れ目が、はっきりわかるほどだ。清子のうごきがすこしゆっくりになった。苦しいのぼり坂だ。

清子が、肩で息をして振り向いた。私も、のぞがぜいぜい言っている。
「ここで休もう、もう苦しくて駄目。」彼女がねを挙げた。でも、その前に私の方がとっくにねを挙げていた。苦しくて、かなり遅れ始めていたのだ。


松の大木の根方で、私たちはへたり込んだ。清子は意外にけろっとした顔で水筒に口をつけて、グビリグビリと音を立てて飲み、わたしに水筒をわたした。水分が体内に入ると、途端に汗になって体中から吹きだしてきた。清子も汗だらけだ。シャツがぴったり肌にはりついて、乳房の先の乳頭がぷっくりもりあがってみえていた。
松の枝が広く張り出し、格好の日よけになっていた。見晴らしの良い高台で、どうやら頂上に近いらしい。目の下にひろびろとした海も良く見える。紀伊大島がもう見えない。ということは、岬の突端に近いのかもしれない。

それにしても、気持ちいい風が海からふきあげてくる。清子は胸の前ボタンをはずし、胸元に風をよびこんでいた。

私たちは、小休止してすぐに再び歩き始めた。こんどは、わたしが先頭だ。しばらくすると、道は下り始めた。もう初めの調子で歩けないから、ちょくちょく見晴らしの良い木蔭があると休みながらあるいた。やがてみちは平らになり、本通りと合流した。


清子が、なんだかくすくす笑っている。こいつ、なにを想いだしてるんだ。

「さっきね、宿の女将さんがあなたのことを、旦那さんはおやさしそうな方ですねっていったわ。」
彼女は、わたしの腕に手を回してきてならんだ。
だから、私は言ったの。まだ、結婚してませんって。かれは、恋人ですって。


わたしたちは、ついに本州最南端の岬の先端にたった。 そこは、本州が太平洋に突き出した岬。切り立つ崖が、一挙に海になだれ込んでいた。

球場が何面もとれるような広い草地の端に、本州最南端の碑がたっていた。
私たちは、あの湿気むんむんの溝くさい東京の下宿を抜け出し、喧騒とネヲンと神経を苛立たせるモダンジャズが耳もとでガンガンなる穴倉の仕事場を放棄して、やっときた。

夜汽車の硬い椅子に長い時間すわって大阪まで揺られ、それから紀伊半島の西側を、単線のトンネルの連続する海岸線をなぞるようにディーゼル車にのってやってきたのだ。


私たちは宿をでて、汗まみれになって四時間も歩いた。
見渡す限りの海だ
崖のはずれの見晴台にもたれて海を眺めた。
清子もわたしは言葉もなかった。
沖に、入道雲がいくつも立ち上がって、太陽の強い光をうけて輝いていた。
雲のない頭上に真っ青なそらがあった。
太陽のまわりは青というより、くらい色のないひろがりだった。
清子は麦藁帽子のひさしに手をかざして、海と入道雲と空をしばらく眺めていた。
肩からかぼそい腕が日焼けでピンクになっている。


わたしたちは、見晴台の下にくぼんだ平らな棚をみつけた。そこなら、安全そうだし、木陰もあった。海の眺めも悪くない。

わたしが先に降り、清子を下で両手でだきとめた。清子は私の首にかじりついたまま、わたしの腕の中から降りない。キスをしろというのだ。キスが終わっても、離れない。愛していると、云えと強要するのだ。
一度では許してくれなかった。二度も、三度もいわされた。わたしは、彼女のシャツの隙間から覗いていた乳首にキスして、愛しているよといってやった。

しかし、わたしたちはこの際色気より、食い気だった。彼女も私も、今朝のことでまだ体の奥に余韻が残るほど、充分に満足していた。 宿の女将がつくってくれたお握りは、この土地特有のめはりすしと呼ばれるものだった。魚でとった出し汁をしみこました握り飯を、高菜の塩漬けでくるんだものだ。

清子も私もはらぺこだった。体内の塩分が汗で流れだした後だったし、塩味のきいためはりは、信じられないくらい美味しく感じた。
清子も、美味しい美味しいといって、食べた。 この地方の人達がむかしから、この握り飯を持って山に入り、激しい山仕事の労働のエネルギー源にしていたのだ。わたしたちは残りの水筒の水を、一口づつ飲み干した。


清子はまた海をみていた。風がすこしでていて遥か下の岩場に白波がたってきた。
私たちの周りも木の枝もゆれ、濃い緑の葉が裏返って白っぽい薄緑にかわる。 ここの海岸の水は確かに暗い青だった、黒潮とよばれる意味がよくわかる。 赤道直下から、川のように蛇行しながら流れてこの沖をとおり、北上してゆくのだ。


清子は長い間黒潮をながめてだまっている。まるで、この海の中の流れに何かをみているようだった。

わたしには、彼女が自分の悩みごとをこの流れにながしているようにも見えた。 彼女の肩が小刻みに震えていた。彼女は嗚咽をこらえているのか。
わたしは彼女のかぼそい肩をだきよせ、「俺がいるだろ。さっき、俺を恋人だっていったろ。
この野郎、俺が恋人だっていったろう。」と思い切り乱暴に、いってやった。


私たちは、その夜も同じ宿に泊った。彼女は、もう泣かなかった。いつもより穏やか表情になり、恋人らしくいつもわたしの体のどこかに触れたがった。次の日はぶらぶら串本の町を歩き、どんな時でも腕をくんだり、指を絡めたり、髪の毛をなであったりした。そして、人目が無ければキスをし、ひと気がないところでは愛撫しあった。そして、誰もこない海岸の岩陰でからみあい重なり合って、快感をむさぼりあった。

海と、雲と、太陽と、風が私たちを祝福してくれていた。


串本の宿にその夜も泊まり、次の朝暗いうちに宿を出て海岸沿いの道を那智の滝まで歩くことにした。地図でみるとかなりの距離だ。
宿の女将は、めはり寿しを二食ぶんも作ってくれた。清子がほんとに美味しかったと、何度も心から女将にお礼をいったので特別に作ってくれたのだ。そして、その代金を受け取ろうとしなかった。

女将は彼女の事をすっかり気に入ったようだった。自分の娘みたいな気がするといっていた。女将は夜明け前の国道まで出て来て、見送ってくれた。

別れ際に、私たちに早く結婚してまた新婚旅行でここに来なさいといった。その時は、特上のくじらの尾の身と新鮮なかつおを用意しとくからね、といってくれた。


清子は女将の手を握り、必ずきますと、真剣に約束をしていたのです。

・・・・おわり・・・・


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