マドンナの思い出 11

俺は三年生になった。M中では、二年から三年になっても、クラスの編成替えが無い。だから新学期が始まっても、特別なにか新鮮な気分になる訳でもない。ただ、担任のシャープ兄が、昼休みや放課後に、クラスの奴等をひとりひとり職員室によんで、卒業後の進路を話し合うらしい。

俺は、そんな事を考えた事もなかったので、シロ君に聞いてみた。やつは、何でも知っているから、頼もしい相談相手だ。ところが、その話になるとシロ君は人が変わったみたいに、そっけない。「自分で考えろよ、馬鹿野郎」といったきり、俺を相手にしてくれない。藤田やギッチョンじゃ俺よりガキだから相談どころか、逆に俺が相談をされちまう。

結局マドンナに相談してみるっきゃない。でも、教室で二人だけで話でもしてたら、それこそ他のやつらに何を言われるか判ったもんじゃない。放課後、校舎の隅や部室の前なんかで、あいつとすれ違う時にときどき短い立ち話をする事もあったが、たいがい一言で済んでしまう、「調子どう?」「いいよ。」それだけだ。

あいつは俺の目の奥を覗き込むみたいにみる。俺はいつも圧倒されて、どぎまぎしてしまう。とにかく、卒業後の進路となると、立ち話では済むもんでもない。弱った。手紙を渡すという手もある。でも、マドンナみたいに、俺は上手く手紙が書けない。あいつが呉れる手紙は、字もきっちりしてるし、自分の考えも確りしている。ところが、俺の手紙ときたら、ろくなもんじゃない。とにかく、こまった。

高校へ進学を希望するやつらも、就職するやつらも毎日四、五人づつ放課後の教室に残っていた。担任のシャープ兄の面談が始まった。いずれ、俺もシャープの野郎に、面談でなんか聞かれる。いまのところ将来なんて言われても困る。なにも何も考えていない。ただ、親父の商売を手伝ったり、継ぐのは厭だ。

店は姉ちゃんが継げばいい。あの大学生を婿にして、姉ちゃんが今母ちゃんのやっている仕事をやって、母ちゃんは婆ちゃんの座っている帳場の仕事をやる。そして、婆ちゃんは奥の座敷に引っ込むというか、一段高い所から全体を見渡し、ラジオに耳を当てて相撲を聞いたり、歌謡曲なんか聞きながら総監督になればいいのだ。

男手は、親父と武さんがいるし、姉ちゃんの婿さんは勤め人になって正月休みだとか、お盆の時だけとか、忙しい時にちょっと手伝えばいいわけだ。なんだ、俺って結構頭がいいじゃないか。これは、今夜武さんに相談してみよう。それから、婆ちゃんにも相談しよう。総監督就任となれば、ばあちゃんも満更でもないだろう。

酒屋にならないで済むとなれば、俺は外国に行ってみたい。いくなら船でいってみたいな。デッキチェアなんかに座って、冷たい飲み物をのんで。なんか、格好がいい。新聞にでていた、プレジデント・ウイルソン号がいいな。まっしろな船体に。青い煙突。紅いラインが入っていた。真っ青な海を何日も何日間かけて、南洋の島なんかに寄り道しながら遠い港にむかってゆくんだ。そうか、船乗りになりゃいいかもしれない。うん、こりゃいいアイデアだなあ。俺って、本当に頭がいいな。船乗りか。

他のクラスでも、教師の面談をやっているらしい。放課後の運動場を、新三年生がぽつりぽつり帰ってゆく。明るい顔をして弾むように帰る奴もいる。一人でうつむいて力なく歩いてゆく奴もいる。カバンを肩から外して振り回して、二、三人でふざけながらかえるのはスカ高行きだろう。小学生並だ。ああいうカス野郎が集まるからスカ高って名がついた。

姉ちゃんは、俺の将来はスカ高行きだなんて云いやがった。俺は倉庫の裏で大学生とキスしていたことを黙ってやってたのに。俺にはスカ高しか入れないとは、云いすぎだ。「俺は知ってるんだ。」って、店の土間にたっていた母ちゃんや親父に聞こえるようにいってやった。 姉ちゃんは、急に真剣な顔になって睨んだ。いきなり俺の肘を掴んで、奥の部屋に押しこんだ。「何を知ってるの?」怒ったように低い押し殺した声をだした。「何を知ってるのよ。」姉ちゃんが、もう一度怖い声でいった。俺は、階段を二階にかけ上がって、自分の部屋に入った。姉ちゃんもおいかけてきた。女は、これだ。親の前でいい子ぶりやがって、影でキスなんかしてるくせに。姉ちゃんは、裏表がありすぎる。

「何にも知らないんでしょ。何を知ってるっていうの?」
俺も姉ちゃんが泣き出しそうなくらい真剣だ。キスしてたろう、なんて云えなくなってしまった。「嘘だよ、何にもしらねえよう。」というしかねえ。疑わしそうに横目で俺をみて、奥の自分の部屋にきえた。

ついこの間も、駅前の商店街の一本裏道を、あの痩せた大学生と並んであるいていた。俺は偶然見たんだが、あんな所で姉ちゃんたちに会うなんて思ってもいなかった。ビックリして俺は慌ててかくれた。夕暮れ時で街灯も少ない道で、家からも遠く離れたところだ。姉ちゃんたちは、知り合いに見られることなんか絶対無いと油断していたんだ。あの道は河の堤防にぶつかる。 どう考えても、姉ちゃんの慌てぶりと、真剣な顔はキス程度じゃなさそうだ。あいつら、人通りがきれる河の土手の方にいった。あそこから、ちょっと土手を降りれば真っ暗だし、絶対に人なんか来ないところだ。大学生におっぱいくらい触らしたにちがいない。

いや、もしかすると、もしかするぞ。やばいなあ。あっつ、馬鹿だな俺は、姉ちゃんの事でチンボがでっかくなっちゃった。

だいたい姉ちゃんはあんまり頭がよくない。だから、中学の時勉強ばかりしていた。その結果、難しい県立H高に入っちゃった。近所の奴らや親戚の奴まで、凄い凄いなんていったもんで、本人もなんかその気になっちゃって、勉強に励みがでちまった。でも、本当はやっぱり頭は大した事はない。なんたって、俺の姉ちゃんだから、疑問の余地がない。

これで、嫁の行く先も決まったようなものだ。
めでたし、めでたし、か。

昨日はシロ君が面談で教室に残っていた。俺はいつもの通りシロ君がグランドを横切って正門から帰るのをまった。シャープのやつがどんなことを聞いてくるのか、聞いておかなきゃ。野球の事しか頭になかったんで、どこの高校に入りたいもなかった。一応は、高校進学のことを考えているふりをして置かなけりゃ。船乗りになる話は、此の際だれにも秘密だ。

野球の練習をしながら下校するやつらを見ていた。でも、シロ君の姿は、結局見なかった。正門から帰らなかったんだ。奴はどうしちゃったんだろう。なんか、この頃暗い顔をしている。−十一話おわりー

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