マドンナの思い出 12
■シロ君はどうしちゃったのだろう■
ある日、放課後の野球練習が終わって帰ろうとしていたら、ガリ野が部室に来た。唇が切れてはれ上がってた。ガリ野が珍しく喧嘩でもしたのかと思ったら、違うらしい。誰にやられたんだと聞いても、うるせえなって言うだけだ。だいぶ、機嫌が悪い。シャープが、職員室で俺を呼んでいるという。
シャープが俺に何の用があるんだろう。進路の面談はまだ順番じゃないし、何かやばいことがばれたかな。ガリ野は行けば判るの一点ばりだ。シャープの野郎が何の用で俺を呼んでいるか、教えてくれない。これは、相当に不味い事で呼ばれているぞ、参ったなと思いながら、恐る恐る職員室に行ってみた。クラブ活動で残っていた生徒もほとんど帰ってしまったし、そうでなくても薄暗い職員室の前の廊下は、もう電灯がついていた。がらんとした職員室には、先生がちらほら残っていた。人生の野郎もやたらに深刻な顔で、額にてをあてて悩んでいた。俺が後ろを通っても気がつかない。シャープの野郎、本と書類と謄写版の印刷物がごちゃごちゃになって山のようになって、どうにもならない机に向かってなんだか真剣な顔をして俺をまっていやがった。隣の教師の空いている椅子を引き寄せ、俺に座れという。
こりゃ、説教がながびくぞと思った。亀の湯の女風呂を野球部の奴等と覗きにいったのがばれちゃったのだろうか。あの時、たまたま二組の水野ヒロコが脱衣場のガラス戸を開けて、入って来た。あいつは、風呂桶を持って前を隠しもしないで俺たち隠れていた板塀のすぐ近くにきた。南天の木と八手の葉の間、ガラスの窓ごしに真っ裸の水野がこっちをむいた。俺たちは暗闇に隠れて、板塀の隙間から覗いていたが、見つかってしまうと思うくらい近つ付いてきた。あいつのおっぱいと真っ黒けの毛をみて、俺はショックだった。学校で見ると小柄でおとなしそうな女でも、制服の下にはすげえおっぱいがあり、周りのおばさんたちに負けない縮れた黒光りする毛が生え揃っていやがった。俺のチンボコは痛くなるほど勃起した。でも、俺たちはぜんぜん負けている、女の裸は本当に綺麗だと思った。俺たち、いがぐりの坊主頭がいくら、えばって見せても、いくら強がってみても、所詮あいつ等からみりゃ子供、いたずら坊主でしかないんだ。
シャープは、いきなりお前はシロ君が何故高校に行かないってきめてるのか知ってるだろうと、まるでデカみたいな口を聞きやがった。この野郎、ひとを心配させるんじゃねえ、危なく俺の方から格好悪い覗きを白状するところだった。
シロ君が高校に行かないなんて、まったく初耳だ。それより、手前は担任だろうが、自分の生徒がどんな具合かいつでもしっかり知っておくのが、仕事じゃねえか。シロ君は高校を受けないらしい。その日の夕方シャープ兄が級長のガリ野をつれてシロ君の家にいったというのだ。昼の高校が駄目なら、夜間部に行けって説得したらしい。シロ君は頑として行きたくないと言い張っているらしい。理由も言わない。シロ君は、シャープを家にも上げなかったそうだ。玄関先で、相談することなんか何にもない、帰ってくれと、担任の胸を突き飛ばしたそうだ。級長のガリ野がびっくりして、シャープとシロ君の間にはいって止めようとしたら、シロ君はいきなりガリ野の顔面にストレトーパンチを入れたらしい。そして、ガラス戸をピシャリと閉め、内側からカギをかけてしまったという。
どうしちゃったんだろう。シロ君に何が起きたというんだろう。なんで、進学しないのかな。あいつの家は焼けトタンを寄せ集めて作ったようなひどい家だし、着ているものも肘や膝にツギがあたってひどいものだ。でも、あの子はきちんとしていると、家の母ちゃんはいつも感心していた。貧乏くさくない子だ。家の母ちゃんはシロ君が大好きだ。やつのお母さんだって、シロ君が高校に行くのを楽しみにしていたじゃないか。
うちの母ちゃんが、PTAでシロ君のお母さんとあったとき、物静かな品のいいお母さんだねって、感心していた。めずらしいくらい上品なお母さんだ、女学校出の人は違うってやけに感心して、婆ちゃんいっていた。ご主人に死なれて女手一つで、子供を育てたんだ。そりゃ、並大抵の苦労じゃないね。婆ちゃんもしきりに感心していた。
婆ちゃんは誰にも黙って武さんに言いつけて、シロ君のうちに店の味噌や醤油を届けさせたらしい。余計なおせっかいをする婆ちゃんだ。あとで、シロ君のお母さんが店にお金を払いに来て、母ちゃんの知る所となった。母ちゃんは、かんかんになって怒った。人をみて物をあげろって怒った。シロ君のお母さんが施しものを受け取る人か考えてみろ、あの人は成金よりよほどきちんとしている。婆ちゃんはこの時ばかりは、こっぴどく文句をいわれていた。
悪気がないにしろ、あれは婆ちゃんもしっぱいだ。シロ君のお母さんのことを知らなさ過ぎる。婆ちゃんは、白衣で義足の傷痍軍人が「異国の丘」や「麦と兵隊」なんかをアコーディオンでやっているとすぐにお金をあげるし、近所で困っている人には親父に内緒で店の品物をすぐにやってしまう。でも、シロ君も、シロ君のお母さんも、同情されるのが嫌いな人なんだ。
いつかのマドンナの手紙に、シロ君が真剣に勉強をすればきっとクラスで一番だろうって書いてあった。マドンナはシロ君のことをよくみている。俺もそう思っていた。そしてシロ君は、心が優しくて相手を思いやりすぎると書いてあった。心が優しく、思いやりがありすぎるか。マドンナは、シロ君の良さを本当にわかっているんだ。
マドンナは、多分シロ君が自分のことを好きなのを知っているんだ。シロ君は誰にもけっしていわないけれど、俺にも言わないけれど、シロ君も俺に負けないくらいマドンナのことが、好きなんだ。
人生ってやつは、けっこう悲しいもんだ。大人になるって、けっこう辛いんだな。
とにかく、シロ君は俺を避けている。俺だけでない、クラスの誰ともつきあわなくなってしまった。始業時間ぎりぎりに登校して、教室にきても誰とも口をきかないで椅子に座っている、授業の合間の休憩時間は黙って一人で窓の外をみている、または廊下に出てどこかにいってしまう。やつに、無理やり話し掛けても、迷惑そうに舌打ちして俺の言葉を聞いているだけだ。それ以上話し掛けてきたら殴るぞっと言わんばかりの、憎しみの目をする。俺には、それ以上シロ君の心の内に立ち入れない。−十二話おわりー
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