マドンナの思い出 12


●最後の夏●

春の市立中学野球大会では、俺たちM中学は創立いらいはじめて準決勝まで進んだ。ピッチャーの牧野は1、2回戦は絶好調で中学生離れをした速球で面白いようにストライクをとり、外野の俺たちのところに打球が飛んでこなかった。今年のM中野球部強し、近所の商店の野球好きのおじさんにまで評判が伝わった。牧野は準決勝であたる強豪C中学の強力打線もおさえこんでくれそうな調子だった。


土曜日の午後、俺たちM中の校庭で試合をすることになった。試合当日、武さんは俺より興奮していた。朝早くからまだ開いていない店のトタンの引き戸を開けて、はいって来た。俺たちが奥の座敷でちゃぶ台をかこんで朝飯を食っている横で、地方新聞のすみに小さく出ている中学野球大会の記事をみつけて婆ちゃんにみせた。野球のわからない婆ちゃんに、今日の相手チームのピッチャーの球の特徴や、投げる時の癖を細かく説明していた。婆ちゃんもわかりもしないのに、盛んに相槌をうっていた。

親父は相変わらず難しい顔をして、口をきかない。こまった親父だ、大事な息子が、新聞にも出るような試合にレギュラーででているんだ。ガンバレひと言ぐらい言ってみろってんだ。こっちゃむずかし年頃の少年なんだ。

朝飯が済んだら、武さんと登校前の軽い運動。今日は、マドンナも、クラスの奴等も、いやM中の生徒、先生たちが皆見ている。ここで活躍すれば、一躍有名人だ。そうだ、俺はヒットをうったら、クラスの奴等に向かって腕を突き上げてやる。マドンナの見ている前で、ヒーローになるんだ。武さんは頼もしいコーチだ。C中のピッチャーはストレートのコントロールがいいが、カーブはきまらないから初球からストレートだけをねらって、カーブには手を出さないようにと、繰り返しおしえてくれた。

試合はゼロ対ゼロで進み、結構緊迫した投手戦だった。敵も味方も、何本かヒットやエラーでランナーが出るんだが後がつづかない。しかし、六回裏にチャンスがきた。2アウト、ランナーが三塁、二塁。ワンヒットでうまく行けば二点。
牧野の調子なら最終回の七回もゼロに抑えられそうだ。しかも、打順は六番の俺だ。ねがってもないチャンス。ところが、バッターボックスに向かう途中で、二年生の時の暴投で逆転負けのシーンを想い出してしまった。今度ばかりは失敗はできない。そう思ったとたんに、体中がカーッと熱くなり、なにも考えられなくなってしまった。俺はその場にバットを投げ出して、家に逃げ返りたかった。

とにかく、落ち着かなけりゃ。心臓はドキドキしてしまうし、冷や汗が体中からどっと噴出してきた。冷静になろうとすればするほど、手足がこわばってくる。相手のピッチャーが憎たらしいほど、落ち着いてみえる。俺は応援団の声も、ベンチの監督さんの指示する声もどこか遠くのほうで叫んでいるようにしか聞こえない。惨めだ。武さんのアドバイスを思い出そうとした。なんだっけ、今朝が武さんアドバイスをしてくれたけど、なんだっけ。思いだそうとしているうちに、ストレートが外に来てワン・ストライク。そして、また、速い球がきた。たちまち、ツーストライクだ。

味方ベンチから、主将の山田がタイムをとって走ってきた。「おい、落ち着いていけ。落ち着いて。」畜生、落ち着けないから困っているんだ。俺は、目を瞑ってマドンナの事をかんがえた。あの野郎、俺を情けない男だと思っているだろうな。もういい、俺は弱虫の、惨めな野郎。肝心なときに失敗をするドジ男、如何とでもなれ。俺は覚悟を決めて、バッターボックスに入った。すると、気持ちが落ち着いてきた。味方のベンチの監督も、校長もよくみえた。応援席に武さんと婆ちゃんがいた。俺たちのクラスの奴等が一塁のベースの近くに固まって応援をしてくれていた。皆、両手を口元にあてメガホンのようにして絶叫していた。マドンナもいた。マドンナと目が合った。あいつは声をださないで、にっこり微笑んだ。

カーブ、カーブとボールが続いた。武さんのアドバイスどおり、あいてはカーブのコントロールが良くない。次はストレートでストライクを取りに来る。もう、俺の勝ちはきまったようなもんだ。相手ピッチャーをよくみると、緊張しきっている。腕のふりもぎこちない。俺は打った。高めにきた甘いストレートだ。球はレフトとセンターの間を抜けて、校庭の欅並木の方まで転がっていった。やった、やったぞ。俺は、必死で走った。二塁ベースをけった。コチャーボックスでチームメートが両手をひろげていた。敵の三塁手が外野からの返球の捕球態勢だ。思い切りジャンプして、ヘッドスライディング。セーフ。やったー、ついにやったー。三塁打だ。マドンナの目の前で三塁打をうった。俺って、たいしたやつだ。俺はおもわず両方のこぶしを握り締め、思いっきり高く突き上げてほえた。

でも試合は、七回の表に牧野がいきなりフォアボールを連発し、その後連打されて二点差も、あっという間に逆転された。結局4対2で破れた。牧野は、試合後、部室にこもって泣いていた。


中学最後の夏休みも近づいてきた。俺も野球だけ考えているわけにも行かなくなってきた。いくら野球が好きといっても高校に入らない事には、その好きな野球もやっていられない。春の進学面談の時シャープの野郎は俺の成績表を見ながら、唸っていやがった。お前がやるきなら、野球部の強い県立T高校に間違えなく、合格できるのになあ。これから頑張れば何とかなりそうなんだがなあと、やたらに唸っていた。T高校か、頑張ればT高がなんとかなりそうか。あそこには、昔から野球部が盛んで市内の中学野球で鳴らしたやつらが集まっている。その時までT高校のことは考えても見なかった。しかし、T高校に入れるかもしれないとなりゃ、それまで漠然とY商業に入れりゃいいと思っていたが、もう一度考え直さなければ。

シャープの言う事には、T高校は野球部が強いだけではない。他の運動部も盛んで、バレー部は県大会で何回も優勝しているし、陸上部も強いらしい。しかも、大学進学するとなると、断然Y商業より断然有利で、進学高なんだそうだ。つまり、文武両道の高校という訳だ。格好がいいな。

俺の身近には大学生がいない。俺の従兄弟にも遠い親戚にも大学にいったやつがいない。姉ちゃんの彼氏は大学生といったって、姉ちゃんのおっぱいやケツを撫でてデレデレしているだけ。不精ひげもない気持ちの悪い例外野郎だ。大学生というのは、皆んな黒ぶちの眼鏡をかけ、汚いなりをして、電車のなかでいつも本を読んでいる奴等だ。なにか研究してなけりゃ。大学生になって難しい本を持っていれば、女の子にもてそうだ。畜生、マドンナとも堂々と「交際」だってできる。俺はその場でT高校を受けるて見ようかなと思い始めた。でも、シャープの野郎を喜ばせる訳にはいかない。おれは、考えてみますと乗り気でないふりをした。


次の日の放課後、陸上部の練習をしているマドンナに話があるから、練習の後一緒に帰ろうといった。マドンナは、学校からすこし離れたひと気のない児童公園のブランコに座って、俺の来るのを待ってくれていた。マドンナはひざに皮カバンをのせ、机代わりにして教科書を開いて読んでいた。俺が近づくのも気が付かないくらい集中していた。 俺はマドンナが教室で教科書を開いているのを見たことがなかった。陸上部の練習も休む事もなかったから、どうしてあんなに出来るのかわからなかった。でも、あいつはあんな風に一人になると、ちゃんとやっているんだ。俺がすぐ近くにいくと、ふっと頭をあげてにっこりと笑った。俺は、隣のブランコに座った。誰もいない公園で、二人きりになっていると、胸はどきどきするし、照れくさくて上手くしゃべれなかった。マドンナは教科書をカバンにしまい、ブランコを前後にうごかした。マドンナのいいところは、何の用なの?とか、聞かない事だ。

俺は、マドンナに逢いたかっただけだ。二人きりでこうしてブランコに乗って、揺れているだけでいい。ときどきマドンナの横顔を盗み見すると、マドンナが気が付いて俺を見る。そして、黙ってにっこり笑ってくれる。俺たちの真上に大きな公孫樹の枝が張り出して、地上に垂れてきた枝葉が、だいぶ傾きだした初夏の強い太陽光をさえぎってくれていた。 ゆっくり揺れるマドンナの長い髪と白いブラウスに、木漏れ日が動く模様をつくっていた。

「俺、県立のT高を受けてみようと思うんだ。」思いっきりいってみた。マドンナはブランコから立ち上がり、俺の後に回り背中を思い切り押して、「西田君なら、だいじょうぶ。きっと合格するわ。」と言った。

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