マドンナの思い出 14


●大人になりたくない●

一学期がもう一週間で終わり、夏休みに入るというところで、シロ君が学校にこなくなった。それまで、クラスの奴らとは碌に口をきかなかったが、毎日教室には来ていた。シャープは心配して、ガリ野にシロ君の家に様子を見にいかるようにいった。ガリ野が俺にも一緒に来てくれないかといってきた。この前のストレートパンチが怖いのだ。ガリ野は、副級長のマドンナにも、きてくれるように頼んだ。

俺は、断った。俺とマドンナが揃ってあいつの家なんかに、行くわけにはいかない。ガリ野は馬鹿だ。勉強ばかりしてやがるから、頭がわるく成っちまったんだ。本物の馬鹿だ。想像してみろってんだ。マドンナや俺が家に押しかけて、学校に出て来いだの、なぜ学校に来ないのだなんて云われて、ハイ、学校に出ますなんていうのかってんだ。
ガリ野には、シロ君の気持ちなんかわかりゃしない。やつは、今は誰にも構われたくないのだ。

結局、ガリ野はマドンナを強引に引っ張り出してシロ君のうちに行った。やつは家にいなかった。言ったこっちゃない。あいつは何かをなやんでいるんだ。シロ君は俺たちより大人なんだ。俺たちのように両親がいて兄弟姉妹がいて、のほほんと暮らしている普通の中学生とは訳が違う。シロ君のことが気になるが、やつは自分で決めたのだ。シャープだろうが、俺たちだろうが、まわりでとやかくいうことじゃない。


夏休み前に野球部も新チーム編成が始まり、二年生が中心になった。俺たち三年生は奴等の練習相手のようなものだ。新しいチームは体のでかい奴が揃っているし、俺たちの時よりもっと強くなりそうだ。こいつら、去年は小学生を出たばかりという、子供っぽさがあったが、いまじゃ一人前の人相の悪いにきびずらになってきた。声まで気持ち悪いがらがら声になってきやがった。来年の春、俺はうまくいけば、T高校の制服を着て応援できるといいんだが。


夏休みの前半は、俺は毎朝野球部の練習に付き合った。監督さんの横で二年生に声を掛けたり、へばってたるんでる部員を怒鳴りつけたり、バッティングピッチャーを務めたり、けっこう面白い。でも、去年の夏のように怒鳴られながらも、真剣に野球に打ち込めていた時のほうが、やはり良かった。


来年の三月の入試までは、あと七ヶ月か。T高を受けることにしたものの、一月経ったのにまだ何もやっていない。やっぱり、おれは勉強にはあんまり向いていない。やはりY商業にしておこうかな。T高を受けることは誰にもいっていないんだし、Y商業なら今のままでも、合格できる。でも、T高校のことをマドンナにしゃべっちまった。失敗だったなあ。
いまさら、マドンナにY商業にするなんていったら、馬鹿にするだろうなあ。マドンナに馬鹿にされたくない。俺はあいつのことが好きなんだ。畜生、あの野郎俺の背中を押して、俺ならT高校に合格するなんて云いやがった。あいつに背中を押された時、俺のちんぼこは立ちそうになったいた。高校生になったら、俺はマドンナと付き合ってあいつにキスをしてやる。


親父も母ちゃんも、俺が何をしようが何考えていようがてんで関心が無い。店がいそがしすぎるのだ。姉ちゃんが大学生と暗い物陰でイチャイチャ、ペッティングしていようが、全然気づかない。俺のほうがはらはらしちゃう。姉ちゃん、この頃やけに色気を出してきて年中鏡とにらめっこ。こないだ、こっそり姉ちゃんの日記帖を盗み見したら、大学生の名前がびっしり書いてあった。気持ち悪りいー。

もうじき夏休みもおわる。受験の勉強をはじめることにしたが、なにから手につけるかが問題だ。勉強なんてやったことがないのだ。夕飯を食ってから二階の部屋にいって、一応は机に座る。だが、どうも落ち着かない。だいたい夏は勉強の季節じゃない。蒸し暑い夜窓のガラス戸をあけると、虫や峨がスタンドの明かりを求めて飛んできてうるさい。といって、窓を閉じりゃ、熱気むんむん。俺は、夏休みの勉強はさっさとあきらめた。どうせ秋がすぐに来る。秋風が吹くようになったらはじめりゃいい。

俺は暗くなると、二階の部屋で窓を開けてクツワムシやコオロギの声を聞きながら、何もしないで暗い夜空をながめた。となりの部屋で姉ちゃんが、蓄音機でレコードをかけてる。姉ちゃんは、学校の友達から借りてきたなんていってたが。例の大学生に違いない。同じ曲を何回もかけている。姉ちゃんにしては、センスがいい。「テネシー・ワルツ」というアメリカの曲だ。姉ちゃんは繰り返しききながら、英語の歌詞をかきとめている。何度も聞いているうちに、俺も覚えてしまった。しみじみと心に沁み込んでくる。姉ちゃんは、書きとめた歌詞をみながら、レコードにあわせてたどたどしく英語でうたいだした。

I was dancing with my darling
to the tennessee waltz
そのあとは聴き取れないらしく、鼻歌でごまかして、そしてI introduced her to my loved one。
そしてまた鼻歌、ところどころI lostだのI remember the nightと英語になり、最後のbeautiful tennessee waltzで終わる。
俺には、英語の意味は解からないが、なんだかせつない曲だ。


夏休みも明日でおわりという日、俺は奥の仏間で近所の貸し本屋でかりた山手樹一郎の「桃太郎侍」を読んでいた。奥の仏間は俺の特等席だ。いい風が店の方からはいってくる。開けっ放しの奥座敷をぬけ、婆ちゃんの部屋をぬける。涼しい風は、俺がごろごろしている仏間をぬけて、裏庭だ。薄くらい仏間で畳に転がっていれば、親父とも顔を合わせないで済む、勉強勉強とうるさいPTAの姉ちゃんにも見つからない。線香くさいが冷たい畳が気持ちいい。寝転んでカリントウをぼりぼりかじりながら、「桃太郎侍」を読んでいるうちに、眠くなってきた。

隣の部屋の話し声で目が覚めた。誰だよ、うるせえなあ。俺は目を瞑ったまま寝返りを打った。ばあちゃんと、母ちゃんの声だ。畜生、せっかくいい気持ちで昼寝をしてるのに。聞くともなしにウトウトしながらきいていると、母ちゃんが、すこし離れたO市の繁華街の人ごみでシロ君のお母さんの後姿を見かけたというのだ。後から近づいて声をかけようと思ったらしい。シロ君のお母さんは映画館の前で、男の人に近づき親しそうに話して、二人は映画館に入っていったというのだ。母ちゃんはかなり興奮していた。婆ちゃんがなにかひそひそ声で何か言うと、母ちゃんも小声になってしばらくしゃべっていた。やがて、婆ちゃんも母ちゃんも、店のほうにいってしまった。

シロ君のお母さんが男の人と映画館か、こりゃ大事件だぞ。シロ君のお母さんは、たしか長崎とか福岡のひとでこっちに親戚があるという話を聞いた事が無い。母ちゃんがみた男って誰だろう。シロ君の死んだお父さんが仕事であっちにいってた時にしりあったとか、シロ君が一度だけいったことがある。シロ君はお父さんのことを殆どしゃべらない。

失敗したな、俺はとんでもない秘密を知ってしまったぞ。これだから、俺は大人になりたくないんだ。

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