マドンナの思い出 15話

木枯らしの季節

秋の運動会もおわり、俺たち3年生の参加する行事も次第にすくなくなってきた。俺は、授業中に教室のガラス窓から空を見て、感傷的になったりした。校庭の欅の大木の葉が茶色になり、北風にさらされてバラバラおちている。大気は冷たく澄み、西日を受けたすじ雲が季節風にあおられ糸をひいていて流れて行く。冬が其処まで来ている。正月休みが来れば、高校入試は目の前だ。いよいよ、逃げていられない。四ヵ月後には、この教室とも別れてゆくんだ。マドンナとも。あいつは、私立のミッションスクールを受けるらしい。英語をしっかり勉強して、将来は英語の先生になりたいらしい。



京都、奈良の修学旅行はとうに済んだ。シロ君は来ていなかった。シロ君の他に、二名が修学旅行にこれなかった。クラスの何人かで相談して小遣いを出し合い、旅行にこれなかった三人に八橋をお土産にもって帰った。シロ君はまったく無表情でガリ野から土産を受け取り、カバンに詰めてもってかえった。やつは、教室で全く口きかなくなってしまった。でも授業は休まず出てきていた。放課後、帰宅途中やつの自転車にうしろから並びかけ、一緒に帰ろうかと、声をかけた。やつは俺の言葉に、反応しないでまったく表情もかえないで前を見たまま、自転車のペダルをこぎつづけていた。俺は、急に腹がたってきた。俺がこんなに心配しているのに、あいつの態度はなんだ。俺はあいつの自転車の前に出て、急ブレーキをかけて、あいつを止めた。

シロ君を空き地に連れ込み、てめー、ふざけんじゃないぞ、心配してやればいい気になりゃがって、といって拳骨であいつの頬にパンチを入れた。あいつは、よれよれと後によろめいて尻餅をついた。やつのカバンから、教科書やノートが散らばった。やつが反撃してくるのをまった、俺は身構えた。ところがあいつは、のろのろと散らばった教科書を集めてカバンにしまいこんだ。俺はなんだか、シロ君が可哀想にになってしまい、云わなくともいいことをいってしまった。「お袋に男がいるくらいで、めそめそするな、バカヤロウ。」

するとシロ君が、いきなり立ち上がり、俺に向かってきた。俺の胸をドンと突いた。そして、学生服のポケットからナイフをだした。いつか持っていた飛び出しナイフだ。やつは、青白い顔を更に青ざめさせ、がたがた震えながら指でボタンを、おした。刃が俺の方に向いて飛び出した。「許さない、この野郎、許さない。」やつは、本気で刺す気だ。目が異様にひかっていた。俺は,怖くなって自分の肩掛けカバンをあいつに投げつけて逃げた。自転車に飛び乗り、後を見ないで懸命にこいだ。俺は、本当に馬鹿だ。あいつにお母さんの男の事など、絶対に絶対に、口が裂けても言ってはならない事なのだ。


翌日から、シロ君は学校にこなくなった。俺は心配でシロ君の家に行って見ようと思ったが、やつにどう話せばいいのか解からない。相談する人がいない。武さんじゃ、野球のことしか解からない。婆ちゃんだと、余計なおせっかいをして話しをぶち壊すに決まっている。母ちゃん?駄目だ。母ちゃんは顔をあわすと、勉強をしろだ。「友情」なんて糞食らえなんだ。高校入試が近づいているが、やる時には俺はやる。畜生、まだ四ヵ月もあるんだ。いや、四ヵ月しかないんだ。畜生シロ君の事なんか心配しているより、手前のことでも心配しろっていうんだ。困った、困った。



日が短くなり、いよいよ木枯らしの季節だ。電線がヒューヒュー悲鳴をあげていた。痩せた裸の枝が風が吹き付けるたびにざわめいた。徒歩通学のやつらはポケットに手を突っ込み、背中を丸めて校門を出て帰宅を急ぐ、小走りに口も利かないで帰宅を急いだ。俺はマフラーを首にまいて自転車のペダルをこぐ。あいかわらず、ギーコ、ギーコ鳴りやがる。冬はいやだな。学校から帰ると俺の嫌いな仕事がまっていた。倉庫の炭俵からバケツに炭を入れ、店の火鉢と奥の部屋の切りコタツに炭をたすのが俺の係りだ。受験をひかえた忙しい中学生をこき使いやがって、ひでえ家だ。腹がへって死にそうなのに、母ちゃんも婆ちゃんも晩飯の支度も放り投げて、店でお客のお相手だ。だから、商売屋はいやなんだ。愛する息子が飢え死にしそうなんだぞ、畜生。茶箪笥の中や、台所に何か食い物はないかな。チェ、今日もまたふかし芋かよう、かあちゃん頼むよ、たまには揚げたてコロッケを買ってきて置いといて欲しいな。愛情不足だと、子供はぐれちゃうんだぞ。大事な息子さんに、毎日冷たいふかし芋くわせるとは、なんて母親だ。芋の食いすぎで、屁こき病にしたいのかよう。いやだいやだ。バナナが食いてー。

冬休みになる直前、シロ君が学校に現れた。頭と左手首に包帯を巻き右のまぶたが真っ青に腫れていた。詰襟の学生服の上のボタンを三つはずして、何時の間にか手下を引き連れていた。やつはいきなり不良グループのボスになっていた。こりゃ、驚きだ。噂によると、M中の番長グループに目つきが気に食わないと呼び出されたらしい。裏山で大勢に囲まれた中で、番長と1対1の喧嘩をしたらしい。M中の番長は町の空手道場で、小学校の時から空手を習っているやつだった。工務店の息子で、いつも三人ぐらい子分を引き連れ廊下や運動場をのし歩いている。奴等は、自転車のチェーンを使う。凶暴な奴等だ。ところが、シロ君を痛めつける筈の番長が、土下座させられ泣いてあやまったらしい。シロ君はチェーンでやられたらしいが、血だらけになりながらも番長にくらい付き、チェーンを取り上げ、飛び出しナイフで番長の腿を刺したらしい。番長はそこで降参。命乞いをした。シロ君は本気で刺そうとしていた。

噂はたちまち、ひそひそ声でM中の悪仲間の間に広まり、全員シロ君の子分になった。シロ君は教室にきても、席に座ると片肘をついてめんどくさそうに教科書を机の上に投げ出す。でも、教科書を開かない。教師が、肘をつくのを止めろと注意すれば、のろのろ教師の言うとおりにする。しかし、すぐに又片肘を付いた姿勢に戻り、窓から無表情に外を見ている。それで、授業を聞いていないかと思うと、ちゃんときいているのだ。教師が腹をたてて、いきなりシロ君に問題を出す。やつはのろのろ立ち上がり、そっぽを天井を向いたまま気の無い調子で答えた。で、答えはちゃんとあっていた。やつは俺より遥かにできるのだ。俺だけではない、クラスの殆どのやつよりできた。



正月の元旦、マドンナから年賀状がきた。梅の枝と花をデザインした版画で、余白にペンで綺麗に短い文章がそえられていた。・・・私たちの友情が卒業してもつづくといいですね。中学時代も最後のラストスパート、頑張れ、西田君。・・・頑張れ西田君か、俺は嬉しくてクラスの皆んなに見せたかった。でも、俺たちの「友情関係」は秘密にしなくちゃ。姉ちゃんにも、喋れない。ああ、恋って切ないなあ。武さんにだけは打ち明けた。武さんは、マドンナの版画を上手だなあって誉めてくれた。それに引き換え、俺が出した年賀状はひどいもんだ。・・・賀正、ことしも宜しく。・・・それしか、思い浮かばなかった。

正月の三日には、藤田やギリスたちと、揃って隣町の天神様に合格祈願にいくことになっていた。俺は前の晩に蒲団の下に、ズボンをおいて寝押した。ニューのバスケットシューズをはき、貰ったばかりのお年玉を数えなおし、待ち合わせ場所までルンルン気分で急いだ。正月って俺は好きだ。なんだかいろんなものが改まって、いつもの町並までかわってみえる。天神様にY高校に合格しますように手をあわせた。駅前の商店街はまだ店を閉じていたが、ぞろぞろ沢山の人が歩いていた。大人も、子供も嬉しそうに、用もないのにあるいていた。俺たちは、ラーメン屋で30円のラーメンをたべた。ギリスがいきなり声をひそめてシロ君の話をきりだした。シロ君が遊園地のアイススケート場にたむろしているチンピラと付き合っている、ギリスはそういって更に声をひそめた。
俺はまさかと思ったが、ギリスは元日に従兄弟たちと、アイススケートをやりにいって自分の目でみたらしい。チンピラと一所になって親しげに喋っていたというのだ。シロ君もギリスに気付いた。でも、知らん顔でチンピラ野郎と喋り、笑ったりしていたらしい。



三学期が始まった。シロ君はまた学校にこなくなった。俺は、結局マドンナにシロ君のことを相談してみようとおもった。或る日、教室の隅で放課後、県立図書館の読書室であいたいと早口で伝えた。あそこは俺たちの町から遠い、館内は広いし中学生がきていない。M中の奴に逢わないで済む。

マドンナは俺より先に、図書館の読書室で待っていた。読書室をでて大理石の階段のかげで、俺はシロ君の事を話した。シロ君のお母さんといた男の人のこと、あいつに刺されそうになったこと、スケート場のチンピラ達の仲間にはいた事。マドンナは、俺の話を黙ってきいていた。

「歩きながら話しましょ。」それだけ言って、マドンナは紺のオーバーの襟を立て、赤いマフラーを首に巻いて先に歩き出した。外はもうすっかり暗くなっていた。図書館の坂をマドンナは考えながら、先にあるいた。俺は暗い石畳の坂道をマドンナのほっそりした背中を見ながら、すこし離れて歩いた。白いリボンで髪を束ねたポニーテイルがリズミカルに左右にゆれていた。街灯の下で、マドンナが立ち止まりくるっと俺のほうにむいた。「西田君、お腹すいちゃった。焼き芋を食べましょ。」ああ、びっくり。俺は、映画みたいにいきなりキスしてなんて、云われるかと思った。

マドンナは坂のしたの道端に停まっていた焼芋屋のリヤカーに近付いていった。


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