マドンナの思い出 17
● 別れは、つれぇや●
高校入試がいよいよ明日だ。俺は、むしゃくしゃしていた。内心、高校入試なんてどうでも良かった。合格しようが、落ちようがどっちでもいいだろう。どうせ、高校に入ったところで、俺は勉強なんぞにてんで興味なんかない。まして、ありもしない将来の事なんか、どうでもいい。どうとでもなりゃがれだ。
俺は、この三ヶ月間クラスの野郎どもより頑張ってやってみた。シャープの野郎も驚く位の伸びだった。だが、あいつは馬鹿だ。俺の思っていた通りだ、勉強なんてやれば誰だって出来る様になる。で、それがどうしたって言うんだ。やつらは俺たちの事をまったく解かっちゃいない。教師ども、親たち。馬鹿だ、あいつ等は。
たかが、高校入試ぐらいでがたがた騒ぐなってんだ。なんだかしれないが、俺は無性に暴れたくなっている。意味もなくだれかれかまわず、突掛かりたくなる。高校の入試は明日だっていうに、畜生、やたらにむしゃくしゃがる。
授業は三年生だけ午前中の10時で終了。私立の入試はとうに、済んでいる。クラスメートの大半は私立高校の入学をきめていた。公立志望者は明日が勝負だ。さすがに、三年生の姿は校内には殆どいない。アホどもは明日の試験勉強するなんて言ったって、親の目を盗んでマス掻いてるのがいいところだ。今更勉強して間に合うとでも思ってるのか。
俺はひさしぶりに野球部の部室兼道具部屋にいった。誰もいない狭い部屋で、壁に貼られたの名簿にもう俺の名前がない。この学校にもう俺の居場所もなくなったみたいだ。畜生、俺を追い出しやがって。部室にベニヤ壁を拳で力一杯なぐった。ベニヤだメリッと凹んだ。手の甲の皮がきれて、血がにじんできた。いたい。でも、痛みを堪えて殴りつづけた。部室の薄いベニヤの壁に裂け目はできた。こぶしの傷がひろがり、血が流れてきた。
むしゃくしゃが収まらない。
そうだ、アイススケート場にいって、シロ君に会ってみよう。俺は、もう一度あいつのお母さんの事を言ってやるんだ。おめえのお母さんは36歳じゃねえか、よく考えて見ろ、まだまだ若いお母さんに彼氏が出来たっていいじゃないか。甘ったれるな、バカヤロウ。
俺は、あの野郎の根性をたたきなおしてやる。とにかく、俺はシロ君のひねくれ根性にやたらに、腹が立った。シロ君のことだけでない、うちの親父にも、かちんときていた。面を見るだけで、気分がわるくなる。お袋、婆ちゃん、姉ちゃん、とにかく誰にもだ。学校の先公をまとめてぶっ飛ばしたい気分だ。世界なんか壊れちまえばいい。アメ公ともう一度戦争をすりゃあいいんだ。
マドンナと階段の踊り場で偶然あった。札幌で入る高校もきまって、いい気なもんだ。俺は、傷ができた右手をポケットに隠し、シロ君に会いに行くといったら、マドンナも一緒にアイススケート場にゆくという。俺はシロの野郎を叩きのめしに行くんだ。マドンナなんかあしでまといだ。場合によっては、チンピラとも揉めるかもしれない。
マドンナは、北海道に行く前にシロ君に逢って置きたいと言うのだ。面倒な女だ。しかたない、俺たちは家に一度帰って、スケート場の隣の遊園地で待ち合わせる事にした。
俺は、急いで家に帰った。あいつは飛び出しナイフを持っているから、用心しなけりゃ。俺は店の倉庫で万一にそなえて身を守る道具を物色した。親父の道具箱から、釘抜きをダスターコートの下に隠してみた。武さんが酒壜の木枠の蓋をはずす時に使っている釘抜きだ。すこし長すぎる。目立ちすぎるし、あのバカを殺す事になりかねない。そうだ、サイダーの空き瓶だいい。あいつがナイフを使ってきたら、こいつで叩き落してやる。これなら、あの野郎の頭にまともに食らわしても、死ぬ事はない。ズボンのベルトにサイダー瓶を小刀のように差して、ダスターコートの外から左手をポケットに入れりゃカモフラージュできる。
風呂場の姿見で、いちおう自分の姿をみてみた。そう不自然でない。左肘をすこし曲げて、右手でサイダー瓶の首を右手でにぎる。股旅物の旅人だ。菅笠と旅がっぱをきていりゃ、清水一家の若い衆だ。きまっている。武さんが重い箱を担ぐ時に今でも使っている、闇市でかった米軍の放出物資の皮手袋ももってゆくことした。アメ公が土木作業や、弾薬箱を持つ時に使う厚手の牛皮せいだ。これを嵌めれば小さなナイフなんか怖くない。
マドンナは、遊園地の入り口のベンチの横でまっていた。やつもM中の制服を脱いで、白い毛糸のセーターにいつもの赤いマフラーだ。マドンナのセーター姿をはじめてみた。胸が格好良く盛り上がってやがる。マドンナは札幌で入学する高校はとうにきまっていた。赤いマフラーを口元まで巻いて、いつもの自分で編んだ紺色の手袋だ。冷たい風を遮るため手を自分のみみにあてていた。遊園地は、俺たちの他にあまり人影がない。遮るものがないから、冷たい風がまともにあたる。ブランコでほっぺたにひびわれしたガキが遊んでいるくらいだ。あいら洟垂れ小僧には敵わない。手も耳もしもやけでまっかに為っているが、穴だらけの伸びきったセーターだけで平気だ。こんな冷たい日に半ズボンの餓鬼までいる。だだっ広い空き地の隅に、裸の公孫樹が寒そうに六、七本たっているだけだ。
スケート場は、遊園地の外れに建っている。スケート場の入り口は、バス道路に面している。俺とマドンナは、スケート場の裏の方から近づき、正面の入り口にまわった。
市内循環の市バスが止まって、スケートをしに来た人たちがおり、石畳の広場を横切って切符売り場に並んだ。俺とマドンナはその中学生券を買って、ガラス張りのスケート場にはいった。俺たちはくちをきかなかった。広いロビーの壁際に木の長椅子が、ずらりと並べられていた。場内は空いていた。三、四人のグループで来ている奴等が多い。あちこちの長椅子に荷物を置いて、貸しスケート靴のヒモを閉めたり、脱いだりしていた。長椅子に座って休んでいる女子中学生グループが俺たちのほうを、じろじろ見ていた。この野郎、アベックがそんなに珍しいか。スケートリンクに入る半開きの扉から、スケーターワルツがきこえてきていた。俺はロビーを一周してみた、柱の裏も良く見た。シロ君の姿はない。チンピラ風のやつらも見当たらない。マドンナはアイススケート場にはじめて入ったので、物珍しいらしい。しきりに周りをみまわしている。
「いないわ、帰りましょう。西田君は、明日試験でしょ。」
女には俺の気持ちなんかわからない。いや、そうじゃない。誰にも自分の本当の気持ちなんか解かりゃしないんだ。俺は自分の中の凶暴な気持ちと、シロ君えの同情の感情がごっちゃになってる。そして、入試の事。親父と上手く行ってないな事。いろんな事がごっちゃになってしまい、自分で自分を持てあましている。俺はスケート場に何をしにきたって、言うんだ。シロ君と俺と何の関係があるっていうんだ。
俺たちは帰ることにした。帰り道は、シロ君を張り飛ばす気持ちもすっかり消えていた。マドンナの心はもう札幌にとんでいってる。丸山ってとこに住むのよ、手稲山っていう山があるの。そして、見たことのない北海道の冬景色や、五月に一斉に咲く花の事などを、盛んにしゃべっている。ライラックの花か、どんな花なんだろう。それにポプラ並木か、M中の欅並木みたいなのかな。俺たちは小川沿いの道を、ゆっくり歩いた。俺には北海道なんか想像もつかない。青函連絡船で海を渡るのか。遠いな。
マドンナは小石を拾ってピッチャーの真似をして、川の土留めの杭を狙った。マドンナの石はとんでもない方向にゆるい弧を描いてとんでいった。やめろよ、マドンナ。俺は悲しいのだ。もうじき、お前は札幌にいって二度と逢えないかも知れないのに。お前等、女って奴は、平気で石を投げて笑っていられる。
川向こうの荒れた枯野原に、弱い早春の夕日を浴びながら、桑畑の隅に欅が太くてがっしりした枝を寒空に向かって思い切りひろげている。俺は学校の欅を思い出していた。あの欅並木は大きな日陰を作ってくれた。俺のマドンナは、欅の下で木漏れ日を俺の練習をみていてくれた。でも、もう二度と逢えなくなるんだ。
「どうしたの西田君、元気をだしなよ。」マドンナは、石投げをやめ、急に真面目な顔になった。そして、寂しいのは私のほうよ、としんみりいった。くるりと背を向け、先に早足であるきだした。畜生、マドンナの野郎。俺は、明日のY高校の試験で頑張るぞ。俺は、ダシュして先を行くマドンナを抜いた。マドンナが負けじと追いかけてきた。バスの駅はすぐそこだ。
トップに戻る