マドンナの思い出 9

■秋■

秋の市立中学野球大会は全く無残な結果に終わった。俺たちはダークホースなんて云われていた。中学生離れをした速球派の牧野と、強打者鈴木を擁し、投打にバランスのとれたチームだと言われていたのだ。M中は今年は違う。自分たちもそう思っていたのに、一回戦でまけてしまった。ゲームは7回戦方式で、俺たちは六回まで4対1で勝っていた。牧野の調子は良かった。それなのに、最終回の七回の裏に、逆転された。

相手をなめすぎていた。7回の守備に就くときもう勝った気になっていた。牧野は簡単にツウアウトまでとった。あと一人だ、三点差だ。ところが、一塁ゴロをエラー、次はフォアボール、簡単なショウトゴロをサード送球ミス。それで、満塁。マウンドの牧野も、バックの俺たちもいきなりのだいピンチで、うきあしたった。フォアボールで押し出しの一点。でも、まだ2点差だ。

その後俺の前にフライがきた。俺はワンバウンドでとって、ホームになげた。それが、暴投になってしまった。キャッチャーがバックネット近くまで、それて転がる球を追いかけていった。まったく、悪夢だ。勝ち越しのランナーはゆうゆうとホームをふんでいた。

俺は、学校にゆくのも厭になってしまった。試合の次の朝、ふて腐れて蒲団から出なかった。下の居間から、母ちゃんが何度も俺の名を怒鳴って早く飯を食ってしまえといってた。母ちゃんだけでも五月蝿いのに、姉ちゃんまでがキイキイ吼えてやがる。いいかい、母ちゃん、俺は昨日暴投して決勝点を取られちゃったんだよ。理解してもらいたいな、思春期の少年だよ、俺は。シロ君の秘密の詩集にあった、「俺は無理解という冷え切った鉄格子に取り囲まれたけものなのだ。」あの言葉、そのままだ。

あれほど、姉ちゃんを憎んだことはない。姉ちゃんは、高校の制服姿で階段をドンドン踏み鳴らして、俺の部屋に飛び込んできた。「学校に遅れるって、いってるでしょ」いきなり、俺の薄い夏蒲団を引きはいだ。俺の大事なちんぼこは、まだ朝立ちがおさまっていないってのに。姉ちゃんは、俺のテントを張ったパンツをみて目を丸くして息をとめた。だめだ、てんで駄目だ。俺が何時も云ってる通り、姉ちゃんには男の事が全く解かっていない。恋愛映画みたいに、きれいごとじゃないんだよ、男と女は。オードリー・ヘップバーンの真似して大学生とキスしたぐらいじゃ、まだまだ。


姉ちゃんが、ドドドドっと階段から転げ落ちそうになって、下に行った。やばい、次はきっと親父の出動だ。俺の罪じゃないってのに。親父の拳固はもう飽きている、家を出なけりゃ。親父と正面衝突はこの際さけなけりゃ。何てったって、親父の腕の筋肉には、まだ勝てそうに無い。身長はもう10センチは俺のほうがあるが、腕っ節は当分駄目だ。ビルマ戦線の生き残りだから、鍛え方が違う。

俺は、飯もろくに食わずに裏口から、カバンを抱えてとびだした。

朝礼が終わったところだ。校舎の渡り廊下のすのこをガタガタ鳴らして教室に向かう、俺たちの二年六組の流れにうまく潜り込んだ。背中をギリスがドンとついてきた。「逆転まけかよ。」いくら、友達だっていきなりこの言葉は許せない。しかも、やろうニタニタしてやがる。

俺は、振り向きざまにギリスの胸をドンと突き飛ばした。あの馬鹿、廊下の羽目板にぶっ飛んだ。真っ赤な顔になって、この野郎やる気かって突進してきた。ギリスは柔道の二級だ。腕や襟をつかまれちゃまける。俺はカバンの肩掛け紐をもって、思い切り振り回した。ギリスの顔面にカバンがあたり中からアルマイト製の弁当箱が飛び出して、中味が飛び散った。

若い理科の教師銀ちゃんと担任のシャープ兄が飛んできて、廊下で取っ組み合いをしていた俺たちを、分けようとした。あの野郎後に回って俺の首を締めて落とそうとしていた。馬鹿野郎、野球部の実力をしらなすぎる。俺たちの練習はあいつらのヘナチョコどもとは、レベルが違うんだ。ひじで、思い切りあいつのわき腹をついてやった。ギリスのばかはわき腹を押さえて、唸ったまま動けない。銀ちゃんとシャープの面子ってのもある。その場は、やめておいてやろう。

ギリスは、医務室いきだ、ざまあみろ。俺は、ひとりで飛び散った弁当の後始末だ。誰もいなくなった廊下で飯粒を箒で集めたが、つぶれてこびりついたやつは始末がわるい。俺はふて腐れて、途中でやめた。

近くの教室の先生の声が廊下でもよくきこえる。俺たちの教室で、銀ちゃんが生物をやっているらしい、細胞がどうの、葉緑素がどうのとなんだか聞いたような言葉だ。二階の音楽室で、蚊トンボが変に甲高いこえで、歌なんかうたってやがる。あの蚊トンボ先生は、あの痩せた体でよくもあんなでかい声がだせるもんだ。あいつの事をテノール馬鹿と誰かがいっていた。俺にはいみが解からない。あいつみたいに高い声ばかり出していると、馬鹿になるらしい。ガリ野の説だが、蚊トンボみたいな高い声は脳に変な刺激を与えて、やたらに歌いたくなるらしい。実際あいつは、自分ばかり歌いたがって、生徒にうたわせない。まあ、俺は非常に助かる。俺は最近声変わりで、我ながら澄んだ声だとおもってたのが、がらがら鳴いてる竹篭の中の弱ったひぐらし蝉にそっくりの声だ。

俺はふて腐れて教室にはいった。教科書も帳面もさつま揚げと野菜の煮付けの汁で、変色してやがる。ページがべたついてめくれない。改めてギリスに対する怒りが湧いてきた。俺のエラーで逆転負けをした。だから、どうしたんだ。いくら友達でも、ああいう言い方は許せない。俺がこんなに惨めな気持ちになっているのに。それを、誰にも見せないで昨日も今日も、チームメイトにも家族にも見せないで普通にしていたのに。友達だから許せない、殺してやる。俺の弁当を台無しにしやがった。ギリスをころしてやる。俺は朝飯も食っていない。ギリスを、放課後バットで殴り殺してやる。

午前中の授業がおわった。教室から一斉に生徒が廊下に溢れ出した。俺は生徒のひと波にまぎれ、校舎の裏にまわった。それから植え込みぞいに生徒の誰にも見られないように、運動場の一番はずれの欅のところに行った。あの欅の根元なら誰にもきずかれない。雑草が茫々にはえ、だれも人はこない。

俺は誰とも会いたくない。孤独なんだ。シロ君の詩にあったけど、人は暗い洞窟から、この世に放り出されて、迷走するドブ鼠。訳も解からず走り回って、ぶつかる物に歯を立てる凶暴で孤独なドブ鼠だ。しかし、ドブねずみもいいけど、それにしても腹がすく。孤独な獣はつらいや。

欅の大木に寄りかかって、しょんぼりしていたら、すすきの叢を掻き分けてだれかきた。俺はとっさに大木の裏にかくれた。誰だ、こんなとろにくる奴は。そーと覗くと、マドンナだった。

「西田君、そこに居るんでしょ。隠れてないで出て来なさい。ここに入って行くのを見ていたのよ。」あの野郎、人のことを見張ってやがった。うるせえ女だ。俺は、のっそり出て行った。

マドンナはすこし離れた根っこに座った。マドンナは、ピンクのハンカチーフでつつんだ籠のふたを開けた、海苔をまいたお握りが三個入ってた。マドンナは、籠から自分でひとつ掴んで、食べ始めた。失礼な奴だ、食べろと出しておいて、お客の俺が取らないうちに、さっさと自分だけくってやがる。あぶねえ、こいつに遠慮してると、全部食われちゃう。

残りの一個を、半分ずつわけた。俺に大きい方をわたしやがった。
俺が、ここで皆に隠れてメソメソ泣いているのかと思ったなんてほざく。マドンナの野郎、思ってた以上に手強いし、思ってた以上に、いや思っていたより100倍もいい奴だ。俺は、あいつの日に焼けた顔、黒くてきらきら光る目を正面からみた。初めて、あいつの顔をまともにみた。 「どうしたの、西田君」マドンナは、首をちょっと曲げて俺の目をのぞきこんだ。

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