マドンナの思い出 3


■M中の教師達■

男の教師は軍隊帰りが多かった。いきおい教師のかける号令は軍隊調だったし、俺たちの悪さに対しては、頬を平手でなぐるのは日常普通のこととして行われていた。

俺たちが一番恐れていたのは飯沢という教師だった。この数学教師は北支を転戦してきたとかで、やたらに迫力があった。筋肉質の細い体は全身鋼のようにきりっとして、見るからに腕力も強そうだった。噂によると、この数学教師は町の愚連隊三人を相手に廻して、全員拳骨ひとつで刃物をもった奴等を、川にたたきこんでしまったそうだ。

また、M中学の生徒が近所の畑荒らしをした時、犯人の悪がき十五人を並べておいて拳固で張り倒した事があるという伝説も語られていた。俺たちは中学に入る前に、近所の先輩中学生に飯沢に関するこの手の話で散々脅かされていたから、廊下でその飯沢先生とすれ違う時など緊張して、体が硬直してしまった。

しかし、入学して半年すぎても一年すぎても、その数学教師が生徒に鉄拳を振るう現場を見た事も無かった。その後も、少なくとも俺たちの在学中には、かれが生徒の誰かをぶっ飛ばしたという噂もきかなかった。


英語のカエル、正式には青ガエルは、「戦艦山城」の生き残りだった。黒ぶちのめがねをかけた顔は、先輩たちがカエルと綽名をつけた謂われを説明無しでも納得できた。カエルは英語を教えるより、長門がどう戦い、どんな風に轟沈したか語る事のほうが多かった。

こいつは教師のくせに授業するのが好きでないらしく、カエルみたいなキョトンとした目で、ガラス窓ごしに校舎正面の時計をみて、自分の腕時計を眺め、耳元で動いてるか確かめて、また外の大時計を見て、終業のベルが鳴るのを待つ癖があった。

どう考えてもカエルが敵性外国語に堪能だったように見えなかったし、やつに教師を務められるほど英語の知識があったように思えなかった。 こいつの女房もおなじM中でおしえていた。こいつも不機嫌なときに、訳も無く生徒の頭を拳固でゴツンとやる。たちの悪い教師だった。

体操のデブマンはもっとたちが悪かった。最悪だった。こいつは予科連がえりだ。このちび教師は廊下を肩で風切るようにゆすって歩き、すれ違う生徒ひとりひとりに眼をとばしていた。若いくせに腹がでたデブで、誰かがデブマンと綽名をつけた。
ある時そのつけての綽名が、まわり回ってデブマンの耳に入った。 陰湿で粘着質のデブマンは心当たりの生徒たちを小使い室に呼びだして、しつこく責めたた。だれが、デブマンと云いはじめたんだと、ねちねち取り調べたらしい。

その事件で噂はあっというまに広がり、まだポピュラーでなかったデブマンという綽名に市民権を与えてしまった。その後なん世代かに渉って後輩たちに言い伝えられることになりそうだ。


女教師たちもおしとやかと言う訳にいかないのが結構いた。国語のオールドミスは、凶暴そのもので、出席簿の角でカツンと頭を叩くのが得意だった。 このおばさんはユーモアのひとかけらもない、生まれてこの方笑った事なんかないって顔で、授業をすすめる。生徒が授業にあきて、ざわつきだそうものなら、すぐ得意の出席簿で叩く。まったく凶暴なブスだった。

社会科の野口嬢も強烈だった。この教師は異様に糞尿ばなしが好きで、自分がみた戦前の農村の厠風景をかたった。この風景というのは、農家では立ち木の間に荒縄を張って置いて、人がその縄をまたいで尻の始末をするというのだ。 先輩たちにすでに話しを聞いて知っていたが、野口嬢の口から聞くと生々しく、排泄物のこびりついた荒縄の色や、生乾きのてかてかした黄金色の輝きまでイメージできた。


理科のしのぶ先生はM中教師陣の華、唯一教師らしからぬお嬢さん風の美人だった。 学校を出てすぐ俺たちのM中に赴任してきたらしい。 もっとも、俺たちが入学した当時はもう赴任以来二,三年たっていたが、でも依然楚々としたお嬢さん風はのこっていた。

しのぶ先生を巡るザリガニと人生の恋争いは相当に熾烈だったようだった。争いは俺たちの入学のまえの年に勝負はついてしまっていた。
しのぶ先生と二人の独身教師の話は、生徒たちの間で語られるたびに、すこし誇張され脚色も加えられてM中の伝説になりつつあった。結局のところザリガニがしのぶ先生のハートを射止めた。毎朝、大男のザリガニがしのぶ先生を懐にだきかかえんばかりにして、学校の坂道を登ってくるのだ。

綽名のアメリカザリガニそのままに、顔中のにきびをつぶしてぼこぼこになった顔をまっかにあからめ、生徒のむれを巨大なはさみで掻き分け校門にはいって行く様は、ザリガニとはよくぞ付けたり、お見事。


争いに敗れた人生は数学の教師だった。青白い額に深いしわが刻まれ先生の苦難の歴史をかたっていた。人生先生は終戦直後の混乱期に雪国から上京してきて、苦学をして物理専門学校を出て教師になったのだ。先生は苦闘の自分の人生を語る事を好み、ショパンのピアノ曲をこよなく愛していた。

先生の学生時代、時間とエネルギーの大半は新宿の闇市で生活費と学資を稼ぎだすのについやされていた。下宿でいざ勉強をしようとする時間になると、大家さんは無情に電源をきってしまうのだ。先生はちらつく雪の中を外に出て、街角の薄くらい街灯の下で本を読んだのだ。

やがて話はショパンの練習曲雨だれに及ぶ、先生はその曲をたまたま日比谷公会堂で聞いたのだ。先生は深く深くかんどうした。その曲は空腹で絶望的になっていた人生先生の心に、本物の雨のように染み込んできて癒したのだ。 先生は、しばしうつむいて思い出すたびにいや増すあの感動を、その日も俺たちの前であじわっていた。

ここで先生はふっと陶酔からさめ、深いため息をついて青白い額にかかった前髪を掻き揚げて、Xの二乗プラス2Xプラス3は、と実に鮮やかに数学に戻たのです。


俺たちの担任はシャープ兄だ。綽名のいわれは特にない。プロレス狂で、力道山との試合を町の家具屋の街灯テレビをみて興奮のあまり絶叫していたのを誰かが目撃したのだ。それから、間もなく生徒の頭を叩く変りにヘッドロックという手を使い出した。それでシャープになり、敬意を表して兄をつけただけだ。

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