マドンナの思い出 4


■俺たちだけの朝■


M中学野球部の新チームで、俺はレギュラーになった。レフトで六番バッターだった。8月から、いよいよ新チームの練習がはじまった。 前の晩、母ちゃんがユニフォームの背に7の背番号を縫い付けてくれた。初練習の朝、俺は家にじっとしてられなくて、一時間も早く学校にきてしまった。

夏休み中だから、校庭には人っ子ひとりいない。おれは真新しい背番号のついたユニフォームに着替えて、校庭にたった。うれしい。とにかくうれしかった。 ひとりでラジオ体操を軽くやって体をほぐしてから、腕をまわしたり、肩を回したり、体を左右にねじったりしながら、校庭の端の欅並木のすぐ下から砂場の外を回り、引揚者の寮の植え込みの垣根に沿ってゆっくり走った。 誰もいない運動場を朝日をあびて一人だけで走るのは、気持ちがよかった。体が矢鱈に軽い、足の底にばねが入っているみたいに弾む。二周めになりすこしペースを上げた。さすがに汗がでてくる。汗がいっきに吹き出してくる。いよいよエンジンがかかってきた。

校門から誰か自転車で女子生徒の制服を来たやつが運動部の小屋のほうにいった。夏休みの早朝練習にきた運動部員らしい。でも、今日の一番乗りは、俺だ。 さらにペースを上げてもう1周回る、今日はいつもより体が軽いし、気持ちよく汗が出てくる。さっきの女子生徒が着替えて運動場にでてきて、バスケットコートで柔軟体操をはじめた。段々近づいてみると、相沢ゆうこだった。

マドンナはいつもと違う。近づいてくる俺に手を上げ、おはようと挨拶をした。俺もどぎまぎしながらおはようと挨拶を返した。そして奴の近くを走りぬけた。 やつは俺の新しい背番号に気づいて、「レギュラーになったの、おめでとう」と大声で言った。俺は振り向きながら、後ろうさぎ跳びでぴょんぴょん跳ねながら」、右手を突き上げた。奴はもう一度、遠ざかる俺に「西田君よかったね、おめでとう。」とさけんだ。畜生、あの野郎め、誰もいないからって気安く声を掛けやがって、びっくりするじゃないか。
俺は嬉しくなって、右手を天につきあげ、言葉にならない唸り声でほえた。


その日の練習は絶好調だった。いつものように俺は砂場近くのポジションでノックフライを受け、ホームに返球を繰り返したが、元気な声も出たし、返球も正確だった。 マドンナは俺の近くで、走り幅跳びの練習をしたり、短距離走のスタート練習をしていた。 やつも俺もいつもと同じように、口は利かない。ただ俺は、いつのように乱暴な口調で陸上部の連中に、どけだの邪魔だなどというのはやめていた。やつはいつもと同じように、ハイジャンプのスタート地点にたち、バーをにらんでいる。飛ぶのをやめ、、その場で小さく飛び上がり、またバーをにらむ。こんどは踏み出した。大またでバーの下まで跳ねてゆき、ジャンプ。よーうし、見事クリアーだ。やつは砂を払いのけながら、俺の方をちらっとみた。一瞬眼があった。畜生、こんな事ってなかったことだ。気が付くと、何時の間にか俺はあいつの事を見ている。

なんだか俺は叫びたくなっていた。
マドンナがクラスの誰よりも一番初めに、俺がレギュラーになったのを知ったんだ。最初に、お祝いの言葉を言ってくれたぞ。畜生、お前らは誰も、しらねーだろう。


昼も近い。それに今日は特別に暑い、校舎の日陰で一休みして、ヤカンの水を回しのみする。汗がどっとふきだしてくる。監督さんが、新チームの目標の話をした。先輩たちよりひとつでも上を目指す。昨日より今日、今日より明日。一つ上だ。いつものお話だが、今日は素直にきける。 とすりゃ、秋の新人戦では準決勝、来年の春は決勝進出だ。目標は高いほうがいい。

バレー部はボールを集めて、ネットを外し始めた。やつらは切り上げるのが早い。バスケットのやつらは、試合形式で練習するほどの部員がきてない。弱いクラブほどだらけてやがる。狭い校庭も俺たちが休憩してると、がらんとしてやたらに広い。日差しだけがじりじりグラウンドをやいていた。 陸上部も、練習を切り上げ、欅の木陰の根っこに座ってミーティングをしている。

俺たちは、バッティングの練習だ。俺は、また外野の守備位置に駆け足だ。 なかなか外野まで景気のいい球が飛んでこない。四番の野口が打つと、ようやく俺のところにもフライがきた。野口も今日はあんまり調子が良くない。疲れているんだ。 鈴木は、今日は良く飛ばす。続けて二本、欅のそばまでとばした。一本目のフライを、俺は走りながらナイスキャッチ。二本目は、思った以上に伸びて来て取れなかった。 陸上部の座っている欅の根元までボールが転がっていった。マドンナは、立ち上がってボールを拾い、オーバースローで俺に投げ返した。マドンナは、声に出さないで、オ、メ、デ、ト、ウ、と大きく口を開けて、ゆっくり信号を送ってきた。


三時間の朝練もおわり、くたくたになってカンカン照りの中を、野球部の連中皆と自転車を並べて、丘の中腹の学校から一気に坂をくだって家に向かった。もう昼めしの時間だ、腹がすいてぐうぐういっている。飯だ、飯だ、食うぞ、今日は。

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