マドンナの思い出 5
■マドンナという綽名は俺だけの秘密だ■
姉ちゃんは高校二年生だ。最近色気づいて鏡ばかりきにしている。
俺がちゃぶ台で丼めしをかきこんでいる横で、鏡をみながら櫛で髪の毛を懸命に梳かしていた。柱時計を盛んに気にしている。
店で働いている母ちゃんに、助けを求めて泣きそうな声で呼んだ。母ちゃんが飛んできて、ヒステリー気味のねえちゃんの言うままに、二階の姉ちゃんの部屋からハンカチやブローチを持ってきて、今日の服に合うかどうかためしていた。髪をしばるリボンがきまらないのと、出かける時間がせまっているので、姉ちゃんは半狂乱だ。いつもの事だ。今日は、電車に乗って大きい町の封切り館で、評判の「ローマの休日」とか言う映画をみにゆくらしい。同級生の仲良しグループといくとか言ってるが、あの様子だとグループに男もいるに違いない。馬鹿馬鹿しい話だ。姉ちゃんは男の事が全然判っていない。だいたい男は、女のリボンの色なんか気にしちゃいないのに。
お櫃の底をさらって、ご飯を山盛りにした。二杯目だ、でもおかずが無い。
「かあちゃん、烏賊フライないの。コロッケでもいいけど。」かあちゃんは、べそをかいている姉ちゃんの髪を緑の紐で後ろで結び、なんかぴかぴかした飾りをつけてやった。
かあちゃんは、俺の腹の虫なんぞ、相手にしてくれない。
エプロンのポケットからがま口を出して、俺に見せないようにして、お金を姉ちゃんにわたしていた。
「暗くならないうち帰って来るんだよ。さあ、急いでいきな。前島さんたちが心配して待ってるよ。」
俺は台所の鍋をあさり、冷え切った残り物の味噌汁を飯にぶっかけて2杯目をくった。
俺のうちは酒屋だ。親父と母ちゃんの婆ちゃんと近所に住むと遠い親戚の武さんという30過ぎの男の人でやっている。帳場は婆ちゃんの仕事で母ちゃんは店でお客の相手をして、親父と武さんが配達をする。武さんは頭がすこし変で、病院で薬をもらってのんでいる。
薬のせいか動きがのろい。母ちゃんがいつも武ちゃんの事でいらいらしている。
配達にいったまま帰ってこないとおもって母ちゃんが自転車で近所を回ってみると、届け物をもったまま空き地で子供たちの草野球を見ていたなんて事がよく有ったらしい。
武さんは野球が大好きで、野球のことに詳しいし、俺の野球のコーチだ。野球の事だけで言うと普通の人以上だった。
親父のことは、俺は良く知らない。相性がよくないみたいだ。親父は姉ちゃんと妹のさとこがお気に入りで、俺とはまったく駄目だ。親父とは、ここ何ヶ月も口を利いていない。
自然と家では、俺の味方は婆ちゃんと母ちゃんしかいない。
婆ちゃんの年はわからない、60以上80以下だ、元気な年寄りだ。病気というものをした事がない。婆ちゃんの楽しみはラジオだ、店の一番奥の帳場でいつもラジオをかけている、相撲放送が大好きで栃錦のファンだ。歌謡曲も好きで、新しい流行歌を誰よりも早く覚えてしまう。
「お婆ちゃん、俺も映画にいきたいな。姉ちゃんばっかりだもんな、いつも。俺、もう中学二年生だよ。もう子供じゃないんだ。ゴジラが凄く面白かったって俊夫ちゃんもいってたんだ。俺もゴジラをみに行きたいな。」俺は母ちゃんが、いないのを見計らって、帳場の婆ちゃんに小遣いをねだった。
婆ちゃんは、春日八郎のお富さんに聞きほれていて、俺の言うことなぞ聞こえない。
「ねえ、30円頂戴よ。」俺は、婆ちゃんの目の前に手をつきだした。
ラジオの歌に夢中で俺の方なんか見向きもしない、黙って銭函のふたを開け50円札を掴んでくれた。
「映画なんか見てる時間があったら、宿題でもやりな。こないだも、先生がきた時お前の事をいってたよ。あの子は勉強さえすりゃ、出来るって。あの子は頭はいい子だって、先生がそういってんだ。」
俺は、お札をポケットにつっこんで外に飛び出した。なにが勉強すりゃ出来るだ、シャープの馬鹿の言いそうなセリフだ。勉強すりゃ出来る、当たり前だろう。あの子は頭がいい、当たり前だ。自分が一番知ってるさ。やる時がくりゃ、俺はやる。S高校だろうが、県立Y高だろうが、目じゃない。
しかし、今日は上手くいったぞ、ゴジラは先週母ちゃんに金を貰って見っちゃった。今日はついてる、朝からおかしいくらい付いてる。30円が、50円になっちまった。練習も上手くいった。監督はバットの振りが鋭くなったって誉めてくれた。監督はめったに誉めないのに。これは武さんのアドバイスが効いてきた証拠だ。武さんの言うのは、バットを振る時、肘を脇から離さない、というのだ。
夏休みになってから、武さんにみてもらって、毎晩裏庭でずいぶん素振りをやったからな。秋の対抗戦には五番バッターだぞ。いや、三番がいいな。三番のほうが、かっこいい。青田と同じレフトで三番だ。
今日は、いい日だ。そう、それに大したことじゃないが、相沢とも初めて話した。やつが俺の背番号7を最初にきづいたんだ。まあ、大した事じゃないが、やつはおめでとうといったんだ。畜生、クラスのマドンナがそういったんだ。マドンナが、だ。
俺は、ギーコギーコ鳴らしながら、おんぼろ自転車をこいだ、その音さえなんか軽やかだった。
そう、あいつはマドンナみたいだ。いい綽名を思いついたぞ。マドンナか。
響きがいいな、相沢に相応しいかも。畜生、マドンナちゃんか。あいつにピッタリだ。でも、この綽名は秘密にして置かなければ。俺だけの秘密。俺のマドンナだ。
俺は同級生の藤田の家に向かって、自転車で急いだ。藤田の家にはもうギリスとシロ君が俺をまってるはずだ。
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