マドンナの思い出 6


■ 白山神社は俺たちM中の縄張りだ ■


俺たちは、白山神社の近くの藤田の家で待ち合わせた。藤田の家は小高い丘を背にして、ヒイラギの植え込みにかこまれた茅葺の大きな農家だった。石ころだらけのバス道路が川に沿って走っている。あいつの家は、川の向こうだ。

自転車にのったまま藤田の家の敷地に入る。広い日当たりのよい前庭に鉢植えの皐月が棚に無数に並べられ、松や梅の盆栽の鉢もならんでいた。藤田の家は農業をやりながら、庭木や、植木の苗木も栽培していた。でかい石もごろごろ置いてあるから、庭石なんかも扱っているのだろう。母屋の前庭が俺たちのいつもの遊び場だった。

シロくんもギリスもだいぶ前から来ていて、縁側に腰掛けて今や遅しと俺を待っていた。俺は自転車をいつもの植え込みの横においた。さっそく、相撲をはじめた。いつもここで相撲をやっていたから、庭土が自然に土俵の形にかたまって丸く光っていた。今日の祭りで、藤田とギリスが中学二年の部に出場を申し込んでいた。

藤田は小柄だったが胸板も厚いし腕力も強かった。栃錦のように下手出し投げが得意だった。やつは高校生の兄さんといつもここで相撲を取っていたので、クラスで相撲をやるとかなり強い。下手ひねりや桁繰りもうまい。ギリスは上背がある。特に得意技がないが腰が強い。最近まで柔道を習っていたから柔道の技を使う。今日の相撲大会でも二人の内どっちかが、準決勝くらいには残れるかも知れない。

相撲大会に出る2人は水泳用の6尺褌をしめた。ギリスは痩せこけて、手足が矢鱈にながい。ひょろっとした情けない相撲取り姿になった。藤田にしろギリスにしろ、ナマッチロイ、かぼそくて格好が悪い、やっぱり朝潮や栃錦とは、訳がちがう。人前でよく平気でけつなんかだせる。でも、やつらは平気だ。相撲好きの藤田の兄さんと、兄さんの友達も出てきて稽古がはじまった。

兄さんは去年のお祭りのときは、中学三年の部で決勝までいった。体も大きい。決勝では負けたが、上手投げで相手の体勢をくずして寄るのが得意だ。 奴等は四股をふんだり、藤田の兄さんの胸を借りてぶつかり稽古の真似事をやった。そのうち、俺もシロ君もトレーニングパンツのまま加わった。 俺のランニングも、トレーンイングパンツもたちまち泥だらけだ。藤田もギリスも、今日はすこし興奮気味でいつもよりむきになっていた。手加減をしないで、技をかけてくる。藤田のおやじさんまで畑仕事をやめて出てきて、行司役をかってでた。そのうち、近所の中学生や小学生まで集まって来た。今日の相撲にでるやつもいたので、そいつらも稽古に加わった。みんな真剣だ。

浴衣を来た女の子たちも4,5人集まって来た。藤田の一つしたの妹の友達だ。女の子達は、すこし離れたグミの木の下でゴム跳びはじめた。女の子は学校の廊下や校庭でよく見る顔が多い。奥座敷にいた藤田の親戚の大人も縁側に出てきた。縁側に座ってお茶を飲みながら、俺たちの相撲をみていた。皆、白山神社のお祭りを楽しみにきたひとだ。女の子たちはゴム跳びしたり、石蹴りをしながらときどきちらりとこっちをみる。俺たちも、背中で女の子の視線を意識していた。

藤田の妹もかわいいが、俺はこのメンバーのうちなら照子っていう丸顔の子が気にいっていた。色の白い小柄な子で、勉強が良く出来るらしい。いつか、藤田に照子が一番可愛いいかなと、うっかり言ったことがある。すると、廊下ですれちがったりするとき、照子はポッと赤い顔をして恥ずかしそうに下をむくようになった。藤田も余計なことを、いうやつだ。意識しだすと、何でもない俺の方まで、赤くなっちまう。


俺は裏の井戸端にいってパンツいっちょうになった。藤田もギリスは褌をはづして真っ裸だ。奴等は冷たい水を頭から被った。ふたり同時にギャーって奇声を発して、震えあがった。まったく、ガキのすることだ。いきなり水桶の井戸水を俺とシロ君に掛けやがった。馬鹿ヤロー、パンツがびしょぬれだ。俺たちも真っ裸になった。

藤田は白い褌を木の枝にかけながら、横のギリスの前をのぞいて「おまえ、すげえな。毛が生えてるじゃん。」と素っ頓狂な声を出した。あいつは、自慢気に腰を突き出してみせた。たしかに、見ると立派な黒い毛が黒々と生えていた。 「へっへっへ、実は俺もはえてるんだ。」藤田も自慢そうに腰を突きだした。しかし、藤田のものは本人が自慢するほどのものでなかった。まだ、まばらだし薄すぎてよっぽど注意しないと見えない。

俺は自分の前をよく見たが、だめだ。黒いのが見つからない。贔屓目にみても産毛がすこし太くなってるだけだ。シロくんは人一倍恥ずかしがりやだ。手ぬぐいで前をかくして、真剣に逃げまわった。シロ君はしまいに怒り出して藤田と本気で喧嘩になりそうだった。それにしても、畜生、ギリスや藤田に先を越されちゃった。


井戸端から庭にまわると、藤田のおふくろさんがスイカを切ってお盆に載せて運んできた。今日のスイカは、いつもより甘い。水気もたっぷりだし、歯ごたえもいい。近所の子供たちも女の子たちも縁側に座って、山盛りのスイカにがぶりついた。おふくろさんは、そのあと味噌で炊いたゆでトウモロコシを、お盆に山盛りにして出してくれた。ふーん、味噌で炊くとこんなにうまいんだ。

藤田んちに来ると、なんか食い物にありつける。俺は、いつでも腹を空かせていたから、食えるものならなんでも良い。ただサツマイモとかぼちゃだけは食べたくない。サツマイモは見るのもいやだ。あれは、餓鬼の頃くいすぎた。

日も西に傾きだし涼しい風も吹き始めた。お宮さんのお神楽の太鼓の音が雑木林をこえて、かすかに聞こえてくる。俺たちは、藤田の高校生の兄さんとその友達も一緒になって、男ばかり十二、三人がグループになって石ころだらけのバス道路をお宮さんの方に歩きはじめた。藤田の妹たちも少し後ろから付いてくる。女の子達は五,六人だ。今日は心強い、ぞ、高校生もいる。これなら、S中学のやつ等と喧嘩になっても大丈夫だ。俺は喧嘩は嫌いだ。だから俺から喧嘩を仕掛ける事はなかった。でも、喧嘩というやつ、売られることがある。俺の場合いつもそうだった。其の時はやるしかない。

S中学は盛り場が学区だから、不良も多いし喧嘩もうまい、やつ等は凶悪なやつが多い。俺達の学校のやつが、S中の奴らに殴られたとか、カツアゲされたなんていう噂を時には耳にした。S中の奴らも、きっと今日のお祭りに来る。まともに鉢合わせでもしなけりゃ、問題ない。だけど、やつらがでかい面をして歩いていたら、M中の奴等と、きっと揉め事になる。お宮さんは俺達M中学の縄張りなのだ。でも、今日は俺達も藤田の兄さん達高校生と一緒だから心強いぞ。


白山神社は、石の鳥居から参道が始まり、緩い石畳の坂道を五十メートルほど先に短い階段がありそこが広場になっている。その広場の一角に四本柱に屋根を乗せた本格的な土俵がある。広場から急勾配の長い石段がつづいていた。石段を登りきると目の前に古びて緑や紅の色がかすかにのこっている本殿の姿が現れる。ヒノキの皮で葺いた屋根もボロボロで、部分的に修理してある。山の斜面はそこから更に急角度になり、杉や檜の大木の枝がお宮さんを覆うように繁っていた。


浴衣をきた子供たちが、石の大きな鳥居の下で金魚掬いにあつまっている。隣の棉飴屋のおじさんも、首にまいた手ぬぐいで汗をふきふき棒に砂糖の棉をあつめている。射的屋の前は大人も、子供も群がっている。コルクの弾がポンポン鳴って威勢がいい。子供はグリコや紅梅キャラメルの箱を狙っていた。大人はピースの箱が欲しいのだ。しかし、そう簡単に当たらない。射的屋の母子は忙しく背中を丸めて銃と標的の間を動いて、弾の皿を渡しお金をもらっている。幕の横で麦わら帽のおじさんが、りんご箱に腰掛けアセチレンのランプを用意していた。

藤田は、早く相撲の会場にいって受け付けを済ませたがった。じゃあ、相撲に出る藤田やギリス達は先に受け付けだけ済ませて、階段下でまた落ち合おうという事になった。


手品のおじさんが、目の前のお客のシャツのポケットに5円硬貨をいれた。お客が胸ポケットを探ってみると、10円硬貨が2枚出てきた。こんどは、おじさんが手のひらの二枚の硬貨を握りしめて気合をいれ、開くと消えていた。手の平の裏にも無い。おじさんは横で覗き込んでいた、シロくんの肩をポンと叩くと、20円が出てきた。

空のコップに布をかけ、エイッツと気合をいれると、うまそうなイチゴ水にかわっている。不思議だ。ほんとに不思議だ。で、俺と藤田の兄貴が手品の本を買った。ほかの見物人も結構買った。おじさんは相当もうけた。

しばらくゆくと、鉢巻をしたお爺さんが、自分の腕に包丁を当ててスーと引いた。赤い血が噴出してきた。お爺さんは見物人のちかくまで寄って気付く傷を見せた。やがて、そこにこびんに入った軟膏を塗りつけた。そして、見物人にまた見せた。きずくちが線になって残っていたが、血はもうとまっていた。30秒もしないで傷口がくっついてしまった。お爺さんはたばこが嫌いになる薬も、お酒が嫌いになる薬も売っていた。でも可哀想に、薬を買ってあげる人はすくない。

あたりがすっかり暗くなってきた。アセチレンを燃やして灯りにしている店もあった。カーバイトの独特の匂いが、ただよっていた。裸電球をぶるさげた屋台には、虫が集まってぐるぐる狂ったようにまっていた。いろんな店が出ている。目の悪くなった年寄り用の針の糸とおし屋、卵焼きが二倍くらい増える粉を実演で売っていた。母ちゃんに買っていってやろうかと思ったが、やめた。今日の軍資金はお婆ちゃんに貰ったものだ。女の子たちは、、水風船のボンボンを買ったりした。照子は砂糖をすうパイプを買って喜んでいた。まったく、子供だ。おっぱいが膨らんできたって全く小学生並だ。


俺と シロくんと、照子ともう一人ののっぽでキリコという女の子の四人だけが、皆とはぐれてしまった。まだ、相撲の時間でもないし、どうせ石段の下にゆけば藤田の兄さんたちにあえる。そう思って、参道の人波にはいって歩いていた。「S中のやつらだぞ。」シロくんが、前方を顎で示した。五人の中学生が、参道脇の杉の木の根本でこっちをみている。「どうする、お前がやるなら俺はやるぞ。」今夜のシロくんは、いつもと違う。喧嘩でも何でも、してもいい気分らしい。俺は、喧嘩はしたくない。

やめろよ、知らん顔しておけよ。俺はやらねえぞ。しかし、シロ君は盛んに眼を飛ばしていた。奴らのうちでかいのは一人だ、まだ小学生みたいな小さいのが二人いた。あとの二人は、いかにも不良面をしている。でかい奴は弱そうだ、小さいのは問題外だ、しかし後の二人は本当に悪そうだ。シロくんは、俺がまったくやる気がまったく無いのをみて、奴らから眼をそらした。 しかし、不良面の中の一人が人波を分けて近づいてきた。シロくんは、俺に先に行けと目配せをして、ニキビずらの不良にちかずくのを待った。顔色が青ざめ本気でやる気だ。

おれは、照子達に藤田の兄ちゃんに早く知らせろといって、シロくんの後についていった。シロ君ひとりにする訳にはいかない。ニキビ面と俺達は、人波を掻き分け参道から脇の出店の裏にいった。シロくんは、物もいわずにいきなり、前をゆくニキビの後頭部に拳固で思い切り一発いった。やつは不意打ちを食らって、その場によろよろと倒れた。俺も小学生面の顔面に一発いれた。ついでに隣のでかい奴の脛を思い切り蹴飛ばしてやった。シロ君は、坊主頭を押さえて倒れているニキビの腹に蹴りをいれた。やつらは、俺たちの予期せぬ攻撃に怯んだ。シロくんは、逃げろといって杉の林にかけこんだ。俺も後につづいた。全部で15秒もかかっていなかった。周りの奴等には何が起きたか解らない速さだった。


林の中は、真っ暗だ。茂みを両手で跳ね除け崖をすべりおりた。奴らは途中まで追いかけてきたが、動けない。怒鳴り声がしたが、追いかけて来れない。ここは俺達の縄張りなのさ、ざまあみろ。灯りがなけりゃ、やつらにはどうしょうも無い。俺とシロくんは、密集した木々の間を転びそうになりながらはしった。俺たちは小学生の時戦争ごっこをしていた小道を、崖の中腹の横穴式の防空壕まで走った。ここなら大丈夫だ。防空壕に入って外の様子を窺った。ここなら、茂みが邪魔して入り口は見えない。息を殺して、追いかくてくる物音に聞き耳をたてた。お神楽の太鼓と笛が良く聞こえてくる。くつわむしの賑やかな鳴き声がする、コオロギも盛大にないている。だいじょぶだ。うまくまいたらしい。

次第に目がなれてきた。シロくんは、手ごろな棒きれをみつけた。俺も、60センチくらいのまっすぐな木の枝をみつけ、余計な枝をとりのぞいた。奴等がきやがったら、思いっきり引っ叩いてやる。 やつらは、もう諦めたのか人の気配が無い。虫の声がやたらに賑やかだ。新月が鎌の刃のようにくらい空に浮かんでいた。星が豪勢に空中にぶちまけられたみたいに散らばっていた、それにもやもやっとした光の帯が、頭のてっぺんを西の方に流れていた。天の川だ。

俺達は、防空壕をでて崖の下の獣道からそろりそろり広場の下に回った。武器の棒を腰に差し、急傾斜を木の根につかまって登った。そして、光の届かない忠魂碑の裏の暗闇から、広場をうかがった。相撲の土俵の周りはすでに、人で一杯だ。あそこだけが煌々と明るい。小学生の部が始まっていた。S中の奴らは何処にも見えない。どうせ、あの五人だけではない。やつらは、もっと来ているはずだ。きっと俺たちを探しているんだ。おそらく、帰り道で待ち伏せしているのだろう。階段の下の、待ち合わせ場所に藤田も、藤田の兄貴たちの姿が見えない。きっと、俺とシロくんを探しに下の参道へ戻っていったのだろう。シロくんが俺を、肘でつついた。


「おい、あれは相沢だろ、あいつだよ。」シロくんのさす方角を見ると、相沢が浴衣をきて本殿の急な石段を降りてくる。素足に赤い鼻緒の下駄をはいて、年寄りの手を引いて足元に気を使いながらおりてくる。やつのお婆ちゃんらしい。紺の浴衣の相沢はいつものセーラー服や体操着のブルマーより大人っぽくみえた。畜生、帯をきゅって締めてるから、胸も腰もふくらんでみえやがる。マドンナの野郎、今夜はやけに大人びてみえる。

シロくんは、大きな溜息をついた。俺達は黙ったまま、相沢が広場の人ごみの中に消えるまで見送った。シロくんは、もう一度おおきくため息をついた。

俺とシロ君は別々に人ごみに混じって、相撲大会の見物人の中にはいった。中学二年の部で、藤田は二回戦で負けてしまった。勝てる相撲だったのに硬くなっていた。ギリスは初戦で優勝候補のT中の松本に当たってしまい。簡単に投げられてしまった。相手が悪すぎた。あいつは一年ダブっているのだ。去年も、軽く優勝していた。藤田の兄さん達と照子たちもそろって参道から帰っていった。俺とシロくんは参道をさけて、肥溜めに落ちそうになりながら真っ暗な脇道からかえった。−六話おわりー


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