マドンナの思い出 8


■秋がきた■


学校がはじまり、クラスの奴等の真っ黒けに黒光りする顔を久しぶりにみた。
始業式で、ゴリは沈痛な面持ちで夏休み中の事件を報告した。夏休み中の最大の事件は、俺たちの隣のクラスのやつ等が海で三人おぼれ死んだ事だった。五キロほど西の海岸の沖に天狗岩と呼ばれている岩礁があった。海岸から、200メートルくらいの沖だから、俺たちも良く遊びに行っていたところだ。

溺れ死んだ三人組は、他の助かった二人と自転車で天狗岩にさざえを採りにいってたらしい。その日、鹿児島の遥か西を掠めていった小さい台風の余波で、いつもよりちょっと波が出ていたくらいだった。天気もいつもと変わらぬ快晴だった。五人とも、特別に用心もしないで、何時もどうり防砂林に自転車と握り飯を置いて、天狗岩に泳いで渡ったらしい。そこで、潜っているところに高波が来て、四人さらわれてしまったのだ。全く、馬鹿としかいいようがない。海をなめている。

助かった奴は、体操部の「ニキビ大車輪」という綽名のやつだ。あいつは、顔から腹から背中まで荒い下ろし金で下ろしたように、藤壺の擦り傷ができたが運良く次の波で岩棚にたたき返されたらしい。あとの三人は波に巻き込まれてアウト。もう一人の運良く助かった奴は、偶々少し高いところで、野糞をしていたという話だ。そいつは、明日葉の枝の影で力んでいたら、見ている前で三人が海の底に引きずり込まれてしまったのだ。

新しい綽名がきまった。ノグソくんだ。そして、もう一人体操部のいつ見ても大車輪ばかりやってるニキビ野郎は藤壺の君だ、これはシロ君がきめた。女の名前だとか云っていたが、あいつは筋肉隆々のくせに、変になよなよしてるから、ぴったりの綽名だ。死んだやつらには、申し訳ないが夏を彩るには、相応しい事件だった。S川で一年生が一人溺死、農業用水の溜池通称「蛇沼」で一人死んだ。でも、これは毎年の事で事件とはいえない。

ついで、生活指導部長のTが朝礼台にたった。「プロレスごっこ禁止令」の発布だ。岩石落しで、首の骨を折られたやつがいたなんて、姉ちゃんがどっかの中学生の事故の事をいってた。何てたって、姉ちゃんは我が家のインテリ、新聞の社会面のニュースはしっかりよんでいる。
その後、先生たちの訓話がまだ続く。いい加減に、許してもらいたいなあ。残暑きびしき九月のはじめですよ、先生。

夏休み中の、クラブ活動のほうこくだ。バレー部の市立中学対抗戦で準優勝。合唱部が県下の中学生コンクールで入賞。ほーう、倉持も伴奏で頑張ったんだ。俺は振り向いて倉持を探した。やつは、俺のほうをみていた。まともに、視線が合っしまい、あいつは真っ赤になってうつむいた。まずかったかな、乙女心を傷つけちまったか。

陸上部は三年生の男子に一人だけ、やたらに短距離の早い先輩がいた。その人が、市立中学陸上記録会で100メートルで、11秒6で第一位になっていた。あの日、俺とシロ君とギリスは記録会の会場の隅で隠れてみていた。でも、M中の人が勝ったのは知らなかった。
マドンナは走り高跳びで、1メートル39センチで、第4位だった。俺たちはすでに知っていた。マドンナは、大したもんだ。4位と言ったって、2年生では市内で一番の記録だったのだ。奴より上位はみんな3年生だったし、大女のブスばかりが相手だった。大体、小鹿のようなマドンナと比較するほうがおかしい。遠くで見ていても、あいつのジャンプが一番綺麗だった。

畜生、マドンナの野郎。なんであんなにかっこいいんだ。 俺たちは、同級生や陸上部員の誰にも見つからないように、人気のない遠くの土手の端で寝転んでみていた。
俺たちの野球部に関しては格別に取り上げられる話題も無かった。野球部は対抗戦は秋からだから、休み中に練習試合を二回やっただけだ。1勝1敗、勝った試合は相手が弱すぎたし、負けた試合は相手が強すぎた。ピッチャーの牧野がむきになりすぎて、フォアボールの連発、そのあと、すっかりやるきをなくして、連打を浴び、エラーもかさなり散々だった。しかし、秋の大会は、俺たちが絶対にヒーローになってやる。ー八話おわりー


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