第 一 章  あれはいつの事だったか



仮にも物語なんてことになりゃ、じいさんとばあさんが出んことにゃ、収まりがつかんでしょ。あるとき、竹やぶの中でご近所どうしの爺さんと婆さんが、年甲斐もなくあれをしちまった。婆さん何を間違えたか、いい年をして腹がふくらんじまった。参ったぞ、婆さんやみっともない。困ったもんじゃのう、爺さん。いい年して仕掛けたおまえさんがわるいんよ。馬鹿こけ、おめえが赤い腰巻をちらちらさせるんで、ついついスパニシュ・ベコみてえに突進しちまったんだ。

それにしても、隣近所の聞こえも悪かんべ、ってな事で婆さんは自分が生んだヤヤ子を、じいさんの背負子に入れて柴刈りにおくりだした。 勿論、薄くらい夜明け前。 夜が白々と明けてきた。婆さん近所中に聞こえるように、「さてさて、今日はええ洗濯日和じゃのう。洗濯指数90とかお触れがまわっとる。」ってな具合で、近所のばばさんと川に洗濯にいったのです。かねての打ち合わせとおり、爺さんは川上でヤヤ子を柴と竹で編んだ小船に載せてながす。婆さんそれをキャッチ。あちゃあー、かわいいヤヤ子だわい。わたしが育てましょ。メデタシメデタシ。


まあ、わが国の物語はかくのごとき、スタイルというものがある。 それなのに、俺の女の物語ときた。想い出のなかの俺の女か。先はわからん、とにかくスタイルなんかありゃしない。格好悪いはなしなんだ。


いろいろ考え、思い出してみてんだけれど、その女に何時、何処で惚れたのか思い出せない。何だかしらねえうちに、惚れちまってた。それが、あんまり惚れちまったもんで、どうも具合が悪い。つまり、手も握れねえ。変にきどっちゃって、俺は中学生並のガキになっちまった。

会社が一緒だったわけ。当時俺は25歳くらいで、女は俺より4つ、5つ歳が下だったろう。綺麗な子だった。でも、人間綺麗だからって、惚れるわけじゃない。課はちがっていたから、そう年中顔が逢うわけじゃない、偶に廊下なんかですれ違ったりすると、綺麗な子が入ってきたなって、思うくらい。とにかく給料が安いわりに、人使いの荒い会社だった。まあ、昭和42、3年頃のドタバタした時代だから、マンガみたいな会社じゃあんなもんだったのかもしれない。徹夜なんか、当たり前。忙しくなりゃ、毎日午前様だった。よそ様の会社がどうなっていたか知らないけど、俺の会社は出来て4、5年しか経っていない若い会社だった。幹部社員が40前のいけいけ小父さんばかりだから、活気だけは凄い会社だった。


俺は、毎日中央線の四谷で降りて溜池まで、バスで通っていた。マンガチックな会社だったから始業は10時で良かった。通勤ラッシュはとうに終わっている時間だ。マイカーなんてものがない時代だったから、道路はどこもすいていた。

赤坂離宮の坂を下ってくると、赤坂見付あたりもなんかのんびりした町並みだった。紀尾井町の雑木林や山王神社辺りも結構緑が濃かったような記憶。溜池.六本木あたりも今の首都高の高架もなかったし、高層ビルは霞ヶ関ビルくらいしかなかった。云ってみりゃ、大昔だった。

俺はいつも溜池で降り、其れからダッシュ。つまり、毎日遅刻、時々ぎりぎりセーフ。四谷でバスに乗り込むにも、ホームからイグナチオ教会とは反対、赤坂離宮方面の四谷見付のバス道路まで、階段をダッシュ。上手くいくと、ぴったりバスに乗り込める。

バスの運ちゃんが親切なら、俺の走る姿を見てドアを開けて待っててくれる。ところが、後2メートルでバスのステップというところで、プシューと扉を閉める野郎がいた。そうすると、もう大変。バスの前に出て、バンパーに蹴りをいれる。運ちゃん、乗客をほったらかしにしておりてきた。そこで、押し問答。180cm以上の俺には、さすがに殴りかかってこない。こっちも、運ちゃんをぶっ飛ばしたら、まずいのは良く知っている。にらみ合って、馬鹿野郎、何だとなんて云った、てめえは馬鹿だっていったんだよ。この、伝助野郎!

そのうち、四谷からタクシーで通うようになってしまった。バスに乗り換えるのが面倒だし、経理にタクシー代のインチキ伝票を出す手をおもいついた。あんな手が通用する時代だったのか、それともそんな会社だったのか。とにかく、ひどい会社だった。

でも、ちょっとは、良心というか会社にばれるしんぱいもあったので、二回に一回は自腹をきった。140円だったか、110円だったか。俺の給料は三万以上、四万以下だった。良く憶えていない。ボーナスなし、社会保険なし、通勤費なし、残業代なし。なんか、わけのわからんイケイケ会社だった。若い社員が多かった。大卒、高卒、大学中退ごろごろ。

で、そこの会社の女に俺は惚れちまったのだ。 女はチビだった。おかっぱ頭で、色が白いのか血行が悪いのか、すこし青ざめたような顔色だった。すくなくとも、健康で元気溌剌という顔ではなかった。

ある日、帰りの電車で偶然その女と乗り合わせたのだ。女の仕事はそんなに遅くなるような事はなかったから、終電とかではない、多分7時とか、8時とかだったと思う。会社で見かける顔だったから、軽くお茶を誘った。新宿のルノアールで彼女とお茶を飲んだだけだ。格別、彼女に興味があった訳ではない。新宿をぶらついて、コーヒーを飲んでかえろうかなと思っていた。そこに顔見知りの女がいただけだ。口も利いたこともなかったし、その女になんの特別な感情もなかった。

目の前に座った彼女を、ほとんどはじめてじっくりみた。それまで、会社で見ていても忙しいし、話したこともなかったし、すこし暗い喫茶店のあかりで初めて話しながら、まともに向かいあったのだ。たぶん、女のほうからみりゃ矢鱈にどなりまくったりして年中喧嘩してる変な先輩だぐらい、にしか写らなかったろう。俺は奴の事をなにも知らなかったし、奴もおれのことなぞ何もしらなかったろう。 俺は仕事はまあ出来た方だったし、自信ももっていたから会社では怖い物なしだった。

そのころ、忙しくて夜遅いし、朝だ定時よりも矢鱈に早いときがあった。朝6時起きとか、5時起きとかも多かった。お茶を飲みながら、多分そんなことをぼやいたのかも知れない。 ところが、その女が俺に電話をかけて起こしてくれるというのだ。ええ、そんな早い時間に起こしてくれるのかい?

その女もひとりでアパート暮らしといっていた。あんたの方こそ、起きるのたいへんじゃん。頼んじゃっていいのかい?

人の記憶というやつ、相当にいいかげんでどうも想い出している当人に都合の良いようにしか、想い出さない。当時、なんであんな会社で、あれほどの安給料なのに、体をこわしそうになりながらはたらいていたのか?自分ながら判らない。(実際体はこわれていた。胃がいつでもきりきりいたんでいたのだ。)

自分がそこで頑張っていることが、世の為人のために為るんじゃないか、なんてかなり誇大妄想的な考えをもっていたらしい。一種の宗教的な情熱といってもよい。

あのころ、俺は関心をもっていなかったが俺の周辺はかなり政治的に揺れていた。というか、騒がしかった。大学紛争とやらで、やたらに角棒や鉄パイプで殴りあうやつらがいたり、安田講堂なんかに学生がたてこもって、機動隊とやりあったりしていた。

俺の女は高田馬場にあるW大学に通っていたらしい。でも、授業もやらなくなっちゃったし仮に授業ができたところで面白くもないし、といって国に帰って嫁に行く気にもなれない。親は心配して国許に帰って来いと手紙攻撃。 ずるずると、大学を中退してしまったらしい。

当時まともな会社が、大学中退の女を採用するわけもない。新宿の飲み屋、大久保のバー、渋谷のサテンでウエイトレス。デパートの食堂でも働いた。夜と昼の掛け持ちもやって居た事もある。そんな生活のあと、イケイケ会社にきたらしい。
大都会で居場所を見つけられないでふらついたいた訳だ。イケイケ会社の熱気の中にいるとなんか、やっと自分とまわりとが、頼りないけれど繋がっているように感じられたのだ。あいつも、世の為、人のための宗教的情熱の持ち主だったのかな?あんな、かぼそい、ちいさい肩のチビも。

とにかく、次の日の朝、せんべい布団の枕もとの電話ベルが、正確に5時半に鳴った。まだ、薄くらい。おおう、君か。サンキュー。なんだよ、外は暗いぞー。ええ、そっちも暗いか、同じ東京だもんな。うえー、寒いなー。 俺は高円寺、女は西部新宿線のどこかにすんでいた。


第 二 章  あれは一体何だったんだろう


はじめに、綺麗な女だったなんて云ったんだが、ほんとうにそうだったか、実はあやしい。写真があるわけでなし、顔を全く思い出せないのだ。くちはでかかった。アンバランスだった。眼もでかかった。おぼえているのは、でかい口とでかい眼、お河童髪。顔色わるし、色白。あとは全然記憶にない。

じゃ、なあだ、綺麗な女じゃないだろう。そう、綺麗じゃないかもしれない。まあ、想い出を物語るとなると、ついついこうなる。俺もやけに格好いい。いい男みたいな気になっている。のぼせるな、ばっかやろう。

当時の俺を、見て知っていた居た友人たちに聞いて見ると、ひどくうす汚かった。やせこけていた。矢鱈に尖っていた。いつ自殺しても、不思議でない雰囲気。だいたい、こんな答えがかえってきた。自分じゃすっかり忘れている。

どうも、記憶というやつ。やたらに鮮明な所があるかと思えば、まったく駄目なところもある。うすぼけたピンボケ写真、ある部分ある一点だけやたらにはっきりしている流し撮りのF1の写真だ。黄色,白、赤、黒と色彩の帯のゆれる流れにゼッケン2番だ、10番だが時間を止めて映っている。

あの女と交わした会話は、ほとんど記憶にない。どんな話しをしていたのか、まったくといって記憶にない。会社の中では、勤務時間もずれていたし、部署がちがっていたので滅多に逢わなかった。それでも時々廊下ですれ違うこともあった。女は俺の目を、でかい眼でじっとみる。決してそらさなかった。俺は、やあなんて軽く手を上げて、あたふたと女の横をはしりぬけていた。イケイケ会社の男たちは俺みたいに、廊下を走っているやつがおおかった。記憶のなかではそうだ。

会社では話しをしなかったが、其の後も一回、二回モーニングコールを頼んだ。あるとき、出張で関西、四国を駆け回る出張があった。その日の朝も「こだま」の始発に間に合うように、あの女が電話で起こしてくれた。 それだけではなかった。東京駅につくと、まだ明けきらない暗い新幹線のホームに女がきていた。手つくりのサンドイッチを持ってきていた。俺はその旅の間、暗いホームで俺を見送っていた女のことを考えていた。片時もあいつのことが頭から離れなかった。俺はしあわせだった。早く東京にかえりたかった。

その出張は、大阪、神戸、和歌山、徳島、高松、松山と駆け足で周り、帰りは広島から東京行きの寝台特急で翌日の朝に東京駅につく予定だった。松山での最後の夜、ホテルの土産物屋で俺は、あの女のために伊予がすりの反物と其れにあいそうな帯を買った。黒地にしろと赤いかすり模様が、女にあうと思った。女が自分で着物に仕立てることが出来ないのはわかっていた。また、その生地を仕立て屋に出す金なんかないし、仮に着物にしたところで、着るきかいなんかありゃしない。でも、着物姿がみたかった。

俺たちは新宿であうようになっていた。いつも九時過ぎだった。バーで待ち合わせた。新宿三丁目だったと思う。店の名前はおもい出せない。新宿駅から新宿伊勢丹の横を通ってすこしさびれた辺りに汚いバーがあった。ソファー席がひと組、そしてカウンターがあった。小さい店で五、六人も客がはいれば一杯だろう。50くらいのおばさんがママで、一人でやっていた。

客はいつも俺たちしかいなかった。あの女が大学を辞めたそこでしばらく働いていたのだ。おんなはママに気に入られていた。 女は無口だった。酒もほとんど飲めないようだった。サントリーのオンザロックを一杯だけ頼んで、お代りをしない。一口で顔がまっかになっていた。ママのスペシャルメニューの牛のすじ肉のくたくた煮がすきだった。

俺たちは、セックスをするようになっていた、どんなきっかけでそうなったかも、憶えていない。なんとなく、ずるずると俺のアパートでそうなった。痩せた、貧弱な体だった。肩から鎖骨だ浮き出ていて、小さな乳房が申し訳程度に膨らんでいた。肌は白かった。でも若い娘らしい張りがなかった。

女は裸になるのを恥ずかしがらなかった。うすめの毛が、未発達な子供のようなやせた腹に痛々しくはえていた。俺の下で、目を閉じて俺の動きに合わせて懸命に腰をうごかしていた。セックスすることには、慣れていたようだ。なんとなく、そう感じた。

俺は女の声を今でよく憶えている。女はひくい声でゆっくりしゃべった。無感動、無表情な声だった。喋りながら俺の目をのぞいていた。あの目も憶えている。黒目が大きかった。しかし、顔は思い出せない。あれから、30年以上たっているし、あまり楽しい想い出ではなかった、どちらかといえば忘れたいことだった。俺たちの記憶のメカニズムは厭なことを、とどめて置くようにはできていないらしい。

昼間、オレンジ色の湘南電車にのって海に遊びにいったことがある。季節はずれの海だった。松林を抜けて砂丘をおりた。女は海をあまり見た事がなかった。中学の修学旅行の時に初めて海をみたのだ。海水をなめてみたらショッパイというより苦かったそうだ。俺たちは海岸を西にあるいた。二月か、三月だった。寒い季節だった。

相模湾の海岸線は弓なりに、前方にのびてゆき、伊豆半島のやまなみがぼんやり灰色の空に溶け込んでみえた。砂が強い海からの風でふきあげられ、白い波頭が見渡すかぎりの海面にたって海岸にむかっていた。女は俺の前を黙って歩いた。風は冷たかった。

前後の記憶がない。どうして、あんな季節に海にいったのか。あの女が海をみたいと言ったのだろう。汚い連れ込み旅館に泊まったのは、その時の事かもしれない。女とどこかに出かけたのは、あとにも先にもなかったはずだ。俺のしめっぽい高円寺のアパート、新宿の夜のバー。東京駅の夜明け前のホーム。ほかに何処かであったろうか、憶えていない。

女のアパートに遊びに来いといわれた。昼間だった。俺と女の休みが重なることは滅多になかった。環状7号線を、北にゆきどこかの交差点を右に曲がる。俺は環状線沿いの舗道をてくてくあるいた。トラックが轟音をだして飛ばしているいやな道だった。うるさいし、臭い。道路ぞいの建物や、立体交差の橋脚が黒くすすけていた。俺のアパートは、高円寺の南の環七沿いの大きなお寺の近くだった。環七から、100メートルくらい入ったところだ。でも、環七を歩くなんてめったになかった。まして、環状7号を越えて歩くなんて、その時だけのはずだ。女のアパートは汚らしい川の近くだった。ゴミがぷかぷかうかんだどぶ川だ。コンクリートで両側を垂直に固めていた。橋をわたり、二階建ての木造アパート。したに二世帯、上に二世帯のあの時代の典型的なアパート。6畳一間、台所トイレつき風呂なし。俺のアパートからみりゃ、豪邸だ。日当たりがいい。ちっぽけな薄汚いアパートが、軒を並べていない。

俺が鉄の階段を登り女の部屋の扉をノックするとエプロン姿の女がすぐでてきた。女は、トンカツを揚げる用意をしていた。飯はもう炊き上がっていた。俺は、出された座布団に座って若い女の一人暮らしの様子を観察。女の部屋は、きれいに整理されていた。大きな鏡台がひとつ。小さな本箱。荷物は他に何もない。日がガラス窓からさしていた。二人分のトンカツが揚がり、俺たちはままごとごっこみたいに、炊きたての飯とキャベツの千切りが添えられた分厚いトンカツを食べた。女はいつになく明るい表情だった。嬉しそうだった。幸せそうだった。

飯の途中に誰かが、ドアをたたいた。女は、扉を開けた。そこに、若い男がふたりたっていた。女は、ドアを閉じて外に出た。そとで、しばらく押し殺したようなおとこの話し声がしていた。やがて、女と二人の若いおとこが部屋に入ってきて、俺たちの食卓からすこし離れたところに座った。女は無表情になって、飯をくいつづけた。俺も、黙ってトンカツを食い、キャベツを綺麗に平らげ、茶碗の飯を飯粒ひとつ残さないように、綺麗にたいらげた。おとこたちは俺の方を見ないで、二人だけでぼそぼそ話しをしていた。ときどき女に話かけていた。女は俺のほうも見ないし、わかい二人のほうも見ない。心持視線をさげ表情をかたくしたまま、ちゃぶ台の食器を台所に運び俺にも二人組みにもお茶をいれた。

男たちと女はどうやら同じ大学の同級生らしかった。 俺は、ひとことも口をきかなかった。しばらく、そんな風だった。

俺は立ち上がり、女に帰るといって外に出た。あの女の想い出はそこで切れる。そのあとのことはまったく、憶えていない。おそらく、あの時が女を見た最後だったのだろう。

       おわり


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