妙子先生のこと
ぼくは妙子先生が大好きでした。
パート 1
ぼくは妙子先生が大好きでした。
先生は色が白くてそばかす美人でした。
ぼく達が4年生に成った時、クラス担任になりました。
先生は花や木のことに詳しいし、野鳥や昆虫の種類にも詳しかった。
ぼく達は、先生に連れられて植物採集をしたり、昆虫採集に行きました。
野山に出ると、先生は外国の歌をおしえてくれました。
おお、牧場はみどり、よく茂ったものだ・・・
みんなで歌いながら歩きました。先生は、時々立ち止まって皆のほうに振り返り、
これはオドリコソウ、こっちの高い樹は栃の木よ・・・などと草の名を教えてくれたのです。
ぼくは、物覚えが早かったから先生のお気にいりでした。
先生はおしゃれでした。
昭和26,7年のことですから、町にはまだまだおしゃれな洋服なんか売っていません。
でも、先生は胸元に飾りのついたブラウスを着ていたし、
素的なチェック柄のふわっと裾がひろがるスカートをはいていました。
後で聞けば、進駐軍の基地のあったS市までわざわざ出かけていって、
米軍の何かの記念日のバザーで中古のテーブルクロスやカーテンを買って、
その生地で作ったそうです。
ぼくは、歌が上手で植物や動物が好きで、
日にあたるとそばかすが濃くなってしまう先生の笑顔が大好きでした。
先生は運動の指導にも熱心でした。
夏になると、学校の横の防火用水の水槽で水泳の訓練を指導してくれました。
戦争中に米軍の空襲に備えて作られた縦15メートル、横10メートル程の防火用水は、
小学生のプールとしてはうってつけでした。水深もぼく達の腰くらいで、安全でした。
僕たちは淵につかまってバタ足の稽古から始めました。
次に、顔を水につけて足をばたばたさせました。
妙子先生は、いつもの胸にレースの飾りのついた、
半そでの白いブラウスとカーテン地で作った裾がふわっと拡がった格子柄のスカート姿です。
先生のピッと鳴らす笛に合わせて、
ぼく達は一斉に元気よく水しぶきを挙げました。
次の週、ぼく等はすこし上達していてプールの端から、
10メートル先のコンクリート壁に向かって水に顔をつけたまま腕をぐるぐる回して、泳ぎました。
息が苦しくなると足で立ち、一休みしてまた水に顔をつけて足と手をバタバタ。
先生は向こうのへりにたって笛をピッっと吹いて、班ごとに泳がせました。
ぼくは目をつむって、腕を水車みたいに回して泳ぎました。
苦しかったけど我慢して無茶苦茶に手足を動かし泳ぎつづけたら、
いきなり頭にガツンと硬いものがあたりました。
向こう側のコンクリートの壁だったのです。
「モト君、凄いなあ。泳げたじゃない。」妙子先生の声でした。
ぼくは誉められてうれしかった。でも、頭が痛かった。
べそをかきながら頭に手をあてると、血が出ていた。
「モト君、大丈夫?一寸見せてごらん。」そういって、先生はプールのへりにしゃがんで、ぼくの傷を調べました。
何気なく上を見ると、先生のスカートの中が丸見えなのです。
太ももの間に白いズロースが見えました。
よく見ると、ところどころに継ぎが当たっていたのです。
明るいベージュや白いネル地を使ってパッチワークのようにきちんと縫い付けられていました。
先生は、ぼくの傷が医者に見せるほどでないと判断して、
そのままの姿勢で頭を撫でなでしながら、「モト君は我慢強いね、よしよし。 こっちまで泳げたのはモト君だけだったよ。」
先生のしろい足の付け根近くに、大きなほくろがあり、
そこから細いちじれた毛が一本ちろちろと伸びていました。
そうだ、いいことを思いついた!ぼくのお母さんのお店で、確かズロースも売っていた。
今度お母さんに頼んで一枚先生に上げようって思いました。
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