これまでの掲載詩
放尿詩篇(2) 14歳から 新茶の季節だというのに ひとり黒い花の汁をすする つめたい皿のような貧血の空 とおくのほうで青く収斂する そこに料理が盛られることは おそらくない 立ちくらみ何度もこらえ 押さえた眼がしらにも あおい血がにじむ 林立する高層住宅街 細くカットされた空に ぽっかりりんごが浮かんでいればいいな 14階で切り取られた1日の 地平線まで続くコーンフィールド 農作業の黒人たちは おそろいのウォークマン耳に挟んで 飛びおりようか? 男が帰っていった部屋で いつのまにか14歳になったあたし 鏡に向って 陰毛を剃り落とす 大人になりたくないと 食べては吐き 吐いたものを食べ 指先がふやけて溶けるまで 喉の奥を掻き回すのだ あたしは帰れなくなったグレーテル 道標はみんなキツネが食べてしまったの だから毎日 3サイズも小さいブラジャーで胸をしめつける これできっと 抱き締めやすいはず ちっちゃな少女のように けん けん ぱ 校庭のけんけん跳びは あたしの勝ちよ すこしでも遠くへ石を投げる かかしの頭は三角帽子 すこしでも遠くへ そして跳ぶごとに 皺がれていくあたし 飛びおりようか? ううん 朝が笑いの玉になって ころころ落ちてくる コンクリートのつめたい玉 虫採り網でつかまえて ユニットバスの水洗トイレに流してやる コーンフィールドに飛びおりれば IWハーパーで乾杯ね さぁ14歳からどこへ行こう 媚薬でもない 幻覚剤でもない きっとローマの吐き薬 新茶の季節だというのに 擂り鉢で黒い花弁をつぶす ----------------------『発見と発明』18号掲載(1990) キンの夢 平成15年10月10日、午前6時29分 最後の日本産トキのキンが飼育室の扉に激突 頭部挫傷のため死亡した 高さわずか2.1メートルの保温室だった 享年36歳、人間に換算すると100歳に相当するという 床に落ち小さく固まったキンの亡骸は 老いてなお、高潔なまで純白で それはまるで 「日本」そのものの死であるかのようだ その朝、キンは何故、高く飛び上がろうとしたのか どこへ行くつもりだったのか 閉じ込められていることを忘れてしまったのか 10月10日、日本じゅうの都会では 今年もいよいよ、秋風が立ち始め コンクリートのビルで複雑に切り取られた空を眺めながら歩いていると 人間さまだって つい空を飛びたくなるものだ キンはきっと 故郷の夢を見ていたのだ 人が年老いて、子供の頃をふり返るように あの朝、床に落ちていたのはキンのハゴロモで 彼女はきっと、 狭い飼育室の天井からうまく脱出したに違いない 辿り着いたのは はるか、原始日本の朝焼けの空だったのかもしれない 何万回となく繰り返された季節 揺れる木の葉の間あたり 目を細めると 私には、見えるような気がする 歴史を遡り 縄文の神々に護られつつ 山河を翼に抱き、大空を雄飛する ニッポニア・ニッポンの 最期の白い姿が ----------------------------- 書き下ろし


コカコーラ・クラシック サザエさんちの家族構成はどう考えたって変だ ナミヘイはどこから見たって爺さんで あの禿げぐあいからして七十歳だとすれば ワカメやカツオはいったい何歳でこしらえたのか おまけにフネさんときたらえらい婆さんだ と主張する私に 膝の上の漫画通の笑い猫が あれは戦前の大家族制の名残りなんだから仕方ないんだ とか 今度は「あんみつ姫」にしよう とか言う 雪村いずみのあんみつ姫や 江利チエミのサザエさんを知っているなんて いくら老猫の君にしても可笑しいではないか 君こそ何を隠そう 鍋島藩で油でも舐めていたのではないのか たまにはドラマでも見せろなんて 今夜でかれこれ三日間も日曜日が続いている我が家では TVのリモコン争奪戦も泥沼化し どこを探したって 大量破壊兵器など見つかりっこないのだ それって世の常さ 老猫が耳を掻く ずっと 雨が降っている ね きっと同じ雨が降っている ハノイや バグダッドにも ここに三月ウサギでも出てくりゃお茶会ごっこができるのに カルチャー猫は文学通でもある コカコーラ・クラシックは 塩昆布をいっしょに食べると美味しいと 私が発見したのは TVドラマの秋吉久美子が男に捨てられて 雨の箱根をふらついていたときだった もう一袋食べちゃった 塩分の摂り過ぎは高血圧に繋がります 猫に注意されたときには 喉はからから ますますコーラの量も増えて 糖分と塩分が胃の中で ざぁざぁと 降っているね 雨が ブラウン管の向こうの久美子ちゃんは ジーンズにリンゴ丸齧りの似合う子だった 私は再び 塩昆布の四角い角のところから齧りだす 久美子ちゃん靴を脱ぎ放り投げる 水溜りの中へ 「バージンブルース」がよかったね それから にゃぁ コカコーラ・クラシックに塩昆布浮かべて 外は雨 窓から三日前の私が覗いている バカボンのパパの歳の分だけ 時間は流れた 猫が耳を掻く きっと同じ雨が降っている 天安門にも テルアビブにも ----------------------------- 「フィズの降る町」白地社刊より


惑星 キッチンナイフで左手の中指を切ってしまった夜 傷口を開くと 肉の奥から 見覚えのある顔が笑っていた 今夜は口をききたくないのと 慌てて絆創膏を巻きつける 中指のさるぐつわが 夜毎ひくひく動く 前歯できゅっと噛み潰せば よけい血がにじむ この闘いは夜どおし続く 包丁で左の胸を突き刺してしまった夜 流れ出た密な意識が 青いゲルとなり 幽霊のように姿を現わす 立方体の部屋の隅で 男女のゲルが痴話ゲンカをしている 今夜はちょっと飲みすぎたよう 繋がったままの腰を震わせながら 合わせ鏡の中のアリスが 冷凍グリーンピースのように 転がり落ちる 滑り台からシーツの上に月面宙返り そして私が十人目のアリスね 黒表紙の厚い本をパタンと閉じれば 悪魔が捕まえられるんだって 教えてくれたあなたは 長い髪と黄色い皮膚を売り渡してしまったの 浴室の四角い小窓から 首をだらんと伸ばして 蛸型の月でも探しましょう あなたのお尻を覗くと 青空が見える 気球まで上っている コンコルドが銀の皿で朝飯を食っている 惑星 見えない星 飛べないコンコルド ソラリスから脱出して ソラリスへ戻った宇宙船のように 出迎えてくれたあなたの顔は ちょっと父にも似ていて やっぱり逃れられないんだわと 計器の数字をふと確かめると 諦めたように 私たちの惑星は 夜の海をまた 直進するのだ ----------------------------- 「フィズの降る町」白地社刊より 木偶 ファティマが死んだ 私のファティマが死んだ 密林の中で蔓植物に絞殺されて あの子は樹木が好きだった 水没した町が好きだった 陽の当たらなくなった世界 合成樹脂を一面に張ったような湿度の森を 赤い長靴でジャブジャブ歩いていった はずだった 行方不明になって三ヶ月 ふと手にした『ジャングル日報』の三面に 黒枠囲みであったのは 内臓が散乱したファティマの姿だった ファティマはマリオネットのお人形 あの子を操っていたのた私はあの子で あの子は私だった いつも、そう 糸をもつらせては泣いていた黒い瞳 ファティマはお腹の中に木を生やしていた 私はあの子の口からぽっかり赤い花が咲くのを楽しみに あの子がまだ小さかった頃 胃袋にポトンと種を落としたのだ 植物と人間の共生 それが私の夢だった ファティマがそれを叶えてくれた 木はどんどん大きくなりあの子の口から突き出した 夏が来るたび赤い大きな花を気味悪く開かせた 木はファティマの身体を養分にしてますます大きくなった きっと重かったろうがファティマは文句も言わず わたしの言うなりに芸をした ファティマの糸はときどき枝に絡まって 手足を傷めさせた 涙を溜めた大きな瞳を見るたびに 私はファティマ自身がいつの日か 木になってくれることを祈った 木になったファティマを庭に植えて 眺めて暮らそうと思っていた だが、あの子は消えた 好きだったジャングルの奥へと 太陽が半分になった世界では どこもかしこも水浸し ファティマを抱きしめたのは私 ファティマを絞め殺したのもきっと私の腕 赤い長靴をはいてジャングルを走ってゆく姿が目に浮かぶ あの子がまだ双葉だったころ 太陽は明るい球体だったはず ファティマは木でできたマリオネット そう、私は ・・・・・・・・・・「レジェンド」詩学社刊より


粒子

あたしのトランキライザーが マイナーからメジャーに変わった日  ニューヨークは晴天で 新庄のバットの快音も遠く響き渡った あれから一瞬後だったかな この街の一部が廃墟と化したのは おかげでここメトロポリスの正月には鳩もいなくなった あたしは発狂寸前の大脳をかかえ 落書きだらけの地下鉄を乗り継いで 友人ボニー・ラッセルのアパートまでドーナッツを届けるところ ふりそそく冬の宇宙線 スーパーカミオカンデの底には何が見えるか はるか日本という国の奥飛騨まで旅する孤独なニュートリノにとって 地球の大きさはいかばかりか 太平洋の真ん中で 科学者と哲学者がジャンケンすれば ミクロネシアの鬢長マグロがネットの目をすり抜ける 「光の粒子(フォトン)は粒であるだけでなく、波でもある」 なんて、シュレーディンガー家の猫も 笑っちゃいます 冬のニューヨークに鳥が還るころ 観光客の群れといっしょに襟を立て あたしは恋人アツローさんとの日常に戻る 日本のメトロポリス東京には 量子論のユーレイが棲んでいる 洗面所の鏡に一瞬映っただけの アツローさんの横顔 泣いているようにも見える それは、観測による確率の問題? 歯ブラシを透かしてみた今朝は晴天
確かに 宇宙は素粒子でできている そして素粒子は愛でできている
・・・・・・・・・・『現代詩手帖』2002.2 思潮社刊 より  



街と羽根の断章

オレンジと数列が浮遊する街
あたしは
鉄腕アトムとお散歩
二人でフリマへ
流行りのジャケットを買いにいく
陽は高く
三半規管にプール代数ぶら下げて
これがあたしのピアス

遠い昔
人も空を飛べた
いくつもの大洋を渡って旅したお祖父ちゃんの
自慢話を聞くのが好きだった
揺籃のようなお祖父ちゃんの膝の上で
きっと、真一文字の羽根の影は
島々に昼と闇を生み
ハンモックの島に
労働とシエスタの縞を創った
見下ろす海は
今あたしが大切にしているどの耳飾りより
輝いていたに違いない
きっと解き明かされる空の謎
それは
あの時代のあたしたちの夢

島々は
動かしがたいパラダイムのもとに
橋を架けられ
海面に深い安堵の陰影を落とした
そしてそれはまるで
世界を制覇したかのように見えた
羽根の雄姿
あのとき
眼下の雲間にひらけた懐かしい緑の列島は
何だったの?

今、あたしたちの翼は長すぎて
世界じゅうの邪魔になるばかりか
去年のジャケットが窮屈で困る
涙目で見上げれば
銀の自転車が無数に空を疾走していくのが見える
巨大な車輪ががらがらと
あたしたちから羽根の記憶を消していく

とびきりお洒落なジャケットを買おう
フリーマーケットは山の向こう
アトムはヒューと
口笛を吹いた


・・・・・・・・・・『詩と思想』2001.10土曜美術社刊 より


2002.1
運河

雨が続くと店も出せず
「ぼうずや、ぼうずや」
と帰ってくる人
「ぼうず」というのは一円も儲からなかったという意味
どたばたと
河から上がった河童のように
玄関先に荷物をおろす
口八丁は大阪名物
一度だれかが履いた革靴に
上から染料を塗りつけて
ぺっぺっ、と唾で光らせ
新品として売ることもある
いや、大部分がそうなのだ
女たちの列
ストッキングの脚を出す
きれいな化粧も
足のにおいまでは誤魔化せない
あれはたしか
遠い海のにおいだった

父の口上を聞きたさに
女たちを見ている私
傷口に粉をまぶされた靴が売れてゆく
炎天に日焼けを気にする私に
露天商には日射病もない
と言う
父は靴売りに倦むと
絵を描くのだ
歌手の似顔絵
ちっとも似てないから
私の勉強部屋の壁掛けになる
安物の綿壁に画鋲を押し込むと
針はズブリとのめり込む
おそらく風の日に
公園にも立ったであろう父が
ほんとうはどんな画家になりたかったのか
私には分からない
ただ、彼の画材入れに
木製の蛇腹のようなものを見たことがある
盗作の道具?
こうやって使うのよ
母が教えてくれる

失敗作の絵が私の部屋を埋めつくす
壁は絵で埋まり
風に舞うとひらひらと
私の鼻や口を塞いだりしたものだ
画鋲の針は記憶の舞台裏に消え
父も消え
私はまだ子供らしい堅い胸を
壁のなかに沈みこませていったのだ
あれから
春は確実に二十五回は過ぎたけれど
行く春はどれも
傷口に粉をまぶされた古靴のようなものだった
今も大阪には迷路のような河がある
その昔
強制連行されてきた民族が掘ったという
運河
どんなちゃちな河でも
いつかは海に注ぎこむ
その道すがら
河をにおいを放ち、再生し
いのちは連鎖する
あの複雑怪奇な運河の町で
「えらいこっちゃ、今日もぼうずやで」
玄関先で
荷物をほうり投げる
あなたがいなくなったのは
いつだったか

・・・・「水泳の授業」思潮社刊より


2001.11
卵商人

午後四時になると、毎日決まって卵売りの車がやって来る。「ミ
ネソタの卵売り」という騒々しい音楽をスピーカーで流しながら
団地群のなかへ来ては、私の部屋の窓の下に十五分間だけ停
車し て、また騒々しい音楽とともに去って行くのだ。

このころの時刻になると、私の部屋にひとりの男が訪れる。午後
四時が来ると、私の胸は高鳴りだす。外勤途中の男はアタッシュ
ケースを投げ出すように置くと、私を軽く抱き寄せた。だが私た
ちは二人とも、あのミネソタの卵売りが大嫌いであった。だから、
十五分間の停車時間を見計らって、事を終えるのが日課であった。
団地の主婦たちが産地直送の卵を買い求めている間に。たった十
五分ですべてを終えるのは私たちにとって全く苦痛ではあったが。

事は終了した。それを知っていたかのように、また卵売りの車は
『私はミネソタの・・・』とけたたましく去っていった。シャワ ーを浴
びてから、私たちは外に出て、港の方までそぞろ歩いた。
西の空はすでに赤く染まっている。その間、私はなぜか卵のこと
ばかり考えていた。毎日聞くあの音楽のせいかもしれないと思っ
た。かつてサルバドール・ダリがその上で食事がしたいと言った
全面ゆで卵で出来たテーブルのことを想像すると、吐き気に堪え
られなかった。そう言えば、このごろよく悪い夢を見る。全身の
穴という穴に卵を詰め込まれ、私の体内で孵化したひな鳥が次々
と内臓を喰っていくという夢だ。卵のイメージが頭を離れない。 卵
なんて大嫌いだ。あんなものこの世から無くなればいい。

私は歩きながらぐっしょり汗ばんでいた。ふと我に返ると、港の
近くの広場まで来ていた。隅の方で漁師風の老人が、木の台に何
かを載せて売っている。立て札を見ると『各種魚卵ひと山××円
也』と書かれてある。私は目を覆いたくなるほど恐ろしかったが、
どうしたことか視線は行商人の台の上から離れない。皿の上に載
せられた種々雑多は魚の卵。ピンクのや暗緑色のや、深海魚のも
のであろうか気圧の変化のためにすっかり潰れているものまであ
る。見ると、一番右の端の皿には、黄色地に黒い斑点のある細長
い形をした奇妙な卵が山にして積んである。大きさは鶏卵くらい
であろうか。
「あの、これ何の卵ですか」
「これですかい。アフリカの草原で獲れた珍しいキリンの卵です。
有精卵ですからね、きっと孵りますよ。どうです奥さん、家で飼
われては。可愛いもんですよ。キリンの子というのも」
私と同行の男は顔を見合わせて笑った。ほとんど自虐的な行為だ
と思いながらも、結局私たちはそのキリンの卵をひとつ買い求め、
ポケットに突っ込んだ。

そして男を港のバス停まで送って行った。男は「じゃあ、また明
日」と言ってバスに乗り込んだ。市バスは排気ガスだけを残して
出発する。男は最後尾の座席から後ろを振り返り、いつまでもこ
ちらを見ていた。小さくなっていく男の顔が卵のように真っ白な
のっぺらぼうに見えた。

私は今日からバスルームでキリンの卵を育てるのだ。キリンは孵
化し、どんどん成長するだろう。そして男は明日もやって来るの
だ。あさっても、一年後も、永久に。私たちは毎日午後四時にな
ると、卵売りの音楽と音楽の間に愛し合い、夕刻のまどろみのベ
ッドの上をミネソタの卵売りがドタバタ走って行くのだ。また卵
の悪夢は、夜毎私を悩ませるかもしれない。そしてある日、男は
バスルームの天井に頭をつっかえているキリンを発見するのだ。
「やあ、ここにいたのかい」
などと言いながら、彼はシャワーの先をキリンの長い首に引っ掛
けるかもしれない。

・・・・「フィズの降る町」白地社刊より



2001.10
祝祭


陽の高いうちに帰宅すると
3千枚の窓はいっせいに
開け放たれていて
高層建築の
どの窓の内側でも
LDKという刑場に
ひとりずつの主婦が座している
3千人の彼女らの
歪んだ顔は
空の重さに耐えかねている
首の折れた女や
既にトマトのように圧死した女など
どの女たちも運命として
一枚ずつの空を受け持っていたのだが
まちがって自分の顔を写してしまったのか
空の鏡は粉々に
自らも死に至る羽目となったのだ

彼女たちの惨事とは裏腹に
下校途中の子供たちは
ガンバ大阪の誰やらの
キックを真似したり
選挙宣伝カーは
一部三十円也のパンフレットを買え
と唸っている

楽園へようこそ
(廃虚へ?)

私は陽の高いうちには
めったに帰らない
地上三十階の窓際では
見開かれた女の目に
白い空が写っている
白い空には七色の広告風船が上がり
地上のまつりばやしに合わせて
時間だけが
冗談のように流れてしまった

あれはまだ
道にロバのパン屋が走っていた頃だ
チンカラリン、チンカラリンと
市大病院横の坂道を
私は追いかけていた
腎臓病の叔母の病室
叔母は長い髪を
夕陽の窓枠に垂らしていた
追いかけて
ふりむいたロバの
あの大きな目はいったい何を見ていたのか

オーレ、オーレと
少年たちが蹴り上げたサッカーボール
アドバルーンのように
宙に舞い
七色に彩られる
三十階のベランダの
たったひとりの女の白い空を
ひっそりと掠めるのは
いつのことだろう

・・・・・・・「水泳の授業」思潮社刊より

2001.9


私は寂しい犬である
心の中に棲む犬である
人はだれしも生まれながらにして
その身体の中に
伴侶としての犬を一匹ずつ飼っている
それは血統書つきの大型犬であったり
あるいは
雨にうたれた瀕死の子犬であったり
その種類は個人によって様々だ
それはその人の経歴や年収や
殺してきた人の数などによって決まると言われる
人が暇にまかせ
満月の下で孤独の杯をかたむける時
その肩あたり
赤い大きな舌をべろりと垂らした老犬の
横顔がくっきり浮かんで見えるのは
何も珍しいことではない

私は寂しい犬だが
たまには飼い主に暇をもらって
下界にさ迷い出ることもある
月の照る夜の小径がたまらなく好きなのだ
そして十字路あたりでふと同じ境遇の犬と出くわすと
きまって激しいなわばり争いとなる
夜っぴき闘い
喉を喰いちぎって殺し合うこともある
そんな夜が明けるころ
十字路の真ん中に埋められるのは
飼い主であった青年であるかもしれない
犬に去られた人間の運命は
その犬にのみ握られているのだ

昨夜、私の食い殺した一匹の雄犬が
白いもやのような朝のなか
十字路の真ん中に突っ伏している
その死体の右手に固く握られた革の財布
中から二枚の乗車券が風に舞って飛ばされた
間に合わなかった列車の音が
私の突き立った両耳を今
かすかに震わせる
・・・・・・・吉沢巴詩集『レジェンド』(詩学社刊)
copyright 1988 Tomoe Yoshizawa


2001.8


ここだけの話だが
うちの家の大屋根には
ぽっかり穴があいている">
私はその穴の存在に
もう何年も前から
気づいているのだが
修理方法が分からないままでいる
うちの家には
朝、トーストを齧っている大ネズミと
夕方、柱を齧る癖のある子ネズミが棲んでいる
二匹とも
屋根の穴に気付いているのかしらん
とにかく呑気に
尖った鼻づらをひくひくさせて
トーストや柱を齧っているのだ
いやはや
あの作り笑いから察するに
気付かぬふりをしているだけ
という説が最も有力だと思う
ところで
やはりここだけの話だが
うちの家の時計は全部狂っている
ネズミたちの出ていった朝のひととき
錆びた鉄の椅子に身を沈め
売れ残りの人形みたいに
埃まみれになりながら居眠っていると
キッチンの柱時計、殴ると止まるアラームウォッチ、
鳩時計、砂時計、豚時計、
順々に十一時を知らせてくれるのだが
それらはどれも
それ以降の時刻を知らない
一日中午前十一時が続く屋根の下
毎日毎日穴は
めまぐるしく変化する外界の気象を
教えてくれる
そして私は
もう一冬越せば完全に朽ちてしまうであろうこの屋根の穴を
穴より大きな口をあけて
眺め暮らしている
そしてときどき
穴をまたいで通過しようとする男たちの足を
下からぐいぐい引き摺り下ろすのが
唯一の楽しみなのだ

・・・・・・・吉沢巴詩集『フィズの降る町』(白地社刊)より