「やさしさ」



本当のやさしさ…これって何だろう?

「やさしさ」。この言葉はみんなが良く使う。

しかし、きちんと定義できるものではない。

単純に考えると、他人に気を使えること。

これは、間違いではないだろう。

人のために自分が犠牲になる。

と書けば確かに素敵なことだと思う。


しかし、周りに気を使うことの本質はなんだろう。

何のために周りを意識する?

たどり着いた考えは、「自分のため」。

例えば何人かで行動を共にする時、

気を使うことは相手を楽しませもてなすというイメージだ。

そこで、自分がいくら楽しくても一緒にいる人が

不満そうなら自分の楽しさは減っていくだろう。

逆に、自分がそこまで楽しくなくても、一緒にいる人が

めいっぱい楽しそうならそれにつられて楽しくなる。

その考えでいくと気を使い相手を楽しませることは

結局自分がその場を楽しむ、より良くする、満足するため。


やさしさ→気を使うこと だとすると

やさしさ=偽善行為。

外面的な響きだけ良くって結局はじぶんのため。


先日、友人とその親友の3人で遊ぶことがあった。

友人の親友は遊ぶのは二回目。

一応、自分が主催したようなイベントであったので、

それなりに気を使っていたらしい。

(自分はそれほど意識はなかったのだが…)

確かに、一緒にいるコに楽しんでもらえることが

一番嬉しいことだと思っていた。

いろいろあったが、二人ともそれなりに

楽しんでくれたようであった。

そのため、当然自分自身もかなり楽しめたし、満足もした。


後日、友人から知らされた。

自分がかなり気をつかってくれたことに親友は感謝していると。

そして、そのコは場に対して文句を何度か言ったが、

主催者の自分は気を使い、それに反論せず対応したため、

帰ってからそのコ自信が反省したと。

そして身勝手だったと感じいつになくへこんだと。

また、友人もそれを聞いて、親友に対して気を使えなかったことに

少し反省を覚えたと。

これを聞いたとき、思った。

自分が気を使った(自然としていることも含めて)ことは、

結果として一緒に行った一人をへこませ、もう一人を反省させた。

そして、自分は楽しんだ。

それってまさに自分勝手なことだと思う。

このような中途半端な優しさはまさに偽善行為であろう。


本当の優しさってなんだろう?

それが、分かる人間になりたい。そしてそうなりたい。

そんな思いが頭を巡る今日この頃である。