日々の出来事に関するあくまでも主観的なコラムで〜す!


●ビジネス書って?●<2002.01.02>
  先月一冊の「ビジネス書」を購入した。インターネットの広告で見つけたものだ
 が、海外に住んでいるため所謂立ち読みや周りの反響を確認できず、購入には躊躇
 したものの、広告の内容に惹かれるものがあったので、購入してみることに決めた。
 ただ、私の場合、こういうものに興味を覚える時というのは、得てして仕事に対し
 て何かしらの「迷い」が生じている時である。故に購入すること自体が目的になっ
 てしまい、そのままのケースがよくあるのだが、今回は結構高価なこともあり、い
 やでも読んで見なければと思い、先日読んでみた。謳い文句は、所謂「復活日本の
 産業」みたいなもので、倒産寸前、若しくは利益が出ない体質の中小企業に出向き
 自ら構造改革を指示し黒字化体制にすることを生業とする、所謂「コンサルタント」
 が「忙しい合間を縫って」書き上げた「ノウハウ本」である。ある程度内容は予想
 できるもので、非常に解かり易く、現場体験を基に書かれていることでハードカバ
 ーにしてはすらすら読めたのだが、個人的にはかなりの時間を要することになった。
  私は短気な性格故、いきなり「あとがき」を読む場合が多々ある。実は本書のあ
 とがきにこう記していたのである。「このレベルまで会社を研ぎ澄ますことが出来
 れば・・・たとえば○○○自動車のように、世界一技術の新しい、世界一コストの
 ・・・なおかつ大きな利益を・・・」。私はこの分を読んだ瞬間に興ざめしてしま
 った。確かに引き合いに出された企業の製品は素晴らしいと思うし、自分が(実用
 として)車を購入するのであれば、おそらくその会社の車を買うだろう。勿論その
 会社は大きな利益を上げているし、会社としても最高のグループに入るであろうが、
 それはあくまでも「営業的・利益的」な視点のみである。世界的に見れば、自動車
 はやはりアメリカ三大メーカーを中心に回っているし、ことモータースポーツとい
 う点では全くのマイナーである。つまり、その企業は今のところ、世界中の「車好
 き人間」の感性には全く引っかかってこない企業なのである。その企業をあたかも
 「最終到達点」として捕らえ、その生産方式を絶賛しているかの如く書かれている
 文面には、利潤追求のみを美とする部分が垣間見えたのである。勿論前述の著書の
 目的は実用書であるし、日本の中小企業が「利益を生み出す」ことを主眼において
 いるから、例としてはいいのかもしれないが、これからの企業のあり方を考えると、
 もっともっと世界的な視野でまとめてほしかったと思う。勿論その企業に何の責任
 もない。ただ、趣味性を重んずる私にとっては、その企業が所謂「世界の○○○」
 ではないことが著者が理解しているのかどうかということに対し、疑問を抱くので
 ある(「世界の○○」と呼ばれることと、利益は関係ない)。
  それぞれの企業が利益を生み出し、日本の市場価値を上げていくのは結構なこと
 ではあると思う。しかし、単純にお金を得ることだけが目標ではない、これからの
 世代にとっては、そのような現実的なことよりも、もっともっと夢を語れるような
 企業に眼が行くのではないか。勿論、夢を語るには現実問題として「お金」は必ず
 必要である。だからこそ、こういったビジネス書を読む殆どが試行錯誤しておられ
 る経営者の皆さんだとすると、その先にくるものは何かを考えさせずに、予め最終
 到達点を用意し、その結果、時代遅れとなり、取り返しがつかなくなってしまった
 場合、こういったビジネス書を発刊する側の責任は極めて大きい。
  日本には「ビジネス書」マニアが相当数いるようである。彼らの心理的なツボ(
 弱い部分)をついて、乱発されるビジネス書の功罪は、これから明確になって行く
 であろう。もっともその頃には今の著者達は「我関せず」の世界にいる可能性が高
 い。

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●有言実行●<2001.10.01>
  「有言実行」・・・今の高橋尚子選手のためにこの言葉があるのだろう。
  昨日のベルリンマラソンで「世界最高記録」での優勝、本当におめでとう。シド
 ニーから一年。いろいろあっただろう。マスコミ、家族、友人・・・いろんな人か
 らの目に見えない圧力もあったと思う。一時は「太りすぎ」と言われ、膝の故障等
 で、出場辞退した大会もあった。その度にマスコミからは「再起不能」と言われ、
 中傷もあったはず。それでも彼女は難なくこの一年を乗り切り、そして見事目標を
 クリアしたのだ。瀬古俊彦S&B監督も言われたように、並みの人間ならシドニー
 で金メダルを取った時点で燃え尽きると思うが、彼女は違った。常に次の目標を掲
 げ続け、そしてその目標を達成するまでの過程を楽しむことが出来るのだ。彼女の
 最大の武器はまさにプレッシャーを「楽しむ」ことと、「自分を信じる」ことの重
 要さを知っていることである。彼女の走りには「悲壮感」は全くない。今回の大会
 で記録達成が出来ず、さらに優勝できなかったとしても彼女の表情は恐らく記録達
 成した昨日と全く同じではなかったか。なぜなら「やることはやった。でもだめだ
 った。じゃあ、次また頑張ろう。」という「前進的三段論法」または「楽観的三段
 論法」を自分の中で早々と確立してしまうからである。勿論見えないところでは悔
 し涙を流すかも知れないが・・・。
  そういえば「イチロー」も「新人安打記録」を数十年ぶりに塗り替えたとか。そ
 して新庄はもうメッツの4番として君臨しそうな雰囲気である。大魔神・佐々木も
 相変わらず好調だし、野茂も今シーズン、ノーヒットノーランを皮切りに復活。各
 人に共通しているのはやはり「楽しんでる」ということ。野茂についてはそれを超
 えて大リーガーとしての「風格」が出てきていると思う。
  人間というのは大きな舞台に出れば出るほど自分以上の力を出そうとしてしまう
 ものである。結局そのことで必要以上にプレッシャーを与えてしまい、いつもの半
 分の力も出せずに終わってしまう場合が多々ある。そこで必要となるのが「自分を
 知ること」である。つまり自分の力を冷静に分析する能力があるかどうかというこ
 とで、これが出来ないばっかりに「こんなはずじゃあ・・・」ということになる。
 自分もスポーツをやっているからわかるが、試合前の調子が妙にいいときがある。
 そんな時につい大きな事を言ってしまい、「有言不実行」となる人がどんなにいる
 ことか。そのイメージを持って試合に臨むことは重要だが、「調子がいい」ことと
 「実力」とは別物であることを理解していないと、いざ試合になりその調子が出な
 いとパニックに陥ってしまう。得てしてそれは自分に近い力若しくは以下の力を持
 った人間と対戦した場合に感じてしまう。面白いもので自分より実力が上の人間と
 対戦した場合は案外「調子がいい」のである。なぜなら後者の場合は「だめモト」
 という「楽観的三段論法」が無意識のうちに出来上がってるからである。
  高橋選手は大舞台に立つまでのプロセスを楽しみ、批判や中傷を応援に変え、さ
 らに本番では周りを意識せず「自分」と「やってきたこと」を信じ、大会に臨んで
 も普段と同じようにいつもの調子で、いや単に「好きだから走ってたら大会が来た
 」という感じで何事もなく受け止めているのであろう。勿論、「世界最高タイム」
 というしっかりした目標を設定し、一年というスパンの中で気持ちを切らずに「言
 っちゃたんだからしょうがない。やってみようか。」という決して悲壮感を漂わせ
 ることなく、それでいて強い精神力と忍耐力を持続させるような環境作りをした小
 出監督のサポートは特筆すべきものである。
  シドニー後に私の田舎での市民マラソン大会に招待された時の小出監督、高橋選
 手は本当に楽しそうだったことが昨日のように思い返される。あの笑顔がある限り
 今後も目標をクリアしていくのだろう。さあて、次なる目標は何かな?ますます楽
 しみなアスリートである。

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  ●海外進出と人材●<20001.09.27>
  最近のタイでの日本人求人欄に目を通してみると、やはり「プレス技術者」の求
 人が目立つ。それに続くのは「旋盤工」、新しいところでは「CAD/CAM技術
 者」等等。共通するのは職人が求められてるということ。タイでは理論を学ぶこと
 を重視してるようで、大学は出たけれど、実戦経験が全くない・・・しかし「学歴
 社会」だからそれなりの会社には勤めることは可能。日本はまず「もの作り」から
 スタートした国で、理論は後付だったので、どこの会社に行っても職人さんってい
 たと思う。タイの学歴社会では「職人さん=肉体労働者」だからあまり国としても
 重要視してこなかったんではないか。そのため、進出してきた外資は職人さんが欲
 しいんだけれどもなかなか人材がいない。そこで企業内で育成していくしかない・
 ・・しかし、日本の生粋の職人さんは年齢的なことを考えるとなかなか海外にはい
 けない。そこで目を付けられてるのが、定年退職者を好条件で誘致するという試み。
 まだまだ意気軒昂な職人さんを物色し、あの手この手で引っ張り込もうとしてるよ
 うだ。実はタイはもともと工芸等の職工さんが多い国だから、手先が器用な人は一
 杯いるけど、いかんせんそれだけでバンコクあたりで飯を食って行くのは厳しい。
 よって田舎から出てくることもなくひっそりと暮らしてる。外資もそういった地域
 に行って人材を探せばいいのだが、そういった地域に工場を建てることは、日本か
 ら出向する人の生活を考えると非常に難しい。そこで登場するのが現地慣れした「
 現地採用組」。しかしながら最近はその現地採用組もタイそのものではなくバンコ
 クのイメージで生活を考えてるから「バンコク以外はいや」という人間も多く、採
 用はするものの、結局は長くは持たないのが実状。こういったことも安易に海外進
 出を考えてはいけない理由の一つで、頭の痛いところ。結局出向者を破格の好条件
 で送り出し、その結果仕事に来ているのか、タイの物知り博士になろうとしてるの
 さっぱり分からない人達で歓楽街が賑わっていくのが実状。そういった意味では若
 いうちから出向させ、積極的に現地女性との結婚を奨励し、本人が望むならいつま
 でもタイに住まわせる某社の手法って言うのは一つの企業戦略と言えるかも知れな
 い。

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●宗教戦争と教育●<2001.09.24>
  今回のアメリカでのテロ事件を目の当たりにして思うのは、戦争っていうのはい
 つの時代も「宗教」が絡むんだということ。古くは十字軍のころから始まって、人
 々の後ろにあるのは常に宗教。今回もやり方はどうあれ、「イスラム原理主義」派
 の主張と、それを認められない大多数(と思う)の人達との攻防である。確かにや
 り方は「通常の」感覚の持ち主からすれば信じられないし、愚劣だし、卑怯である。
 では、そのことを彼らに認識させることは可能かといえば、恐らく不可能であろう。
 なぜなら彼らの主たる行動の中心は「神」だからである。日本のオウム真理教と同
 じで、なぜこういうことをしたのか、と彼らに問いただしたとしても彼らは「神の
 の指示にしたがった」だけであることを主張するだろう。世界には今回の件につい
 て「話合いで平和的解決を!」と声高に主張している個人及び団体が相当数いると
 思うが、さてそういった人達は「神の命」に従う彼らと冷静に話し合うことができ
 るのだろうか。少なくとも一部の幹部達とは話し合いが可能かもしれないが、その
 下の彼らを支持する一般庶民とは話し合いにならないのではないか。前者と後者の
 違いは「教育」である。前者は少なくとも高等教育を受け他文化との交流機会を持
 ったはずであるが、後者はその機会さえも与えられなかったはず。ちょうど太平洋
 戦争時の日本のように・・・。そこでは「天皇」が「神」であったように、彼らに
 は高等教育を受けた(敢えて言うが)偏見に満ちた一部指導者が「神」なのである。
 その一部指導者はどんなやり方であっても「正しい」ことなのである。
  私は宗教家ではないので間違った理解もあるかも知れないが、イスラム原理主義
 とは近代国家の否定をするものと理解している。であれば、彼らに問いたいのは(
 恐らく素晴らしい答えが返ってくると思うが)、

   1.今手にしてる武器は「近代国家」の産物ではないのか
  2.あなた方の思考の中心は「近代国家」の教育ではないのか
  3.世界に展開し、その生活様式は「近代国家」そのものではないのか

 といった彼らとは思考が若干異なる私なりの「矛盾点」である。話は戻るが、こう
 いった質問になんのためらいもなく相手を納得させられる答えが出来てこそ初めて
 彼らと対等に話し合いが出来るのでないか。尚、その応えの中に「神が与えた物」
 というような代用論をしてはいけない。
  もう一つ。もし今先進国というところに暮らしている我々が、彼らと同じ様な環
 境(土地、教育、物資等)で育っていたとしても、今と同じような生活を手にして
 いただろうかということ。疑問である。だからといって彼らを安易に認めることは
 必要ないが、そういった側面も考えなければいけないということである。
  幸い我々日本人は教育を受けている。教育を受けるということは何も物知りにな
 ったということではない。いろんな情報を基に自分の思考を整理し、人々の為に貢
 献するためにはどうするかを、自分の人生の中で考え実行していくための手段を選
   択していく能力を身に付けるということである。私もそうだが実際にはそこまで考
 えながら生きているわけではないが、仕事をし友人をつくり、話し、聞くことがな
 んらかの形で貢献しているのである。それともう一つ。教育を受ける機会があると
 いうことは「発言」する機会も同時にあるということである。一部指導者の基で貝
 のように押し黙ってる人たちにそういった機会をいかにして与えるかを真剣に考え
 実行していくことが所謂先進国のこれからの使命ではないのか。
  今回の事件は本当にごく一部の人達の欲と偏見の仕業かもしれない。もちろんそ
 れは現代法に照らし合わせると許されるものではない。しかしながら「宗教」とい
 うものが存在する限り、各々の「正義」の名の下にこういった悲劇は続くであろう。

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  ●システム考察●<2001.09.10>
  日本を離れてるから客観的にいろんな日本のニュースをみてるけど、最近はどう
 も非現実的な凶悪事件が多発してるようだ。それも全て「心理面」に関係してる事
 柄が多いような気がする。先日の教員による少女拉致事件もそうだけど、あまりに
 もひどすぎるし、劇画の中での話のようだ。子供達に夢と希望を与え、現実と立ち
 向かうことの厳しさを伝えることが本来の業である教員がこのようなことをしては
 絶対にいけない。勿論遺族には申し訳ないが、このようなことになった責任の一旦
 は親の方にもある。この事件をきっかけに文部省ではメンタル面をチェック及びケ
 アーするシステム作りを検討して行くそうだが、このことは大いに結構だと思うが
 問題はそのシステム作りに参画するメンバーである。今までのようになんでも知っ
 てるような顔でここぞとばかり登場する「識者」というよく判らない存在で固めて
 しまうのではないかという気がする。問題の本質はどこにあるのかを知るにはその
 問題の中に入って行く事が必要。つまり、今回の教員と同じような悩みを抱えてい
 るひと達に直接参画してもらうことが一番わかりやすいと思う。勿論「常識国・日
 本」では考えられない意見だろうが、間違って欲しくないのは最終的な目標は「ケ
 アーをすること」ではなく、そういった社会にならないようにするということ。日
 本はシステム作りについては後進国である。一世風靡した「ISO」もしかり。一
 時期は「ISO」を取得すれば品質が良くなると、本気で訴えてた勘違い経営者が
 案外多かったように、目的と手段を履き違えるところが多々ある。元来個人の力量
 に任せて来た国だから(教育の普及の効果であるがなんとも今回の事件を考えると
 皮肉なことか)、いざシステムを作り上げるとなるとそれはもう大騒ぎ。利害関係
 なくして成り立たないのである。今回のようになった背景にはいろんな要因がある
 と思うが、今一度教職にたつ者は人間を相手にした「聖職」なのだから、その意義
 を理解し、少々のことではへこたれない強い意志をもって望んで欲しいと思うし、
 親の保護が必要な子供達を送り出す親の方こそ最高の「教育者」であることを、今
 一度肝に銘じて欲しいと思う。

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●捏造事件???●<2001.09.04>
  北海道の某遺跡後でまたまた捏造事件があったようですね。以前も同様の事件が
 あったけど、どうも日本は中途半端な「結果主義」に陥ってるような気がする。お
 医者さんなんかも投与した薬の量で良し悪しが決められてるとか・・・。日本人の
 美徳の一つに「プロセスを大切にする」っていうことがあったと思うけど、いつの
 間にか忘れ去られて「結果が全て」なんて声高に言ってる人達が多い。それ自体は
 問題無いし特に企業にしてみれば利益を生み出すことが本質だから当たり前なんだ
 けど、問題は「頑張ればなんとかなった時代では無くなったということ。言い方は
 良くないけど昔は「体力勝負」でなんとかなったかもしれないけど、今は「頭脳」
 も必要。「体力」は自ずと身についてるものだし、大概は差が無い世界だと思うけ
 ど「頭脳」はそうもいかない部分があると思う。そういったことを踏まえて「結果
 が全て」という人と単純に自分の経験から言ってる人とでは人の躍らせ方が違う。
 今回の事件がそうだとは言わないけど、何か結果を出さないと評価されないという
 ことがプレッシャーになったように思う。僕のいる「製造業」も同じ。工場ってい
 かに多くの物を作りだして世に出していくかってことが一番大事だと思うけど、最
 近は「管理」業が主体になって来てる。結局コストダウンや改善活動に重点が置か
 れちゃってやれ発表会だなんだっていうことになって、1日の殆どをその資料作り
 に精を出してさらに発表のネタは前に使った結果に少し毛を生やしたようなもの。
 内容は日頃のほんのちょっとの成果発表でいいと思うけど、だんだん「発表会」が
 クローズアップされていつしか「発表のための発表」になってる世界って結構多い
 んじゃないかと思う。今回のような「学問・知識向上」に関する分野なんかはもっ
 と純粋に「ロマン」とかそういうものを追い求める世界になって欲しいと思う。

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