□top□桜咲くまで:1
2 3□雪の華□link□
□1-1□
今年春に入学した桜林高校付属の寮から校舎までの道を、同室の友人と肩を並べて歩いていると、彼女がふと問いかけた。
「池田さん。いいの、貴女」
きょとんとした顔をして、池田ミチルは彼女の横顔に視線を投げる。突然で、何のことだかわからないのだが、手塚シノブは続きを口にしようとはしない様子で「分からないならいい」と言わんばかりである。
「何でもないわ」
自ら放った台詞の意味を中途半端に濁そうとするのは珍しいことだった。この頭の良い友人は、先の先まで計算して行動することがすっかり身についているようだから。
『あれ』かなと、一つ思い当たる事を浮かべ、ミチルは首をひねる。自分自身でも忘れていた位、瑣末な事だが。────そういえばシノブはミチルの家の事情が会話に上ると普段より二割増、言葉が少なくなるなと思う。軽い揶揄をはさむ以外、無言で耳を傾ける彼女は、わからないように気を使っているのだろう。何だ、そんなことかと、ミチルはくすぐったい気持ちで、今しがたの騒動を思い出し口元を緩ませた。
実家から今朝電話があった。寝坊したミチルを置いて先に登校しようとしていたシノブがその電話に応対して、それから電話口で妹と何か会話を交わしたのかもしれない。アナウンスでミチルを呼びつけた時には「シスコン」なんて笑っていたのに。
「さっきの電話なら、正子はすねてるだけだからさ。もっと早く帰ってこれないのかって。友達連れてくのは、うちは大歓迎だよ。そういう家だし」
黙って自分の言葉を聞いているシノブの横顔を見て、こんな顔もいいなと頭の片隅でぼんやりと考える。
先日、冬休みに家に遊びに来いよと声をかけたら、彼女はあっさり承諾した。気が抜けるくらい簡単に。これで一緒に年が越せる。『ギリギリまで寮にいる、家には友達を連れて行く』という話を聞いた正子はへそを曲げていたが、あの電話でシノブが気を変えないように何でもないことを強調する。
ミチルは自分の生い立ちをシノブには喋っていた。血の繋がりはないこと、自分は彼らの家でもある寺の前に捨てられていたのを拾われ、そしてとても愛されて育ったこと、家を出たくてこの学校を選んだこと、早く一人前になろうと思っていること。妹は家を出たことをまだ反対していること。それから、自分の家族がとても好きなこと、シノブにも家族を紹介したいということ。
シノブは大人しく、その断片的な話に耳を傾けていた。あの時、不思議なほど素直な気持ちで自分の話をシノブに話し聞かせながら、とても幸せな気持ちで満たされていた気がする。が、「だから来年は一緒に初詣でも行こうね」と楽しそうな話題を振ろうとするも、
「貴女の言うことは信用できない。」
と心無い台詞が返されて、思わず言葉を飲み込んだ。
「でも、正子ちゃんは素直そうな妹でいいわね。」
大仰ににっこりとする嘘臭い笑顔をまともに受け、ミチルは複雑な気持ちで笑いを返す。好かれているという感触は確かにある。会話はとても楽しいし、「池田」から「ミチル」に呼び名が変わり始めて他愛無い話をすることが多くなった。もっとこの友人と仲良くなれたらいい。もっと多くの時間を過ごしたかった。
(まぁ、焦ってもしょうがないか。)
この春に知り合ったばかりの彼女のことをミチルはとても気に入っていた。その感情がどんな種類のものかもわかっている。今まで経験が浅く、また興味も薄かった自分はそのことについて、それ以上考えることをしていないが。
一方、浮かれているのかと思えば俯いて何か考え込む様子の隣人を、シノブは変わった生き物でも見るような目で一瞥した。
□1-2□
数週間後。頭上には眩しく晴れ上がった空が広がっている。青い空と白い雲のきれいなコントラスト。清らかな空気と、鳥の鳴き声が辺りをミチルたしていて────。
年の暮れをいく人達で混み合っていた山手線から、鶯谷で降りたのは二人だけだった。駅から見える生い茂った緑の木々を見上げて、目を細めている彼女の穏やかな顔に木漏れ日が注がれるのをミチルは幸せな気持ちで見ていた。
行こうと声をかけると、シノブが涼しい目線をこちらに向ける。
「家まではどのくらい?」
「十五分位歩くかな。別に歩けるでしょ、シノブは」
ちょっと坂があるけど、と肩の荷物を背負い直すと、
「池田さんは・・・・・・」
と、シノブが何かを言おうとしていた。言いかけた言葉の途中で、まだ『池田』かと顔をしかめたミチルの様子に気付いて笑っていた。
「あ。子供っぽいって思ってる」
笑った理由を指摘しもっと顔をしかめるミチルをなだめるように、『ミチル』はいい環境で育ったのねと、優しい微笑を覗かせて言う。うわー。シノブが優しい。恥ずかしい、恥ずかしい。と思って真下に俯くと、分かっていない様子のシノブが首を傾げて「どうかした」と聞いていた。
気恥ずかしい気持ちのまま改札を出たところで、
「体調でも悪いの。元気ないんだ」
迎えに来ていた正子にまで怪訝な顔をして迎えられた。
□1-3□
「どうしたんだい、何か元気ないねぇ」
と、久しぶりに家の敷居をまたいだ息子の背中を元気そうな母親はぱしんと叩いた。頭には三角巾を巻いて、手に持った竹ボウキを玄関に立てかけ、「アラ、あんた、ちょっと見ないうちにまた背が伸びたんじゃないの」だの「賢そうな友達だねー、礼儀正子しくて、美人で」だの賑やかしい。
元気が無い訳ではないものの、言い返す事が出来ず、ミチルは頭を掻く。
「いやー。寺の掃除してくるわ」
「その前にホラ、シノブさんにあがってもらって、お茶でも出して。」
母親のよく通る声を背中に浴びながら、正子と談笑しているシノブの手をひっぱって庭へ出ると、そのまま「はぁ〜。何だかな」とミチルは呟いた。
「変な子」 とシノブも呟く。
「聞こえるように言うなよ」
「聞こえるように言ったけど?」
顔を見合わせて笑っていると、ぱしゃり、と背後から頭に何かが命中した。
「痛ってぇー!────ふがっ」
振り返りざま、今度はハタキで顔面を叩かれる。
「こら!何、シノブさんにいちゃもんつけて」
今日はよく叩かれる日だ。目の前で仁王立ちしている正子に、違う違うと弁明をするが耳を傾けてもらえる様子もない。
「あ、正子ちゃん。掃除手伝うね。」
「すみません」
シノブに声をかけられ親しげに会話をする妹は、ミチルをもう一度見て、「ミチルも掃除して」 と怒ったように声をかけた。
□1-4□
シノブは本当はミチルの名前はできれば呼びたくなかった。その時、ミチルが嬉しそうに目を輝かせるのがとても、とても嫌だった。もうちょっと隠せばいいのにと思っても、むき出しの好意で懐かれるから嫌だった。
(恥ずかしい)
自分ばかりが恥ずかしいと思っているのは不公平だから、少しは懲りるようにと、ありえないほど素直に名前で呼んでやったら毒気の抜かれた顔をしていた。それで清々しい気持ちが味わえるだろうと思ったのに、やっぱり自分も恥ずかしかった。
彼女も自分もつまらないことでムキになりすぎだと思う。
シノブはこの友人へのいれこみようを認識させられて、気が重いなと考える。手にした竹ボウキの先に意識を集中させて、むしった雑草や落ち葉を掃いた。
寺育ちの彼女は慣れた様子でせっせと集めた雑草を大きなゴミ袋へかき入れている。
(頭に落ち葉ついてる────)
年末はいつも家族総出で大掃除をすると言っていたような、と思いを巡らせているうちに、無意識にその様子を見つめていたらしい。ミチルがふっと顔を上げ、シノブを見た。
不意をついて目が合ったので言葉を失くしていると、彼女はニヤリと笑い、「勝った」と宣言する。
(・・・・・・・・・子供)
久しぶりに帰ってきた姉を独占できないのが嫌なのだろう、妹が「何を馬鹿やってんだよ」とミチルをかまう様子をぼんやり見ているとしばらくして、少し困ったような顔でミチルが立ち上がり近寄ってきた。
「ごめんね、こき使って」
不器用なのか器用なのか分からない人だ。これは、こいつの妹に妬まれるかなと考えながら、「構わないわ、全然」と笑い返す。
□1-5□
でれでれと笑っているミチルの真横で、「シノブさんに甘い」と、正子が唸るように言った。
何だよ、シノブの味方なんじゃないのか、こいつは。と妹を振り返ると、「久しぶりに帰ってきたと思ったのに、シノブさんとばっかり話してる。」
ボソボソとぼやく。
「正子」
ミチルは困ってしまって言葉に詰まった。自分の育った家にシノブがいると思うと、くすぐったい気持ちになってしまうんだから仕方がない。こんなことを言ったらさらに正子の機嫌を損ねそうだが、何と言ったらいいものやら。
シノブは面白そうにただ二人の様子を見物している。
(てっめぇー、助けろよ)
心の中で罵りながら視線を向けると、誰が?と言わんばかりに口の端を吊り上げ、
「それじゃ私は道路の方を掃いてくる。庭は片付いたし────これで、」
と言って、手を伸ばしてミチルのこめかみ辺りで何かを掴んだ。思いがけず髪の毛をかすめた指が、落ち葉を落とす。
「全部きれいになった」
形良い唇を意地悪く曲げて、くるりと背を向けて行ってしまった。
「・・・・・・シノブさんて大人っぽいな」
正子がそんな感想を漏らす。
「そーか?」
口を尖らせて反論しようとするミチルに、
「ミチルが子供っぽいってゆーか。」
正子も口を尖らせてそっぽを向いた。まだ機嫌は悪いようだ。
正子といいシノブといい、扱いが難しいんだよなと思いながら、ミチルは持っていたゴミ袋を抱えてクスンと鼻を鳴らした。
(こんなにも好きなのになー。)
遠くから二人の様子を見ているシノブは、助け船を出す気配もなく、目が合うと笑みを浮かべる。
好かれているという感触は確かにあるのだが。
(好かれている相手の人間性に問題があるんだな、きっと。)
ミチルはとても口には出せないようなことを思い、ゴミ袋に回した腕に力を込めた。
□1-6□
誰かを好きになること自体は幸せなことだ。
その事で、それに付随する雑多な感情に振り回されて疲れるとしても、甘んじて受けていこうと決めていた。
人を好きになったと気付いた時にそう決めた。
だって彼女らを好きになったと気付いた時────自分が生まれてきたことに意味がなくても、どんな人間なのか分からなくても構わないと思えたのだ。
どんなことも気にならないし越えていける。
怖いものなんて無いんだと、そして、自分はその人たちをただ好きでいると、そう決めた。
新しくまた一人、好きだと思える人間に出会ったばかりだった自分は、人を好きな気持ちがどんなものかそう深くは知らないまま、好きでいることがごく当たり前に平気でまっとうできるつもりでいた。
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