2003年05月16日 23時07分43秒

2003年05月16日 23時06分16秒

歩き続けるということ

You can reach the top of any mountain

if you walk step by step.

You don't have to walk fast.

You only have to keep walking.

There's no shortcut, no givinig up.



人は一歩一歩着実に歩くなら

どんな山の頂上にもたどり着くことができます。

速く歩く必要はありません。

ただ歩き続けさえすればよいのです。

近道はありませんし、あきらめもありません。


(2001/12/9)



好き…


なんだか胸がドキドキする・・・。

そっか・・・。

これが人間達が言っていた「恋」っていうものなんだな?!

なんだか変な気持ち。

痛くて苦しくて

それでいて何となく温かくなるような 不思議な感覚。

・・・ああ、生まれてきて良かった・・・。


(12月)


2001年12月13日 08時18分56秒

今宵は獅子座流星群


私は流れる星達に向かって何を願おう…?


私が愛した人たちの幸せ


私を愛してくれた人たちの幸せ


私が傷つけた人たちへの許し





どうか星達、私の願いを聞き入れて下さい


私のことなどどうでもいいのです


私の愛する人たち 私を愛してくれた人たちを


幸せにして下さい





そして私のことを少しだけ願うとすれば


私の傷つけた彼らが 私のことを許してくれることを…

(2001/11/18)

2001年12月13日 08時18分15秒

心が敏感になっていた。たくさんの人たちを傷つけた。私の大事な人を含めて…。でも、どうすれば良かったのだろう。自殺も考えた。だが、今日までこうしてのほほんと生きている。今ある状況すべてを受け入れて生活しようかとも思った。あるいは心を閉じて生物としての命を長らえようかとも思った。時間を巻き戻すことはできない。後悔はしない主義だったが、主義だけで後悔しないわけではないことを思い知らされた。眠りは奪われた。酒を買ってみた。睡眠薬を買おうかとも思った。でも、貧乏人の私にはそんな金すら残ってはいなかった。全てをぶち壊してしまいたかった。いいや、私自身を粉々に打ち砕いてしまいたかった。しかし、それもかなわぬ事。精神は疲弊し、心は病んだ。周りに見えるすべてのものが羨ましく、妬ましく、そして醜かった。病んだ心は血を流し始めた。流れ出る血を見つめ、そのことによってまだ自分が生物的な命だけではなく人としての命を持ち続けていることを理解した。(11月)

頑張れひよこたち
これから寒い季節がやってきます。生きものにとって(もちろん私たちにとっても)きびしい季節です。そういえば、冬に生まれたひよこたちは夏に生まれたひよこたちに比べて(生命力が)強いといわれています。逆境の中を生まれてくる子供たちへのご褒美なのかもしれません。ひよこは卵の殻を破ってこの世に出てくるわけですが、この「殻を破る」という作業はこれからきびしい自然と闘って生きていかなければならないひよこたちにとって、重要な仕事なのだそうです。もしここで誰かが手を貸してしまうと、生まれてきたひよこは極端に自然(生活)に対する適応力が弱くなってしまうというのです。このことは私たちにもいろいろなことを教えてくれるような気がします。時に私たちは、「お手伝い」の名目で「おせっかい」を焼いてしまうことがあるかもしれません。手をかけすぎたばかりに、かえってその人の成長の足を引っ張ってしまうこと、気をつけたいものです。人間誰しも自分の力で乗り越えなければならないもの、自分一人で決定しなければならないことがあるものです。卵の殻を破って出てこようとする人への「お手伝い」、それは暖かくて力強い励ましと応援なのかもしれませんね。(11月)

懸賞サイト?それとも出会いサイト?
先日初めてオフ会なるものに行ってきました。その中で、「キューブくんを始めるきっかけは?」という話題になった時、ほとんどの方が「懸賞につられて(笑)。」というお答えでした(かく言う私もそうなんですが・・・汗)。ところが今でもキューブくんの懸賞キャンペーンは続いているにもかかわらず、今はもう懸賞に応募していらっしゃらないという方も多いようでした(かく言う私もそうです・・・爆)。それではなぜ今でもキューブくんにはまっているのかと言えば、これはもうここで出会った方々とのお付き合いそのものにはまっているとしか言いよがないようです。人間て面白いなぁ〜と私はここで思ったわけです。最初は”物”でつられたのですが、やはり物だけでは人の心を掴み続けておくことはできないのかも・・・(もちろん物だけで動く人間がいることも否定しないですが・・・汗)。人の行動はその方の価値観が最もよく表れる分野の一つだと思います。食べるために働くのか、働くために食べるのかというのは昔からよく言われてきたことなのですが、少なくとも物のために動くよりは人とのつながりのために動きたいなぁ〜などと思う今日この頃です(笑)。(2001/10/20)

はじめての町 −茨城のり子−


はじめての町に入っていくとき わたしの心はかすかにときめく

そば屋があって 寿司屋があって デニムのズボンがぶらさがり

砂ぼこりがあって 自転車がのりすてられてあって 変りばえのしない町
 
それでもわたしは十分ときめく

見なれぬ山が迫ってきて 見なれぬ川が流れていて いくつかの伝説が眠っている

わたしはすぐにそれを見つけてしまう

その町のほくろを その町の秘密を その町の悲鳴を

はじめての町に入っていくとき わたしはポケットに手を入れて

風来坊のように歩く たとえ用事でやってきてもさ

お天気の日なら 町の空には きれいないろの淡い風船が漂う

その町の人たちは気づかないけれど はじめてやってきたわたしにはよく見える

なぜって あれは その町に生まれ その町に育ち けれど

遠くで死ななければならなかった者たちの 魂なのだ

そそくさと流れていったのは 遠くに嫁いだ女のひとりが

ふるさとをなつかしむあまり 遊びにやってきたのだ 魂だけで うかうかと

そうしてわたしは好きになる 日本のささやかな町たちを

水のきれいな町 ちゃちな町 とろろ汁のおいしい町 がんこな町 雪深い町 菜の花にかこまれた町

目をつりあげた町 海のみえる町 男どものいばる町 女たちのはりきる町


(2001/6/5)

光について
コミュニティ「詩語録」では、現在“色”をテ−マにした様々な作品(詩)が載せられています。ところで、私たちが普段何気なく使う「これって○○色だよね。」という言葉が正確な表現ではないことは、多くの方々もご存じでしょう。すべての物には本当のところ、色はついていないのです。ではなぜ、私たちには色が見えるのでしょうか?それは物に光が当たったとき、その物が、ある波長の光を反射するからなのです。例えばある物が「白く」見える場合その物は当たった光のたくさんの波長を反射するので「白く」見えますし、「黒く」見えるものはほとんどの光の波長を吸収してしまうので「黒く」見えるわけです。他の色についても同様に、ある種類の波長を反射するので「赤く」見えたり、「青く」見えたりするわけです(これらの表現も厳密には間違いかもしれないですが…汗)。人にも光を当てるなら、もしかするとまた違った色を見せてくれる方もおられるかもしれませんね。ある人には「色がない」と感じられるなら、私たちは別の光を照らしてあげることもできるかもしれません。光について考えると「今見えているものが全てではない」と教えられるような気がします。(2001/5/31)

対峙


ひりひり じりじり するような

暖かさ 冷たさ 重さ 軽さ 熱愛 憎悪

混沌が私を飲み込むとしても

鋭いものが私を抉ろうとも

何者かが私の存在を抹殺しようとも

反吐の中で転げ回ろうとも

太陽の炎熱に犯されようとも

それが自分と向き合うことであるならば

私はそれをやめたりはしない

(2001/6月)


大人


小学1.2年生の頃、6年生がとても大人に見えた。


小学6年生になると、中学生や高校生が大人に見えた。


高校生の時、社会人が大人に見えた。


大人と呼ばれるようになった今、あなたには誰が大人に見えますか。


(2001/6月)

生かすということ
部屋の掃除をしていると「あっ、こんなにいらないものが・・・」と感じることがあるかもしれません。特に「私って何でもとっておく質(たち)なのよ」とおっしゃる方であればなおさらでしょう。確かに捨てなければ片づかない、でも捨てるのはもったいない(もしかしたらいつか使えるかもしれない)というジレンマ(笑)は、どなたにも経験のあることではないでしょうか。ところで、ことが物であればいったん捨ててしまっても「あっ、やっぱり必要だからまた買わなきゃ!」で済むかもしれませんが、例えばもっと別のもの−人であるとか、内面的な特質−であればそういう訳にもいきません。世の中不況でリストラが進んでいる現在、「人を捨てる」ことは例えとしてではなく大きな社会問題でしょうし、親である方は、子供に生来備わっている良い特質を見過ごして、競争社会で生き抜いていくための力を身に付けさせようとの良い動機から、ある弊害には目をつぶって子育てをしていらっしゃるかもしれません。さて、ここが思案のしどころです。あなたは雇用主ですか、親ですか。では、(雇用者や子供に対してではなく)自分に対して後悔のない生き方をしていらっしゃいますか。
(2001/5/27)

幸せの原点
♪幸せ〜ってなんだっけ、なんだっけ、ぽ○ずしょうゆのある家さ!と明石家さんまが歌っていましたが、おそらく生きている人すべてにとって共通の願いは“幸せになりたい”ということではないでしょうか。ところが「ではあなたにとっての幸せって何ですか?」という質問となると、この答えはもう千差万別と言わざるを得ません。ですが本当に“人間にとっての幸せ”とは人それぞれで違ってくるものなのでしょうか。多くの方に「幸せになるためには何が必要だと思われますか?」と尋ねるとおそらくお金、健康、親しい友人(または家族や恋人)etcという答えが返ってくることでしょう。それはそれでそういうものかもしれません。ですがより大切なのは「なぜ、そういったものが幸せになるために必要なのか?」という質問に対する答えではないでしょうか。なぜ(why)という質問は5W1Hの中で唯一、“事実”を引き出すだけではなく“理由”をも引き出すことのできる特別な質問です。何が必要かという「方法論」は確かに大切ですが、方法に固執するあまり理由を見失ってしまっては元も子もありません。時には原点に立ち返って“なぜ”と自分に問うてみるのもいいのではないでしょうか。
(2001/5/13)

消極的な引き算
白くて大きな紙に、一つの小さな黒い点を付けてその紙を見せながら「あなたには、ここに何が見えますか?」と尋ねると多くの人が(むろん聞き方にもよるのでしょうが)「黒い点が見える!」と答えるそうです。ですがよくよく考えてみますと「白い紙が見える!」というのも一つの答えではないでしょうか。真っ白なものの中に、少しの汚れがあるととても目立つものです。ところが事実は、依然として大部分が真っ白であることに代わりはないのではありませんか。私たちが何かを見つめるとき一つの基準から、いわば引き算していって「ここもダメだ!あそこも足りない!」というでしょうか。もちろんそういう評価の仕方も一つの方法でしょう。ですが同じ引き算をするなら「まだここにもいいことがある!ここにもいいものが残ってる!」というのも評価の仕方としてはあると思われませんか。とりわけ自分を見つめるとき「消極的な引き算」でものを見てしまうと、これほど疲れることはありません。人をけなす人は嫌われますが、自分を傷つけることを美徳だというのはどこか間違っているのでは・・・とは思われませんか?(2001/5/10)

良い人間関係は「育む」もの!?
目と目で通じ合う関係−自分が言いたいことを言わなくても理解してくれる人−を多くの人々は望んでいるかもしれません。確かに、そんな人と出会えたらすばらしいかもしれませんね。実際に年輩のご夫婦の中には、そんな素敵な関係を育まれていらっしゃる方々もおられます。ですがここで考えなければならないのは「育む」ということではないしょうか。屋久島には有名な屋久杉と呼ばれる木があります。樹齢何百年にも達するといわれるその木は、確かに一日一日の積み重ねが大切であることを私たちに教えてくれます。木が生長するためには長い年月とともによい環境(例えば質の良い土壌であるとか水であるとか・・・)が大切であるのは言うまでもありません。私たちが育みたいと願っている、良い人間関係にも同様のことが言えるかもしれません。一朝一夕に手に入るものであれば、多くの人々がこのことにそれほど頭を悩ませる必要などなかったはずです。もしご自分で木を育てようと思われるのであれば、根気の良い世話が必要でしょう。良い人間関係を育む上でも長い年月とよい環境、そして根気の良い世話がキーワードになるのかもしれませんね。(2001/5/6)

「何でも話せる友人」それとも「いつでも切れる関係」?
ネット上は非常にバーチャルな世界と言えるでしょう。いつもとは違う環境(つまり相手の顔が見えない、または相手を直接には知らない)の中で自分を表現する訳です。ある調査によると、出会い系・メル友募集サイト利用者のうち、そうしたサイトがきっかけで知り合った友達・恋人の人数は、 0人とするユーザーが4割近くを占める一方で、21人以上とするユーザーが3%もいたとのことです。さらに、知り合った友人・恋人がいるとしたユーザーに、サイトがきっかけで仲良くなった人に実際に会いたいか、と聞いたところ「実際に会った事がある」としたユーザーは3割を超え、「積極的に会っている」としたユーザーも1割を超えているそうです。ネット利用によって友人関係・恋人関係が手軽(?)に手に入るようになっている一方で、それに絡んだ事件も続々増えている今日この頃。知り合った友人・恋人を「良い友人」「何でも話せる友人」とする人が多いなかで、「ただのメル友」「いつでも切れる関係」と割り切った答えも聞かれている様子ですから、単に自分の寂しさをネットで紛らわすのは、後々大きな傷を負いかねないかもしれません。もちろん私はネット上で知り合ったどんな方にたいしても、自分自身、責任を持って接していきたいと思っていますがみなさんはいかがでしょうか。(2001/5/3)

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