私の日記です

横浜の風土と横浜ベイスターズ
昭和40年代、二つの歌謡曲によって横浜のイメージは国民の間に定着した。40年代の前半にはいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」でが大ヒットし、後半には五木ひろしの「よこはま・たそがれ」が大いに流行った。子供心におしゃれで上品な町という印象を受けた。東京のような日本の首都としての気負いや重圧は、横浜にはない。東京に近くて便利であり、かといってベッドタウンではなく、歴史的には港を介した異国情緒にあふれた都会だ。産業も発達しており、横浜市に本社を置く大企業も多い。こんな町に住む人は、郷土・横浜に対してどのような思いを抱いて生活しているのだろうか。そして横浜ベイスターズという郷土を代表するプロ野球チームは、彼らにとってどのように意味付けられているのだろうか。
2002年06月02日 22時51分54秒

大麒麟将能
野球の話題からはそれるのだが、相撲は大麒麟のファンだった。初めは麒麟児というしこ名だった。その変わった名前にひかれた。勝者を意味する電光掲示板のランプが連日ついていて、どんな力士だろうかと中学生の私は関心を抱いた。体全体がくにゃくにゃしたイメージがあり、かっこいいとはいえないのだが、なぜかひかれていった。一気に関脇に昇進し、いよいよ大関確実と思われた矢先、千秋楽で海の山にけたぐりで敗れた。以後、大関のチャンスは何度かあったのだが、肝心の時に緊張して実力が発揮できず、関脇・小結にとどまっていた。解説の神風さんはいつも彼の能力を絶賛してくれていた。精神面からチャンスに弱いと言われ続けたが、大麒麟としこ名を替えてから安定した実力を発揮できるようになった。若い頃はうっちゃりが得意で、柏戸を倒したりもしたが、大関になってからは釣り出しが多かったように思う。大麒麟が引退した後、今に至るまで誰のファンでもない。強いて言えば、演歌の増位山が好きだった。今でも時々増位山のCDを聞いている。どの歌も好きだが、軽快なリズムで札幌、東京、大阪、博多の地名が出てくる「そんなナイトパブ」が特に好きだ。
2002年05月30日 01時01分51秒

強すぎる巨人に飽きる
巨人9連覇の後半は圧倒的に強すぎて、相手チームに同情せざるを得なくなっていた。日本シリーズが特に悲惨だった。パリーグのチームは萎縮してしまい、大切な場面では催眠術にかかったように必ず巨人にやられた。阪急の山田が王に打たれたさよならホームランのシーンがよく再現放映されるが、あの時私は必ず王に打たれるという確信をもってテレビを見ていた。そしてその通りになった。巨人ファンなのに全然うれしくなかった。その頃、大洋の平松が巨人キラーとして登場した。
2002年05月29日 21時33分35秒

巨人V9前半
小学生時代は王貞治のファンだった。王選手以外には柴田選手の人気が高かった。長嶋は人気がなかった。私より明らかに年下のタレントが、テレビで子供の頃から長嶋のファンだったとかしゃべるシーンをよく見るが、誠に腑に落ちない。だれもが「王貞治」のサインをまねして書いた。12色の色鉛筆の蓋には王選手の写真が印刷されていた。試験管がグルグル回るリポビタンDのコマーシャルで、王選手がカキーンという音を残してバット振り抜くシーンは快感だった。
2002年05月27日 23時55分41秒

クラレ岡山と日本石油
平松が日本石油で活躍していることは新聞でよく知っていた。当時、岡山にはクラレ岡山というノンプロチームがあり、中国ブロックで無敵だった。都市対抗の初戦で両チームがぶつかり日本石油が勝った。平松のファンとしては嬉しかったが、郷土の代表が破れたことは残念だった。あのときクラレ岡山が日本石油とあたらなければ、かなり勝ち進んでいただろう。後に野球部が廃部になることもなかったのではと思ったりもする。
2002年05月26日 05時07分55秒

岡山東商、再試合で日大三高に破れる
選抜を制し、続く夏の選手権大会に出場した岡山東商は、東京代表の日大三高と初戦で対戦した。小刻みに得点し途中までリードしていたが、土砂降りの雨でゲームは中止になった。再試合になった翌日は、あいにく夏休みの登校日だった。戦況が気になり、学校が終わって家まで走って帰ったが、すでに敗退していた。
2002年05月26日 03時57分07秒

岡山東商の全国制覇
昭和40年、春の選抜を制したのは平松政次を擁する岡山東商だった。優勝パレードを見るため岡山駅から1キロほど下った城下交差点で待っていたが、いつまでたってもやって来なかった。駅前商店街でもみくちゃにされ、パレードが中止になったそうだ。優勝メダルがなくなったりしたらしい。日を改めてパレードが行われたが、静かなパレードだった。野球に夢中だった私にとって、平松投手は英雄になった。
2002年05月26日 03時41分58秒

野球少年
小学校三年生の時、体育の授業でソフトボールを教わった。ベースに到達すればセーフ。ホームに突入すれば点が入る。自分の体ごとゲームの素材になるという面白さ。その頃好きだった「肉弾」という遊びに似た感覚だった。いきなり野球少年になった。
2002年05月25日 20時51分58秒


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