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【2月7日(日)】
年末年始は引きこもっておった。年少の身内の者の都合で動けなかったのだ。
新年の挨拶を書いとこと思ってる間に、センター入試などの季節になり、あっという間に今日に至った、という感じがいちばんぴったりする。
昨日「みすず」という出版社のPR誌を買った。以前はタダでくれてたものだが、本屋のほうも余裕はないのだ。万年不景気という印象を受ける。店員の明るい表情に出会ったことがない。本屋の親会社のボーナスがゼロという新聞記事が昨年末に出たものである。社長も交代した。いずれかなりのリストラをすることになるだろうとも書いてあった。
親会社は地場の老舗百貨店であるが、たとえば松本清張に『球形の荒野』上下(文春文庫)という長篇ミステリーがあって、登場人物のひとりにこのデパートの名前がつけられておる。清張という人の小説を読んでると、ふつうに土地勘のある者はこういう傾向に気づくことであると思う。
清張といえば昨年から「週刊松本清張」(デアゴスティーニ)という雑誌が全13冊で出たが、今日現在、最終巻だけが手に入らない。ほかの巻はかなり売れ残っているのに最終巻だけ品切れなのか、とにかく店に置いてない。非常にいいかげんな感じがする。
で、この月の「みすず」の毎年の特集は読書アンケートであるが、これがまた悩ましい。うまいそそるような推薦文をみんなよく書くものだ。
川本隆史さんの今年のオススメもむろん拝読したが、その中でリフトンという人の『ヒロシマを行き抜く』上下(岩波現代文庫)というのをたまたまわたしも買っていた。わたしは、この本がすでに朝日新聞社からずいぶん前に出ていたことを知らなかった。しかも、このたびの岩波現代文庫版では後半の一部がカットされてるという。
それでもわたしにとっては、巻末の人名索引をずっと見ていて沸き起こってくる気持ちをまとめることはできない。同じく巻末の解説もわたしはいいと思った。
なお、川本さんは、復刊にあたり旧題「死の内の生命」を変えたことに「強い疑義が残る」と言っている。
本を薦める川本さんのおっかけでありたいが、残念ながらというか当然ながら、とても追いつかない。だが、わたし程度の者が追いついてしまうような人、そういう人には興味がない。本の推薦などというものはそういうふうに受けとめるべきものだと思う。
川西政明という人が『新・日本文壇史』(岩波書店)というのを出し始めた。全10巻の予定だそうである。また、「3年がかりで書き下ろしていく予定」(「朝日新聞」2月3日)だそうである。
わたしはかつて伊藤整と瀬沼茂樹の『日本文壇史』全24巻(講談社)を愛読したものである。
川西という人の本はこれを引き継ぐものであるという。
中道に倒れた伊藤から引き継いだ瀬沼による最終巻は「ここに、敏が去り、漱石が逝き、鴎外が筆を絶ち、明治は名実共に終わった」という一文でしめくくられている。
川西の本は「明治という時代を生きた文豪夏目漱石は、今、死の床についていた」をもって始まる。
伊藤・瀬沼の本には、後に『日本文壇史総索引』(講談社文芸文庫)という便利な本が作られた。川西の本のあとにもこういうものが付けられるのだろうか。
【4月11日(日)】
2月の中旬、わたしは4日間入院した。
と、これだけを書きっぱなしにしておくと余計な心配をかけたりいらぬ憶測を生みかねないからイキサツを説明しておこう。
今となってはもうどうでもいいような話だ、という言い方で結論が出ている。
わたしの人生において4日間どころか入院じたいが始めてのことだったのだけれども、それにしては結局はやや冗談みたいな部分もあるような話でもあった。
職場の同僚とたまにマージャンをやり、さらにたまに帰りにちょっとひっかけるというのが土曜日の夜のすごし方のひとつであったが、その日もマージャンのあと近くのヤキトリ屋でビールを飲みはじめた。
少し経って異様に気分が悪くなり2度目に店内のトイレに行こうとしてなぜか朦朧となり途中で転倒したのである。
この朦朧となり、というのが周囲の者を不思議がらせた結果、救急車がよばれた。救急車も初体験なり。
入院して検査をひととおりやってもらったが、ついにこれだという原因は発見できなかったのである。
転んだとき頭を打ったから断層写真を撮ったけど異常なし。前からよくないと言われていた胆のうも調べたが異常なし。胆のうが異常なしと言われたのには少し驚いた。わたしの胆のうはもう機能していないものと思い込んでいたからである。左耳が聞こえにくいと少し前から感じていたので、どうせついでだから調べてもらったが、異常なし。それどころか、耳掃除のやりすぎで皮膚がこすれて赤くなっていると言われた。
これらが入院中の検査の結果であった。
しかしこれではおかしい、なぜひっくり返ったのかが分からない。
わたしの推測はこうだ。マージャンで長時間座り続けたこと、その間タバコを吸いっぱなしであったこと、さらに便秘気味であったこと、酒を飲まなくてもクラッとするような条件がそろっていたのである。ただ普通なら座り込むくらいでおさまるところが派手なパフォーマンスになったというわけである。
おかげというべきであろう、わたしはこの入院した日からタバコを完全にやめた。以来、2ヶ月ちかくになる。ガムを噛み、飴玉をしゃぶる日々。周囲の者は疑っているがこんなことでウソをついても何の意味もない。*十年間、風邪をひいたときに本数を減らしこそすれ1本も吸わない日などなかったはずである。
退院して最初の休みの日、沈丁花を2本買った。1本700円なり。廊下みたいな、というと廊下が怒るくらいの庭に植えた。初春のありふれた花のなかではこの沈丁花が一番いい。事故の1ヶ月後、久しぶりにマージャンをやった。いったい何の功徳か、親で四暗刻をつもった。
3月になって、身内の年少の者が上の者と同じ学校に入学したが、当の上の者は予備校に通い始めた。
4月から朝日新聞が「ゼロ年代の50冊」という読書シリーズを始めた。2000〜2009のベスト5をあげよ、というアンケートにK・Tさんも回答されたとのこと。
K・Tさんがあげられたというベスト5のひとつに藤田省三という人の『精神史的考察』(平凡社ライブラリー、平凡社、二〇〇三年)というのがあったそうなので本棚をさんざん探したがついに見つからなかった。これはずいぶん前、選書で出ていたもので、わたしはそれを探したが、ライブラリーに入ったのがゼロ年代、ということだ。
また、田川建三という人の『新約聖書 訳と註 第一巻 マルコ福音書/マタイ福音書』(作品社)というのもあげられている。
藤田という人の本を探しているときこの田川という人の本にも出会った。『イエスという男』(三一書房)というのとか『宗教とは何か』(大和書房)というのとかのかなり前のものだが、ところどころ線を引いたとこがあるというだけのことだ。
さて、K・Tさんがこのたびあげている『新約聖書 訳と註 1』(作品社)というのをわたしは買ってみた。
巻末の凡例を見るとわたしも持っている岩波訳が「岩波訳の福音書の巻は、正直なところ、ひどいものである」と批判されている。「文字通りあきれるほど大量にある珍訳」とか「手習いの習作版」とも言われている。
田川という人の本は大部でわたしにとっては高価だが、岩波の倍ちょっとの値段で頁数は3倍をはるかに超えているから良心的なのかもしれない。
それにしても岩波訳批判は面白かった。ほかならぬ聖書をめぐってこういう批判のあるとこがさらにいい。ボロクソに言われている岩波の訳の責任編集者のひとりは荒井献という人である。以前この「覚書」にも出てきた人であり単に紙の上でのこととはいえ奇妙な縁を感じた。
「ゼロ年代の50冊」というのを知って、その時たまたま読んでいた松本清張という人の『神々の乱心』というのの奥付を見ると(文春文庫、上下)、2000年1月10日第1刷とあった。早生まれとか遅生まれとかいう言葉を思い出した。
【10月12日(火)】
4月下旬の快晴の休日、今年も下関のH先生にお会いできた。昨年と同じように、K・T君の企画。感謝。
H先生、U君、K・T君ご夫妻、山口からのK君と私の6名は、八幡のN君のお店にお邪魔し昼食をご馳走になった。N君とは高校卒業以来。
移動してJR小倉駅の前で解散したが、それまで近くの居酒屋で飲んでおった。注文した、サバのぬか味噌だきがパサパサしていて、めったに訪れないだろう人たちに、これが当地の名物かと思われても残念だなどと後悔なぞしたことを覚えている。
U君から今年もタケノコをもらい、おいしくいただいた。
H先生やN君の近くに住んでいながら、ずっと会わずにとても長い時間が過ぎた。去年とか今年とかに会えたのもほんの偶然のことで、K・T君などのおかげだ。
私は人生においてとても大事な新しい時間をもらったと感じているので、今度は、H先生やN君のとこへ酒瓶を提げて出向きでもしてみようか。
この前の金曜日の夜、ショパンを聴きにいった。8月の終わりにもピアノを聴きにいったし、ピアノを修行中の初心者としては悪くない体験だ。いつも言っているように、こういう場所では私は必ず寝ていたものである。クラシック音楽とは無縁の衆生なり、だった。
最近、崔善愛という人が『ショパン』(岩波ジュニア新書)という本を出した。
今年はショパン生誕200年。亡くなったのは10月17日だったそうだけど。39歳。
私は、昨年の秋、たまたまこの崔善愛という人のピアノを聴く機会があった。崔さんはむろんショパンを弾いた。
在日韓国人の崔さんは、学生のとき指紋押捺を拒否し裁判を闘った人である。崔さんの本の副題には、シューマンがショパンの音楽を評したという「花束の中に隠された大砲」という句がつけられている。
ここで私のピアノの現状を述べるのは厚顔無恥のそしりを免れぬところだけれど、バイエルもようやく100番に到達し、あと数曲を残すとこまで来た。身内の者はしきりにセンセイが甘い、という。私は聞こえないフリをしている。
8月のはじめ、センセイのすすめで、バッハの小曲集の楽譜を買った。で、例の平均律クラヴィーア曲集の第1巻の第1曲目のプレリュードのハ長調の練習を始めた。この曲だったら、今の腕前でもなんとかなる、というのがセンセイの言なり。
かつて聴いたことのあるバッハが自分にも弾けるというので意気込んだが、バイエルで手一杯というところ。ゆっくり練習します。
手持ちのグールドという人やグルダという人の平均律のCDを聴いて遠くを眺めている今日このごろ。
10月1日よりタバコ大幅値上げ。私は、2月にタバコをやめた。先見の明があった、と感じたのは、私の短くはない人生ではじめてのことだった。
【1月9日(日)】
ご覧になっている(少数の)皆さま。あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
昨年2月にタバコをやめて、以来、今日まで1本も吸わず。新しく始めたことで、週1回程度のウォーキングあり。週1なので体重が減るというところまでの効果はないわけね。1回の目標は1万歩。往復10キロ近くになることもあり。
職場には、24時間100キロウォークの経験者が複数いるから、ウォーキングを始めたなどということは話題にもならぬが、わたしにとってはまちがいなく昨年の(生涯の)重大ニュース。
やはりタバコをやめたこととセットのものだろうと思う。
徒歩ではなく車で通勤しているが、職場までのコースに信号がひとつもなし。昨年の秋、信号ができました。重大ニュースに数えておこう。信号ができた場所が想定外だった。
バイエルはあと2曲というところで年末を迎えた。で、終了は今年に持ち越し。数日前ピアノ始め。昨年内でバイエルが終わっていればまちがいなく重大ニュースだった。
昨年6月のワールドカップ。テレビでアルゼンチンのメッシを観たこと。日本のベスト16などよりまちがいなく昨年の重大ニュース。ただ観るだけで無条件に幸福になれることなどめったにないから、最近は。
正月早々、中学のときの社会(世界史)のNという先生の訃報が私にも届いた。学校を出たあとのことをまったく知らなかった。今度はじめて御歳を知った次第だが、私はN先生を尊敬さえしていた。
年老いた身内の者が施設に入って2回目の正月を迎えた。今年の抱負など言う気になれない。持つ気にもなれない。
本の話は今回はパス。ただ、本の電子化については激しく関心がある。
で、本の電子化とは少しも関係ないが、言葉が自然に動き始めるのを待つしかない、ということを言っておこう。言葉が勝手に動いていく、それを待つ。こちらにはおかまいなしに、そういうことがあるようだ。言葉とはそういうものだ、というだけの話です。
【1月16日(日)】
昨日と今日、センター試験あり。昨日の国語の評論に鷲田清一という人の文章が出ている。鷲田清一という人は、受験生の間ではお馴染み過ぎてもう出ないだろうというような人ではないのか。
ともかく受(けざるを得ない)験生の皆さんごくろうさん。
川本隆史さんの翻訳で『正義論 改訂版』(紀伊国屋書店)という本が、昨年の晩秋に出た。私が買ったのは第2刷で売れてるらしく、巻末の索引をいれると800頁を超える本なのに喜ばしいことだ。
議論の本であること、また、筆者自身、最初の本の「序文」で「本書はページ数が多いだけでなく、たくさんの節に分かれた冗長な代物となっている」と言ってること、そして何よりも(これが最大の理由であるが)、私自身がドシロウトであること、などから当分読み通すことは至難。
訳者である川本さんは、「訳者あとがき」で一般の人に対して「ぜひ『正義論』という宇宙の全貌を把握するよう努めていただきたい」と言っている。当然の希望だと思うが、その意味でも売れてることはいいことであろう。
キーワードは西洋近代の道徳思想の基盤である功利主義思想批判としての「公正としての正義」という考え方である。功利主義はどっかおかしい、そう多くの論者が言ってきたが、でも功利主義を叩ききっていないというのである。
功利主義にしても公正としての正義論にしても、われわれの生活のあり方にすぐさま直結する考え方であるからして、ある意味ではいまの現実や政治を見る目そのものと言っていいような気がする。学者の机上の空論ではないし、かといって体系性を欠いた直感主義でもない。このあたりがこのロールズという人のこの仕事の苦労のしどころだったのであろう。だから読みどころでもあろう。
先の「訳者あとがき」で、川本さんはロールズの転回を決定づけた具体的なフィリピンでの戦争体験を詳しく書き付けてもいる。さらに、ロールズが被爆直後の広島を占領軍の若き兵士として見ていることが特にとりあげられなくてはならない。のちにロールズは「広島・長崎への原爆投下が道徳上の不正行為だったと断言」する。
昨年12月9日の朝日新聞「ひと」欄で川本さんは、『正義論』にも被爆地目撃体験が反映してないとはいえないのではないか、という感想を述べている。
【8月10日(水)】
1月のおわりにバイエルがおわり、ブルクミュラーに入った。間もなく年度末にともなういつもの雑事。ピアノはこれまでのようには進まなくなった。これは雑事とは無関係、と思う。
そのような日々のなか、3月に東北で大地震があり、津波が襲い、さらに原発事故がおこった。
わたしに直接被害があったわけでもないのに、しばらくの間、どうしてこんなことが起こるんだろうという思いから先に進むことができなかった。罹災者ではないのにどうしてこんなふうに思うのだろう。
岩波文庫から『失われた時を求めて』が昨年末から出始めたが、2冊目が、半年振りの5月にやっと出た。
その巻末の「訳者あとがき」で吉川という人が、このあとがきを書いている最中に東日本大地震がおこった、と言っている。「悲惨な現実を前にして、いかに文学が無力であるかを想い知らされた」とあるが、「三月十一日以降も『失われた時を求めて』の存在意義はなんら減少するどころか、ますます増大する」ともある。
この小説は注なしでは読めないと思うが、吉川訳岩波文庫の注は巻末にまとめられていなくて、それぞれ本文の見開き左ページに載っているので読みやすくなってる。この点は、やはり昨年の秋から出始めた光文社文庫(高遠訳)も同じ。
そういえば現在わたしたちは誰でもプルーストの邦訳を3種類、うまくゆけば4種類かんたんに手にすることができるのである。申すまでもなく、元の文章が、Longtemps, je me suis couche de bonne heure. で始まることには変わりはない(coucheにアクサンテギュ付けてません)。しかし、隣国英国では、たとえば、For a long time I would go to bed early. とすでにプルーストの生存中に訳した人(Scott Moncrieff)がいたと聞くとちょっとうらやましくはなる。
7月の第4と第5日曜日の2回(前編、後編)、NHKで「白熱教室JAPAN」というのが放送された。内容は、川本隆史さんの広島での授業である。題して、「ヒロシマからフクシマへ届けられるもの」。
わたしは、2回とも始めから最後まで目をそらさずに見て、むろん録画もしたのである。今回は、と言ったが、NHKのこの「白熱教室JAPAN」というシリーズ番組ははじめて知ったし、だから見たのもはじめてだった。
川本さんのこの授業をいっしょに見た身内の者は面白かったと言っていたが、わたしも面白かった。ただ、かりに面白くなかったとしてもわたしは全くかまわなかった、と思う。しかし、やはり面白くてよかったのだ。
前にも書いたように、川本隆史さんは昨年『正義論 改訂版』(紀伊国屋書店)という翻訳本を出した。放送では、これを書いたロールズという人の紹介ももちろん行われた。
つい最近、『教科書の中の宗教』(岩波新書)という本を読んでおったら、たまたま中に「「戦争はNO」というのが不問の大前提」という文句が出てきて、文脈をまったく無視して、なぜかふと川本さんの白熱授業を思い出したのである。
わたしは当然のこと、身内の者も川本さんの授業を面白いと感じたとさきほど言ったが、それは、正義について考えるときに、「戦争はNO」を自明視するところから出発していなかったからではないか、と思ったのである。
ともあれ、これからも目が離せません、ね。
8月6日(土)、原爆慰霊式を見たあと、施設にいる身内の者に会いにいった。66年前に被爆し家族を一挙になくした者である。しかし、ついこの前まで、誰が今日の日本の状況を予想しただろうか、と思う。想定外。未曾有。某電力会社の世論誘導的やらせメール事件が発覚したが、住民をなめきった所業である。こういうことは想定内(よくある話)であるのか。原発村の住人たちの隠されていたとんでもない素顔がチラチラ見える今日この頃。
翌7日(日)、ウォーキングがてら花火を見物。堪能。
盆は長崎で。
【8月22日(月)】
舞台が戦前のテレビドラマのセットに、国という字が出てくると、戦前に国はなかったはず、國だとクレームをつけてくる人がいるそうだが真実は如何に、というような話題満載のウンチク本を楽しんだ。『日本の漢字』(岩波新書)という本だが、これを読むと戦前に国はあった、というのが答えであることがわかる。
国という國の略字は、戦前どころか平安時代から出てくるという。だから「奥の細道」なんかにも出てくる、とのこと。本家の中国ではなんと漢代から登場していたという。
で、読みすすめると広という字が取り上げられている。廣の略字であるが、こちらのほうは、中国にはないそうである。だから同じ略字でも国とちがって漢字とは言えない。
広がなぜ廣の略字なのか、ということだけど、日本では省略にムをよく使うという習慣がある。云なんかもそうだそうだ。会とか転とか。
もひとつ、ひろいという意味の語で、宏とか弘というムを持つものがあり、その影響を受けたんじゃないかと推測されている。
意外とはっきりせんのじゃね。
由来はともかく、この略字がいつ登場したかということだけど、漢和辞典などでもわからず、戦後だろうと漠然と考えられておったが、この本の著者が広島の原爆資料館を訪れた際、そこの展示資料(被爆者が当時持っていた手提げ袋)に広島市と書かれてあるのを見つけた。もちろん、ほかにも資料はあるのだけれど、いずれにせよ六十数年でこんなことも調べなければ分からなくなってしまっている。
川本隆史さんが中高時代の恩師3人の思い出を書いた文章を読んだ。恩師3人は宗教者でもある。同じ時期に中高にいた私だが、多くの未知の事実を教えられた。
川本さんの実に丁寧な紹介文から、先生方に対する深い敬愛の気持ちが伝わってきた。そういう気持ちが文章を丁寧にさせている、というべきか。だから、未知のことが多いのに、読んでいて気持ちがよかったのである。記憶はすばらしいプレゼントになりうる。
いいかげんな生徒であったわたしは、一人ひとりに心を配ることが、この学校の教育の基本であったということもよくは知らなかったのである。
心を配るなかで課題があきらかになっていく、ということなのだろう。そしてその具体的な課題と共に取り組む。世界の刷新・変革をする、あるいは変革の仕方がそこで学ばれていく、ということでもあったのだろう。
【9月10日(土)】
夜、久しぶりにウォーキング。夜といえども暑くて出る気になれなかったのだ。夏にあった職場の健康診断の結果を見ると、脂質代謝がヒドイ。例のコレステロールの値で出るやつだ。希望は、糖代謝(血糖値)がフツーだったこと。
午後、車検。丸7年目になる車に乗っているが、新車で買ったものだ。それまではずっと中古だったが、国道の追い越し車線で突然動かなくなるというありそうもない経験をし、身内のものがしみじみと、もう中古はやめておこうと言った。それまでは、車は動けばいい、中古で十分、と言っていたし私もまったく同じ考えだったのだ。今もそうだが車のことがよく分からないのだ。
村上春樹という人の『海辺のカフカ』というベストセラー小説に、星野という中日ドラゴンズのファンである青年が四国高松のレンタカー店で車を借りる場面がある。青年が「目立たないものがいい」と希望を述べると、店員はマツダを扱っている我が店に目立つセダンなんて一台もないと答え、ファミリアを青年にすすめながら、「目立たないことにかけては神仏をかけて保証いたします」と言う。同じマツダだが緑色のロードスターを乗り回している大島という人物も登場する。
で、私の乗ってる車は、マツダではないがファミリア系の「目立たないもの」だ。
【11月27日(日)】
前回(9月)の続き。
車検の翌日、日田経由で阿蘇大観峰に。
車検の1週間後、家の前で自損事故。ガードレールでこすってドアが凹んだ。
9月下旬の三連休の初日、唐津行。宝当神社に渡り海鮮どんぶり。旧高取邸見物。郊外の久里双水古墳をまわって帰った。
10月三連休の初日の土曜日、九州地区の中高の同窓会。高速バスで往復。快晴。
医療関係者がやけに多いような気がした。以前、居酒屋で倒れたことがあった。ここで倒れても今度は大丈夫なのだ、と思った。
会で、M先生にお会いした。幾何の先生だった。授業が分かりにくかったという印象があったが、しかし、私のばあい多くの授業において理解できていたとはいえないわけだから、そんなことはどうでもよかった。
M先生がご健在であるということをこの年で目の当たりにしたということが胸をいっぱいにした。M先生と一言も話すことができなかったが共通の話題もないだろうからこれで十分満足できたのである。
下関のH先生もご出席。東京からK君も出席。H先生もK君も忙しいスケジュールの合間を縫っての参加だった。
そのH先生が今月末御本を出版される、ということを知った。思えば中学1年生のとき1年間だけ教えを受けることができた。先生の文章を拝読しふたたび先生に教わることができるのである。これ以上の喜びはない。
同窓会では、K君から、身内の者が写っているふるい貴重な写真を貸していただいた。私にはお礼の言葉もなかった。
三連休の三日目、日田の大山町までラッキョウを買いに行く。ここの田舎ラッキョウが気に入ったのだ。
今月半ば耶馬渓に行ってみたが紅葉には早かった。
昨日、ソプラノ歌手のチャリティーコンサート。つい伴奏のピアノのほうも気になる。
【1月6日(金)】
年末年始を長崎で過ごし、三日前、家に戻ってきた。うち、小浜温泉に一泊。
昨年11月、中学のときに教わったH先生が『石が叫ぶ福音』(岩波書店)という本を出された。以来、先生の本に付箋紙を貼り付けながら読む日々が続いている。阿部昭という人の『言葉ありき』(河出書房新社)というエッセイに登場する若き日のH先生については、すでにこの覚書にも書いた。(2003年6月1日)
本のカヴァーの紹介に先生は「現場を走り続けた、焼け跡派」と書かれているけれども、先生はたとえば本の最初の頁で「…知らせを受けて予定を変更し、…行った」し、「…今日は何とかして行こう、…と出かけ」て行く人なのだ。あるいは「なにか、ぽっかりと穴が空いた感じです。でもとどまれない。ティモールの人びとを思う彼の心を受け継いで進むしかない」と言う人だ。
本には人の口にした言葉や本などからの多くの引用があるが、「手元にその本がないので不正確な話になりますが」と言われることもある。
わたしの頭はここであらぬ方へと完全にそれてしまう。手元に本がないことを仰ぎ見るような気持ちにさえわたしはなっていることに気づく。
普通のサラリーマンで同居人も何人かいる手狭な住居に本を詰め込むというような置き方をわたしはしている。ほとんどがブックオフなどで買ってきた安物の本ばかりだ。そうでなければ詰め込むというような本などサラリーマンには買えない。本の絶対量はたいしたことはなくとも量は狭い住居との兼ね合いの問題だ。
ということでいよいよ一部の本を処分せざるをえなくなった。
H先生は書いている。「世に安全神話が壊れたと言いますが、それ以前の所有神話が問題だと思うのです。ただひたすら「持つ」ことを求める、…」云々。
わたしは冗談ではなくて、一介のサラリーマンが安い本をたくさん買い、部屋に押し込んでいる光景はやはりグロテスクなのかもしれない、と思う。
でも未練たらしく、本を処分するという行為そのもののほうへと目が行く。
言うまでもなく『ドン・キホーテ』(岩波文庫)という本の哀れな主人公は「われを忘れて、むさぼるように騎士道物語を読みふけったあげく、…理性を失うことになった」という人物である。そもそも彼は「読みたい騎士道物語を買うために畑地を売りはらい、その種の本で手に入るものをすべて買いこんだ」とある。
家人はそれを憂え、ドン・キホーテが一度目の旅から戻ってくると、迷うことなく書斎の彼の狂気の原因であるところの蔵書をことごとく処分してしまう。ドン・キホーテの姪いわく「どれもこれも窓から中庭に放り出し、山積みにして、火をつけてしまうのが手っとり早い」と提案し、事実そのようにして「ろくに見られることもなければ批評されることもなく火中に投げこまれた」のであるが「炎上した本のなかには古文書館に永遠に保存されてしかるべきようなものもあったが…」とも書かれている。
この『ドン・キホーテ』の英訳本を読むアメリカ人女性が登場する、大江健三郎という人の『憂い顔の童子』(講談社)という小説があるけれども、ついつい「不要なものを棄てるライフスタイルの若い人たち」という文句や「ギー兄さんのやり方は、もう一度読まない本は棄てる、という原則だ」という文句やらに目が行ってしまう。
阿部昭にH先生が出した最後の年賀状(昭和39年元旦)に「で、今も走り続けている」という一行があったということが先の『言葉ありき』に書きとめられている。
阿部昭が亡くなったのは1989年5月19日だったということを、雑誌「海燕」の阿部昭追悼特集(7月号)から知った。まず雑誌から処分を始めようとして偶然手にしたものである。阿部昭は湘南高校時代のH先生のことを「ともに語るに足る、いい奴」で「熱血漢という三字にぴったり」と書いている。
雑誌には七名の追悼文を載せている。
これらを読んでたとえば「阿部昭は大江健三郎と同じテーブルで卒業の面接を受けた」(飯島耕一文)というようなことを知った。
柄谷行人という人の「漠たる憂愁」と題した追悼文には「阿部はいつも不機嫌」だったが、「私が阿部と親しくなったのは、彼がますます狷介さを発揮して文壇に背を向けるようになってからである」とあった。
こんなことがあって、雑誌を棄てる前に一応中身も確かめておいたほうがいいかもしれないと思ったが、到底そんな時間などないことももちろんよく分かってはいたのである。
【1月23日(月)】
夢のような二日間のことを書きとめておこうと思う。
一昨日と昨日(21日と22日)、私は、海峡を渡ったS市での、林尚志先生の『石が叫ぶ福音』(岩波書店)の出版をお祝いする集まりに参加した。
一昨日の夜は、S駅のすぐ近くの魚も酒もとてもうまいお店での小さな集まりの末席に座っていた。
私は迷ったが思い切って、林先生を強く突き動かしたという聖書のある箇所について質問した。とても丁寧に答えていただきかえって恐縮してしまった。
林先生と会うときには例外なくK君夫妻もいる。実は私は、K君夫妻と会うのも楽しみなのだ。
翌日午後、海峡の見える林先生のお仕事場で「祝う会」が盛大に開かれた。前の夜もそうであったが、集う多様な顔ぶれこそが先生のお人柄そのもののあかしである、とあらためて感じたものだ。
会の前半に、このたびの出版にあたって重要な役割(助産師)をはたした川本隆史さんの力のこもった「お祝い講演」があった。川本さんの先生を想う率直な気持ちが伝わるいい話だった。
川本さんは中学時代、林先生に教わった人である。川本さんも非常な秀才だったが、おなじく同級生で、私など仰ぎ見るほかない秀才であったMさんも遠くから駆けつけていた。これも中学1、2年の2年間、先生との出会いがあればこそである。
川本さんの話のあと、林先生が「ありがとう講演」をされた。私も年をとったものだが、先生のお話のなかで思わず落涙しそうなくだりが二、三あったものだ。
やはり、本よりも目の前の肉声が数段よかった。
しかし、私は最近、読書とは「未知の他者との対話」だという言葉を目にした。私は本の書き手のことをよく知っていると勘違いしているのかもしれない、とふと思った。本の中には、かならず対話を待っている「未知の他者」がいる。
私は本の中の未知の先生に出会っているのだろうか、先生の熱弁を耳にしながら思ったものである。
【1月29日(日)】
6年前に買ったノートパソコンが故障したので修理に出している。パソコンが5、6年で壊れていく。まだ壊れたのかどうかハッキリしないのだけれども、部品があって、なおっても数万円かかるだろうという。数万円は無理です。今使っているこのパソコンはたしか1年半前、ノートの調子がおかしくなった時に急いで買ったものだ。
本の処分がはかどらん。できれば気持ちよくやろうと思うがそんなわけにはいかない。
「波」(新潮社)という雑誌に、井上ひさしという人と柳美里という人の対談「ナイショの読書術」というのが載っている。柳は読書をよくするが「本はほとんど一冊も持ってないって言ってもいいぐらい」で「本に対する所有欲はそれほどない」のだそうで、「年末になるとその年に買った文庫本をほとんどひきずるみたいにして古本屋に持っていって売り払います」と言っている。
そのかわり柳は、小学校の時からノートに写すことをしてきて「『罪と罰』を一冊まるごと写したことがある」という。「まるで写経」だと。
この棄てようとしてたまたま開いた「波」は1994年7月号のものだ。
篠田一士という人の『読書の楽しみ』(構想社)という本があるけれども、その中に「読書術あれこれ」という文章がある。
その締めくくりに「自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が五、六百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変わってゆくというのが、いわゆる完全な読書人なのである」とある。自分がそうだと言っているのか、知人にそんな人がいると言っているのか、あるいは単なる努力目標なのか不明であるが、ひとつの目安にしてみたいという気が起こった。
さいきん鎌田慧という人の『狭山事件―石川一雄、四十一年目の真実』(草思社)という本を読んだ。
むろんこの前には野間宏という人の『狭山裁判』上下(岩波新書)などがあるわけだが、これももちろん、今度、鎌田のを二度目に読んで、やはりなぜ高裁で再審されないのかどうしても分からないのである。
野間などは、例の寺尾裁判長の二審判決(1974年10月)をさして「これはすでに裁判とよぶことはできないといってもよい」とまで言っている。
昨年十月、大江健三郎という人がみずからの著書『小説の方法』(岩波書店)を石川一雄氏に次のようなメッセージを添えて贈っている。「石川一雄様 御夫妻のご健在のうちに再審の光が大きく輝くことをねがっています。 二0一一・十・二 大江健三郎」というもの。(「解放新聞」2011年10月31日号掲載)
私は石川氏の講演を聞いたことがあるが、仮出獄(1994年12月)してそんなに日が経っていなかったように記憶している。
再審するかどうかの基準があいまいであるということも背景にあるとすれば、私たちはいつでも深い闇に理不尽に引きずり込まれる可能性のある社会に生きていることになる。
【4月29日(日)】
連休はこよみ通り。
昨日、津和野行。快晴。さすがに人多し。往復とも中国道を走ったが(鹿野ICで降りた)、車は少なかった。現地の人出はバスで来た団体客などによるものか。
昼飯を食ってすぐに帰ってきた。
前回以降を振り返ってみよう。
2月はじめに「みすず」1・2月号が出た。読書アンケートが載る号だが、川本さんの林先生の『石が叫ぶ福音』(岩波書店)を推薦する文がうれしくて2冊買ってしまった。
2月おわり、近所に大型スーパーが開店した。同じ敷地で家電店や回転すし屋なども開店した。便利このうえない。今の家に住み始めたころは周囲がこんなふうになるとは予想できなかった。
2月はしかし、家の中のものをいろいろと処分した。テレビとか毛布とかラックとかカセットテープとか本とかFDとかおもちゃとか古着とか。数回にわけて車に積み、市の大きなゴミ処分場に持ち込んだ。3月下旬までかかった。
本も、本の部屋から、玄関やらあちこちに、はみ出てたからたくさん捨てるつもりだったが、本の部屋に押し込んだだけで終わった。ただ押し込んだだけなのに相当の時間を食った。こちらのほうは不便になった。
雑誌は結局ほとんど捨てることができなかった。いつか捨てるだろうが、今は捨てることができない。特に面白いものがあるから、というのではないが。なんとなく、だ。
3月末日と翌日、川本さん夫妻と同じ町内のSさんと食事などをしてとても楽しい時間を過ごすことができた。Tさんという人にすべてをセットしてもらったおかげである。
Sさんとは近所なのにこのように長い時間を話すことができたのも初めてのことだった。
川本さん夫妻はもちろん、TさんやSさんとご一緒することができたのは、林先生が御本を出されたからである。みなさん1月の出版をお祝いする会に出席したという縁。林先生に感謝。
3月のおわりごろの天気のいい日、日田にそばを食いにいった。4月の日曜日、功山寺で花見。
【7月22日(日)】
かねてより言ってるよーに、ヒマつぶしに、ピアノ、夜のウォーキング、新聞の切り抜きをしてる。
そしてこれが、目下の、わたしの三大ヒマつぶしだ。
今夜ひさしぶりにショート(6000歩)のウォーキング。張り切ってロング(一万歩以上)のつもりで家を出たが、今日は夏祭りの最終日だ。9時を過ぎてもやはり人出が多い。コースにしている公園には、屋台が並んでおるはずだし近づく気になれぬ、ということでショートに切り替えた。
この程度のウォーキングを、はたして三大ヒマつぶしのひとつなどと言えるかどうか。言えないよーな気もする。
ピアノだって、練習せずにレッスンの日を迎えることが多くなった。レッスンの時間に練習している始末。
基本ができてないのに練習をしないからだ。練習をせねばダメだ、金ももったいない、…などと書いてると、これではヒマつぶしの話題ではなくなってる。
これまでは三日坊主だった新聞の切り抜きを、3・11を機にやり始めたが、欲張りすぎと無方針のためゴミを増やす結果になっている。新たな面倒を抱え込むヒマつぶし。
夜おそく、ブックオフに行き、本を買わずに帰ってくる。本の処分を考えるようになってからは、ブックオフでもめったに本を買わなくなった。というわけで行く前から買うつもりはないのだけれど、出かけていく。
深夜にテレビドラマをよく見る。海外の刑事もの。途中で寝てることが多いから趣味というにははばかられる。漫然と見てるだけだ。
しょっちゅう近所のスーパーに買い物に行く。毎夜8時前後になると、半額シールが貼られる。それが目当て。買わなくても、半額シールを眺めるのが好きなのだ。
これらの方がヒマつぶしの名に値するとは思う。
しかし、ヒマをつぶしてる場合じゃない。しなければならない生業の方の仕事を後回しにしてる。それらを片付けたあとにするのがヒマつぶしというものだろう。ヒマつぶしなどではないのにヒマつぶしといってるわけだ。
4月30日、N君のお店に林先生らと行く。K夫妻、U君、K君、N君、N君といった顔ぶれ。K君やふたりのN君には卒業以来。楽しくないわけはない集まりであることは当然のことなので詳細は省きます。
5月3日、大分県の佐伯市に行く。寿司を食ったあと独歩館見学。短篇小説「春の鳥」「源おぢ」の舞台の町であることは言うまでもない。
5月5日、上野焼などを見てまわる。飯塚でそばを食った。
5月20日、川棚で飯を食ったあと、近くの中ノ浜弥生遺跡を見る。
5月26日、日田行。サッポロビールで食事。
5月27日、ピアノを聴きに行く。生はいい。
6月2日、貯水池にホタルを見に行く。
6月17日、津和野行。どら焼きが直前に売り切れた。
7月8日、英彦山で食事。ヤマメのから揚げを食う。
7月15日、ふたたび佐伯行。
7月16日、津和野行。どら焼きを買って帰る。
【8月20日(月)】
7月23日、北部九州梅雨明け。
7月28日から一泊で広島行。大学の時のクラス会出席のためなり。8年ぶりの会だった。10名ちょっと参加。翌日数名で宮島散策。すべて幹事のW君のおかげだ。連絡の取れない者がいると聞くと無性に会いたくなる。
8月4日、下関で海峡を見下ろしながら昼食。
8月5日、英彦山で昼食。前回ヤマメを食った店でそば粥を食う。
8月6日、昨年に続いて今年も広島平和公園。久しぶりに新幹線で往復。今年も反原発のデモあり。このデモという昨今の政治的行動に関して、柄谷行人という人が「人がデモをする社会」という文章を「世界」9月号に載せている。
8月10日、夜ピアノを聴きに行く。生はやっぱりいい。
8月11日、中津経由で別府のブックオフに行く。
8月12日、熊本のブックオフに行く。7店。熊本駅周辺の変容ぶりに驚く。
8月13日、飯塚鳥栖経由で佐賀のブックオフに行く。途上たまたまFMラジオからグールドのピアノが流れてきて退屈をまぎらすことができた。グールドという人は1982年に50歳で亡くなっているそうだが、生きてれば80歳(没後30年)というので特集を組んでたのだ。帰りは高速。
8月14日から一泊で長崎行。15日、ちょっとだけ精霊流しを見物。市内で見たのはこれが2度目。行きも帰りも渋滞なり。深夜帰宅。
【1月30日(水)】
年始は長崎に一泊。年末は広島のほうで過ごそうとも考えたが雪模様と予報がでたのでとりやめた。実際雪が降った。
昨年(2012年)のことから。
9月22日、別府経由湯布院に行く。
9月23日、熊本に行く。名物のラーメンを食って、峠の茶屋経由で小天温泉に寄って帰った。ひさしぶりに訪れた小天温泉も記憶のなかのものとは別物だった。
9月24日、日田の小鹿田に初めて行く。
10月7日、大観峰経由で湯布院に行く。
10月19日、ピアノを聴きに行く。
10月21日、湯布院行。
11月2日、職場の近くで車同士の接触事故。
11月10日、英彦山に行く。
11月23日、秋月に行く予定だったが、寄り道で時間をとられ途中で引き返す。
11月24日、下関で昼食。河豚を安く食う。
12月24日、博多の古本屋に行く。
数日前、かつて若かった人たちとほんとうに久しぶりに会い、食事。拾うを間違って捨てる、と書いてメモを渡した。
翌日、国東の富貴寺に行きソバを食う。食ってる途中、さかんに雪が舞った。
【8月4日(日)】
すっかりご無沙汰しているが、そもそも、わたくし自身がこれを見ることがマレになってきている。だけど、なぜか閉じようとは思ってないね。
前回1月30日にアップした直後、「みすず」1・2月号(読書アンケート特集)が出た。川本隆史さんの回答は、いつもながら、漫然と読んだ本の感想ではなく(そういう感想でも十分に面白いではあろうが)、読むこと=考えること=生きること、という関係を感じさせる類のものだ。
もちろんこれではあまりもぼんやりしていて何も言い得てはいないけれども、たとえば、1969年に生徒として懸命に感じていたこと、信じることに招かれることの喜びにみちた経験、広島あるいはヒロシマの大きな惨劇の記憶、そのひとつひとつに向き合ってきた、そのときどきのすべての、自分の中に起こったことに責任を持ち続けたい、という姿勢が根本にあると思う。今の自分自身だからだ、という思いがあるのだと思う。
川本さんには、流行り廃れなどどうでもいいのであろう。
時は流れて…
2月9日、島原行。
3月15日、ピアノを聴きに行く。ベートーベンとかシューマンとかショパンとか。
3月終わりに上京。身内の引っ越しを手伝う。
4月28日、日田に行く。大観峰をまわって帰る。
5月3日、長崎の小浜温泉に泊まる。
5月27日、北部九州梅雨入り。
6月8日、津和野行。
6月22日、日田行。前回と同じく、サッポロビール工場にて食事。
6月29日、下関で(安い)河豚を食う。
7月8日、北部九州梅雨明け。
7月14日、久しぶりに英彦山に行く。
ざっとこんなところである。
ピアノもウォーキングもほそぼそと。わたしはやめないであろう。だって、ほかにやることがないけんね。
【8月11日(日)】
6日(火)、広島の平和公園。朝5時に車で出発したが、広島の市街地に入ると通勤渋滞に巻き込まれた。式の模様は動かぬ車のラジオで聞いた。
城の近くの市営駐車場に車を入れて、小走りで公園に向かったが着いたのは9時半近くで、むろん式は終わっていたのである。昨年は新幹線で行ったが、月曜日だったから車で行ったらやはり同じ目にあっていただろう。たしか駅から特別に電車やバスが増便されていたと思う。混んではいたが間に合わないというほどではなかった。
2年前の8月6日は土曜日で、車で行ったがギリギリ間に合った。
式が終わっても、いつものことながら人がひかない平和公園をウロウロしたあと、このたびは徒歩で原民喜ゆかりの地をはじめて訪ねてみたのである。そもそも原爆関係の遺跡をめぐるなどということはこれまでなかったし原についても同じ。
まず平和公園内に原の詩碑があるのでそれを見て、ここをスタートにしよう。事前にかんたんに調べておいてもいたし、ドームをゆっくり一周したが見つからなかった。ビラを配っていた女性に聞くと、ほらっとそのすぐそばを指さされたものである。
高さ1メートルたらずの碑で、当日もそうであったが、原爆ドーム東の広場は人でごった返していて、これを腰かけ代わりに使っていても違和感はない。
ネットによれば、もともと城内にあったものが傷んで修復移設されたとある。ネットにはもっと詳しく書いてある。
これもネットで知ったことだが、「夏の花」を歩く、と題して、フィールドワークが毎年行われているらしい。
今年も8月5日に実行されている。よっぽどこれに参加してみようかと思ったが、仕事があって平日に二日連続休みを取るわけにはいかない。毎年と言ったが、いつから始められて、今年が何回目にあたるのかも分からない。
コース案内によれば、5日の午後1時に幟町の平和記念聖堂を出発して、あちこち見て4時半に終了、である。案内人は原の親戚にあたる人。
で、平和記念聖堂に集合、出発なのである。次は原の生家・被爆場所、とあるが生家は残っていない。爆心地から1キロの地点である。
小説「夏の花」の被爆シーンには、「この地域では大概の家がぺしゃんこに倒壊したらしいのに」この家はしっかりして二階も堕ちなかった。それは「四十年前、神経質な父が建てさせたもの」だからだ、とある。しかし火が近づいてくるから逃げるのである。生家には当時、家業を継いだ兄家族が住んでいた。
原の生家の土地の一部が、平和記念聖堂の敷地になっているそうであるから、両者の場所は要するにほぼ同じなのである。カトリック教会でもある平和記念聖堂は大きな建物である。私事であるけれどもこの教会のクリスマスミサにあずかったことがある。昭和30年代のはじめ頃だったと思う。
さて、生家の次は、京橋川土手被爆柳である。これは生家から東にすぐのところに位置する。生家からこっちの方に逃げたのである。川面のほうへ押し倒されたように生えている柳のかなり太い幹が、ワイヤーをまいて補強してある。これが被爆柳だという案内もいっしょに巻きつけてある。周辺を歩きまわっていると、近くの木陰のベンチでパンを食っていたサラリーマンがどこかへ立ち去った。
ここから川岸に沿って北上して栄橋西詰にいく。ただ、橋は渡らず、縮景園のほうへ行く、というのがフィールドワークの見学コースである。ここまでは「夏の花」の中の避難コースと同じである。わたしも同じコースをたどったが、縮景園には行かずに栄橋を広島駅方面にわたることにした。
ついでに言っておけば、見学コースでは縮景園の次は円光寺(白島町)。この寺に原家の墓がある。わたしはここを最後におとずれた。
フィールドワークでは、円光寺の次は東照宮になっている。わたしは、栄橋を広島駅方面にわたり、コースには入っていない、饒津神社(二葉の里)にガードをくぐって向かった。列車通学であったわたしは毎日のように車窓から見ていたはずの神社である。
「夏の花」の冒頭、「私」は炎天の朝、夏の花を持ってぶらぶらと初盆の妻の墓に行く。これが円光寺だ。「それから、饒津公園のほうを廻って家に戻った」と書かれている。だから、小説「夏の花」に忠実に歩けば、生家の次はこの円光寺となる。その次は饒津公園。
ところでなぜ「饒津公園のほうを廻って」なのかわからない。妻への思いの余韻に独り浸っていたい、というふうにとりあえず読める。妻の墓参りは二日前の8月4日のことだった。夏の花は妻の墓に手向けたものであることを銘記しよう。
ともかく、「夏の花」のこの帰宅コースは逆方向とは言わぬまでも遠回りであることには違いない。
饒津神社は大きな神社だが見学コースには入っていない。先にも書いたように、コースでは、円光寺の次は東照宮だ。わたしは、饒津神社から東照宮のほうに向かった。途中、鶴羽根神社というのがある。原はここで亡き妻と結婚式を挙げている。饒津神社からすぐだ。わたしは饒津神社よりも思い出の鶴羽根神社に原の足を向かわせたような気がした。
そのまま道なりで東照宮に着く。広島に東照宮とは妙だが浅野と徳川が姻戚関係という由来があるそうである。長い石の階段の上がり口のところに最近建てられた原の詩碑があった。ここで7日の夜を被災者たちと過ごしたと「夏の花」にある。
線路を越えて二葉の里に入ると、道路にも境内にも人をまったく見なくなった。「夏の花」の中の7日の夜の東照宮では多くの人間が亡くなっていく。
長い階段をのぼる者はいなかったし、のぼり切ってもだれもいなかった。階段のてっぺんに腰を下ろすと、炎天の下にいやに広く感じられる空地があり、そのずっと向こうに広島駅が見えた。駅は爆心地から1.8キロ。
今日午後、ピアノを聴きに行く。ジュニアの部。モーツァルトのピアノ協奏曲を小学校3年生が弾いた。つい我が身を省みてぼう然としてしまう。
【4月20日(日)】
前回から今日まで、本「覚書」にとっては記録的な空白なり。ズルリズルリときてしまった。
今日は、日田に行く。行きに立ち食いそばを食い、目的地の日田のサッポロビール工場でノンアルコールビールを飲み、帰りにもんじゃ焼きを食った。
前回(昨年の8月11日)以降のことを書いとく。
2013年8月16日、長崎の小浜温泉泊。
8月下旬、職場の健康診断で胃に異常が見つかる。ついに来たか、と思う。即入院を想定して、職場に連絡すべき事柄などを頭の中で整理する。
この日、藤圭子が自殺。イチロー4000本安打達成。甲子園決勝。などのことあり。
台風15号通過の翌日、胃カメラを飲んで精密検査。気泡をこぶと間違えていたことが分かり、異常なしと言われる。悪い予想だけは確実にはずれない人生だったが、はずれた。
夕方、近所の居酒屋で飲む。
9月15日、大宰府の国立博物館に行く。この日、ヤクルトのバレンティンが56、57号のホームランを打つ。
9月16日、台風18号のため京都市街水害。何十年ぶりかの京都旅行を思い立ち宿を予約してたがキャンセル。テレビで嵐山の様子を見て行かなくてよかったと思った。
9月25日、カープ16年ぶりにAクラス確定。翌日、楽天優勝。後に楽天は巨人を破り日本一になった。
10月6日、宇佐神宮に行く。
年末年始を長崎で過ごす。
2014年2月上旬、博多に遊びに行き泊。ジュンク堂で「みすず 1/2月号」を買う。川本隆史さんが広島で月1回の連続講座を受け持っていることを知る。題して「ヒロシマで正義とケアを編み直す」。内容をぜひ知りたい。
初めて櫛田神社、鴻臚館、アサヒビール工場などを見物する。
2月15日、英彦山に雪を見に行く。
4月から、勤務が非常勤になる。で、以後、もう読むこともなかろうというような本を古本屋に売ったりしている。話には聞いていたがやはり二束三文なり。
4月2日、長府で花見。
【5月25日(月)】
昨日、照ノ富士が初優勝。白鵬の時代が終わったのか?
明日から、セ・パ交流戦が始まる。昨日、帰ってきたエルドレッドが2発スタンドに叩き込んだにもかかわらず9回に逆転されチームは敗れ最下位のままなり。
いまは5月だが、昨年の4月からの5月なり。
2014年(昨年)の4月から振り返ってみる。
この昨年の4月から、勤務が非常勤になった。
4月5日、昔の若い人たちと飲んだ。12日にも。
4月7日、本を古本屋に売った。以後、何回か売りに行く。
4月8日、将棋名人戦が始まる。結局、羽生の4連勝で名人に復位。
4月16日、韓国で大型フェリーが沈没し死者多数。
4月20日、日田行。サッポロビール工場で食事。
4月23日、オバマ大統領が日本に来た。
4月26日、柳川にうなぎを食いに行く。
4月下旬、らっきょうを久しぶりに漬ける。5月の下旬にかけて3回漬けた。
5月4日、広島行。
5月5日、林先生とKさん夫妻と下関で飲む。帰り、列車を乗り過ごし、古賀駅外で一晩過ごす。
5月9日、肉じゃがを作る。この日から現在まで料理を作っておる。
5月10日、南阿蘇に蕎麦を食いに行く。
5月12日、ワールドカップメンバー発表。大久保など。
5月18日、山陰で飯を食う。
5月20日、プロ野球交流戦始まる。(カープ、交流戦5勝15敗)
5月31日、九重、湯布院に行く。帰り、日田で味噌を買った。
6月2日、北部九州梅雨入り。
6月8日、英彦山の近くで蕎麦を食う。
6月9日、梅酒を作る。
6月13日、ぬか漬開始、今日に及ぶ。W杯ブラジル大会始まる。
6月14日、津和野行。仙崎経由で帰る。
6月22日、高塔山にアジサイを見に行く。
6月26日、長崎行。
7月1日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定。
7月12日、黒川温泉で蕎麦を食う。
7月14日、W杯ドイツ、アルゼンチンに勝って優勝。
7月20日、南阿蘇行。
7月21日、北部九州梅雨明け。
7月23日、福岡ドームでソフトバンク・ロッテ戦を観る。
7月30日、職場の同僚とマージャン。
8月6日、小国行。
8月8日、小国・湯布院行。
8月13日、長崎行。
8月20日未明、広島安佐北南区で土砂災害。死者多数。
8月30日、呼子にイカを食いに行く。
9月5日、広島行。
9月7日、国東に行く。
9月13日、胃カメラ。異常なし。
9月14日、国東行。
9月27日、日田行。醤油を買う。連ドラ「花子とアン」最終回。
10月6日、カープ、巨人に敗れ3位決定。
10月18日、阪神、CS巨人に4連勝で優勝。
10月19日、小国行。
10月20日、ソフトバンク、CS優勝。小渕・松島両大臣辞任。
10月25日、英彦山行。日本シリーズ始まる。
10月30日、ソフトバンク優勝。4勝1敗。
11月2日、真玉行。
11月3日、安心院、九重行。
11月16日、平尾台行。
11月17日、長崎行。
11月22日、衆議院解散。
11月23日、長門行。林先生傘寿祝賀会。
12月14日、英彦山行。衆議院選挙、戦後最低の投票率。
12月29日、長崎行。
2015年1月4日、広島行。
1月23日、白鵬33回目の優勝。
2月1日、フリージャーナリスト後藤氏イスラム国により殺害。
2月7日、下関で夕食。
2月8日、北九州マラソン。1万2千人。
2月14日、長門青海島で食事。
2月21日、下関で食事。
2月27日、福岡泊。
3月1日、英彦山行。
3月9日、広島行。
3月10日、山陽新幹線開通40周年。
3月14日、宇佐、杵築、真玉行。
3月21日、小国行。
3月22日、下関で夕食。
3月27日、プロ野球開幕。
3月下旬ころからコーヒー豆を買い始めて今日に及ぶ。
4月8日、名人戦が始まる。相手は行方八段。
4月11日、真玉行。
4月22日、ブルクミュラーおわる。
5月2日、小浜温泉泊。
5月7日、パソコンを買う。前のが壊れた。例によってデータがなくなる。
5月10日、下関で夕食。カープ6連勝。
5月17日、小国、湯布院行。大阪、住民投票。
5月21日、羽生、3勝(1敗)。