想い


はじめに

どうも、diskです。22歳の学生です。私自身、ホームページを作るのは2回目ですが、前回作ったときはかなり適当に作ったので今回が初めてみたいなもんです。今回、ホームページを立ち上げようと思ったきっかけは、こうなんていうんですかね、淡々とすぎゆく日々にあって、自分の人生に対するスタンスを決めかねている状況の打破に対して、多少の助けになるかも知れない、と思ったからです。まぁ、ただ単に多くのホームページ存在意義であろう、自分の意見を、自分を恐らく知らないであろう方に聞いてほしいというのもあったのですが。とにかく、『想い』では、私事ですが、自分の人生のスタンスを考え、決める一助に出来たらな、と思います。また、それが皆様の人生において、暇つぶしでも何でも、何らかのお役に立てれば幸いです。(01/09/01)

小泉内閣と我が人生 その1

写真集まで出しちゃって。小泉人気は相変わらず衰えません。私自身最初は日本が変わる、と何かしらの期待を抱いたものです。しかし、数値にブレはあるものの、世論調査での結果をみると必ずしも小泉首相の「構造改革無くして景気回復なし」という路線に賛成とはいえないようです。小泉内閣に期待することという問いの回答1位は私が知る限り景気対策です。この世論調査の結果を認めるならば、意味の曖昧な構造改革という言葉の国民的意味は少なくとも経済的な意味ではないと考えられます。つまり、政治の改革を求められたと考える方が自然ではないでしょうか。まぁ、もともと(経済的)構造改革と景気回復は無関係であると主張する森永卓郎氏のような方もいますが。私の立場をはっきりさせた方がいいですね。私は現行の政治的構造改革は望みますが、現行の経済的構造改革は望みません。アメリカ市場原理主義より大陸ヨーロッパ社会主義、競争より安定、竹中平蔵氏より金子勝氏、を支持します。こう主張する私なんですが、人生のスタンスについて必ずしもそう断言はできないのです。というのも、大切なのは仕事でもないし、お金でもなく、モノでもないわけで、如何に豊かな時を過ごせるか、であって、家族のためにと家族との時間を削ってまで仕事してお金を稼いで裕福な生活をしても、思うに幸せを感じないだろう事はわかるんです。が、仕事帰りに飲み屋で愚痴ばっかり言ってるような人間にはなりたくないわけで、そう考えるとやっぱり仕事頑張って家族犠牲にしてでも勝ち組みになろうとするべきなのか、とも思うわけですよ。難しいところです。ただ、バブルの頃にはあれだけ経済的に裕福になっても幸せではないとか、これからは物的ではない本当の幸せを志向するべきだとか言われてたじゃないですか。なのに、小泉内閣では再び経済大国に、しかも競争原理、市場原理が全てであるようなアメリカ型の経済大国を志向している。どうなってるんでしょうか。そんな如何ともし難い想いを抱きつつ、人生のスタンスを決めかねている今日この頃です。(01/09/01)

小泉内閣と我が人生 その2

その1の続きです。まだ判断しかねますが、仮に小泉改革が成功した場合、日本はかなりアメリカ型の市場経済が浸透していると思われます。2%の勝ち組みと残りの敗者。そんな国になってしまうのでしょう。理想は日本が大陸ヨーロッパ型社会主義へとシフトする事ですが、恐らくアメリカの属国日本はそんなことにはならないと考えます。その場合、選択肢は2つです。日本にとどまるか、否か、です。言葉の問題をはじめ様々な障害はあるでしょうが、仕事より家庭を大切にしたい人、仕事以外に人生の意義を見出そうとする人、物欲は真の幸せにつながらないと考える人、などは欧州などに生活の場を移すことを考えても不思議ではありません。経済のグローバル化が進んでいることが、日本経済のアメリカ化を推し進めている一因であると考えられますが、ならば居住のグローバル化も進んで良いのではないでしょうか。つまり、アメリカ型市場原理主義の中で勝ち組みを目指す人はアメリカへ、大陸ヨーロッパ型社会主義のなかで安定した生活を求める人は欧州へ、という感じです。そのためにもその国がどういう社会体制を志向しているのか明確でなければなりません。アメリカや欧州はかなり分かりやすいと思いますが、日本は今のとこ過渡期という事もあって曖昧です。小泉改革もまだまだでしょうから。いずれにしても、頭の良い方々が公正な議論をして日本の向かうところをはっきりさせてくれれば、私の人生に対するスタンスもある程度明確に決まってくるのではないか、と思います。(01/09/03)

米国同時多発テロから思うこと その1

まず始めに、先日のテロの犠牲者、並びにその関係者の皆様には心よりご冥福をお祈りいたします。さて、テロの首謀者としてオサマ・ビン・ラディンという人物が挙げられていますが、確たる証拠の提示がない上、そもそも報道ぐらいしか情報源がない自分としては、それについて意見を述べるのは難しいことです。しかし、報復(制裁?)すべきか否かについてはその前提も不要でしょう。まず憎しみが憎しみを生むだけという主張ですが、これは非常に理性的な主張だと思います。しかし、そもそもそれを断ち切ることが出来ないからこのようなテロが起こったのでしょう。ここで断ち切るのが現時点でのベストではあるでしょうが、私としては、もしあのテロに自分の家族なり恋人なりが巻き込まれていた事を考えると、制裁はしてほしいと思います。そして、国としてそのテロ集団あるいは組織に報復を求めると思います。それを考えると「すべき」との立場に帰結せざるをえません。身内を殺されて、民主主義国家だから法廷で裁くべき、という理性が保てるか私には自信がありません。そして、このテロが、アメリカ合衆国だけでなく自由世界全体に対するものであるなら、麻生自民党政調会長が言ったように、「自由世界で今後も生活したいのならば、このテロを対自由世界に対する開戦と捉え戦うしかない」でしょう。自由世界での法が通用しない相手に、自由世界の法で望むのは難しいと思います。ここまでなら自らの立場を決めるのは苦渋の決断であるにしろ、困難ではないはずです。今まで通りの生活を続けたいか、否かですからね。その後の自衛隊派遣とそれに絡む諸問題については、国際貢献そのものの意義から議論がありますが、国際貢献か、日本としてのアイデンティティを示すのか、という問題ですから結論を出すのは難しいですよね。私としてはグローバリズムには基本的に反対の立場ですので、これに関しては派遣反対よりなのですが、前述の理由からは派遣もありなのではないか、とも思います。どちらにしろ、小沢自由党党首が言うように、「何の原理原則もなく行け行けではいけない。」のは確かだと思います。という事で、私の結論は原則を定めて派遣すべき、という事になります。曖昧な政治的判断といわれそうですが。(01/09/27)