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05.10/16
買っちゃった。新しいiPod、ネットで買っちゃった。 本当は4ギガのiPod nanoで良かったのに、いろんな記事見てるうちにモニターに傷が付きやすいとか衝撃に弱いとか読んでるうちにうんざりしてきちゃって、気がついたら60ギガも入る新しいやつ買っちゃってた。15000曲入るんだってさ。へー、すごいね。うまく加工すればこのチンケな僕の一生だって入るかもしれない。それくらいの容量が、アナタ、缶ビール一本分にも満たないスペースに収まっているんだってさ。でも僕は、こう見えたって、たくさんの缶ビールを収めることができるんだぜ。だから、結果、勝ちじゃね? ところで、酔っ払っていたとはいえ、今更ながらiPod nanoの2ギガのやつが二つ買えてお釣りがくるくらいの値段だということに気がついて戦慄が走っています。なんか、煽られてドンペリ入れちゃうおばちゃんの気持ちがわかった気がする秋の夜。 最近読んだ本。 「停電の夜に」「その名にちなんで」ジュンパ・ラヒリ。 ものすごい勢いで様々な賞を取りまくっているインド系の作家。「アメリカ」と「インド」、二つの文化の中で、いずれにも属しきることのできない人々の動揺を、派手な出来事を起こすもことなく、日常の中のミクロな視点から淡々と語る技術がこなれている。「その名にちなんで」は、ところどころで泣きそうになった。「癖のつけようのない小説」である。物語のスケールは正反対であるものの、やはり同じくインド系のサルマン・ラシュディの書いた「私はどちらにも属さない」という決意を思い起こした。 「意識に直接与えられたものについての試論」アンリ・ベルクソン。 難しい。なんでこんなもの読んだんだろう。 「サウンドトラック」古川日出男。 まるきり「コインロッカーベイビーズ」じゃないか、と序盤に思って、中盤が少し面白くなってきて、おいおいあと50ページくらいしか残ってないぞ、どうやってオチつけるんだよ、とヤキモキしながら読んでいたらそのまま終わってしまったような小説。もう、なんか、メチャクチャな小説。 「越境する世界文学」文藝別冊。 古本屋で購入。ポストコロニアル思想・文学についてある種好き勝手に纏められたガイドブック。 「西瓜糖の日々」リチャード・ブローティガン。 「アメリカの鱒釣り」より好き。途中、ボリス・ヴィアンとの親近性を感じた。僕はヴィアンの方が好きだ。 「ジャイロ!」早川大介。 群像新人賞受賞。大江―村上龍からの流れを感じさせる。形容過剰の文章が読みづらく、また肝心と思われる描写を僅か数行の文章で書き飛ばすくせに、どうでもよさげなところを延々書き連ねてみたりと、少々理解しがたい書き方をされており(もちろんそういうテクニックだと思いたいが)読書中何度もうんざりする。この作者はいまどうしているのだろうか、と検索してみるものの、2003年以降の活動は確認できず。同年に新潮文学賞を取って、芥川賞も受賞した中村文則の「銃」もこの間読んだが、どちらが良かったとも僕には判別が付かないのだが、「銃」のほうが文学(史)的に明確なテーマがあり(まるでカミュの「異邦人」みたいだったし)、分かりやすかったように思う。そういうところの差なのかなぁ、と思ったりもした。 「予告された殺人の記録」ガブリエル・ガルシア=マルケス。 いやあ、もう何にも言うことないですよ、面白いですよ。 「アムニジア・スコープ」スティーブ・エリクソン。 「真夜中に海がやってくる」の前に書かれた、エリクソン小説。「黒い時計の旅」「Xのアーチ」のような大スペクタクル幻想小説を期待しているとまんまとすかされた感のある、少し自分語り的エッセンスの入った、不思議な恋愛小説。冗談のつもりで評論を書いた、架空の映画が実在しているということになって……というくだりは非常に関心したのだけれども。
05.9/3
六月、七月とどうにか小説を書こうと気張ってみたのだが、どうにも空っぽになってしまったようで、上手くいかなかった。できればうおのめ文学賞にも参加したかったが、どうしても十枚以上書き続けることができなかった。深刻に何を書いていいのかわからない。更に、今まで僕が一体何を書いていたのかということすらわからない。しかし書かねばならない、と例のごとくに思い直して、しばらく小説を書くという作業を置いておいて、自然と書きたくなるまでまかせようとおもった。以下、この期間に読んだ本のリスト。自分の読んだ本をこうして日記に記していると、その本を読んだ時期と、その本を読んだ時の感覚・雰囲気が感じられて便利なのである。だから本当はコメントも添えたいが、なにぶん量が多く、そこまで時間を割く気もしないので書名だけ。「ドン・キホーテ 後編(1・2・3)」セルバンテス 「ソクラテスの弁明」プラトン 「ニューロマンサー」ウィリアム・ギブソン 「アニルの亡霊」マイケル・オンダーチェ 「メルロ・ポンティ コレクション」モーリス・メルロ=ポンティ 「ツァラトゥストラ」ニーチェ 「現象学入門」竹田青嗣 「声と現象」ジャック・デリダ 「図解サルトル」 「エロティシズム」ジョルジュ・バタイユ 「ランドマーク」吉田修一 「書きあぐねている人のための小説入門」保坂和志 「名づけえぬもの」サミュエル・ベケット 「在日ヲロシヤ人の悲劇」星野智之 「極西文学論」仲俣暁生 「銃」中村文則 「母」高健行 「さよならアメリカ」樋口直哉 「消去 上・下」トマース・ベルンハルト 「ラブリィ」田口賢司 「アムステルダム」イアン・マキューアン 「アメリカの鱒釣り」リチャード・ブローティガン
05.5/25
99円ショップで、なんとなく思い立って毛抜きを買ってからというもの、アゴのヒゲを抜くことに病的なまでに凝っている。もともとヒゲは薄い方なのだが、新しいヒゲがちょっとでも皮膚から顔を出していると抜きたくて仕方がなくなる。最近では仕事中でもアゴを触って、新しい新興勢力が顔を出してはいないかと探り探りしている始末だ。まだ顔を出したてだが、抜いてみるとひどく太いヤツ(こういうのは抜くのにすごく手こずったりする)とかが抜けると、なんとも言いようのない達成感に包まれる。人のヒゲさえ気になる。ああ、抜きたい。なんでもいいからとにかく抜きたい。(激しく勃起させながら更新しています) 最近読んだ本。 「フリスク」デニス・クーパー。 ゲイ・ノヴェル。濁りのない透明な文章で性倒錯の症例が描かれる。エロティシズムとは結局のところ涜神である。これはハマった。すごく面白かった。 「シモーヌ・ヴェイユ入門」ロバート・コールズ。 シモーヌ・ヴェイユに思想についての入門書だと思って読んだわけだけれども、あまり思想の内容には突っ込んではいかないで、彼女の生涯についての言及が大半。失敗。 「ヌーベルバーグ以後」佐藤忠男。 いわゆるヌーベル・ヴァーグの前後の映画の動きというものが、概括的に簡潔に書かれている。いままで捉え辛いと思っていたヌーベル・ヴァーグという「波」の意義のようなものがよくわかる、逆にこんなに簡単に書かれていて良いのだろうかと心配になってしまうほど。それにしても、この本に書かれている映画のほぼ全てがビデオ(あるいはDVD)で参照できるということは、この本が書かれた時代から見るとすごい発展なんだろうな、となんとなく思った。良くも悪くも。
05.5/14
会社に新しく入ってきた(けっこう太めの)女の子のことを密かに「スロース」と名づけて心の中で呼んでいたのだけれど、最近あった飲み会でこっそりと同僚にそのことを話したところ、女子社員たちの中で、山田はデリカシーのない奴だということになっているらしい。いいじゃん、かわいいじゃんスロース。そんなことを言われても別に気にしないようにしようと思うんだけれど、面と向かって「山田君は裏表があって腹黒いものね」と言われると、ちくりとくる。とりあえず家に帰ってからネクタイを輪にして天井から吊ってみたりした。最近読んだ本。 「ガルガンチュア」ラブレー。 ちくま復刊。「ガルガンチュアとパンタグリュエル物語」全四巻配本予定の、最初の第一巻。変な本だった。第二巻はいつ発行になるのだろうか。 「城」フランツ・カフカ。 長い。中盤から、あんまりにも冗長じゃないかと思ったけど、我慢してせっかく最後まで読んだのに未完だった。電車の中で読んだのが悪かったのかもしれないが、イマイチ合わなかった。 「哲学入門」バートランド・ラッセル。 入門。入門? 「反解釈」スーザン・ソンタグ。 これも電車の中で読んだので、ところどころ不鮮明。こんど腰を落ち着けて読もうと思う。 「重力と恩寵」シモーヌ・ヴェイユ。 難しかった。仕方ないのでこんど解説書を読もう。 「ララバイ」チャック・パラニューク。 古本屋でさっそく出てたので買った。相変わらずだけど、まあ面白かった。 「ドンキホーテ 前篇3」セルバンテス これで前篇終わりです。だんだんと冗長になってきた感。
05.3/20
いや、それにしても一ヶ月以上もほったらかしにしておりました。といっても私生活が忙しいといったわけでもなく、毎日酒を傍らにインターネットしているわけですが、単純にここに書くことも、書くモチベーションもないだけです。それじゃあ止めてしまえばいいのかというと、それはそれでなにか勿体ない気がして、さらに殊更止めてしまうというほどの気力を奮い起こす勇気も起きず、だらだらとこのような文章(糞便)を垂れ流しにしておるわけです。どこかで聞いたことがあるな、そうか、まるで自分の人生じゃないか、とひとりごつのは大げさなようでいて、その実大した違いがあるようにも思えず、ネット上の人格であるこの山田何某が、無駄であるとわかっているにも関わらず軽やかに自殺する(できる、ということがネットコミュニティの醍醐味でもあるわけだが)ことができないのも、実生活の僕のあまりに怠慢で煮え切らない性格に拠っている。のかもしれない。最近読んだ本。 「フェルディドゥルケ」ゴンブローヴィチ。 ポーランドの狂人ゴンブローヴィチの作。去年が生誕100年ということで平凡社ライブラリーにて復刊。帯の煽りから勝手にセリーヌみたいな作風を想像していたが、どちらかというとシュールレアリスム的な奇妙な手触りの、作者の過去を投影した30歳の人物が17歳の少年に変身させられ、狂躁的な人物たちによって自己のアイデンティティを削り取られてゆくというような物語。 「白鯨」メルヴィル。 世界文学全集に入っていたものをブックオフで百円で購入。本当に鯨、鯨、鯨だらけの本。長々と繰り広げられる衒学的な鯨の話には驚くとともにうんざりさせられるが、とはいえその部分がなければこの小説に今のような地位は与えられてなかったのだろうなとも思う。現代実験小説の端緒となった小説なのだろうと思う。 「幽霊たち」ポール・オースター。 シティ・オブ・グラスと同系の作品。どちらかというとシティ・オブ・グラスのほうが興味深く読めた。 「さようなら、コロンバス」フィリップ・ロス。 現代アメリカ文学の大家の処女作。米文お得意の青春小説。今読むとどうってことないようだが、当時はその新鮮な風俗描写が話題に上ったらしい。日本でいう「限りなく透明なブルー」か。いや、どちらかというとやはり村上春樹の「風の歌を聴け」に親和性を感じるか。 「熊の場所」舞城王太郎。 やはり面白い。これも一晩で読み終えてしまった。しかし特にそれ以外の感慨はない。 「ドン・キホーテ 前編1・2」セルバンテス。 言わずもがな。本当に面白いので読んでない人は読むべきです。ゲラゲラ笑えます。「白鯨」もそうだけど、古い小説って本当に変な人たちが出てきて面白い。昔は、今の感性では計れない変な人たちがたくさんいたのか、それとも過去の作家たちがそういうひとたちを創作することに長けていたのか、またはその両方か。有名な風車に立ち向かうシーンは僅かな一部分。偉大なるパラノイア(達)の物語。あと四冊も読めると思うと嬉しい。
05.2/12
先日、友達の家で鍋を食べた。後片付けで僕が皿を洗うことになったのだけれど、いつも僕が使用している99円ショップのうさんくさい食器用洗剤とは違って、友人宅の「キッチンジョイ」の泡の出ること出ること。ヌルッ、て手を滑らして皿一枚が床で大破。友人たちの冷たい視線。「酔っ払いめ」「これだから酔っ払いは」そんな彼らの心の声が聞こえるよう。ほら、ごめんねえ、家では全然泡が出ない洗剤使ってるからさあ、なんて言ってみるものの、もう、みんな無視。世間って冷たいのな。曲がりなりにも友達なのにな。こんなくだらないことで、自分がいかに貧乏臭い生活に馴染んでいるのか実感しました。くすん、実家に帰りたいよう。最近読んだ本。 「ムーン・パレス」ポール・オースター。 泣いた。ずるいなあ。「シティ・オブ・グラス」とはだいぶ違った毛色の作品で、割とスタンダードな自己(あるいは自己を巡る世界)探求の物語だった。それにしてもアメリカ人って家族のお話が好きだよな。「ノルウェイの森」を思い出し、こないだ観た「ビッグ・フィッシュ」を思い出した。ある意味これってほとんどファンタジー小説だよね。
05.2/6
DVDコンポを買ってしまった。別にDVDなんてプレステで見られるのに、それでも買ってしまった。なぜか。新しい棚を買ったのがいけなかった。部屋に置いてみると意外とスペースが余って、この空いた空間がもったいないなんて考えたのがいけなかった。新品の棚を彩るために買われたDVDレコーダーは、その棚の八倍の値段がします。仕方がないので今まで聞けなかったラジオとか聞いてます。棚にはまだ若干の余裕があります。次はなにを買おうかしら。最近読んだ本。 「アブサロム、アブサロム!」ウィリアム・フォークナー。 本当に読みづらかった。形容詞を多重に重ねた文章もさることながら、語りがあっちこっちと行ってしまうのには参った。全然ストーリーが追えなくて、ほとんど最後まで何がなんだかわからなかった。とはいえ、やっぱり僕はフォークナーの文章のたたずまいが好きで、ストーリーがわからないながらも、ところどころでどきりとしたり、背筋をぞくっとさせたり、ほとんど泣いてしまいそうになったりする。ということで、ほとんどストーリーをつかめなくても、全体として僕はこの小説を愛してしまうのだ。ナボコフが言っていたように、優れた小説は背筋で読むものだということだろうか(当のナボコフはフォークナーは余りお好きでないようだが/そしてナボコフが言うように、僕がこの小説の細部に分け入って読めたとは到底思えないが)。 「イギリス人の患者」マイケル・オンダーチェ。 僕の知る限りでは、かなり評価の高い本書。きっと面白いんだろうなと思って読み始めたら、予想以上に面白くて困りました。戦争の終わったあと、誰からも見捨てられた世界の果てでそれぞれの「終わり」をはじめようとする人々。透明感のある筆致で彼らの引き伸ばされた「終わり」を書きながら、決してニヒリズムに終始せず、「こんな世界で生きることなど」とこの世界を冷たく突き放しながらも、やがて「それでも生きてゆくこと」への表裏の転回を鮮やかに描いた傑作であると思います。というか、こういう小説書きてえなあ。 「スーパー・カンヌ」J・G・バラード。 たとえば、「何が欲しいのかわからないんだ」とブレット・イーストン・エリスは書いた。目まぐるしく次々に新しいものが生み出されては消えてゆく現代の物質社会、その頂上である「スーパー・カンヌ」で産出される狂気。「ここでは正気であることが最も危険なんだ」。そこでは正気であった人たちでさえもやがて狂気に馴染んでゆく。というような小説。面白かった。やはり博識は物書きにとって強い武器になるのだなあ、と実感した一冊。こういうの読むと、知識も教養もないお馬鹿な自分が小説なんぞ書いているということに恥ずかしくなってくる。おこがましい。
05.1/24
仕事仲間と心身の癒しのために温泉に行って、案の定飲みすぎてしまい、フルチンでホテルの屋上を本気で鬼ごっこ。二日酔いと筋肉痛を手土産に今日も仕事に行ってまいりました。死ねばいいのに俺。たぶん俺がこの世に生産できているものってウンコとシッコととゲロだけだもんな。そんなもん堆肥にしかならないもんな。いっそのことキュウリを菊門に捻じりこんでから畑にでも埋めてもらったほうが世のため人のためになるってものだ。それならばいっそ禍々しくも立派な青い花を咲かせてみせようじゃないか。ところで、こないだ通勤の電車のなかでいきなりチンコ出して小便するチンピラのおっさんを見た。どうも朝帰りらしく相当酔っ払っているみたいだった。周りのみんなはそれまで寝不足のダルそうな顔してたのに、オッサンがチンコ出した途端ものすごい機敏な動きでシッコ回避。その後もシッコ溜まりの周りだけ人が避けているものの(チンピラは手すりにもたれて就寝)、その他は何も変わらないいつもの通勤風景だったのがおもしろかった。つーか電車の中でシッコすんなよな。電車が揺れるたびに広がってゆくシッコの領域。一言も交わさずにただただ唇を噛むことしかできないサラリーマンたち。日本の経済社会の縮図である。みんな纏めてキュウリを菊門に詰めて山にでも埋めれば良いのである(オレモナー 最近読んだ本。 「いつわり」フィリップ・ロス。 米文学の巨匠の作。99%が男女のダイアローグ。男女の性愛からアイデンティティ、ユダヤ人差別のトピックまで扱いつつ、ついには主人公の名を「フィリップ」と書きつつ、やがてこの小説は「フィリップ」と呼ばれる「作家」の手帳に書きとめられているものに拠っていると明かされる。これは自伝的なフィクションなのか、フィクショナルな自伝なのか。「どっちみち同じことさ。フィクションを書けば自伝だと言われるし、自伝を書けばフィクションだと言われるんだ」。フィクションと自伝との間を意図的にすり抜けてゆくこのメタフィクションは、「作家」あるいは「人間」という抽象的なものの倫理を広く問いながら、極めて内省的に見える奇妙な手触りの文章になっている。 「アンダンの騒乱」ボリス・ヴィアン。 ほとんどわけがわからず。実に自由な感じで書かれているのが好もしいものの、ちょっと自由にやりすぎではないかと思ったりもしなくもない。「うたかたの日々」や「心臓抜き」のように、自由に書いていそうでありながらも、やがて登場人物が精神的に肉体的に厳しく追い詰められてゆく感じが好きな僕には、ちょっと物足りない作でした。 「ウィトゲンシュタイン入門」永井均。 名前の通りウィトゲンシュタインの入門書。しかし、これを読んで「ウィトゲンシュタインが述べていたおおまかなことを述べよ」と言われると非常に困る(少なくとも僕は)。なにせ、「論理哲学論考」から「哲学探究」に向けて大きな転回を見せているひとなのだ!(らしいぞ!)。正直に言うと、入門書といいつつも要点がよくわからなかったところがあるのですが、それはひとえに僕の頭の悪さが第一の要因なので、著者である永井氏には一切の非がないのです(多分)。ところで、何に一番感動したかって、兄弟から何人も自殺者を出しており、自身も葛藤の中で最後まで自殺の誘惑に駆られながらも、臨終の際に「みんなに、僕は素晴らしい一生を送ったと、伝えてください」と告げたという、その箇所で不覚にも泣きそうになった。僕はやはり物語信者なのである。
05.1/10
年が明けてから早いものでもう十日になります。今日は成人式だというから、どうせ夕方のニュースは新成人どものチン事の報道に明け暮れるのでしょう。かくいう僕も四年前には新成人だったわけで、そして例に漏れず痛飲して前後不覚の状態で帰宅したものです。思えばあの頃ちょうど付き合っていた彼女と別れて、そしたらもう四年ですか? 四年。四年間誰とも男女交際してないわけですか。ヤバイね。いい加減妖精さんと呼ばれてもいい頃だね。四年間。あっという間でしたね。大学中退したし、就職もしたし、一人暮らししたし、叔父さんになった。このまま気がつくと十年、二十年が経ち、その頃には僕は仙人と呼ばれているだろう。千摺り仙人!とか言われて。金返せこの千摺り野郎!とか言われて。そしてぼくはこんな世界なんかなくなってしまえばいいとおもうようになるのだ。最近読んだ本。 「ヨーロッパ文学講義」ウラジーミル・ナボコフ。 ナボコフがアメリカで大学講師をしていた頃に書き溜めていた講義原稿を編纂したもの。これとは別に「ロシア文学講義」も出されている。それにしても出版社はTBSブリタニカ。この本を今古本屋で求めようとすると七千円から一万円くらいする(僕は図書館で借りました)。オースティン、フローベール、カフカ、ジョイスのなどの作を、細部に拘って細かい部分を読み込みながら、それを文章のコードに接続して厚みを加えていく。読者に大切なのは、何よりも細部を読み込んでゆく想像力である、ということだ。僕は自分の読んだことのあるフローベールとカフカとジョイスの部分しか読まなかったけど、テクストを進めながら鮮やかに小説世界を色づけてゆく手際はさすがナボコフ。一番感動したところはカフカの「変身」の主人公が、いったいどのような種類の甲虫に変身したのかというのを図も入れつつ説明し、甲虫には羽根があるはずだが、「奇妙なことに、甲虫グレーゴルが背中の固い覆いの下に羽根のあるのに気づ」かなかったことを指摘する。グレーゴルは空を飛びどこかに飛んでいくことができた。しかしそうすることが出来なかったことこそ、この作品の悲劇的なところである。「変身」はこんど再読しようと思った。ありがとうナボコフ先生。 「円陣を組む女たち」「忿翁」古井由吉。 奇妙に歪んだ文体が媒介となって、現実と夢想との間を揺れ動いているような心地になる。いつも見ているもののなかから「一瞬の狂気」が立ち上り、そこから妄想による異化がはじまる。今まで整然としてあったものが一転不気味なものとして現出してくる。夢想から戻ってきたとして、いつも見ていたものはまた別の手触りを持って迫ってくる。「あっち側」と「こっち側」をゆらりゆらりと行きつ戻りつしながら背筋がすっと冷えてくるのがわかる。決して派手さはないけれども、深いところを一筋通った凄みがある。そんな小説です。 「煙か土か食い物」舞城王太郎。 初・舞城。文庫で出ていたので、何気なく本屋で買ってきて、何気なく読み始めて「チープな文章だなあ」と苦笑しつつ、何気なく夜中の三時までかけて読破してしまいました。うわ、やべえオモシレえ。こりゃ人気でるよな。考えてるんだか考えてないんだかわからない(多分考えられているんだろうけど)文章に比して、構成がものすごく巧くて(普通ミステリーって構成で読ませるものなんだろうけど)、すぐにのめりこんでしまった。エンターテインメントと純文学のクロスオーヴァーなんて騒がれているようだけど(三島賞とったし)、この作に関しては、エンタメ的あざとさがあって、終わり方がイマイチだと思った。個人的にはジョン・バース/村上春樹的なあの部分で締めくくって欲しかったわけです。ともあれ、これは非常に面白かった。
05.1/1
あけました。十二月は酒ばかり飲んでいた月でした。小説は書けませんでした。せっかくプリンターまで買ったのに、飲み会が多くて書く時間がなかったのです。テキストを印刷するだけだから一番安いやつでいいや、と思っていたのに、気がつくとオールインワンの高価なやつを買ってました。けれども全く使い道を思いつかないので、たまにそっと電源をオンにしてみたりします。ひとりの夜、寂しさに耐えきれなくなったときに。ああ、頑張って高いやつを買って良かったなあ。心に響く、すごくいい音がするものなあ。 ああ、それにしてもあと三日も休みがあるなんて素晴らしいなあ。 最近読んだ本。 「夜の果てへの旅(上・下)」ルイ・フェルディナンド・セリーヌ。 一人のアナーキストが戦争の体験を超え、そしてその後世界を誹謗しながら各地を遍歴してついに「果て」へとたどり着く、という話。世の中の全てはうんこみたいなもんだということだ。我々は糞桶のなかで糞をこね回しているのである。好むと好まざるとに関わらず。時折文中に見られる「楽園」への郷愁が胸を刺す。しかしそれは決してたどり着かぬユートピアなのである。そういうペシミズム。傑作ですよ。 「異郷」イエールジ・コジンスキー。 ポーランド出身の前衛的作家。いわゆる文学にポストモダンの波が来る以前にそういうことをしていた人なのだと思う。いわばほとんど関連のない短い物語をコラージュのように繋ぎ合わせたような体裁を採っている。共通した形式の男女のダイアローグがその間に時折差し挟まれるが、それも同一の人物だと特定できる要素は排除されている。全米図書賞受賞。こういう書き方もできるんだなと勉強になった。 「族長の秋」ガブリエル・ガルシア=マルケス。 複数の人物が語る一人の独裁者の物語。物語を語る語り手の言葉は、語っているうちになしくずし的に作者=読者の視点に置き換えられ、やがてまた別の語り手の言葉へとシフトしてゆく。物語の地平を上下しながら揺らめく視点がスタッカートとなって、ほぼ段落を作らずに一続きに続けられてゆくという、一見非常に読みづらそうに見える文章でもリズムを失わずに読み続けられるのである。本当にうまいやり方だと思う。こういう風なフォークナー譲りとも言える語りの装置/意識みたいなものをどうにか応用して書いてみたいものだ。 「テクストから遠く離れて」加藤典洋。 バルトやデリダに代表される極左的なテクスト論には、その構造としてテクストの価値を決定することができないという「欠陥」を持つとし、それを乗り越えてゆくために、ソシュール以前の吉本隆明の批評論を見直し、重層的に両者の理論を重ね合わせることで、文学テクストを読もうとする。「作者」が「死」ぬためには、テクストの中に「作者」が生きられていた形跡がなくてはならない。その形跡は幽霊のように読者に「作者の像」を喚起する、ということである。こういうのは恐らく「存在論的、郵便的」で東がやろうとしていた「決定不可能性のアポリア」を乗り越えようというのと大義としては似ているのだろうと思う(とはいえ東はそれをあくまでデリダのテクストの射程で行おうとし、結局最終的にはそれを遂行せずに中断してしまっている)。とはいえ筆者が書いていることはおおよそとしてはある程度無意識に我々がしている読み方であり(「作者の死」なんて今時真面目に考えるか?)、わざわざこういうことを今書かなければならないということが(なんていうのはやはり「安易」な考え方なんだろうけれども)、あの頃のポストモダン思想の残した影響というものの大きさを感じさせる。批評家は大変なのだなあ。
04.12/2
今日、最近CMでよく流れているオレンジレンジの新曲だかなんだかが妙に耳について離れなかった。歌詞が「ぼくらはいつもシンデンシー」とかいってるんだけど、シンデンシって何? と考え始めたら止まらなくなって、気がついたら今日一日ずっとその事ばかり脳内でぐるぐるしていた。オレンジレンジめ。そしてふとしたときに「そうか、以心伝心じゃないか!」と思いつき、はたと膝を打った。だから今日はオレンジ記念日。老人に向けて硬く締まったオレンジを次々投げつけろ。最近読んだ本。 「フローベールの鸚鵡」ジュリアン・バーンズ。 「10 1/2で書かれた世界の物語」がものすごく面白かったものだから、ものすごく期待して読んだ本。だけど、「ボヴァリー夫人」を前もって読んでなかったら途中でやめていたかもしれない。それほどまでにフローベールのことばかり書かれてる。フローベール、というか近代小説―モダニズム―ポストモダンという流れに多少なりとも興味を持っている人ならば(実際僕のような人間が)楽しく読めるのではないか。(「世界の物語」もそうだったけど)章ごとに文体が変わるような書き方は「ユリシーズ」を思わせるし、こういう知的メタフィクションというのはポストモダンの得意技だ。だけど、もちっと物語してくれてるほうが、僕の好みだ。 「パークライフ」「最後の息子」吉田修一。 文学界に備えて読みました。芥川賞受賞作の「パークライフ」は微妙。むしろ併録されている「flowers」の方が面白い。「パークライフ」で起こらずに済ませてしまっていることが、曲りなりにも「flowers」では起きていて、短いのにいろいろなファクターを出しすぎで全体的に妙に歪な感じはするけれども纏めていると思う。「最後の息子」は再読。以前読んだときは「こんなので賞獲れるんだ」と侮っていたけれども、今回読んだら結構面白かった。この人の書く小説ってのは、(「熱帯魚」もそうだけど、「flowers」なんてタイトルからしても)「世の中にはいろんな人がいてさ、ひとそれぞれそれなりの理由があるのさ」みたいな感覚が基調としてある。倫理としてはそうなんだけど、けれども心の領域で、それを容認できる限界を超えそうな面を登場人物が見せるときというのが、たまに見える作品があって、そういうものの方がやはりこっちには迫ってくる。そういうことで「パークライフ」はぬるいと思う。ヌルイ。
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