((( もう食べられないよぅ )))

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夢日記、メモだけ増えていくよぅ。なかなか文章にする時間がない!BBSにカキコくれた人、メールくれた人、もう少しお待ち下さい。


■2003/04/20 ごきぶりホイホイの怪@

 世の中にはよく分からないとか、納得出来ないことってたくさんあるじゃないですか。

 この間、真っ昼間にテレビを三瓶が豆鉄砲を食らったみたいな顔でなんとなしにヌボーって眺めていたら、多分、ワイドショーの途中でやってる実演販売方式のような、生放送で手作り感の強い商品紹介のワンコーナーだったと思う。どこかのおばちゃんがアース製薬のごきぶりホイホイの宣伝をし始めたんです。
 内容はというと、今年でごきぶりホイホイが発売されて30周年ってことで、ごきぶりホイホイという商品が30年の間にどのように進化を遂げ、今日までどのようなゴキブリ道の王道を歩んできたかというのを、そのおばちゃんが実にわかりやすく、視聴者に説明していたわけで、僕もそのおばちゃん宣教師の話術に感心するように、いつの間にかフーンってな感じで話を聞いていたんです。
 おばちゃんの言っていたことを分かりやすくまとめると、30年前に発売されたものと現在のとでは、

@もがけばもがくほどゴキブリの足がのめり込む、デコボコ粘着シート装着
Aゴキブリの好きな、キッチンにある食材を再現した特殊誘引成分
Bゴキブリの足に付いた油分・水分を取り除く足ふきマット付き

 という3つの効果が加わり進化したことで、捕獲力が格段とアップしたそうなんです。へぇ、スゲー。いつの間にか俺、おばちゃんの話術にハマってるよ!
 僕なんかにしてみたら、今までどうしてもごきぶりホイホイなんてものは紙で出来た囲いの中にエサを置いて、エサに誘われたゴキブリが粘着シートに絡まって捕獲成功という形が変わってないものだから、こうやって分かりやすく説明を受けてみると、「ああ、こんなものでも一応は進化しているんだなあ」と納得することができた。そりゃそうだ、きっと研究所と称する場所で、白衣を着た人が日夜ゴキブリと向かい合って商品開発をしているんだもの、僕達一般人が眠ってる間に、ごきぶりホイホイが進化を遂げていたって何ら不思議はない。逆に30年という時間があったら、もっと目覚ましい進化を遂げていてもいいんじゃないか?とも思うけれど、まあそれについてはまた別の機会にということで、今回は割愛する。

 へぇー。ほぉー。
 気が付くと、おばちゃんザビエルの布教活動に必死に耳を傾ける山口・平戸の一農民状態のオデ。
 でも、ここまでとても分かりやすく一点の曇りも無かったおばちゃんの話も、彼女の宣伝コーナーも終盤に差し掛かり、彼女の、

「30年前に発売されたごきぶりホイホイを再現した復刻版が、今回発売になります」

 という言葉で、ガラッと雲行きが怪しくなる。
 え…、今何て?もし、オデの方の聞き間違えでなげれば、『復刻版ごきぶりホイホイ』って仰いませんだか?
  

 近頃、○○の『復刻版』って多くないですか?
 書籍類はもちろんのこと、お菓子、レコード、自動車、プラモデル…、スーパーやコンビニに行くだけで幾つかの『復刻版』を目にすることがある。何でも復刻される世の中、世間は今、ちょっとした復刻ブームである。
 そんな復刻ブームの今、アース製薬から発売された復刻版ごきぶりホイホイの謎。えーなんでー、オデ、まるっきりよぐわがんね。

 例えば、スナック菓子などに代表される食品の復刻版とかだったらよくわかるんですよ。
 発売当初と今とでは紆余曲折(今の人の味覚に合うように、もしくは単純に美味しくなるように、中には少しでも身体にいいようになんて配慮)があって、随分味が変わったものになってしまった食品があるとしよう。その食品は味の変化に合わせてパッケージを作り替えていたので、商品名こそ同じものの、現行のものと発売当初のそれでは全く別の商品と言っていいほどの溝が出来てしまった。
 しかし、現行のままでも評判はいいし、シェアも業界内で常に三本の指に入って安定した売り上げを見せているそんな中、発売当初の味が好きだ、懐かしいあの味をもう一度食べてみたいという根強いファンの後押しがあって、この度復刻版を発売することにした。ひいては、復刻版を発売することにより、発売初期の味やパッケージはこんなんでしたよという一つの紹介にもなり、新しいファンも開拓することができるかもしれないのだ――というような目的のある話には納得して首を縦に振ることが出来るんですよ。復刻版を発売することによって昔を偲ぶことが出来たり、または現行の製品とは違った復刻版そのものにキチッと価値を見出すことができる、そんな復刻版なら大歓迎だし、復刻版を作る意義も分かるというものだ。
 ところが、ごきぶりホイホイの復刻版というのはどうだろう。納得できない。だって、ごきぶりホイホイってゴキブリを取るための道具なんでしょ?捕獲力を上げるために、30年の間に研究者が色々工夫さ凝らして、今の形に進化したって今さっきアンタ、オデたちに言っただ。だのに、今まで言ってきたことを全否定するような一言。「ごきぶりホイホイの復刻版が発売になります」とはどういうことだ?説明してけろ!
 ごきぶりホイホイの復刻版が出て、何かメリットのある人ってこの世にいるだか?捕獲力の弱いごきぶりホイホイと強いごきぶりホイホイが置かれていて、弱い方を買う人なんかいるんか?オデたち平戸者を田舎者だと思って馬鹿にしとるっちゃね。そりゃあ、もしかしたら、「昔のごきぶりホイホイのフォルム、今のと違ってかわいくね〜?お洒落だよね〜」なんて、まるでアンティークを見るようなハイカラなことを言いながら買っていく都会者もいるのかもしれねっが、これに至っては普通、性能重視だべ?油虫さ多く捕まえることのできることの出来る製品が出てるのに、誰が好きこのんで油虫を捕れない方を買う?おめーら南蛮人は油虫さ取って食べるだか?油虫にも慈悲を与える言うだか?オデら平戸の農民さ、田舎者だとおもって馬鹿にしたら大間違いだべ。御上が許してもオデたちが許さねえ!(と言って鍬を持って立ち上がる農民達)
 ついつい興奮して、後半イメージだけの出鱈目な田舎言葉(方言)で農民ごっこを始めてしまったが(平戸の人ごめんなさい)、世の中には、「古くて性能は劣るけれどその古さに味わいがある」というものはたくさんあるだろうけれど、それと今回の件(復刻版ごきぶりホイホイ)とは全くの別物である。
 では一体、アース製薬はこの復刻版ごきぶりホイホイをのどんな人を対象にして発売に踏み切ったのだろうか。答えは御上(アース製薬)だけが知っている。


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■2003/04/15 野良猫たちの事情

ライオン丸
ライオン丸

 ライオン丸が死んだ、という噂を人づてに聞いた。
 ライオン丸は金玉が立派な大柄なオス猫で、フサフサな毛をまるでたてがみのように靡かせながら歩くその風貌から、僕がそう名付けた野良猫だった。約四年前から近所を縄張りに住み着くようになり、僕の家の庭が彼の巡回路に入れられていることから、しばしば顔を合わせることがあり、人懐っこい性格の彼は、手を出すとその厳つい風貌に似つかわしくないウィーン少年合唱団のような高いトーンで「ニャーァ」と鳴いては、グルグル喉を鳴らしながらよく頭を擦り寄せてくるような、そんな人当たりの良い猫だった。
 猫好きの僕にしてみれば、彼のような気立ての良い野良を見掛けるとついついこんがり燻した焼き海苔や、煮干しの一つでも用意して家に招きたくなるが、残念なことに僕には彼等と親しくできない理由がある。死んでしまった今となれば、もう少し彼を構ってやっても良かったんじゃないかとも思うが、こればっかりは仕方がない。家に猫が居るのに、外猫を可愛がるような器用なマネはできないのだ。

 家の猫と僕の付き合いはかれこれもう八年の付き合いになる。
 もともと野良猫だった猫と僕の出逢いの最初の1ページ目は、最悪のエピソードで綴られている。八年前の夏、部屋でセガサターンの野球ゲームで遊んでいるとき、ふと何かの視線を感じた僕が横を振り返ったら、開け放たれた部屋のドアから覗き込むようにして僕のことを不思議そうに見つめていた猫が居た…、というもので、窓やドアを全部閉めきっていていたのに、何処からか家に上がり込んで僕のことを見つめていた猫の目を見たとき、背筋が凍るほどのおぞましさを感じ、これは化け猫かもしれないと、そのままゲームコントローラーを投げ出して、隣のおばあちゃんに助けを求め、二人で箒を持って猫を追いかけまわし、部屋中をひっちゃかめっちゃかにしながら外に追い出したことを今でもよく覚えている。
 お互いにとって最悪の第一印象だったと思う。恋愛なら成就しそうにもない、そんな出逢いの第一章だったにもかかわらず、『りぼん』に代表される少女漫画のような、『転校生の男子の第一印象は意地が悪く凄く嫌な奴だった…、だけど雨の日の放課後、下校途中で見掛けた彼はダンボールの捨て猫に傘をそっと置いて鞄を傘代わりに走っていくような優しい人だった…』というような、マイナスから始まった出逢いがその振り幅のおかげで大きくプラスに作用するというようなことはなかった(と思う)けれど、赤い糸に結ばれていたのは間違いなく、それまで何の接点もなかった猫と僕は一緒に暮らすことになった。
 僕と猫は男同士だから、長年連れ添ったカップルとは言えないけれど、長年ベトナム中部の山林で捕虜として生活を共にした戦友といったような間柄で、彼を裏切ったり陥れるようなことは僕には考えられない。だからこそ、僕が他の猫に餌をやったり可愛がったりするところを彼が見たら決していい気がしないだろうし、それにもし僕が野良猫に餌をやり始めようものなら、僕の家が生存競争の激しい野良猫たちの食堂と化し、毎日通る巡回路の一つにされて大変である。ただでさえ縄張り意識の強い家の猫と野良猫との間に諍い事が絶えなくなってしまう。

 猫という動物は可愛らしい外見とは裏腹に、案外縄張り意識の強い生き物である。それ故に一箇所で時間をかけて観察を続けていると、世代交代の波を見ることができて面白い。
 例えば、家の猫で言えば、今でこそ推定で10歳を越えた人間でいう中高年といった年端で、ここ一二年で外を出歩く回数も減り、老け込むにはまだ少し早い気がするが、今では現役を退いた定年後のお父さん、座布団で足を折り曲げて座っている姿なんかは縁側で茶を啜る「御隠居」といった風情で、家の回りを他の猫が寄りついたり、野良猫同士が喧嘩を始めてもあまり関心も示さず眠ってばかりの文字通りの寝子(ネコ)状態だが、その昔、全盛期にはこの近辺を統率するボス猫だったことがあった。脂の乗りきった推定三四歳の頃(人間でいう30代前後)は、彼を見ると他の猫が尻尾を巻いて逃げるほどの貫禄まで身に着け(生傷が絶えなかった)、よく彼が他の猫を追いかけ回してコテンパンに伸している姿を目にしたことがあった。
 でも彼がそんな隆盛を極めた時期というのはほんの一時で、僕と暮らし始めた最初の一年目というのは、まだ新参者のぺいぺいという感じが強く、当時のボス猫『赤い彗星』(赤い首輪をした白地に黒のブチ猫。小柄だったが、その動きの早さ、身のこなしからかなりの戦績をあげていたようだ)なんかには情けないくらい弱くて、瓦屋根の上でメンチを切られてビビって後ずさりをして、屋根から後ろ足が落ちてしまい前足だけでクリフハンガーのスタローンばりにぶら下がっている姿や(尤もスタローンは人助けをしていたんだが)、追いかけ回されて隣の松の木に夢中になって登ったはいいけれど、そのまま下りられなくなって困っている姿を何度も見たし、赤い彗星が去ってボス猫の座に数年間君臨したかと思えば、今度は若くて体格の良い冒頭のライオン丸が台頭して、王座を明け渡す…、そんな世代闘争を間近で僕は見てきた。
 そしてライオン丸が死んでしまった今、気が付くと今まで見たこともないような野良猫が近所に幅を利かせるようになってきた。大相撲でいえば、千代の富士が去った後の相撲人気を貴乃花が受け継ぎ、貴乃花が去った土俵を朝青龍が引き継ぐ…、そんな自然な形のバトンの受け渡しが野良猫たちの間では自然に行われているのだ。
 人間として生まれ生活をするのも大変だとは思っていたが、猫も猫なりに大変なんだと思う。人間の四倍や五倍の早さで年をとるという猫。家の猫は幾つまで生きるか分からないが、親の年と大差ない彼を、これからは今まで以上に労り敬おうかと思っている。


■2003/03/31 別れの3月

 卒業シーズンが由来してか、3月は別れの月なんていうじゃないですか。
 街に出れば、振り袖、袴姿の女子大生らしき一群が各々胸に花束なんて抱えて歩いていて、僕なんかはそういう彼女達と出会す度に、この子達はこれから暫しの別れを経験し、また出会いに向けて歩み出すんだろうなあなんてことを無意識に考えていて、ふと気が付くと、古に置き忘れていた己の卒業というものを、彼女達の姿に重ね合わせ勝手にセンチメンタルな気分を味わっていたりすることがある。
 『卒業』とは、本人が知らないところで第三者に『別れ』を連想させ、メランコリックな感情を喚起させる力を持っているのかもしれない。

 一方、世間ではそういった『卒業』とは違う形で別れを経験する人達がいる。2003年3月、死によってもたらされた永久(とわ)の別れ…。
 3月19日、理不尽大王プロレスラー、冬木弘道がこの世を去った。42歳、がんだった。
 同25日、俳優古尾谷雅人がこの世を去った。45歳、金銭トラブルからの首吊り自殺だと見られている。
 そして、23日には天本英世さんが人生という長い旅を終えられた。77歳、急性肺炎だった。

 天本さんといえば、東大法学部中退後、俳優座、劇団四季などを経てフリーとなり、テレビ映画を問わず知性と個性を合わせ持った俳優として活躍し、また芸能界屈指のスペイン通としても知られていたらしい。人々の記憶には、個性派名脇役といった位置付けでいつまでも生き続けることだと思う。
 しかし、僕の中で天本英世という存在は少し違う。僕にとって彼は、大空翼におけるロベルト本郷のそれに似ているくらいとても貴重な存在といってもいい。
 もう25年以上も前の話だ。ある母子が代々木上原を散歩していた。子供はまだ赤ん坊で母親にベビーカーに乗せられていた。
 すると、道行くある紳士がそっとその母子に近づき、声を掛けた。
「とてもかわいい赤ちゃんですね」
 母親は驚いた。声を掛けてきた主がテレビで見たことのある顔――天本英世だったからだ。
 これが、天下の個性派俳優、天本英世が僕を見て『かわいい』と言った瞬間である。

 後に、僕がこの話を聞いたのは、高校から帰宅してテレビで『平成教育委員会』を見ながら夕食を喰らっていた時だったと思う。画面に映った天本さんを見て、一緒に食事していた母が教えてくれたのだった。
 自分で言うのも嫌らしいが、確かに僕はかわいい赤ちゃんだった。何を隠そう、その昔僕は赤ちゃんモデルをやっていたことがあってオムツの広告に使われたこともあったほどチャーミングな赤ちゃんだったのだ。しかし幾らかわいいといっても、道行く他人が皆声を揃えて「かわいいですね」と褒めてしまうほどかわいいわけでなく、内心「かわいい赤ちゃんだなあ」と思うに留まる程度のかわいさで、僕自身見ず知らずの大人に「かわいいわねえ」なんて唆され甘やかされた覚えも特にない。芸能人でいえば、岡本綾とか京野ことみクラスのかわいさだと解釈してもらえれば良いと思う。

 この天本英世にかわいいと褒められた事実は大いに慰めになった。
 例えば、意中の女の子に「顔が好みじゃないから…」と言われて一時的に死にたいと思ったことがあったとしよう。そんな時ふと天本さんの顔が過ぎり、こんな僕のことでもかわいいと言ってくれる人が居るんだ、世界のどこかに僕のことを愛してくれる女性がきっといるはずだと自らを鼓舞しここまで生きてきた。ある意味、命の恩人だ。
 今のオッサンになった僕を見ても、彼は決してかわいいとは言ってくれなかっただろうが、僕の事を『かわいい』と言ってくれた貴重な人がまた一人この世から居なくなってしまったと思うと残念でならない。
 残念すぎて、第6回全日本少年サッカー大会決勝戦後、約束を破って一人でブラジルへ帰国したロベルトに対して放った翼の絶叫じゃないけれど、
「英世ォ、どうして一人で行っちゃうんだぁ〜」
 と号泣したい気分なのである。
    
 先日、母と電話した時、天本さんの話題になった。
「ねえ、天本さんが亡くなったの知ってる?」
「うん、知ってるわよ」
「俺のことかわいいって言ってくれたんだよね?」
「うん、そうね」
「つい褒めたくなるほど、よっぽど俺がかわいかったんだろうな〜」
「まあ、確かにかわいかったけれど…。でもアレはきっとね、天本さんが私が気があって、話の口実としてあなたを褒めたんじゃないかしら」
 自信たっぷりにそう語った母の声を聞いて、目の前に居たら思いっきりどついたんねんと拳を握りしめた。

 本文で詳しく触れなかった、冬木弘道、古尾谷雅人両氏と共に、天本英世さんのご冥福をお祈り致します。


これ以上古いものはNoteにてご覧遊ばせ。

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