旅の使い/tripping844-worldー7
『人の営業と神との契約』
「Q:神様っていたほうがいいと思う?」
その分かりやすい反対の一つは
「Q:神様っていたほうが悪いと思う?」
この世の中に
『本当』を万人に説明できる人間がいるのだろうか?
神さえ万人に説明できているとは思えないが・・。
その事の方が重要である。
「いいか」「悪いか」
それらはあまりにも曖昧で、
その言葉を使った多くの説明も疑問もまた曖昧でしかない。
それらの議論の行く末に
答えは勿論、見出せない。
そこで見出せる答えは重量感ばかりに囚われた
曖昧な答えでしかないように思うからだ。
その多数決的な言葉を一個人的な言葉に
置き換えなければ
大きなお世話も分からない人間達の
議論に巻き込まれる事になる。
「いいか」「悪いか」=「好きか」「嫌いか」
「好きか」「嫌いか」=「得か」「損か」
神はそれだけのことなんだよ。
フットボール選手が神様にだってなれるし、
アイドルが神様にだってなれるし、
ババが神様にだってなれるし、
革命家が、政治家が、学者が、修行僧が、警察が、
太陽が、海が、川が、山が、空が、
風が、大地が、火が、水が、
植物が、動物が、鉱物が、
神様になれる。
隣の爺さんだってなれるかもしれない。
神様が云々でなく、
一個人が何をもってどのような存在を神にしたいか、
或はせざるをえないのか、
そのことの方が重要であることは
tsuyoshiが認識している通りなんだよ。
天皇が神にでっちあげられた時代、
神軍として命を落とした同じ日本人に
心の契約が自然的にあったと思うかい?
その絶対さにあやかりたかったと思うかい?
ムーブメントをしかける神はいないが、
ムーブメントを動かす人は
戦争や飢餓や自然災害の最中
確実にいたわけで
神がどうあるべきか、とか
どうでなければならない、とか
そんな事はどうでもいい。
それは個人の感受性に
任されるべきことだから。
つまり、神に自分をどう任せるかでなく、
自分が神をどう賄うか。
表現の自由と神の選択の自由は
イコールであるし、
自由意志に基づいた契約実行が可能か否か、
そのような中で
「自分の望む状態になるように働きかけること」
がどれだけできるか?
でも、できたら仕合わせなだけで
そこで神が何をしてくれたわけでもない。
仏陀もイエスもアッラーも同じようなことを
説いてるのに、
いわばそっくりさんなのに、
どうもこうして違う?
神様が云々でなく、
一個人が何をもってどのような存在を神にしたいか、
或はせざるをえないのか?
「いいか」「悪いか」=「好きか」「嫌いか」
「好きか」「嫌いか」=「得か」「損か」
だからでしょ?
違うの?
世の中に『本当のようなもの』はあっても
実は『本当のもの』なんてないんじゃないの?
その差ですら一個人に委ねられてるものであって
万人に誰がどんな権利で委ねられるの?
tsuyoshi、俺、思うんだけど、
世の中、大きなお世話だらけかもよ。
個人がどう思ってたって勝手だし、
それはそれで正論かもしれないし、
そうじゃないかもしれないし。
やっぱ、
「いいか」「悪いか」=「好きか」「嫌いか」
「好きか」「嫌いか」=「得か」「損か」
シンプルで好きだけどなぁ、俺は(笑)。
tripping844
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