「〜が好きだ」というときにすごく違和感を覚えるというか。
たとえば「野球が好き」なんていうとたしかに好きではあるんだろうが、
なんか変な感じがする。それは「旅行が好き」とかでも同じで。
なんでかというと「野球」とか「旅行」なんていうのは抽象的なものなのであって
そんな抽象的なものは愛せない。
もっと「具体的な何か」すごく短い「一瞬」が好きなのであって
それ以外の大半を占める時間は「その瞬間」にわくわくしている時間。
こう考えるとそのもの全般をひっくるめて「好き」という感じがすごくわいてくるけれど
ただ平板に「〜がすき」なんていうと気分が悪い。「生きてればいいことあるさ」くらい気分が悪い。
そんなわけでわたくしはテレ東金曜21時からの「ブギウギナイト」って
「夜もヒッパレ」をそのまま日テレから買い受けた番組だけは毎週ビデオにとってみている。
半分くらいはくだらないからなんだけど小林克也の局紹介とパパイヤ鈴木、山田優のでてるとこが
おもしろいから。なんかココの部分には「純粋に何かを楽しむ」だとか「何かを愛する」というのが
よくわかるから。そういうのをみているとなんか「わくわくする」。
話はまた飛んで6歳のときにマイケルジャクソンの「スリラー」をみていらい、
とり憑かれてしまって、しかも「ムーンウォーク」なんてものを見てしまった日には。
まさに「好きだ」なんていってる余裕はなくて。以来ああいうものに触れると
自分の意思とは関係がなくスイッチが入ってしまう。
はじめてカナダに行って、初めてカナダ人と踊ったとき。
日本ではないようないいフィーリングだった。これは今年ヨーロッパに行ったときもそうで、
普通の子が普通に踊りが好きなので。日本だとすごくがんばらないと踊りを好きにはなれなくて
かっこつけながら踊ったり好きな人は自分の世界に入りながら踊ったり。あるいは常連みたく通いつめてたり。
あるいは始発のために朝までがんばらなくちゃいけなかったり。
外人が好きというわけではないが、あのフィーリングだけは捨てがたいので
それを補足するのにしらずしらずに英語をやるようになった。
そうすっと今度は英語やっててまた面白いこと見つけちゃうわけね。
英語ができるようになるためにはイロイロ覚えたりしなくちゃいけなくて
意識してやろうとしないとできない。英語のリスニングしたり、文章を暗誦したり。
けど英語だけをできようとするとつらい。とくにエンジンがかかるまでは。
というわけで踊り好きとしてはダンスチューンを「リスニング」して「暗唱」している。
当然これだけじゃできるようにはならないので「スターター」ではあるけれど、
こういうので調子が出てきたらつまらないこともやる、と。
「くりかえしやるのがよい」つったって「くりかえしやるのはつまらない」のであって
どうしたらそういうふうにやるのかを自分に仕向けるのが作戦なのであって。
たくさん英語の本買ったけど「7歳までにネイティブが覚える表現」はうすくて
だらだらかいてなくて絵がかいてあるからけっこうやりこんだ。
そういうもんだ。
英語でなにが楽しいかというと「早口言葉」というかなまむぎなまごめ、とかいうやつじゃなくて
曲とかでも早口の歌詞の部分。あれいえるとすごい楽しい。
グロリア・ゲイナー「アイ・ウィル・サヴァイブ」だと
’You think I'd crumble
You think I'd laydown and die '
「私が崩れ落ちると思ったでしょ、わたしが倒れて死ぬと思ったでしょ、いいえ私は生き延びるわ!
(さぁ部屋から出てって!あなたがいなくても生き延びるわ!)」
この自分を捨てた男が自分の部屋に入り込んだだけなのに
このおおげさな妄想と怒りとしかもサヴァイブときたもんだ、っていう大げさな表現で
まくし立てる。これはやっぱり日本語にはない独特さだから
「ユー・スィンク・アイドゥ・レイ・ダウン・アンド・ダイ」なんていってる場合じゃなくて
「ユスィンカ・レイダナ・ダァ〜イ」っていわなきゃ全然面白くも気持ちよくもない。
こういうのだったら繰り返しその部分を聞こうと思うけど
リスニングのため「だけ」にこれやるとなると本と無味乾燥だから。
要するに「好きが好きをささえてるんであって」それらは複雑に絡み合ってるから「〜が好き」なんて
いって終わりにできなくてエンドレスで入り込んじゃうって話。