詳解世界史
第1章先史の世界p.7
第2章オリエントと地中海世界
1.古代オリエント 
エジプトや現在の中東地域。
イメージとしてはエジプト王国、アッシリア、ペルシアが浮かべばよい。
言いたいのは「強大な専制国家であった」ということ。
「ハムラビ法典」、「王の耳王の目」

2.ギリシア世界
古代オリエントと異なり
「ポリスを中心とした」政治。
ペルシア戦争が重要なのは両者の政治が対照的であるから。p26、10行目参照。

スパルタ、アテネ(アテナイ)が主要なポリス。
ペルシア戦争では協力して戦った両ポリスであるが
ペロポネソス戦争でもめてギリシャは没落。
ギリシャの北のほうにあるマケドニアという国に支配され、
ギリシャ人の多くはペルシアのある東方へと多くが移住した。

ギリシャ文明は特に重要。ソクラテス、プラトン、アリストテレスは常識にしておく
「人間中心の文化」とされるがわざわざそれを強調するのは
その他の時代が人間中心ではなく「神中心」であったからである。
いま「人間は動物とは違う」という感覚が普通にあるがそれは普通のことではないのである。
たとえば
後に出てくることとなる
「ルネサンス」とは神中心であったヨーロッパがこのギリシア時代を思い出そうという運動である。
だからいまでもヨーロッパの人にとってのよりどころは「ギリシア文化」なのである。


3.ヘレニズム世界
ギリシャが崩壊した後のマケドニアのフィリップ2世の息子、
アレクサンダー大王がギリシャの文明と東方地域へ遠征することで
古代オリエントの文明を融合させようとした。
それまで水と油の関係であった
ギリシャとオリエント(ペルシア戦争)の文明を融合させようとしたのだから
画期的なのである。

これにより、後のイスラム文化は宗教的色彩が強いながらもキリスト教文化と異なり
合理的な側面を有した。合理的である、ということは簡単に言うと
科学技術が発達したと言うことである。キリスト教文化の下では科学技術は発達しなかった。
(ex)天動説

4.ローマ帝国
「民主主義」の視点をずらさずに見ていけばよい。
ローマ共和国→ローマ帝国への移り変わりに着目する。
(共和国とは王様がいないこと。)
民主主義は固定したひとつの形があると考えるとわからなくなる。
その意味で「民主的」と考えたほうがよい。民主主義にもいろいろな形があるのである。
民主主義は基本的に一部に権力が集中することは嫌う。
「民のうちで誰かが強大なパワーを持ってしまって他の民を支配するようになったら
 それが民主といえるのか」がこの時代の大きな問題点なのである。






またアテナイ(アテネ)の民主制と混乱しやすいので注意が必要である。

文明についてギリシャ・ローマ文明といわれることが多いのは
ギリシャの文明がすばらしすぎたためローマはその模倣(まね)だったから。p37
ギリシャローマという国があるわけではない。
ローマは今のイタリアにあるも、
ここに出てくる「ローマ」はもっと広い意味で使っていることに注意。
一番領土が大きかった頃で地中海領域すべてが「ローマ」だったのだから当然である。
イタリアと言う国ができたのはここ100年のことであり、
「ローマ」としての歴史のほうが長い。

5.キリスト教の成立と発展

キリスト教やイスラム教のように1つの神様を信じる宗教を1神教という。
1神教かどうかが重要なのは、
1神教になるとそれ以外の神は通常認めないこととなり
それだけ宗教が人々に大きな影響を与えることになるためである。

もともとギリシャ・ローマは
1つの神を信じると言う文化はなかった。(オリンポスの12神)
そのローマに入ってきたのがキリスト教。
当初迫害されていたがローマの衰退期にはついに国教とされる。
このすぐあとには西ローマ東ローマと分かれてしまう。
西ローマはゲルマン大移動の後ゲルマン人に滅ぼされてしまうものの、
この西ローマのローマカトリック(キリスト教はローマカトリックとギリシャ正教に宗派が分かれた)
を信じていた地域を「ヨーロッパ」という点で重要である。
要するにローマの文化がヨーロッパ文明の根底に脈々と流れているのである。

第7章ヨーロッパ世界の形成と発展

ポイントはキリスト教を軸に見ていくことである。
一時は地中海全領域を支配した光り輝くローマ文明の衰退期に
どこからともなくやってきたゲルマン人。
彼らは当初西ローマ帝国内に乞食同然で入り込んでくるが
後に西ローマを滅ぼす(476年)のである。
ギリシャ・ローマ時代には人々は「政治に参加する」をよりどころとして
まとまっていた。ではゲルマン人はなにをよりどころとしてまとまったのか。
それがキリスト教(ローマ・カトリック)なのである。

これとの関連で抑えておくべきなのはフランク王国である。
フランクは今のフランス・ドイツ・イタリアにまたがって存在した王国である。
他にも東ゴート西ゴートなどとあるが最初に注目すべきなのは
このフランク王国である。
ここにカール大帝が出て、ローマカトリック教会の敵をやっつけてくれた。
ということでローマカトリック教会のトップである教皇から
「ローマ皇帝」として戴冠される(カールの戴冠800年)。
これが非常に重要な事件とされるには次のような理由からである。
1教皇>皇帝の関係が確認され、教会中心にまとまっていく。
2ギリシャ正教の強い
 ビザンツ帝国との決裂が決定的になった。
(聖像崇拝をカトリック教会は認めたから)cf)726年聖像禁止令(p116)

さてヨーロッパは教会を中心にまわっていき、
一時は教会から破門された皇帝が雪の中またされつつ教会に謝罪しに行ったくらいである。
(カノッサの屈辱1077年)
しかもこのころには仲違いしていたビザンツ帝国はいままさにイスラム教に滅ぼされんとしている。
同じキリスト教だから、助けてやろうとカトリック教会が送ったのが
十字軍であった。
このように当初宗教目的で送られた十字軍であったが徐々にイスラムの地で
「お金をもうけること」と「イスラム文化(ヘレニズムを参照)」
を体験することで目的が変わってくる。
これが中世のヨーロッパから近代ヨーロッパへと移り変わるきっかけとなる。

第9章近代ヨーロッパの誕生
第10章ヨーロッパ近代国家の形成p162
第12章市民社会の成長
第13章自由主義と国民主義p221
第14章ヨーロッパのアジア進出p246
第15章帝国主義の成立とアジアの民族運動p261
第16章2つの世界大戦p280
第17章戦後世界と東西対立
第18章現代の世界p339
      ,一-、
      / ̄l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ■■-っ <   ハイハイ、いったんCM逝きまーす
     ´∀`/    \__________
     / ■ヽ  \
   (・д・,,)ノ |
    (⊃Ё|_ノ|
    (__)し'


第9章近代ヨーロッパの誕生
教科書には
1ルネサンス2大航海時代3宗教改革とあり
この3つをもって「近代」のはじまりとしている。
中世との比較の視点をもつことが重要である。

1神中心→人間中心(十字軍遠征がきっかけ)

2封建制の崩壊(商業身分の発達)

3カトリック教会の支配→教会の腐敗に対する抗議(新教 プロテスタントの誕生)
 教会の腐敗は中世の末期からすでに目立って来ており(フス戦争)
 「免罪符を買えば罪が晴れる」などと「壷を買えば・・・」と
つまり中世とは「封建制」と「教会の支配」を柱としており
それを打ち砕いたのが近代の始まりと言えよう。

第10章ヨーロッパ近代国家の形成p162
第12章市民社会の成長
第13章自由主義と国民主義p221
第14章ヨーロッパのアジア進出p246
第15章帝国主義の成立とアジアの民族運動p261

ここはまとめてみていったほうが分かりやすい。
視点は「国家」というものがどのように成立し、
変容して行くか、ということである。
現代に生きる者には「国」「国家」というものを生まれたときから
「当然にあるもの」という感覚がある。
したがって「国家というものがなかったら」を考えてみる必要がある。





10章において
絶対君主国家について学ぶ。
この段階ではじめて「国家というものの外枠」ができる。(官僚制・常備軍)
そして12、13章では「国家というものの中身」
つまり国家に生きる「国民」というものがどのように形成されたのかを学ぶ。
「国民になる」ということは
「国が自分たちのものである」「我々は同じ国に住むものである」といった
感覚を共有することを意味する。
それまでは単に「国は王様のもの」という感覚しか無かったのである。
(ここが絶対君主国家と国民国家の違いである。)
これがどのような重要性をもつか。
それまでは「同じ身分」「同じ地域に住む」といった感覚しか共有しなかったものが
「同じ国民である」という感覚を有することで活動もそれにともない
「身分レベル、地域レベル」から「国レベル」へと変化することになる。
戦争を考えてみれば分かりやすい。
それまで「王のための」戦争でしかなかったものが
「国レベル」で自らのために戦争が行われるようになるのだ。

近代国家の成立といってもどの国も同様の成立過程を踏むというわけではない。
比較的早くに成立した国(イギリス・フランス)と
後から成立した国(ドイツ・ロシア)とでは異なった成立過程を踏む。

絶対主義は
絶対君主が官僚制と軍隊を維持するためにお金が必要
→商人階級を優遇(重商主義)→
そのうち商人階級はどんどん力をつけることで絶対君主の保護を必要としなくなる→市民革命へ

という流れをたどることになる。




ではフランスを例に市民革命をみてみる。
当初フランス革命は「国民のための議会」をつくろうという動きから始まる。
それまでは国民の意見が反映される政治機関が無かったのである。
これがどんどん大きくなってマリ・アントワネットらがどんどんギロチンに
掛けられることになるのだが、ついには革命の指導者(ロベスピエール)まで
もがギロチンにかけられることでフランス革命は一応の終焉を迎えることになる。

このようになるに至ったのはいったい「誰のための」革命なのか、という
問題が徐々に生じて来たことである。
「国民のための議会」をつくろう、という動きが出て来たのは実際には
商人階級(ブルジョワと考えてよい)が力をつけて来たためである。
当初はこれらの階級のもくろみが達成されれば革命は成功であったはずが、
「では農民は国民ではないのか」という話になって来たのだった。
革命を起こそうという側にも「なにも王を殺すまでしなくても」という穏健な
考えのものから、「農民の権利まで守るべき」という過激なものまで分かれた。
この過激な方(ジャコバン派)のトップであるロベスピエールは
自分と考えの違うものをどんどんギロチンにかけていった(恐怖政治)ため、
まわりは恐れおののきロベスピエール自らもギロチンにかけられたのである。

さて「王」はいなくなり「革命の担い手」もいなくなってしまった
フランス。国の舵取がいなくなり、リーダーシップを求める中に
あらわれたのがナポレオンである。
彼は「革命の火を灯しては成らぬ」とヨーロッパ各国で「自由のための戦争」
を行う。それが勝利に次ぐ勝利。フランス国民は歓喜のうちに彼を「帝」として
王の代わりとして受け入れるのだった。

ここでフランス革命とイギリスの名誉革命(1688年)を比較してみる。
名誉革命の「名誉」は王が首を切られる事なく革命が断行されたことを意味するが
これはイギリスでは市民階級がもともと力をもっていたため
スムーズに政権の担い手が交替したためである。




さてナポレオンのおこなった「自由のための戦争」。
仕掛けられた側からすれば単なる侵略戦争だが、
フランスの強さには脅威を感じ、「国家とはかようなものである。」ことを
思い知ることになる。
そこで国家の建設に取り組んだのがドイツ・ロシアということになる。
彼らは「市民が育って王が倒される」のではなく
「王が市民を育てる」という
イギリスやフランスとは逆の方向をとった(啓蒙君主国家)。



14、15章では国内で資本主義が成熟し、国外に市場を求めた
ヨーロッパ各国がアフリカ、アジアといった地域で陣取り合戦を始める。
世界大戦はこの延長上に起こる。


第16章2つの世界大戦p280
第17章戦後世界と東西対立
イデオロギーの対立。
資本主義陣営(アメリカなど)対社会主義陣営(ソ連、中国、東欧など)
が大雑把な図式が浮かべばよい。
そもそもちゃんとわかろうとしたら
ちょっとした学者になっちゃう。


第18章現代の世界p339















中国の歴史
・中国の歴史を学ぶ際もこれまで同様
 教科書の総論部分の理解から具体的な事実を押さえるという風に
 理解を深めて行くこと。

・ヨーロッパの歴史との比較
 ・思想
  たとえば古代ギリシャではソクラテス・プラトン・アリストテレス
  などの偉大な思想家、哲学者が生まれたが
  中国においても中国としての歴史が始まったばかりの時代に
  孔子などの偉大な思想家があらわれている。

 ・大土地所有制
  ローマのグラックス兄弟やリキニウス法などが浮かぶだろうか。
  中国においてこれにあたるのが均田制などの土地制度である。
  いろいろな制度が出て来るがこれらの制度がつくられた背景、理由を
  しっかりと理解することが重要である。

・中国の歴史の特徴
・漢民族とそれ以外の異民族という視点
漢民族は農耕民族であり、それ以外の鮮卑・突厥・モンゴル民族らは
  騎馬民族である。
  農耕民族というのは一つの土地に定住し、
  戦争がしょっちゅうあったのでは土地は荒廃し生活ができなくなってしまう。
  一方騎馬民族はその機動力から広大な範囲に移動が可能で、
  かつ戦争には滅法強い。
この両者が中国の領土を巡って対立することになるのだが、
  これを漢民族と異民族の対立という視点をみると理解しやすい。
「節度使」は異民族の攻撃を防ぐための軍団の長であるし、
  有名な「万里の長城」も、もともと異民族が入って来るのを防ぐために
  できたものである。
  「漢民族のリーダーは異民族対策に手を焼いた」ことを念頭に置くこと。


・官僚制度
「科挙」は中国の歴史上では欠かすことができない。
単純に言ってしまうと中国の公務員になる試験だが、
世界中の歴史の中で最も苛酷で難しい試験として有名。
官僚制度の長所は民間から有能な人材を登用できる点にあるが
反面で彼らに関してかかるコスト
(彼らにかかる給料や政策実現のための予算)も大きい。
となるとそのコストを巡って問題が生じる。
   「宋」の時代、イギリス低迷期のサッチャー首相、 
現在の日本でさかんに言われる「構造改革」と
基本的には同様の問題である。

・その他
 ・騎馬民族のもたらしたもの
  騎馬民族の活動範囲の広さが中国におおくの文化をもたらした、
  と言う面がある。 
  とくにシルクロードの存在によりイスラム圏にも接しており
  ヨーロッパの大航海時代よりも早く紙の製法や活版印刷技術が
  伝わっていたことなどの事実は重要である。

  ・王朝間の政策における連続性に着目する。
例えば前漢の劉邦は秦の始皇帝があまりにも中央集権的であることから
王朝が滅亡したのをふまえて郡国制をとったし
唐代に中国文化が花開いたのもその前王朝、隋代の大運河の建設が
  経済発展を促したからといえる一面がある。
このように王朝間のつながりを意識することが重要である。

・中国現代史は国民党と共産党の対立の変遷を軸にみる。
両者のリーダー、政策が一体なんなのかに着目しながら見て行くこと。