「愛する夫よ、そのように言うのなら、私はお前の治めるところの民を、一日に千人縊り殺すことにしましょう」
伊耶那美尊(没年未詳)
「今、天神からこの問い合わせの勅があった。わが父は神避り奉るのがいい。自分もまた違いはしない」
事代主神(没年未詳)
「余はこの矛で功を治めることが出来た。天孫がもしこの矛で国を治めるなら、必ず平安を得るだろう。さて余は今、幽遠の冥界に、隠れ去るとしよう」
大国主神(没年未詳)
「大の丈夫なのに敵めの手に傷つけられ、仕返しもせずに死ぬのか」
五瀬命(没年未詳)
「ああ、吾が祖は天神で、母は海神なのに、どうして私を陸で苦しめ、また海で苦しめるのか」
稲飯命(没年未詳)
「吾が母と叔母は、二人とも海神である。どうして波を起こして溺れさせるのか」
三毛入野命(没年未詳)
「そもそも天神の子に、どうして二種類あるのだろうか。どうしてさらに天神の子と称して、他人の地を奪うのか」
那賀須泥毘古(没年未詳)
「尾張に 直に向かへる
尾津の埼なる 一つ松、吾兄を。
一つ松 人にありせば、
大刀はけましを 衣着せましを。
一つ松、吾兄を」
日本武尊(没年未詳)
「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火中に立ちて 問ひし君はも」
弟橘媛(没年未詳)
「臣は、たとえ殺されても、さらさら命を聞くことはありません。古人が、匹夫でもその志を奪うのは難しい、と言ったのは、まさに臣に適っています」
葛城円(没年未詳)
「それなら致し方がない。私を殺しなさい」
眉輪王(没年未詳)
「星川王が、腹黒で心の荒々しいことは、天下に知れ渡っている。不幸にして朕が崩じた後は、まさに皇太子を害するであろう。大連らの民部は、甚だ多い。努めて相助けよ。星川王に侮らせるな」
雄略天皇(479?年没)
「新羅王よ、わが尻を食らえ」
調伊企那(562?年没)
「汝は、新羅を撃って、任那を封建せよ」
欽明天皇(571年没)
「諸々の悪をするな。諸々の善を行え」
聖徳太子(621年没)
「我は生きていても誰を頼もうか」
境部摩理勢(628年没)
「ただわが情が願うのは、10年は百姓を使役しないということです。私一身の故に、どうして万民を煩わし労させようか。また後世、民が吾の故で自分の父母を喪ったといって欲しくない。どうして戦勝の後に、まさに丈夫だというのでしょうか。身を損なって国を固めるのもまた丈夫ではありませんか」
山背大兄王(643年没)
「日嗣の位に居るべきは天子です。臣はどんな罪があるのか知りません。どうか審に明察を垂れて下さい」
蘇我入鹿(645年没)
「我は何度生まれ変わろうとも、君主を恨んだりはいたしませぬぞ」
蘇我倉山田石川麻呂(649年没)
「天と赤兄とが知っている。吾はまったく解せない」
有間皇子(658年没)
「生きて軍国に何のつとめもしませんでした。死んで更に何を重ねて悩ませましょう」
中臣鎌足(669年没)
「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を
今日のみ見てや雲隠りなむ」
大津皇子(686年没)
「士やも空しかるべき万代に
語り継ぐべき名は立てずして」
山上憶良(733?年没)
「露の身の草のやどりに君をおきて
塵をいでぬる事ぞかなしき」
一条天皇(1011年没)
「頼朝の首を我が墓前に備えよ」
平清盛(1181年没)
「尼よ、私を何処へ連れていくのか」
安徳天皇(1185年没)
「いざ貴様ら、死出の旅路の供をせよ」
平教経(1185年没)
「見るべき事は全て見届けた」
平友盛(1185年没)
「遥かなる千尋の底へ入る時は
あかで別れし妻ぞ恋しき」
藤原範茂(1221年没)
「古来の一句 死も無く生も無し
万里 雲尽き 長江 水清し」
日野俊基(1331年没)
「当方滅亡」
太田資長(1486年没)
「運尽きたなら、城を枕とし腹を切って死すべし」
長野業政(1561年没)
「老いの身はいづくの土と成るとても
君が箕輪に心留まる」
安藤九郎左衛門(1566年没)
「春風に梅も桜も散り果てて
名にぞ残れる箕輪の郷かな」
長野業盛(1566年没)
「おぼろなる月のほのかに雲かすみ
晴れて行方の西の山の端」
武田勝頼(1582年没)
「白日青天 怒電走る」
千利休(1591年没)
「現世のことは変転窮まりなく、恒常なるものは何一つ無い」
小西行長(1600年没)
「自分が死んだなら、藩祖信之の祭られている白鳥神社の傍らに小社を建てて、真田家中興の感応明神として祭れ」
真田幸貫(1852年没)
「かくすればかくなるものと知りながら
止むに止まれぬ大和魂」
吉田松陰(1859年没)
「外国艦が下関を襲おうとしている。諸君は早く帰国して防衛にあたれ」
真木和泉(1864年没)
「討つもはた討たるるもはた哀れなり
同じ日本の乱れと思えば」
武田耕雲斎(1865年没)
「逝くさきは冥土の鬼とひと勝負」
山国兵部(1865年没)
「面白きことも無き世を面白く(未完)」
高杉晋作(1867年没)
「私は、私自身の為よりも妻子の為に忠義を尽くし、妻子の為に生きていきたいのです。徳川家が栄えようが、それが天朝様に代わろうが、私は、それよりも先ず私の妻子の、食うか食わないかを考えるのです。私は妻子の為に今、死にたくはないのです」
吉村貫一郎(1868年没)
「この間抜けが」
河井継之助(1868年没)
「婆さん、あの黒い猫は来てるだろうな」
沖田総司(1868年没)
「武夫の猛き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも」
中野竹子(1868年没)
「大幹や松の恵の露受けて
下草の木も育ちぬるかな」
樋口盛秀(1868年没)
「我はこの関門に留まりて、退く者は斬る」
土方歳三(1869年没)
「時態の変遷は古今に同じ
縦え有事あれどもあに関心あらんや
駆馳奔走何をおもうて還らん
悠々独り琴を撫するにしかず」
玉虫左太夫(1869年没)
「花は咲く柳はもゆる春の夜に
うつらぬものは武士の道」
楢山佐渡(1869年没)
「晋どん、もうここらでよか」
西郷隆盛(1877年没)
「定遠はまだ沈みませんか」
三浦虎次郎(1894年没)
「過ぎし世は夢かうつつか白雲の
空に浮かべる心地こそすれ」
飯沼貞吉(1931年没)
「話せばわかる」
犬養毅(1932年没)
「真心のあるかなきかは屠り出す
腹の血潮の色にこそ知れ」
林忠崇(1941年没)
「我が任務今はこれまで」
木村三雄(1942年没)
「男子われ防人となる甲斐ぞある
東半球の果てに死ぬれば」
那須弓雄(1942年没)
「拉孟の将兵は固く軍旗を守り、連隊長殿の帰られることを信じ、最後の一兵まで血戦を続けます。小雀はチューチューと啼いて、親雀の帰りを待っています」
真鍋邦人(1944年没)
「笑ってください、母上様」
石田実栄(1944年没)
「生還不期、心に決めてありし故、ひたぶるにしも、われは征きたり」
北沢今朝治(1944年没)
「今や戦うに武器なく、攻むるに砲類尽く破壊し、戦友また相次いで倒る。今や止まるも死、進むも死、死生すべからくその時を得てこそ日本男児の真骨頂あり。我らは今大敵に最後の一撃を加え、太平洋の防波堤としてサイパン島に骨を埋めんとす」
南雲忠一(1944年没)
「われ身を以て太平洋の防波堤たらん」
小畑英良(1944年没)
「サクラ、サクラ」
中川州男(1944年没)
「かまわず敵を撃て」
前田孝夫(1945年没)
「ムニオスを死守して、任務を完遂せよ」
井田君平(1945年没)
「湊川だよ」
野中五郎(1945年没)
「わしは、敵に追われて北海道の果てで最後の決戦をする夢をみた。…この戦争は善人の血を流すべき戦争ではなくなったと思う。死すべき者は早く死に場所を選ぶべきである。…今まで装備の優劣により勝敗は決するものではなく、最後の勝利は精神力で決するといわれたが、装備の劣勢は如何ともし難い。…」
橋本実(1945年没)
「醜草の島にはびこるその時の
皇国の行く手をいちずに思う」
栗林忠道(1945年没)
「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別の御配慮を賜られんことを」
大田実(1945年没)
「矢弾尽き天地染めて散るとても
魂還り魂還りつつ皇国護らん」
牛島満(1945年没)
「醜敵停滞南西地
飛機覆空艦圧海
敢闘九旬一夢中
万骨枯尽走天外」
長勇(1945年没)
「一死を以て大罪を謝し奉る」
阿南惟幾(1945年没)
「之でよし百万年の昼寝かな」
大西滝次郎(1945年没)
「人間の性根は、学校に通う前に我が家の母の教育によって形作られる。自分の遺言は、婦人の教養を高めて、良い母をつくること。それだけを祖国に望む」
山下奉文(1946年没)
「正しきを守れと教ゆ孟宗竹
雪にもめげぬ姿尊し」
東条英機(1948年没)