アッパレ!!うちの母殿


開かずの金庫

病院へ行けない

3世代北海道旅行

酒乱客の相手



開かずの金庫


?年前、私が23歳で、娘が3歳のとき、父上が亡くなった。

葬儀も終わり、ホッとしていたころ母から電話があった。


母 「ちょっとえみちゃん!大変!!金庫が開かないのよ!!!
   金庫屋さん、呼ばなくちゃ!!!」


父はたいそう用心深く、ダミーの鍵を3コほど、あちらこちらに置いていた。

妻ならそれくらい知ってるだろうに・・・?知らない?


私 「どこにある鍵、使った?」

母 「?どこそこの鍵。」

私 「あーそれダミーの鍵だよー。今からそっち行くから待ってて!」



父から教わったとおりの鍵で、ほどなく金庫は開いた。

妻なのに知らなかったのである。

父は最初の入院前、私を呼んで金庫の開け方を教えてくれた。

そして万一の時は、私の名前で貯金してあるものは持ってっていいだとか、

預貯金関係の父の手書きの帳簿のようなものも全部見せてくれた。

私は言われたとおり、金庫を開けてからもらっていった。

そして父名義の財産分与はすべて放棄の手続きを取った。

そう申し出たとき、母と弟は目配せし、しめしめという顔をしたような

・・・気がした。

私と父は性格が似ている。曲がったことが嫌いで誠実でありたいと思っている。

ときどき自分でも「損な性格だー」と思う。

父から信頼されているだろうとは思っていたが、母に何も言わないとは・・・

夫婦ってなんなんだろう?

自営業だからいつも一緒に居て、ぜんぜん仲が悪いなんてことはなかったのに。

自分が死ぬかもしれない。

と思っていることを一緒に暮らしている母や弟に悟られたくなかったのだろうか?

私は結婚して出てっているので、私に言ったほうが気が楽だったのだろうか?

未だに謎だ。

病院へ行けない


数年前、母の頬にできものが出来てちっとも治らなかった。

そしてある時、祖母(母の母)が急死した。

その葬儀のとき、母の一番下の妹が、


「お姉ちゃん、そのできもの普通じゃないよ!病院で診てもらったら?」


と言った。

近所の皮膚科へ行くと、大きい病院を紹介された。

そこで診察して、さらに大きい病院で手術を受けるよう紹介された。

結果は、良性の皮膚ガンで、切除すれば転移の心配はまったくないとのこと。

当日は私が仕事を休んで付き添った。

手術室ではなく、皮膚科の処置室で、3時間くらいかけて切除した。

終わってから、私も医師に呼ばれて説明を受けた。

それから先生が、消毒に通うようにと母に言ったときのことだ。


母 「えみちゃん、また連れてきてね。」


と、当然そうに言う母に、


私 「今日休んだばかりだから、仕事休めない。」


と言った。
そしたら母は、こともあろうに先生に


母 「先生、娘が仕事だから私来れません。」


とのたもうたのだ。(ToT)
オイオイ なんちゅーことを言うねん。

先生は呆れ顔でこうおっしゃった。


先生 「2本の立派な足があるでしょう?わざわざ娘さんをわずらわせなくても
    
    バスにでも電車にでも乗ってこれるでしょう?」
母  「あっ!乗っていいんですか?」


と初めて気付いたかのように言った。

あまりに呆れはて、言葉を失ってしまった。

3世代北海道旅行


父と母はたいへんな働き者だった。(特に父)

そして暮らしは質素そのもので、外食したのも父が生きていたころは

正確に覚えているほどしか行ったことがない。

お盆とお正月に祖父母の家や、親戚のところへ行くとき以外、休んだことがない。

しかも父方の祖父母も、母方の祖父母も、知多半島にいたので日帰りだ。

だから家族旅行などしたこともない。

そして自営業なのでいつもいつも家にはどっちかは必ず居る。

父の没後、何年かが過ぎ、すっかり元気になった母は、

母と私と娘の3人で北海道へ行こう!費用は出すから。

と言うので、「ラッキー♪」てなわけで3泊4日の北海道ツアーへ出掛けた。

母は太っていて、体重で膝に負担が掛かり、かなり足が遅い。

私と娘は割合、歩くのが早いほうで、同じくらいの歩調だ。

ツアーは半日近くバスに乗りっぱなしで、見学時間が少ししかない。

私と娘は平気だが、母はだんだん疲れてきたようだ。

ある時、坂の多い場所で降りた。見学時間はわずかなのに広い敷地だ。


私 「おみやげやさんで待ってる?」

と声を掛けると

母 「そうするわ。」

と言うので、二人でつかつか登っていった。

戻ってみると、母はちょっといじけてるみたいだった。




最後の晩、札幌市内に泊まった。

夕飯にラーメンを食べ、ホテルに戻ってお風呂に入った。

ホテルのお風呂は不便だ。

一人ずつ入らなくてはならない。

母が入浴中に滑ってころんだりしては大変と、母が上がるのを見届けてから、


私 「私たち、その辺をブラブラしてくるわ。」


と娘と二人で夜の大通り公園を練り歩いた。

なにをするってわけでもないが、二人でのびのびできて楽しかった。




いくら自分の母とはいえ、離れて暮らしていると何かと気を使う。

いや、子供のころから母には結構気を使ってきた。

娘も母が家に来るときなど、適当に愛想良くふるまっている。

内心、(早く帰らんかな?)と思っていても、そんな素振りはまったく見せない。

ちゃんと玄関まで出て行き、手を振って見送っている。

そんな時、我が娘ながら、なかなかえらいもんだ!と感心する。

母のなににそんなに気疲れするかというと、時々ギョッとする発言をしたり、

まるで世間知らずのような、ビックリする行動をとることが多いからだ。

親戚中が集まるとき、よく「お母さんは相変わらずだね。」などと言われる。

私は「すみません〜」と謝って歩いていたりする。

お陰で私は、人の目を異常に(母が気にしない分まで?)気にする。

あまりにもポーカーフェイス(感情を外に出さない)なので人からはよく

「なにを言っても笑って受け流してくれる人」と思われるが実際の私はそうではない。

けっこう言いたいことを言えなかったり、我慢してたりするのだ。

仲のいい人は知っているが、そうでない人は気付かない。

私のことをよく知らない人は私の血液型がA型とはまず思わないであろう。

どんどん実体とかけ離れていっているようなので、最近それをやめてみようかな?と思っている。

なぜって、そう思われているがゆえに、必要ないときに傷付いたりするからだ。

・・・かといって、「すんごい神経質〜」って思われるのも嫌だし、

必要以上に他人から気を使われるのも申し訳ない気がする。

見かけと違って、傷付きやすいけれど、別に暗い人間ってわけでもないし、

楽しそうにしてたほうが実際楽しいし・・・そのへんのバランスが難しいところだ。

とにかく嫌なときに瞬時に嫌な顔ができるようになるのが今後のテーマだ。





話がそれたが・・・満足してホテルへと戻った。



母 「心配で眠れんかったがね。」

とご立腹だ!寝てればいいのに〜〜〜。

私が付いているんだし、別に心配されるお年頃ではないのだけれど・・・。

本当のところは、二人だけで行ったのが面白くなかったんだろうと思う。

帰りに飛行機を降りたあと、他のツアー客に私と娘のことを



母 「これたちはホントに仲が良くて姉妹みたいなんだわ〜。」

と言っていた。(イヤミかも?)



そんな母も最近は、老人会とやらに入って、友達が出来たので、

母に付き合って、ド演歌や民謡を聴くこともなくなった。

老人会の仲間と楽しく過ごせているようで良かった・良かった。


酒乱客の相手


家は販売業をしている。(飲み屋ではない)

時には酒乱のお客さんも来る。

ある時、父が酒乱のお客さんに絡まれていた。

が、それ以上興奮させまいと大人しく振る舞っていた。

そんな時、様子をうかがっている私たち姉弟は、

必要があれば、こっそり2階へ行き、親子電話で110番通報する。

父が酔っ払い客に、

「その腕時計ちょっと見せろや。」


父は質素なので無論ブランド物でもなんでもない腕時計だ。

と、その時、突如、母は怒りだした!!!

「ちょっとあんた、なにすんの!!!」


と。

たまたま勢いに負けて相手が引き下がったから良かったものの、

私たちは冷や冷やものだ。



アッパレ!!母殿。

あんたにゃ降参だーーー!!!┗(-_-;)┛