「愛のカタチ」

 

鶴田鉄男は逃げていた。

彼は今まで数人の女性から、多額の現金を騙し取っていた。

言葉巧みに女性に近づき、信頼を得ると、結婚を約束する。そして、

「親が癌で手術にお金が必要だ」

「交通事故を起こしてしまった。被害者に見舞金を払わなければならない」

等の嘘をつき、現金をせしめると、行方をくらませるのである。

もともと、架空の住所しか教えていないので、女性達には彼を捜す術がない。

また、騙されたことにさえ、気付かない場合さえあるのだ。

 しかし、10日ほど前に、彼はしくじった。  

またしても言葉巧みに近づいた女性が、実は警察官の娘であった。

娘の様子がおかしいことに気が付いた父は、すぐさま怪しい娘の交際相手を調査したのだ。

鶴田は、追われる身となり、鞄ひとつを車に放り込み、九州の田舎まで逃げて来た。

だが、あろうことか、山の中で、パンクしてしまったのである。

鶴田は仕方なく、鞄を抱くと車を降りた。 前を見ても後ろを見ても、人家らしきものは無かった。

ただ、アスファルトの曲がりくねった道があるだけだ。

「ち、ひとつケチがつくと、悪いことばっかり起きやがる」

悪態をつくと、とりあえず歩き出した。 9月にはいってはいたが、残暑も厳しく、たちまち汗だくになった。

アスファルトの道というものは、車の通行のみしか考えていないなどと考えながら、彼は歩いた。

3qほど歩いただろうか、道が二つに分かれていた。

T字路である。 右に行こうか、左に行こうか迷った。

看板も何も無く、道にはただ、白線で矢印が書いてあるだけである。

鶴田は、直感的に、右に行こうと思った。

歩きだそうとしたとき、人の声がした。 彼が進もうとした道の路肩に、少年が立っていた。

大きな楠木の枝が作る木陰の下に少年がいた。

しばし、その少年に見とれてしまった。

異様な程白い肌、黒曜石を切り取った大きく黒い瞳、血のように紅く細い唇。

それらがまるで神の造形さながらに整っている。

星々をちりばめた新月の闇かと思うほどの漆黒を糸に裂いた前髪が、緩い風にそよいでいた。

鶴田が聞いた言葉は、その少年が発したものであった。

「そちらに行ってはいけません」

紅く薄い唇が動き、白昼夢を誘う声で言う。

「え?」

鶴田はとまどった。

「そちらに行ってはいけません」

また少年が言った。

「こ、こっちへ行くなと言うことかい?」

「そうです」

背中にかいた汗が、急激に冷え出すのを感じた。

「な、なんで、そんな事言うんだよ」

「そちらは危険です」

「わけのわからない言うなよ」

「僕は、ただ、そちらに行ってはいけない、と」

「いいや、俺はこっちに行くんだ。こっちに行くと決めた。文句あるかよ」

少年にそう言い返したとき、言葉の先には、もう、その姿は無かった。

「お、おい、どこ行きやがった」

まわりを見渡した。ツクツクホーシの鳴く声と、風に動く茅の葉が擦れ合う音だけが彼を包んでいた。

 

「なんだよ、まったく気味のわるい奴だぜ」

分岐点を過ぎ、数分歩くと、道が狭くなってきた。

やがて、アスファルトの舗装が途切れ、砂利と赤い土だけの道となった。

「畜生、さっきのガキが妙な事を言いやがるからだ」

彼は再び悪態をつき、それでも狭くなった道を歩いた。

ところが、道は急に開け、白い洋風の建物が見えて来た。

手入れが行き届いた、美しい家であった。

白い木の柵で区切られた庭で、鍔の大きな帽子を被った、白いワンピースを着た女性が、水をまいていた。

ほっそりとして華奢な、美しい女性であった。

「なんだ、この道は、この家に向かう一本道だったのか」

と鶴田は思った。 歩み寄り、女性に道を聞いた。

やはり、先ほどのT字路を、逆に進まなくてはならなかったのだ。

「でも、せっかくここに来られたのですから、少しお休みになられて行ったら?冷たいお飲物でも用意しましてよ」

年の頃なら三十半ばであろうか。上品な物腰とゆったりとした話し言葉で、育ちの良い事がわかる。

鶴田の触手がもぞもぞと動き出した。 彼らの様な人種にとって、一番の獲物は、婚期を逃しかけた世間知らずな女性である。

目の前に絶好の獲物を見つけた鶴田は、言葉に甘えることにした。

家の中に入ると、思った通り、上品な家具がそろっていた。

メープルイエローのテーブルにお茶を出された鶴田は、それとなしに家族構成を尋ねた。

「私ひとりなのですよ。父と母な無くなりました。一緒に住んでいた姉と妹は、それぞれ伴侶をみつけ、ここを出て行きました」

「そうですか」

「ね、あなた、おひとりなのでしょう?ここにしばらくいらっしゃらない?」

しめたぞ。しばらくはここをねぐらにさせてもらおう、鶴田は心の中で舌なめずりをした。

「え?でも、それはまずいですよ。女性一人でお住まいの所に、私みたいな男が」

女性という獲物の前では、言葉使いも改まる。この男の狡猾なところだ。

「私は、貴方がいらしてくださった方がうれしいのだけど」

上目使いに鶴田を見る。

かかった、と鶴田は思った。

今までの経験から、様々な嘘をつき、騙した女性達が落ちる直前に見せる表情と同じである。

容姿に自信がある鶴田は、この女性が、一目で自分の虜となった事を理解した。

もしくは 一人暮らしで寂しいところに偶然舞い込んだ男に、寂しさを癒して欲しいのかもしれない。

ともかく、鶴田にとっては格好の獲物である。

その日から、鶴田は彼女と一緒に白い洋館で暮らした。

彼女は本当に働き者であり、朝早く起きては食事の準備をした。

昼は家の手入れをして、夜は遅くまで編み物をしていた。

予定が変わっていた。当初、鶴田は四五日滞在したら、金をだまし取りまた行方をくらますつもり

であった。

鶴田は今までに無い充実感を得ていた。

彼女と一緒に居ることで、精神的な安心感があるのか、はたまた、彼女の料理が旨いのか、

彼はこの洋館に入る前と比べ、7s程体重が増えていた。

鶴田にとって、彼女の存在は、騙す相手から、精神的なより所へ変化していった。

結婚詐欺師にとっては御法度である。

しかし、この女性となら、一生を添い遂げても良い、そう思える様になっていた。

一ヶ月が過ぎ、秋が、紅葉とともに、北から急ぎ足で降りてきた。

鶴田は庭で、落ち葉を掃いていた。

 

「ここに来てはいけないと言ったでしょう」

声がした。聞き覚えの有る声だ。 振り返る鶴田の目前に、少年が立っていた。

一ヶ月前、分かれ道に立っていた少年である。

漆黒の前髪を揺らす風は、とうに秋のものとなっていた。

「いや、お前が行くな、と言った道を通ったお陰で、俺は今とても幸せだ」

細く紅い唇は、鶴田の言葉を解せず、たんたんと言った。

「今、彼女の注意は逸れています。ここを出るのなら今をおいてありませんよ」

黒く大きなひとみが、細められ、顔を動かさず家の方を見た。

「何を馬鹿な事を言う、ここから逃げ出せとでもいうのか」

「そうです。今ならまだ間に合います」

「俺は、彼女を愛している。彼女も俺の事を愛しているんだよ」

「どうやら、もう手遅れのようですね」

少年の顔に憂いの色が浮かんだ。それは湖面にたつさざ波に似て静かに

消えていった。

鶴田が家の方を見て、再び振り向いたとき、すでに少年は無かった。

「まったく、気味の悪いガキだぜ」

家の中から、彼女が出てきた。

「あなた、ね、ちょっと聞いて欲しいことがあるの」

あなた、とは鶴田の事である。

「なんだい?」

「あのね、出来たみたいなのよ」

彼女は、鶴田の掌をとり、自分の下腹部にそっとあてた。

「え、俺達の子供が出来たのかい?」

彼女は顔を少し赤らめて頷いた。

鶴田は嬉しかった。

人を騙してばかりだった生活からやっと足を洗い、人並み以上の幸せを掴む事が出来るのだ。

「ね、あなた、あたしの事、愛してる?」

彼女が聞く。

「ああ、勿論さ」

「この子の事も?」

お腹に手を当て、そして鶴田を見る。

「ああ」

鶴田は彼女を抱きしめ、キスをした。 これこそが、本当の愛だ、と思った。

今まで騙した女達よ、済まない。こうやって、本当に愛して愛されて、やっとわかったよ。

「ね、あなた」

彼女が言った。

「この子をちゃんと育ててくださる?」

彼女がお腹にそっと手を当てながら訊いた。

「ああ、当然だよ」

「ありがとう。あなたの愛は決して忘れないわ」

 

ドス、と衝撃があった。

鶴田は頸椎を大きな針で刺され、倒れた。

針は、彼女の尻から生えていたものだ。

「な、何を」

と声をだそうとしたが、口も身体も動かない。だが、意識だけははっきりとしていた。

なぜ、なぜ彼女はこんな事をするんだ?

鶴田は彼女の行為の意味が全く分からなかった。

彼女は、六本の手足を器用に使い、倒れたまま動けない鶴田をいつの間に掘ったのか、

大きな穴に引きずり込んだ。 そして、大きな卵をひり出すと、それを鶴田の横に置いた。

「ありがとう、あなた。もうすぐ冬がくるから、私は死んでしまうの。でもその前にあなたと愛し合い、この子を産み落とす事ができたわ。

この子はもうすぐ孵化するの。心配しないで。あたし達の子どもは、貴方の肉を食べて大きくなり、来年立派な大人に育つのよ」

巨大な複眼から涙を流すと、彼女は鶴田と卵を入れた穴に蓋をした。

「ありがとう、あなた。あたし、貴方を愛して、貴方に愛されて、本当に幸せだった」

そういい残すと、彼女は透明な翼を羽ばたかせ、森の中へ飛び去り、それきり姿を見せなかった。