迫田和己は、二人の部下を連れて測量をしていた。
蝉の声が、青い空の下、まばらに生えるクヌギの木に木霊する。
7月下旬。九州の高温多湿な気候の中の測量は、機械を覗くだけでも重労働である。
歩くだけで、汗が首筋をつたう。
夏草が膝の高さまでのびて、安全靴の運びを邪魔する。
三人は、一仕事終え、こんもりと盛り上がった線路跡地に居た。
三日前からこの現場で作業していたのだが、思いの外はかどったので、一休みすることになった。
陽は少し西に傾き、3人のいる場所は、木陰である。
ときおり、良い風が吹く。
十数年前に廃線になったローカル線路跡は、既にレールも枕木もなく、砂利だけがかつての面影を
残していた。その砂利も、雑草でまばらにしか見えない。
三人はそこにそれぞれ腰を下ろした。
風が少し強くなり、涼しくもあった。
いつしか、三人はまどろんでいた。
ガタンガタン
ガタンガタン
シー
次は西鏡原。
だみ声に近い運転士の声が聞こえる。
ゴーっというディーゼル機関車独特の音が響く。
「迫田さん?」
部下のひとりが、迫田の肩を揺すった。
目が覚めたのは、何故か列車の中であった。
土臭いトンネルをくぐり、列車は鉄橋を渡る。
赤くさびたトラス構造の鉄橋は、わずかにカーブを描いていた。
アルミ枠の窓は一番上まで上げられており、風が勢い良く三人の髪をかき上げた。
迫田は窓から顔を出した。
大きな川を渡っている。
「あ!」
迫田の帽子が風にあおられ、飛んだ。
「しまった、気に入ってたのに」
部下の一人が言う
「迫田さん、僕たち、いつのまに電車に乗ったんでしたっけ?」
「俺も、それを考えていたんだけどな」
話をしている間にも、列車は進んでゆく。
見渡すと、三人の他にも、乗客がいた。
和服を着た白髪の老婆。
行商人風の男。
それぞれが、一斉に三人を見た。
老婆が迫田に問う。
「どこに行きなさるんじゃね?」
学生服を着た高校生も問う
「どこに行くのですか?」
全ての乗客が、一斉に、三人に問う。
「どこに行くんだい?」
背筋に冷たいものが走った。乗客の顔が全て同じ顔になった。
子供も、大人も、男も、女も。
大きな口をあけて、問う。
「どこに行くんだい?」
三人は、もう声も出ず、お互いの身体を力の限り掴んで放さなかった。
乗客が笑い始めた。
けけけけけ。
くくくくく。
かかか。
ひっひっひっひっひ。
列車の中はいつの間にか夜になっていた。
はっと気が付いた三人は、辺りを見回した。
またもや眠って居たらしい。
それでも列車は、ガタンゴトンと走っている。
連結部のドアが開き、車掌が歩いてきた。
帽子を深くかぶっていた。
夏だというのに、長袖の制服を着ている。
その袖から出ている手は、毛むくじゃらだった。
毛むくじゃらの手には、切符切りの挟みが握られていた。
「お客さん達、西鏡原からお乗りだね」
帽子の下からは、大きく光る眼と、長い髭が覗いた。
ネコの顔をしていた。
「切符を見せて下さい」
毛むくじゃらの手が三人の目の前まで伸びて来た。
三人は無言だった。切符なんて持っていなかったし、何より車掌の姿に驚いて声も出ない。
「切符を見せて下さい」
同じ言葉だったが、2度目の言葉尻で、少々いらだっているのがわかった。
「あ、あの、切符は持っていないんです」
迫田がやっとの事で声を絞り出した。
「何?」
車掌の声色が変わった。
「切符も持っていないのに、この列車に乗ったのですか?」
言葉は丁寧だが、明らかに怒りの感情を抱いている声であった。
「降りて下さい」
車掌はきっぱりと言った。
「わかりました。降ります。でもどうやって降りたらいいかわからなくて」
迫田が声を絞り出す。二人の部下は、顔面が蒼白となり、声も無い。
車掌は、ゆっくりと腕を上げると、長い鍵爪のついた指で、窓を指さした。
「そこから降りるんですよ」
「ま、窓からですか?」
「そうです。そこから降りてください」
窓の外は闇であった。ただ風が吹いているだけで、何も見えない。
「早く、降りるのです」
「そ、そんな事言ったって・・・」
「早く」
車掌の声と一緒に、いつの間にか、他の乗客も叫んだ。
「早く」
皆、迫田達を見ている。
真っ赤な口をあけて、一斉に叫ぶ。
「早く」
覚めない悪夢の中にいる迫田達は、気が狂いそうになるのを必死で押さえ、窓を開けた。
そのとき、車掌を始め、列車内の客が一度に押し寄せて来た。
「降りろ。降りろ。降りろ。」
「早く。早く。早く。」
迫田達を窓の外に放り出す。
暗い闇の中を、どこまでも落ちてゆく。
再び、迫田達は気が付いた。
さわさわと風が吹いていた。
遠くに車のライトが光っていた。
街の灯も遠くながら見える。
どうやらそこは河川敷らしかった。
空には月が昇り、黄色い光を、てらてらと川面が映していた。
何かの呪縛から逃れ、三人は街の灯りに向かい、大声を上げながら走り出した。
「というのが、測量を委託した業者の言い分なんだよ」
平川町長の中村は、人の良さそうな顔に汗をいっぱいかきながら、少年に説明している。
平川町は来年度から地域活性事業とかいう大型プロジェクトを導入し、保健福祉センターを
建設する予定であったのだが、建設予定地の測量を委託した業者が、
「あそこには建てない方がいい」と言ったきり、契約金まで返上して仕事を降りてしまった。
何故か、他の業者も嫌がり、入札が成り立たないのだ。
測量設計が出来ないことには、事業はストップしてしまう。
地方の小さな自治体が、国から補助金を借りて事業をするのに、今更工事をストップするわけにはいかない。
そこで町長は、隣町の「虚空寺」というところにお祓いを依頼したのだ。
月也が立っているのは、迫田という測量技師が「背筋が凍る」体験をした場所であった。
町長と助役が月也の背中に隠れる様に立つ。
「なんか、感じるかね?」
町長はおそるおそるといったふうに月也に尋ねた
「いえ、今の所は・・・」
そう言いかけた月也の言葉が止まった。
「来ますよ」
月也の唇の両端が、きゅっとしまる。
がたんがたん。
がたんがたん。
しー。
草間からレールも無い山の中を列車が走って来た。
木々や草をすり抜けて、列車が月也の前で停まる。
ドアが、プシューッという音とともに開いた。
「西鏡原、西鏡原でございます。次は・・・」
月也は開いたドアから、列車に乗り込んだ。
列車は、動き始め、半透明になり、やがて消えた。まるで風を見ているようであった。
町長と助役は、ぺたんとそこに座り込んでしまった。
月也は座席に座った。
間もなく、車掌が入って着た。
「切符を拝見致します」
毛むくじゃらの手を月也の前に差し出す。
「ごめんなさい。僕は切符を持ってないんだ」
「切符を持たずにこの列車に乗ったのですか?」
「はい。自分で乗ったのですよ」
「自分で?」
車掌の大きな目が光る
「この列車が走っているという話を聞いてね」
「あなたは・・・・・・」
ネコの眼が、親しい者を見る優しげなものになった。
「わかりますか?僕が」
「もちろんです。風の列車にようこそ」
「先日、この列車は、人間を三人乗せたでしょう」
「はいはい。乗せました。この風の列車の線路になにやら建物をたてるとか。それでちょっと悪戯してみました」
車掌は髭をぴくぴく動かしながら言った。
「僕が、建物の設計をする人間に言って、線路に当たるところには、建物を建てないように進言するから、許して
やってもらえないだろうか」
「わかりました。あなた様のおっしゃる事ならば」
「ありがとう」
車掌が、ネコの手で、髭をこすりながら言う。
「私たちは、ここにあったローカル線の"記憶"なのです。かつて金鉱山でにぎわい、たくさんの人々が利用していた頃の。もう、十数年前に廃線になってしまいましたが、今もこうして、記憶だけはかつての路線の上を走っているのです。この世界は、何も生きているものだけの物ではないということを、わかって欲しかったのですよ」
列車は、スピードを緩め、河川敷に停まった。
開いたドアから月也は降りた。
列車は再び走り出し、空へ駆け上がると、そのまま消えた。
平川町に総合福祉センターが完成したのはそれから二年後であった。
何故か、旧線路跡地を避ける様に建物が建てられていたが、誰もそのことについて疑問を持つ者はいなかった。