追  跡
 

路面に張った雨を裂くタイヤの音。
強くなり、弱くなりながらも斜めに路面を叩いている雨。
中村透は残業を終え、家路を急いでいた。
フロントガラスにまとわりつく細い雨を、ワイパーがけだるそうにふき取っていた。
ヘッドライトが照らす二つの円筒形の部分だけに、雨の筋が見えた。
路面の白線が、黒いアスファルトの中に浮かび上がる。
彼には二人の子供がいた。6歳と4歳の男の子だ。可愛い盛りである。
不景気だというのに、残業だけは減らないと独り言を言いながら、家路を急いでい
た。
カーステレオからは、ありきたりの歌謡曲がAM電波特有のスピーカ音で車内に響いて
いた。
ふと、後ろから付いてくる車に気が付いた。
ルームミラーで後方を見ると、白い光がふたつ、彼の車のすぐ後ろで光っている。
普段なら、ここで車を路側帯に寄せ、後ろの車に道を譲るのであるが、今日は一刻も
早く家に帰りたい気持ちから、彼は、アクセルを踏んだ。
しかし、後ろの車は全く同じ間隔で追いてきた。
くそ、あおろっていうのか、と中村はまた、余分にアクセルを踏み込んだ。
しかし、離れない。
スピードメーターは90qを指している。
これ以上のスピードは危ない、と思い、彼はアクセルを放した。
後ろの車は信じられない動き、それは車の重さを全く感じさせない、B級SF映画の
特撮でも見ているような感覚で、中村の車の横に並んだ。
シルバーのワゴンであった。二つの車は併走していた。
「すみません、急いでいるのです」
静かな声が中村の車の中に響いた。彼はとっさに空耳だと思った。この車には自分し
か乗っていないのだ。ラジオの声がときたまリアルに聞こえる事がある、それだろう
と思った。
「子供が塾で待っているのですよ」
再び声がした。中村は、背骨を引き抜かれ、替わりに氷柱を差し込まれた様に、寒気
を感じた。声は助手席からしたのだ。見てはいけない、見てはいけない、そう、心の
中の危険信号を、もう一つの気持ちが抑え、ついに彼は助手席を横目で見た。
男が座っていた。人の良さそうな顔をした、しかし、顔色の全くない40過ぎの男性
であった。
中村の心臓は、爆発寸前であった。精神も今の状況から必死で逃げ道を探していた
が、袋小路に陥るだけである。
「はやくいかなきゃ」
男の身体が、すうっと薄くなり、助手席から消えた。
中村が耐え切れたのはここまでだった。
「え」と「あ」の間の声をあらん限り張り上げ、ブレーキを力いっぱい踏みつけた。
 

「また、ここで事故かよ。別に見通しが悪いわけでもないのになあ。真孝町に赴任し
てからこれで3件めだよ。」
真孝警察署交通課長の羽成はため息をついた。
雨の夜、家路を急いでいた車のスリップ事故の現場検証であった。
運転手は何故か雨天の中急ブレーキを踏み、結果車はスピンして、路側帯を飛び越
え、隣接する林につっこみ、運転手は胸骨と大腿骨骨折の重体である。
全くの自損事故であり、普通なら警察の役目としては事故調書をとるだけなのだが、
何も障害物もなく、見通しの良い場所で、もう半年間に3回もの事故が起きているた
め、危険個所のチェックということもあり、部下の斉藤を引き連れやって来たのだ。
「斉藤君、どう思う?ここでなんで事故が起こるんだ?」
「いや、自分には、わかりません。いたって普通の道ですし。ただ、3人が3人とも
急ブレーキを踏んで居るんですよね。タヌキでも飛び出したんでしょうか?」
「たぬきか・・・・そんなかわいいものならいいんだがな」
羽成は前回の事故の時も、回復した運転者から、事故の事について聞いたことがあっ
た。
そこで出たのが、たぬきならぬ「シルバーのワゴン」であった。
事件は何れも、雨の日の午後10時前後、町道○○線を走っている車が一人相撲的な
事故を起こすものであった。何も障害物も無い場所での急ブレーキの原因は、「シル
バーのワゴン」に追いかけられて起こした、らしいのだ。
羽成はタチの悪い走屋の仕業だと考えた。事故を起こした複数のドライバーが証言し
たのだから当然であるが、彼は肝心な事を理解していなかった。

 数日後、羽成は現場を訪れた。覆面パトに乗って、現場を走ってみたのだ。
 彼の考える犯人が罠にかかるかもしれない、そう思ったのだ。
午後10時を過ぎた。逢魔が時である。
 しかし、彼が走っても誰もついて来なかった。羽成は数回、現場を往復した。
 4回目で、街灯の下に少年が居ることに気が付いた。
 16歳から17歳くらいの年齢だろうか。色の白い、恐ろしく整った顔だちの少年
であった。黒いズボンに、黒いサマーセーターを着ていた。細身の身体にぴったりと
した服であるが、少年の体系は理想に近く、美しさを更に強調する事を手助けしてい
た。
 街灯に照らされた顔、黒い髪に大きな瞳。細く高い鼻梁と少女の様な唇。
 羽成は一瞬見とれてしまい、あわててブレーキを踏んだ。
「君、まだ高校生だろ。こんなところで何をしているんだ」
いつもの補導口調であったが、心の井戸の底には、得体の知れぬ少年へ対する恐怖心
があった。羽成は警察官である。体術には自信があった。細身のこの少年の腕など、
簡単にねじあげる事が出来るはずである。しかし、この少年には、体術とか暴力とは
次元の違う別の力を感じるのだ。

少年の桜色の唇が開いた。
「僕はここで、友達との約束を守らなければならないのです」
静かな声であった。また、絹で出来た声帯があったら、このような声を出すのかと羽
成を
驚かすほどの、声でもあった。しかし、言葉に力がある。
羽成は、少年の言葉に逆らって、補導などする事は出来そうになかった。
少年を見る目が伏せ眼がちになる。
「貴方は警察の方ですね?」
「そ、そうだが」
「あなたが事故の犯人をおびき出そうとしている事はわかります。ですが、正直に
言って、
犯人は、あなたの手に負えるものではありません」
羽成は驚愕した。自分が今起こしている行動は、仲間にさえ話していないのだ。それ
を目の前の少年は真実として言葉にだしている。
「悪いことは言いません。ここを立ち去るのです」
少年の言葉に気圧されながらも、羽成はかぶりを振った。
ギヤをバックに入れると、車を方向転換させ、今走って来た道を帰った。
少年は、羽成の運転する車を見送り、口元に安堵の表情を作った。
が、
ぽつぽつ、と雨が降り始めた。街灯が作る光のテントの中を、大きな雨粒が斜めに奔
る。アスファルトが濡れた匂いが、闇の中に昇華してゆく。
「予想より早い雨。まずいですね」
少年は、言葉を吐くと、羽成の車のあとを追い始めた。

羽成は車のハンドルを力の限り握りしめていた。
見ず知らずの少年に圧倒され、体中に鳥肌がたっていた。
「あいつ、一体何者だ?氷の様に冷たい眼をしてやがった。この俺が、気圧され言い
返せなかった。あんな奴と関わり合いになるのはご免だぞ」
しかし、羽成の心を更に恐怖させるものが、後方から迫りつつあった。
二つのヘッドライトが、羽成の車のすぐ後ろに迫っていた。
その灯りはすぐに横に並ぶ。
そして、声がした。
「急いでいるのです」
悲しげな、男の声であった。
羽成は心臓が口から飛び出しそうだった。
これか、これが事故の原因か!瞬時に悟ったが時既に遅しであった。
彼の車の助手席には、居るはずのない男が座っていた。
そして、羽成に話しかけた。
その一刹那、フロントガラスを蹴り破り、少年が車内に入って来た。
「この人を見てはいけません」
街灯の下で、羽成と話した少年である。
少年は、自分の2倍はあろうかという羽成を抱きかかえ、運転席のドアを蹴破り、外
に飛び出した。時速80qの車内から、大男を抱きかかえたまま飛び出した少年は、
まるで子供を抱くように、羽成を抱いたまま、空中で前方に一回転すると、羽毛の様
にアスファルトの道路に着地した。
「ちょっとここで待っていて下さい。いいですか、ここから絶対に動かないでくださ
いよ。少しでも動けば、アレは貴方を再び襲います」
羽成の車を追っていた二つのヘッドライトは方向を変え、羽成と少年の方へ戻って来
る。
「轢かれる!」
と、とっさに羽成は動こうとした。
「動かないで!」
少年の叱咤の声が羽成の動きをとめた。
迫り来る二つの光を真正面に、少年は立っている。
そして、羽成は見た。
浅く腰を落とした少年が、指先で闇の中に文字を書く。それが青い光となって、少年
と羽成が居る道路に直径3mの円形の文字盤を作った。
「ここにいれば安心です」
振り返る少年の顔は優しさに満ちていた。
羽成を円形の文字盤の中に残し、少年は前へ出た。
迫り来る二つの光。
「危ない!」
羽成は初めて自分では無く、少年の身を案じて声を上げた。
二つの光が少年に衝突したと思われた刹那、少年は両の掌で、光を受け止めた。
ばちっと鈍い音がして、光は消失した。
ただ、少年の両の手に、淡く青い光があった。
「これが、事故を起こした犯人です」
少年は手を開き、羽成にそれを見せた。
それは壊れた腕時計であった。
 

「この時計は、あたしが父に貸していたものです」
少女はその時計を握りしめ、絞り出すような声で言った。
「あの夜、父は仕事を終え、塾にいる私を迎えに来ようとあの道路を走っていて、事
故をおこしたのです。」
傍らに、美しい少年が立っていた。
「お父さんは、あなたを迎えに行く途中で、亡くなったのですが、その思念は未だ消
えずにこの時計に残っていたのですよ。草むらに忘れ去られたこの時計は、似たよう
な条件が揃うと、貴方のおとうさんと同じ様な思念を持った人達に共振し、具現化し
てしまったでしょう。やっと貴方のもとに来ることが出来、お父さんは安心したと思
いますよ」
少女の瞳から、嗚咽とともに止めどなく涙が流れた。