秋のテキストまつり'04 第二話 お題「食欲」

title:「ただいま」の食卓



完成までに約半年をかけた絵が、やっと納得のいくものになって、
アタシは丸二日程眠り続けた。
ラストスパートの二日間は眠ったり食べたりしないで絵にかかりきりになっていたし、
正確な揺り返しが来たってわけだ。
乱雑なベッドの上で目覚めて伸びをすると、同時にすんごいお腹の音がした。

「信乃ちゃんの体は正直だよね」

白(あきら)くんがキッチンに立って、
そんな冗談ともつかないようなことをさらりと言ってのけた。
一分一秒を争う空腹に、
ちさが帰ってくるまで待ちきれずに夕御飯を出してもらえることになった。
お母さんと白くんは、ちさと一緒に食べるのだけれど、もう今晩のメニューは出来ていた。
出来立てタンシチュー。
なんていうか、大当たりだ。

ランチョンマットの上に、タンシチューのお皿とフランスパン、アンチョビバター。
次々とやってくる私の晩御飯。
あまりに幸せな光景に、ほうと溜め息を吐いた。
赤ワインとグラスを手にした白くんが、向かいの席につく。
アタシはいつものように精一杯の感謝を込めて、いただきますを言った。
白くんは微笑んで、どうぞ召し上がれと言ってくれる。

「お義母さんの分は、お肉と野菜細かくしたの作ったから」
「ありがと、細かいとこに気付いてくれるわねー。
……うん美味しい。マジ美味しい。どうやったらこんな味が出るの?いつも謎なのだけど」
フランスパンにアンチョビバターをつける。
白くんが得意げな顔をした。
「それは愛が」
「そしたらアタシが白くんたちに作るごはんだって、美味しくても当たり前じゃない?」
「僕が悪かった、愛で解決しないこともあるよ」
……失礼な。

柔らかく、あたたかいタンシチューを堪能しながら、赤ワインをいただく。
まだ3時過ぎだってのに、贅沢なことだ。
アタシと白くんのことも、なにやら贅沢な夫婦だと思う人たちがいるらしい。
そしてそれを快く思わないらしく、色々な訳のわからない言葉で羨んでいる。

確かにアタシたちは贅沢に暮らしている。
金銭的には、アタシの絵だけが収入源だし、とりたてて裕福ではないけれど、
好きな人たちと、心地よく生活している。
好きなだけ絵を描き、かわいい娘の成長を見守りながら、
お母さんと一緒に白くんの作った美味しいごはんを食べている。
風呂場のドアを開ければ、ぴょこぴょこ跳ねるだけの愛らしいアキラさんだっている。
でも、そういう幸せって、誰だって気付くか気付かないかの違いじゃないかって思う。

「今回はどんな絵なの?」
「んー。女の人が、長い間待っている絵」
「待ってるって、何を?」
赤ワインを飲み干すアタシを眺めながら、白くんが優しくたずねる。
うちの人たちは、誰よりも最初にアタシの絵に興味を持ち、うっとり見つめてくれる。
買われていく前の絵に、存分に愛着を注いでくれる。
外で絵が評価してもらえるのは、、何よりも彼等のその愛着のおかげじゃないかと、
アタシはひっそり思っているのだった。
「待ってるものは、「自分自身の帰り」よ白くん」
にっこり微笑んでみせると、白くんは怪訝そうな表情をした。
その隙に、フランスパンにタンを小さくほぐしてのっけて、一口。
「それってさ、信乃ちゃん……」
「ああん、タンがトロトロ。本当美味しい」
食事が始まってから何度目かの「美味しい」。
素敵なことはいくらだって褒め称えるべきだと教えたのは、あなただわ。
アタシがあまりに機嫌良くしているので、白くんは質問の残りをあきらめたようだった。

さすがに二日分の食欲は強かった。
ガッツリ食べて、危うくちさたちの分にまで手を出しそうになって尚足りないので、
白くんが冷えた洋梨をもってきてくれた。
するすると綺麗に皮がむかれ、白いお皿の上に行儀良く洋梨が並ぶ。
形よく切り分けられた洋梨を、ひとつとって囓ると、甘く瑞々しい香りが広がった。
旬の物は飾ったり手を加えたりしなくてもじゅうぶん美味しい。
そして、そういうのを見極められる白くんを、アタシは尊敬する。

ダイニングに暫く沈黙が落ちた。
それは、決して話すことがなくなったんじゃなくて。
自分の好きなことに没頭して、何日もアトリエにもこりきりだったアタシを、
白くんが美味しいタンシチューと優しい眼差しでいつも通り迎えてくれた事に対する感謝を、
どう伝えるべきなのか悩んでいたのだった。
改めて言うのは恥ずかしいな。
柄にもなく俯きかけた時、

「いつも美味しく食べてくれてありがとう。
僕が働けないせいで、仕事の負担を増やしてごめん。
信乃ちゃんの喜んで食べてくれると、心底用意して良かった、
人並みに料理が出来て良かったって、思えるんだよ」

顔を真っ赤にして白くんが言った。
気が抜けるやら嬉しいやらで、アタシは用意した台詞をつるりと忘れてしまった。
それから、年頃の女の子みたいに赤面する三十路直前の旦那様を、かわいく思う。
恥ずかしいのでできるだけ短い一言で、勝負を賭けましょう。
とっておきの笑顔で。

「御馳走様でした」



2004.11.15 來知
第二話完





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