★玖堂 真(くどう しん)は平穏な日常の幻を見るか★

第一章  エスパー飯島

その日、玖堂 真は、ヒマをもてあましていた。
 大学の掲示板で存在を主張する、「休講」の二文字。自転車で三分、歩いて十五分と、破格の近距離に住んでいるとはいえ、わざわざ大学まで出てきて、出迎えるのがそんな紙切れ一枚では、あまりにむなしい。
 おまけに今日の講義は、そのつぶれた西洋史一つだけ。
「かんっぜんに無駄になっちまった」
 グチの一つも言いたくはなる。
 暇つぶししようにも、みんな休講になったことを知っているのか、見知った顔は見あたらなかった。
「どこかで飯食って、ゲーセンか、本屋にでも寄ってくかなぁ……。でも、雨降りそうだしなぁ」
 昼前だというのに、街は不吉なまでに暗い。構内にも蛍光灯がついている。見上げれば、今にも泣き出しそうな暗雲が、空に立ちこめていた。
 一応、傘は持っているが、骨の1本折れた折り畳み傘一つでは心もとない。
 いつもは自転車で通っている玖堂が、わざわざ歩いてきたのも、天気予報の降水確率が70%を越えていたからだった。
「こんなことなら、最初っからさぼってればよかった」
 などと呟きながら、家に向かって歩き出すと、不意に携帯がなった。
 一昔前に流行ったアイドルの着メロを止めて、電話に出る。
「はい」
「玖堂。今、ヒマだな」
「飯島?」 
 出し抜けに失礼なことを言ってきた相手は、親友兼同居人の、飯島遼(いいじま りょう)だった。 
「なんで俺がヒマなんだよ」
「西洋史が休講。他に講義のないお前は、雨が降る前にとっとと帰ろうと思った。そんなところだろ」
「……お前、エスパーか?」
 ズバリと当てられ動揺した玖堂は、あまりにも古い称号を飯島に与えた。
「そんなことはどうでもいい」
 否定しろよ、おい。
 という玖堂の心の声は、届かなかったらしい。それとも否定するまでもない事実なのだろうか、という発想が浮かんで、ちょっとぞっとした。
「駅前に大きなマンションがあるだろう。一階にコンビニがくっついたやつだ。そこの駅から離れた方の端で待っている」
「はぁ? なんだよ、それ」
 言われたマンションは知っているが、入ったことはない。少なくとも、玖堂の知り合いは住んでいない。
「急いで来てくれ」
 と、言いたいことだけ言って、さっさと携帯は切れた。
 急いで、と言ってるわりには、切羽詰まったところが全くないのは、いかにも飯島らしい。
 玖堂が断るなんてことも、考えてはいないようだ。
「ったく、なんなんだよ」
 文句を言いながらも、人のいい玖堂は、急遽駅前に方向転換するのだった。

第二章 思わぬ出会いと拾いもの

「えっと……駅から離れた端って言ってたよな」
 大きいマンションなので、反対側に行くにも、けっこう歩かされる。
 目印のコンビニを通過して、角を曲がると、飯島が立っていた。
「お、いたいた」
 腕を組んで、立ったまま眠っているかのように目を閉じているが、玖堂が近づくと、声をかけるよりも早く、目を開いた。
「来たか」
 射すくめるような眼光が、メガネの奥から玖堂を見る。だが、別段怒っているわけでもない。普段からこういう顔つきなのだ。慣れている玖堂にはどうということもないが、そんなことを知らない一般人からは、「恐い男」として認識されている。
「起きてたのか」
「寝ているように見えたか?」
 見えた、とは思っても口には出さない。普通、こんなところで立ったまま眠るわけがないが、飯島ならやりかねない。必要なら、電話しながらだって眠るだろう。
「で、なんの用だよ。こんな所に呼びつけて」
「それだ」
 飯島が顎で指し示す。
 そこには少し古いが、まだ使えそうなパソコン一式があった。他にも傾いた椅子。焦げたストーブ。年代物の花柄炊飯器。片目が取れたペンギン型かき氷製造器などが並んでいる。
「粗大ゴミ……だよな?」
 やはり惹かれるのはペンギン型かき氷製造器だが。
「お前はこのディスプレイだ」
 指定されたのは一番重そうな物体だった。
「は?」
「いいから持て。雨が降りそうだ。急ぐぞ」
 言うが早いが、パソコン本体を持って、さっさと歩き出す。
「お、おい。ちょっと待てよ」
 だが飯島は止まらない。仕方なく、玖堂もディスプレイを持って、後に続いた。
「お前なぁ。わざわざ人を呼びだして、粗大ゴミの運搬させるのかよ」
「一人じゃ持ちきれなかったんでな」
「往復すればいいだろ」
「片方を運んでいる間に、他人に持っていかれる可能性と、雨が降り出す可能性を考慮した」
 確かに、ここまで来る間にも、雲はますます厚く立ちこめ、今にもぽつりときそうだ。
「壊れてるんじゃないのか?」
「直せる範囲だと判断した」
 飯島はパソコンに詳しく、簡単な修理から、パーツを組み合わせての作成、果てはプログラミングまでこなす、かなりのマニアだった(なぜかおたくと呼ばれるのを非常に嫌がる)。自室も数台のパソコンと、その他オプション、配線類で埋め尽くされていて、ちょっと不気味だ。
 対して玖堂は、大学のパソコンで、ワープロやインターネットをちょっと使う程度に過ぎない。メールぐらいは出せるし、レポートをまとめることもあるが、あえて自宅でまでやろうとは思わなかった。便利だとは思うが、どうも性に合わないのだ。
 それに高いし。
 飯島がよく、「2、3万出せば、作ってやる」と言うが、学生の身には、2、3万は十分大金だった。
 それにしても、飯島が、謎のパーツをどこからか入手してくることはよくあるが、粗大ゴミから回収するのは初めてだった。いや、ただ玖堂が知らなかっただけで、ひょっとしたら、あの部屋を埋め尽くすパソコン共の大半は、こうして拾われてきたかもしれない。
 まぁ、玖堂も色々レポートとかで飯島には世話になっているから、手伝うのはやぶさかではないのだが。
「だからって、なんで俺がディスプレイなんだ? そっちの方が軽いじゃねぇか」
「違う。俺が持ってやっているんだ」
「なんだそりゃ」
「これはお前のだ」
「はぁ?」
 思わず間の抜けた声が出た。飯島は変わらず淡々と続ける。
「お前にも、そろそろ自分のパソコンというものが必要だ」
「頼んだ憶えはねぇぞ」
「頼まれた憶えもないが、珍しく親切心が湧いた。めったにないことだから、甘んじて厚意を受けるがいい」
 とても親切を施す側の言葉とも思えない。
「……俺さぁ、小さな親切、大きなお世話って言葉、けっこう素敵だと思うんだけど、どう思う?」
「気が合うな」
 大きく玖堂がため息をつく。こういうときの飯島は、何を言っても無駄だった。基本的に人のいうことは聞かない、超マイペース男なのだ。
 単に身勝手とも言う。
「どれくらい便利かというと、わざわざお前が学校まで通って知った休講の事実が、自宅にいながらにして把握できるぐらい、便利な代物だ」
「あぁ! だからお前、俺がヒマになったって分かったのか」
「これが文明の利器の力だ」
「むぅ……」
 たかがインターネットだが、飯島に得意げに言われると、なんだかすごい気がしてくる。こんなことで丸め込まれてしまう玖堂は、やはり、お人好しなのだろう。
 まぁ……あって困るものでもないだろうし。
 玖堂は、そう自分を慰めるのが精一杯だった。

 歩くこと数分。彼らの自宅まで後1,2分というところで、子供たちの群衆がやってくるのが見えた。
 わいわいと騒ぎながら、通過してゆく子供たち。時折後ろを振り返っては、手を振っている。その視線の向こうには、奇妙な……だがよく見慣れた人物が立っていた。後ろ姿であっても、一目でそれとわかるほどの。
 黒い燕尾服に身を包み、長いステッキにシルクハット。宮廷の舞踏会でならいくらでもいそうな紳士の姿が、ごく普通の住宅街に出現している。
「教授!?」
 玖堂の呼び声に振り返った顔には、ご丁寧にカイゼル髭と、片方だけの丸眼鏡まで付属している。
 それはまさしく、先ほど休講になった西洋史を担当している、沢井教授、その人だった。
 ちょっと見には、かなり危ない人に見えるが、授業はわかりやすく、気安い人なので、玖堂はけっこう気に入っていた。
「やぁ玖堂君。それに飯島君、だったかな」
「ちわっす」
「どぅも」
 飯島は彼の講義を取っていないが、お互いに、色々な意味で有名人なので、顔と名前は知っていた。
「なんで教授、こんなとこにいるのさ。講義を休講にしたくせに」
「いえ、こちらの方に、少々用事がありましてね。それで仕方なく休講にしたのですよ。まぁ、レポートの提出期限が一週間延びたと思えばよいではないですか」
「えぇー、俺、今回は珍しくちゃんとやったんだぜ。手ぇ抜いとけばよかった」
「俺も少々手伝わされたような気がするが、それは気のせいだったか?」
「飯島ぁ!」
「……おっと」
 失言の様な口振りでそらとぼけるが、絶対わざとだ。
「では、来週までにもっと掘り下げるように。今度は自力でね。なんなら君だけ枚数を倍にしてもよいですが?」
「いや、いいっす。俺も何かと忙しいし」
「……まぁいいでしょう。学期末が楽しみです」
 なぜか片眼鏡がキラン、と光を反射した。眼鏡をかけた人間は、これが恐い。
「うう……教授がいじめる」
「自業自得だな」
「いや、まったく」
 飯島と教授が続けて追い打ちをかけた。実はこの二人、俺に黙って、こっそり共謀していないか、と疑ってしまいたくなる。
「それより急いだ方がいいですよ。もうすぐ雨が降ります」
 教授のステッキが、天を指した。
「そうだな。急ぐぞ、玖堂」
「おう! …って教授は? 傘持ってないんじゃないの?」
「いえいえ心配ご無用。なんとこのステッキ、ボタン一つでほら」
 ぽん、と花が咲くようにステッキが開く。
「あっという間に傘に早変わり」
「おおー」
「……できる」
 と感心していると、ぽつり、と来た。
「やべっ!」
「行くぞっ!」
 飯島の切羽詰まった叫びは、ちょっと珍しい。
 いや、そんなことに感心している場合じゃなかった。パソコンの状態が、死亡寸前からご臨終へとステップアップしてしまう。
「教授、じゃあまた!」
「はいはい。お達者で」
 別れの挨拶を交わす間にも、雨粒はどんどん密度を増してゆく。
「うっひゃー、こりゃ、相当降るぞ」
「だから急ごうと言ったんだ!」
 自分の体を覆い被せるようにして駆けてゆく二人。
 小さくなってゆく後ろ姿を見送る教授が、ぽつりと呟いた。
「これは、とんだところを見られてしまいましたねぇ……」  

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