「うつむき加減に気を付けろ」
師走の末。別段忙しくも面白くもない授業もひと段落つき、これまたさほど近しい間柄でもない連中と連れ立って、まあ、忘年会とかこつけて安酒を呑んだ。奴らときたら無芸大飲とでも申しましょうか、ちょこざいに理論武装して普段用途が全く無いものだからってアルコールがはいると、とたん、壊れた蓄音機。
メチルでも召し上がれ、今よかちったあ賢くなるよ。
僕はといえばセミ下戸なもので、普段のばか話しならまだしも、七八のがらくた織り成す、不響和音に耐えるには毎度の事だが酔足らず。おまけに僕も含めて皆貧乏なもんだから大学とは正反対のしょっぼい居酒屋、異議を唱えるもの皆無。ただ、それでも僕がハキダメに、鶴として方足を突っ込んでいる(あるいはひきずりこまれている)のには勿論わけがあって、まあここで彼等の悪行の数々を列挙するのもお涙頂戴的だし、最悪貧乏臭いマゾだとは思われたくないので、その最たる理由を唯一つ挙げておこう。高松という女性がいるからだ。鶴、まあ、傍から見れば、彼女こそ鶴にちがいあるまい。でも鶴じゃない。別に悪女と言う訳でもない、おきゃんだが。彼女は、いつでも飲み会で末席をひたすら汚しまくっている長谷部というひたすら阿呆と恋中にある。けども、僕と彼女の間には彼でさえ知らない事実がある。二股はしてませんよ。
彼女とは大学へ入学以来三年余の付き合いということで、ボンクラどもは一顧だにしないのだが、知り合ったのはそれから遡ること一年八ヵ月前になる。くそ暑い夏。生まれてこのかた初めて気楽に過ごせぬ夏休みだった。
母に、話しがあると言われ、それまで夏には滅法強い夏男が、きょうび珍奇な冷却箱反対少年がベクトルとの格闘半ばに、(ママに)いわれるままに多汗症の母と暑がりの愛犬のいる冷えきった居間へと移った。
そういや聞いた話しで、尾が左巻の犬は賢いというが、とんでもない大嘘。ソリャもうひどい、もの凄いいっこく振り。彼は、僕が中学二年の雪の降りそうな空の低い日に家に連れて来られた。ぬいぐるみのように、といふ表現は寝耳に水どころか腹がたつ、大嫌いだった。。けどもその日ばかりは、内省をおいてきぼり。で、溺愛、うん、いまでもね。親馬鹿って、救いの余地のないくらい愚図だと日頃嘆いていたけども今は少し解るかな。母の気持ちも。
僕の家は、殆ど東西南北に道路が延びて、雀には黒地に白抜きの十字に見えるんだろう、その北東の角地に建てられている。だからこれみよがしに、西側にテラスがありもろに斜陽が射しこんでくる。近所の主婦の手慰めすら無い糞ったれ主婦共が、「小野さん家はねー」なんて、醜い面しか想起させない音を発する、愛犬が吠えるのも頷ける。
西日の所為で母の顔が、殊更に目が赤らんでいるのだと、もしくはメロドラマでも見て泣いていたのだと勝手に思い込んでいた。
「座って」と静かに言った。続けざまに、
「貴方、夏休みね、お家から出ずっぱりでもつまらないでしょう」
「うん、まあね。」
「そうよね、それでお母さんね、夏合宿ね、申し込んでおいたから。」
「なにそれ」
「だからね、勉強よ、受けるんでしょ大学」
「明後日からだから」
「ここよ」と言って、パンフレットを渡された。
結局、僕は立ちっぱなしで、また訝しく思い母に視線を投げかけたが、いつの間にかうつむいたまま犬の顎を抱いていた。気味が悪くて、自室へ引っ込んだ。パンフに目をやると「長野県菅平で有意義な夏季集中授業!」思わず声に出してしまった。母が何かしら、事情を説明してくれるかと思い間をこしらえたが、沈黙。たまらず居間へ行ったが、母も犬もいない。「パト散」(犬の名はパトラシエ)との置き手紙有。
二日後、赤羽から上野へ。何故だか知らぬが家族皆が見送りにきた。父はいつもの仏頂面。たまたま、野球部の練習が休みで駄々をこねこね連れてこられた愚弟。母。
「それじゃ、気をつけていってらっしゃい」母は普段どうりに言った。
「樹雄、尾兄ちゃんに勉強のこととかで聞きたいことはある?」こう聞かれても弟はきまって何も言わない。五つもはなれているからかなあ、小さい頃よくイジメタ。
「まあ、がんばれよ、暇なときはパト散やっといてくれ」
「うん、解った」弟は下を向いてぶっきらぼうに答えた。
「もう乗るよ、それは楽しいインターネット。接続料1時間800円。入会金無料、1時間800円!」
心からのうそ笑顔を一発お見舞いしてから、15の僕は、ヒッチハイクでたった一人で屋久島まで行って杉の木に本当の便所の落書きを見せてやろうと思い立つ。主題歌はゆずだ。起きろ、寝たきり老人!さあ時間がないぞ。古新聞なんてよんでる場合かよ。たった一人でコンビニなんて無茶だったんだ。もう80時間も寝ていないじゃないか、いつ寝るんだ店長の奴。だいたい本当の悪党は足の爪なんか伸ばしっぱなしにきまってるじゃないか。ぼ、ぼ、朴さんは在日。。。。
すべては腰のためだったんだ。だいいち、腰が悪かったら浴槽につかっても出てこれないじゃないか。まだ小さかった頃、おかあさんはぼくにアイロンを投げつけるんだ。とてもいたかった。そのアイロンをおしつけたりもした。僕の頭に残っているアイロン大のはげはそのせいだ。ぼくのテストの成績が少しでも落ちると、おかあさんはずっとミシンを踏み続けるんだ。重苦しい沈黙が支配する家庭のなかにミシンの音だけが延々とぼくを切り裂いていくんだ。はだしのゲンはかわいそうだ。何たって、はだしだ。帰るか、夕陽だ。落としたコロッケを食うな。ぼくはもう治っている。ピアノの練習だって1日21時間ぶっ続きで出来るじゃないか。会社の面接で、私服でいいからというから半ズボンでいったんじゃないか。最初は美味しいコーヒーを飲ませる店だったじゃないか。なぜすっかりだめになっているんだ。メニューに焼きうどんがでたらもうおしまいだ。テーブルに塩があるのもだめだ。ペットの犬を連れて入れるみせはかなりだめだ。マスターが競馬と巨人の話しかしない、だめだ。漫画ゴラクが山のようだ。メニューに手打ちそばがあったって、それは喫茶店じゃない、うどん屋だ。