桜前線まで4億歩

 

 「待て〜ぇぇ〜………っっ!」
 雪が溶けて久しいとはいえ、やっと春風が吹いた家々の隙間を、ミニ・スカートの少女が元気よく走り抜ける。
 すらりとは言えないが、細く伸びた足がアスファルトを蹴るたびに短く跳ねる髪、そして右手にの明らかに重火器と呼ぶべき武器が、その小さな体に溢れ出る元気をさらに快活に引き立てている。
 「何をやっているんだ……」
 少女の前方20メートルの辺りには、ピンクの鱗も鮮やかな魚が長く優美なヒレをはためかせ、頭の鋭くとがった角もチャーミングにフリフリと振り返りながら飛んでいる。
 全長はバショウカジキくらいだが、体調はハマダイくらいだろう。
 注意・バショウカジキ3メートルくらい。ハマダイ1メートルくらい。
 「ありょ小鳥遊こそ、何やってるの?」
 呼び声に振り向き立ち止まった少女の前に、一人の少年が佇んでいる。
 髪は寝癖っぽくボサボサだが、かなり大きめと言える瞳は僅かにつりあがり理知的でどこかの洞窟の奥に潜む湖面にも似た光をたたえている。
 全体的な表情は柔和だが、瞳のせいでどこか小ずる賢そう。小ずる賢そうだが顔全体の雰囲気のおかげで柔和そう。なかなか、読みづらい顔立ちだ。
 二人とも知り合いらしく、どちらも中学生ぐらいの年頃だ。
 「麻雀の負けで買い出し」
 「こんな時間に?」
 書き忘れたが、天空に君臨する月は大きく、その光は下界の光を完全に押し負かしている。
 午前5過ぎ。解りやすく言うと丑の刻の次の寅の刻が終わり辰の刻に入った頃だ。
 今も昔も、ほとんどの家庭がとっくに就寝の時間を迎えている。
 泥棒はもちろん。夜の住人である受験生も、ついに試験が終わり、今は悪夢との狭間で鋭気を回復していることだろう。
 遠くの通り向こう角の街灯だけが、月に勝ち誇るように一人寂しく輝いている。
 「ネットで知り合った遠くの知り合いが泊まり込みに来てるので……」
 「ネットねぇ……」
 「嵯峨野さんこそ、何を…?」
 表情自体は変わらないが、先に質問したのはこっちだと、少し面倒くさそうな声で再び問う。
 「仕事よ。違法滞在者検挙」
 「相変わらず熱心ですね」
 「相変わらず? いつも以上と言ってちょうだい」
 「いつも以上」
 「良し良し」
 即応で要望通りに言ってもらえたせいか、嬉しそうに朗々と夜の大気と歌う。夜の精霊が聞いていたら、少々耳を塞いだ事だろう。
 「ここんとこ辺境(地球)に来る違法人が減っちゃって、都会の星へ転勤させられそうなのよ。せっかく長閑な田舎暮らしに慣れたのに、今さらうるさい都会になんか戻ってたまるもんですか」
 両手を広げ、クルクルと踊りだしそう。
 元気が有り余った微笑みは、演出に雨か花吹雪かどちらか吹かせてあげたいくらいだ。
 「そこへ久しぶりに地球への進入警報。前回も前々回も隕石だったけど……いゃ〜さぁ〜ちょっと手入れして無くて、と。今度こそ飛んで火にいる虫は夏だけじゃ無いてことよ」
 「でも、大野津さんは違法人じゃなくて、自縛霊ですよ」
 が、何か要望とは思いっきりかけ離れた言葉に、星を見上げた顔に影が宿る。
 相変わらず、小鳥遊の表情は変わらない。
 「自縛…霊?」
 「そう」
 視線を戻すと、通りの先で急に追いかけて来なくなった少女、嵯峨野の方を立ち止まってチラチラと気にしていた空飛ぶ魚が、何かウキウキとした感じで寄ってくる。
 どうやら待ちくたびれて居たらしい。
 「デボン期のシーラカンス科の魚の自縛霊で、大野津さん」
 紹介に合わせて、礼儀だしく礼をする。
 長く透き通るひれが風にそよぐように、優美に揺らめく。
 霊のせいか、一般的な古代魚の姿とは少し違うようだ。おそらく本人の趣味が入っているのだろう。
 「五月に成ると、鯉のぼりに群に空飛ぶ巨大金魚が現れるという噂は知ってますか?」
 「知らない」
 「噂を去年確かめてみたら、彼女が昔死に別れた恋人の事が忘れられず、彷徨い出て居たんだそうです」
 ほぇ……。
 嵯峨野が後ろの闇に、そんな書き文字をしたくなるくらい瞳を丸くする。
 「すっ…ごい。4億年近くもの時空を越えた恋。やるじゃないの!」
 シーラカンスはデボン末期に現れているので、3億6千万年と少しくらいである(多分)。
 そしてしばし間を置くとオーバーなくらい叫びをあげ、力強く肩を叩こうとしてすかる。
 だが景気づけか、何の景気づけかしらないが、サービスよく大野津は嵯峨野の動きに合わせてヒレを舞わせてくるくる回る。
 「ごめんなさい。そんな苦労してるとは露知らず。突然追いかけ回したりして……」
 大野津さんは、軽く目を伏せると気にしていないとばかりに顔を左右に振る。
 「でも、時代を超えた恋って本当にあるのね。こうなったら、お詫びも含めて相手の魚を絶対見つけてあげるわ」
 拳を握ると、炎を宿した瞳で力説する。
 「見つける?」
 「何!」
 素朴な疑問に剣が飛ぶ。
 「こんなラヴ・ロマンス、普通一生に一度だって出会えないわよ。さすがド田舎、純粋な心の魚も居るのね」
 炎の次は、目から水がこぼれそうな勢いである。
 「まぁ、昔気質ってのもあるんだろうけど、…見つけるのは無理では?」
 「どうしてよっ!」
 「だって……」
 そこまで言いかけて言いよどむ、さすがに当人(魚)を前にして言っていいのか……。
 ただ、不思議な事にどちらかというと自縛霊魚の大野津よりも嵯峨野を意識した視線にも見えるが……
 しかし、そんな様子にも気づかず嵯峨野は連打する。
 「昔の話だから、忘れてる。相手も死んでる。大丈夫よ。大野津さんはしっかりこうやって覚えて化けて出てるんですもの。相手も、忘れず化けて出ないはずはないわ。ああ、いつか花咲く恋もある。やっぱり、愛に不可能って無いのね」
 完全に、言葉も視線も思考も遠いどこかを向いている。
 見ると、当の自縛霊魚の大野津もピンクの体をふるわせ感動している。
 「………」
 「コラ、どこへ行く!」
 完全な無拍子で、どこかへ行きかけた小鳥遊の背後に鋭い言葉が飛ぶ。
 「失礼。買い出しの途中なので…」
 「どーせアンタが負けるんだから、イカサマしてる奴に馬鹿正直に打ったんでしょ。そんな奴は、弁当よりお預け喰わせた方が良いのよ。だいたいアンタそのつもりで、暇つぶしに声かけたんじゃないの」
 間合いは取ったつもりなのだが、気がついたときには既に胸ぐらを捕まれている。
 少女はどちらかというと小柄なのだが、少年もかなり小柄である。こうやってみると視線の位置は僅かに少女の方が高い。
 「……」
 「返事」
 「外れです」
 「負けた理由じゃない」
 「声をかけた理由も違います」
 ヂャキッ…!
 口径を見れば象の頭をも一瞬で粉砕しそうな重火器が、小鳥遊の耳ごとこめかみに押しつけれる。
 「何事も、結果が出るまで解りません」
 「良し」
 頭突きの外しようのない距離なのだが、深夜の騒音は傍迷惑だ。
 「それで、方法は何かあるんですか?」
 「ふっふっふっ。大野津さんは、恋人を求めて鯉のぼりの間を飛び回ったんでしょ。だったら相手も、似たような所を飛んでいるはずよ」
 襟首を放すとにやりと余裕の笑み返し一歩遠ざかり、薄闇の中頬に冷たいものが流れる。
 危なかった。質問が即応では無かったため何とか返事が出来たが、襟首をつかんだ瞬間は何も考えていなかった。
 勝ってはいるが、自分かひどく危ういバランスの上に居ることを自覚する。ポロを出せば、形勢は一気に逆転してしまう。
 「すると別の街の空とか、案外水族館とか、実際に海洋とか……」
 だが、案ずることは無い。一つヒントをひねり出せば、後は小鳥遊が勝手に考えて良い案を作り上げてくれる。
 ああ、スバラしきかなウンチク野郎。
 「そんなとこ、回ってる金と時間がありませんよ」
 プチ。
 「そこを何とかするのが、アンタの役目でしょうがっ!」
 甘かった。こうなったら、気合いと勢いと根性でなんとかするしかない!
 愛は死んでも根性しなず……いや待て、それでは大野津の立場は……いや、ここはそんなささいな出任せに構っている場合ではない。
 「ちっ、この程度の奴だったとは……」
 「………」
 逆切れされたせいか、小鳥遊の瞳が僅かに細まる。
 「以前、ネットで目撃情報がないかと思って検索したんですが…」
 にゃそ。
 後ろを見せたまま、嵯峨野が満面の笑みで口元だけで頷く。
 「大野津さん以外の自爆霊魚の情報はありませんでした。自力で探すとなると、何ヶ所行けは良いのでしょう。それに、根本的に自縛霊。大野津さんはこの街から移動できません。つまり、もしお相手も自縛霊になっているのなら同じくこの街に居るはず」
 嵯峨野の口元が止まる。
 その背中を見る小鳥遊が口元は一切動かない。
 そのクセ不自然なく瞬きしないかのように大きく開かれた瞳は、月の光を受け禍々しいくも赤い光を僅かに潜ませている。
 「………」
 まずい、冷静な話し合いではかなわない。
 何とか仕切り直さなければ。
 得物をコッソリ持ち替える。
 あまり使いたくはないが、ここはやるしかない。
 来るか………
 ……来てくれ。
 空いた拳を握り祈るようにある言葉を待つ。
 「相手の方は、絶対にとっくの昔に成仏してますよ」
 ゴカッ!
 「愚か者っ!」
 来た。
 神……我に見方せり。
 突然嵯峨野の姿が視界から消えた刹那、嵯峨野の左が完全に小鳥遊の顎を下から突き上げる。
 「なんてこと言うのレディの前で、この甲斐性なし。冷血漢。宿六。女…いえ、全知的生命体の敵。あんたみたいなろくでなしが居るから、大野津さんみたいな可哀想な方が生まれるのよ。責任とってなんとかしなさい!」
 そして、続き右手の得物で殴りつつ、都合をまくしたてる。
 ビシバシゲシドカ………
 約1分間(中略)。
 「ぜぇ…ぜぇ……」
 決まった……。
 額から流れる汗が、月明かりにも美しい。星の色が色あせているのは、殴りっぷりに引いた訳ではなく、たんに夜明けが近づいているからだろう。
 これだけ殴れば意識も朦朧、しばらくまともな返事は出来まい。
 小鳥遊は、冷たい濡れたように光を返す地面に突っ伏したまま、ピクリとも動かない。
 撃ちたいのは山々だったが、大野津さんという目撃証魚も居るし、後々使えない。第一、自力で大野津さんの彼氏探しは面倒だ。
 それに、似たような職業であるこの星の警察とも知り合いには成りたくない。
 「大野津さん、絶対大丈夫だから大船に乗った気で……」
 額の汗を拭いつつ、何か既に成し遂げたような笑顔で振り返った嵯峨野の表情がピタリと止まる。
 泣いている。
 大野津が、両の大きな瞳から大量の涙を流して泣いている。
 スッと音もなく近づくと熱く、変温動物のせいか霊のせいか体温は感じなかったが、嵯峨野に熱く抱擁しひれも動かさずにまた元の場所に戻る。
 そして何か呟くと、両のひれをそっと前で合わせ、後は月の光にくるまれるように淡く輝きだし………
 嵯峨野の丸く瞳に残像と名残を残し……
 ……光と共に、消えてしまった。
 「な…何………?」
 「ありがとう。満足しました。だ、そうです」
 隣から、声に合わせて解説が続く。
 振り向き直す嵯峨野の前で、小鳥遊が軽く顎を押さえながら立ち上がっている。
 手応えがおかしいと思ったが、最初の一撃以外はこっそりガードしていたようだ。
 「でも、どうして……。突然成仏なんかしたの……?」
 一応反撃を気にして間合いを確認しながら、何気ないそぶりで尋ねる。
 「感激しているようなので黙っておこうかと思ったのですが…大野津さんは、ろくでなしで浮気性の彼に頭に来て、一度ブッ飛ばそうと思った矢先、火山の爆発にあって亡くなったそうです」
 「…それって………、つまり」
 「一度でいいから、ブッ飛ばしたかった」
 小鳥遊が、冷静に真顔で見据えて言い放つ。
 「相手の男を…」
 確認のためか、嵯峨野が遅れて呆然と呟く。
 「その恨み辛みが、恋人に会いたかった最大にして唯一の理由です」
 女の執念恐るべし……
 嵯峨野には、背中にうぞうぞと走る感覚か、どちらの感動から来るのかさっぱり解らなかった。
 「でも…、じゃぁ何で今更成仏したのかしら……」
 「嵯峨野さんが、宿六だのロクデナシだの女…知的生命体の敵と、さんざん言いながらブッ飛ばしたからでしょ。私を…」
 「でも、そんな事言いながら男ブン殴ってる女の人も殴れれてる男も珍しくないわよ」
 「それもそうですね」
 二人考え合った後、同時にチラリと相手の様子を伺い、表情を隠すようにそっぽを向く。
 似てたんだろうなぁ………、彼って小鳥遊に…。
 似てると言えば似てるよな、嵯峨野さんと大野津さん。
 そして、二人はお互い後ろめたそうに静かに微笑みあうと、上り始めた春の前の朝陽に取りなされる別れていった。

 

 「遅くなった」
 そう声をかけ、自室のドアを開き小鳥遊が部屋に入る。
 裏返した化粧盤のコタツに足をつっこみ、背後が半分透けて見える女性と、背中に羽のある少年と、手の平に乗りそうな尻尾のある女の子が、同時に眠りかぶったように薄目を開けて声にならない返事をする。
 雀牌は片づけられ、コタツにはミカンとカードが散乱している。
 「済まないねぇ…、地球に来たはいいけど行き成り警報に捕まってしまって。こんな辺境の星にも時空保護官が居るなんてね…」
 「地球のネットに紛れ込んだ時、小鳥遊から聞いた日本の桜が一度見たかったんだけど、明日一番に帰るよ」
 「オフ会が出来ただけでも、良かったよね」
 三人がそれぞれ済まなそうに漏らし、半透明の女性が自嘲する。
 「まぁ、私もネットで他の星の自縛霊について教えてもらった礼ですよ」
 そうにこりと言い、買い出しのお弁当とお菓子が入ったビニール袋をコタツに置く。
 「悪いねぇ。麻雀とかも、一人だけオープンでやってもらってたりして」
 「素人相手なら、勝てると思ったんですけどね………」
 と、不意に何かにつられるように視線がカーテンの隙間んら見える窓の向こうに動く。
 塀の向こうを、どうやら違法人を見つけられなかったらしい嵯峨野が生あくびで帰って行く。
 「それと、両親とも海外出張中でしばらく戻りません。お三方とも桜が散る頃まで滞在されては。保護官はもうすぐ違う星へ行かれるらしいですよ」
 「へぇ…。そりゃ、また何で……」
 しっぽのある女の子が、ビニールをまさぐりながら不思議そうに見上げる。
 何故か知らないが、その見上げる先の小鳥遊の顎が少し晴れている。
 「まぁ…、男の恨みも怖いって事でしょうかね……」

 

終劇