アスカとアスカのチョコレート

書いた人:しおしお

 

注:この話は「逃げたシンジ」の外伝に当る話です。先に本作を読まれた方が分かりやすいです。

 

 

 大和アスカが市原酒店にやって来て、ようやく馴染み出してきた感のある2月初旬。

 アスカは商店街の中でお気に入りのケーキ屋を見つけていた。

 午後2時を過ぎると買いに行くのが日課になっている。

 もちろん3時のおやつの為である。

 

 洋菓子店『白十字』

 この店は昔ながらの作りでありながら、飽きさせ無いケーキを売りにしている。

 アスカは、そんなケーキがお気に入りになっていた。

「こんにちわ〜」

 アスカは明るい声でお店に入る。

「お、大和ちゃんか。いつも元気良いね」

 ケーキが置かれているショーケースの向こうから、お店の人が顔を出してアスカに挨拶した。

「いいえ。あの……いつものありますか?」

「え〜っと、今日は金曜日だから……ガトーショコラとチーズケーキとシュークリームだったよね」

 アスカは、曜日ごとに買うケーキを決めているらしい。

 お店の人もそれに慣れてきたのか、アスカから注文を聞く前にケーキが置かれているトレイをショーケースから取出していた。

「はい」

 アスカは一つ返事をしてお店の人がケーキをケースに入れているのを待つ間、ふと壁に張ってあるポスターに目が行った。

 そこには“バレンタインにはケーキを”とキャッチコピーの書かれたポスターであった。

「そっか……バレンタイン近いんだ……」

「大和ちゃんは、誰かにあげるのかな?」

「誰か……」

 アスカはお店の人に聞かれて、一人の男の子の顔がポンと浮かんできた。

 それと同時にアスカの頬がほんのり赤く染まった。

「え〜。その……ははは…」

「シン坊の事かい?」

「え…そ、その……」

 アスカは少し俯き、両手の指をもじもじと絡ませながら恥ずかしそうに答えていた。

 お店の人は微笑みながらケーキの入ったケースをアスカに渡した。

 アスカはケースを受取るとお金を支払いケーキ店を後にした。

 

 

 そっか……バレンタインデーか……。

 いままでまともに考えた事無かったな……。

 でも今年はシンジが居るから、シンジにあげちゃえば済む話かも知れないけど……。

 大和としてあげたほうが良いのかな?

 でも惣流としてもあげたいしな〜。

 

 アスカはブツブツと独り言を繰り返しながら商店街を歩いていた。

 

 

 市原酒店

 シンジは考え事をしながら帰ってきたアスカを不思議に思いながら、台所でコーヒーを煎れていた。

「アスカさん。どうかしたんですか?」

 シンジはコーヒーの入ったカップをアスカの前に置いた。

 しかし、アスカは返事をする事無く何かを考えていた。

「あ、アスカさん?」

「え? あ、ケーキですよね。シンジさんにはガトーショコラです」

 シンジからの呼びかけにようやく気付いたアスカは、慌ててケーキを皿の上に乗せた。

「ありがと…」

 シンジはアスカの様子に疑問を持ちながら返事をするとケーキを受け取った。

 

 

「じゃあ、配達行ってきまーす」

「あ、お気をつけて……」

 シンジはアスカの様子がおやつの時間からオカシイと思いながらも後ろ髪を引かれる思いで配達に出かけた。

 アスカはレジの台の上にて頬杖をつき、考え事をしていた。

 一見するとボケーッとしているようにも見えない事もないのだが、彼女は一生懸命に頭の中を回転させていた。

 

 どっちで贈ろっかな……。

 どっち?

 そっか……迷う必要は無いわね。

 それにシンジの気持ちも若干判るってモノだしね。

 

 その日市原酒店の前を通った者の証言によると…にへら〜と、にやけている大和アスカの姿が見られたとか…。

 

 

 それから時は一気に流れ、2月14日となっていた。

 

 しかしシンジにとっては、何も変わることの無い1日の始まりであった。

 今日も今日とてシンジはそのつもりであった。

「済みません。市原シンジさんは居ますか?」

 お店を開けた午前10時をちょっと回った時、宅配業者の人間が市原酒店を訪れてきた。

「はい。僕ですけど……」

 シンジは訪れてきた宅配業者に返事をすると店の奥から顔を出してきた。

「あ、市原さん宛に宅配便です。ここにハンコを願いします」

 シンジが出てくると宅配業者は受取書を差し出してシンジに押印を求めた。

「あ、はい……」

 

 シンジは何も疑問を感じる事無く受取書にハンコを押し、宅配業者から小包を受取った。

 小包は縦、横20cm四方の厚み10cm程度の箱状のものであった。

 

「あれ……差出人の名前がないや……」

 シンジは軽い疑問を感じながらも小包の包装紙を取ろうとした。

 茶色の包装紙を少しだけ剥がすと青いリボンで括られた赤い箱が姿を覗かせた。

「赤い箱……ねえ」

「シ〜ンジさん♪」

 シンジが茶色の包装紙を全部剥がそうとした時、アスカが何やら嬉しそうに声をかけて来た。

 アスカは仕事中にはポニーテールにしている髪をピョコピョコと左右に揺らしながらシンジの前に立った。

「どうしたの?」

 シンジは小包を開きかけた手を止めてアスカの方へ顔を向けた。

 良く見るとアスカは後ろ手に何か持っている様子であった。

「へへ〜。はい、私の気持ちです」

 アスカは後ろ手に持っていた物をシンジの目の前に差し出した。

 それはピンクのリボンが結ばれ、赤い包装紙に包まれた四角い箱であった。

「へ? アスカさんの気持ち?」

「はい。今日はバレンタインデーじゃないですか」

 呆気に取られるシンジを余所にアスカは嬉しそうに話した。

「今日なの?」

「はい。知らなかったんですか?」

「う、うん。僕、高校が男子校だったから……。こう言うイベントは……無縁だったから」

「と、なると初めてですか?」

 シンジの発言にアスカは、頬をほんのりピンク色に染めて聞いてみた。

「うん…。そうなんだ」

「やったあ! じゃあ私が初めてなんですね」

 アスカは心底嬉しそうに飛び上がらんばかりの声をだしていた。

「そ、そうなるね……」

「私も男の人にチョコあげるの初めてなんです」

「え? そうなの?」

「はい」

「そうなんだ。義理でも嬉しいよ……」

 シンジはとりあえず“義理”といっておけば大丈夫だろうと言う事でアスカに感謝の言葉で返した。

「義理じゃないですよ」

 しかしアスカはシンジの迷いを絶ち切るかのようにきっぱりと言い切った。

「はい?」

「だーかーら。私の気持ちです♪」

 アスカは自分の唇にひとさし指を当てて上目遣いでシンジを見た。

 シンジはアスカのそんな態度に“かわいい”と感じてしまい、顔中を真っ赤に染め上げていた。

 

 

 

 その日の夕食前

 シンジは自分の机の上を睨みながら迷っていた。

 贈られた小包を開けると、中身はチョコレートだったからだ。

 シンジは大和アスカから貰ったチョコレートと小包で送られたチョコレートを見比べていた。

 机の上に置かれたチョコレートは、どちらも同じメーカーの同じチョコであった。

 

 アスカさんから貰ったチョコレート……。

 う、嬉しいけど…本当に彼女の気持ちなんだろうか…。

 僕はその気持ちに……で、でも……僕はアスカの事が…。

 でも、もうひとつのチョコレートは誰が出したんだろう…。

 もしかして、中学の同級生かな?

 だけど、こっちの学校は3年生の時に1年間しか中学に行ってないし、女の子の友達は居なかったはずだけど…。

 それに、このメッセージカード……。

 

 シンジは小包のチョコレートの箱の中に入っているメッセージカードを何度も見ていた。

 そのカードには筆記体で“Forget it!”と書かれていた。

「もしもこれがバレンタインのチョコだとすると、もっと別のメッセージを書くはずだと思うんだけど……」

 シンジはメッセージ以外に何か差出人の手がかりになりそうなものを探して見たものの、メッセージカード以外に何も見つからなかった。

「まさか…ブラックバレンタイン?」

 シンジは高校の同級生から聞いた噂を思い出していた。

 

 

 シンジの通う高校は男子校である。

 それゆえに学校内で渡されるバレンタインチョコはどう考えても男子から渡されたものでしかない。

 それをいつしかブラックバレンタインチョコと呼ばれるようになっていた。

 もっともそれは2月に入って学校に来なくなった3年生が、同じ部活動の後輩に冗談で渡すものであって伝統になっていた。

 しかし、1年に数個は冗談や洒落で済まされないチョコレートも存在している。

 シンジは実家の酒屋の手伝いを学校から帰ってやる為に、全く部活動に入っていなかった。

 それゆえにシンジは、自分に贈られたチョコがブラックバレンタインチョコだと思ってしまっていた。

 

 

 シンジが危険な思考の海に入りかけた時、1階からアスカの声が響いた。

「シンジさ〜ん。ゴハンですよ〜」

「あ、は〜い。すぐ行くよー」

 シンジは返事をすると、とりあえずチョコレートの入った箱をタンスの一番上の引き出しに仕舞い込んでから部屋を出て1階へと降りて行った。

 

 

 食後、アスカは湯飲みに入ったお茶をちゃぶ台の上に置きながらシンジに尋ねた。

「シンジさんチョコレート食べてもらえましたか?」

「へ? ま、まだだけど……」

「そう、ですか……」

 呆気に取られているシンジの様子を見たアスカは落ちこんだ表情を見せた。

「あ、後から……ゆっくり食べるよ。初めて貰ったチョコだから、もったいなくて……ハハ……」

「じゃあ一番に食べてくれますよね」

 アスカは先ほどまで落ち込んでいた様子を打ち消すかのように、笑顔でシンジに詰め寄った。

「へ? 一番って?」

「だって私があげる前にシンジさん何か持っていたじゃないですか。あれってチョコですよね?」

「な、なんで分かるの?」

 シンジはアスカの突っ込みに戸惑いながら、お茶をすすった。

「それは……。女の子だからですよ」

 アスカは顔を少し傾けてシンジに微笑みかけた。

 シンジはその笑顔を見ると、返答に詰まってしまい何も言う事が出来なくなった。

 

 少しの沈黙がシンジとアスカの間にあった後、アスカは口を開いた。

「それで、どちらの方から頂いたものですか?」

「いや、それが…名前が書いてないから分からないんだ」

「何かヒントになりそうなものは無かったんですか?」

「ヒントと言っても…アスカさんに貰った箱と同じ様に赤い包装紙に包まれていたし……。リボンが青色だったような」

「青い色に何かヒントがあるんじゃないですか?」

「青……?」

 

 僕に関する色で青って……。

 ま、まさか……。

 それにあの英語の筆記体は…。

 

 シンジは何か一つの答えを導き出そうとしていた。

 しかし、それは有り得ない事であった。

 

 まさか…アスカ……?

 そんなバカな。

 アスカはここを知っているのか…。

 い、いや…僕の思い過ごしだよ……。

 うん。そうに決っている。

 だってアスカは僕の事……気にかけてないし……。

 

「シンジさん?」

「え? ああ、ゴメン。やっぱり思い当たらないや」

「そうですか……」

 シンジの何気ない返答に、アスカは沈んだ顔を見せた。

 シンジはアスカが沈んだ理由が判らないまま、時間だけがゆっくりと過ぎていた。

 

 

 それからシンジとアスカは、各々の部屋に戻っていた。

 シンジは畳の上に敷かれた布団の上にて寝転がり天井を見上げていた。

 

 あのチョコレート……誰がくれたんだろうか……。

 

 シンジは右手でメッセージカードを持つと見つめ続けていた。

 そして、寝転がっているシンジの傍らには英語の辞書が開かれたまま置かれていた。

 そのページはFの項目であった。

 

 Forget it!

 “気にするな”か……。

 何を気にしなくて良いんだろう……。

 僕の過去?

 でも、それはもう気にしないでいる。

 それにしても……このチョコレート……。

 まさか……ね。

 でも…ぼ、僕が思っているとおりのだったら……。

 

 

 シンジが考え込んでいる時、アスカの部屋では…。

 アスカは、苛立ちを押さえる事が出来ないのか何度も床に敷かれた布団の上でゴロゴロと転がっていた。

 そして、何度目かの回転で天井を向いた状態となり、ひとつ大きく溜息をついていた。

 

 もし、シンジが大和のチョコを食べたらどうしよう。

 もう、惣流の事を気にしなくなっていたら……。

 でも…それは大丈夫のはず……。

 だって……アタシとキ、キスした時は惣流の事思ってるって判ったから……。

 Forget it! この言葉の意味分かってくれてるかな……。

 アンタの傍にアタシは居る。

 もう何も気にしなくて良いんだよ。

 あの時、アタシの首を締めたことも…自分の欲望の処理にしちゃった事も……気にしなくて良いんだからね。

 

 アスカはそう思うと、自分の持っているハンドバッグの中から自分の携帯電話を取出した。

 

 いっそのこと……惣流として電話して見ようかな……。

 アタシのチョコを食べなさいよって。

 そして食べたと同時にアタシが踏みこんで……。

 なんてね。無理よね。

 もしも大和の方を先に食べたら意味無いもの……。

 見に行って見ようかな?

 シンジがどっちのチョコを先に食べたのか……。

 そうよ。そうしよ。

 

 アスカは考えがまとまったのか、上半身を起こすと携帯電話をハンドバッグに収める。

 そして立ちあがると、自分の部屋のふすまに手をかけた。

 しかしアスカは、ふすまを空ける事が出来なかった。

 それどころかアスカの頬には一筋の水の流れが出来ていた。

 アスカは肩を震わせて泣いていた。

 

 怖いよ……。

 やっぱり怖いよ。

 もしも、シンジが……惣流を諦めていたら…アタシ……ここから出て行くしかないかも……。

 だから……お願い……アタシのだと気付いてなくても良いから…。

 惣流から……ホントのアタシから上げたチョコを食べていて……。

 

 流れる涙を左手で拭うと、アスカは右手で襖をそっと開けて自分の部屋を後にしてシンジの部屋を目指す。

 アスカの部屋からシンジの部屋までは、ほんの数メートルの廊下を歩いた距離にある。

 そしてアスカはシンジの襖の前で立ち止まり、息を吸いこみ胸を少し上下させると右手こぶしで襖を叩いた。

「はい…どうぞ」

 アスカがふすまを叩いて少しして、シンジが返事をしてきた。

 アスカは、はやる気持ちを押さえながらそっと襖を開けた。

 シンジの部屋に入ると電気は全て消されており、廊下の明かりからシンジが布団の上であぐらを掻いてるのがかろうじて判った。

 そこにはシンジが食べたであろうチョコレートの空き箱が2つ転がっている。

 アスカは声を震わせながらシンジに問いかけた。

「た……食べたのですか?」

「うん。美味しかったよ」

 アスカの不安を余所にシンジは嬉しそうな声で返事をした。

「どちらを先に……」

「う〜ん。どっちだろ…。部屋を真っ暗にして食べたから良くわからないや……」

 シンジは頭をかしげながら立ちあがると、自分の部屋の電気をつけた。

 アスカは暗い空間から明るい空間への変化にひとつ瞬きをした。

 すると、アスカの不安そうな顔の前にシンジが笑顔を称えながら立っていた。

「どうして…真っ暗にして食べたんですか?」

「大事な気持ちだから、どちらかを優先なんて無理だよ」

「でも……もう一つのは誰かのか判らないんじゃ……」

「そうだけど…どっちも大事なモノだと思ったから……」

 

 シンジのその言葉を聞いた瞬間、アタシはシンジの胸に飛び込んでいた。

 シンジは慌てた様子でアタシに話しかけてきた。

「あ、アスカさん?」

「ありがとう…」

「あ……うん……」

 

 優柔不断と言えば、そうかも知れないけど…。

 シンジの心の中には、まだ惣流が居ると判っただけでも十分だから……。

 ゴメンね。シンジの心をためすような事をして……。

 

 アスカは心の中で何度もシンジに謝っていた。

 そして、いつか笑顔でシンジに惣流として会える日を待つことにした。

 

 

 それから1年後の2月14日

 その日の夕食後、アスカはシンジへバレンタインチョコを手渡していた。

「はい、チョコレート」

「あ、ありがと……」

 アスカから手渡しされて、シンジは真っ赤な顔で受取った。

 アスカは意地悪そうな顔をすると、シンジの様子を覗き込んだ。

「あれ〜。照れちゃってるの?」

「そ、そりゃあ……」

「そういえば去年のチョコどうだった?」

「去年の? ああ、2つのチョコ?」

 アスカの問いかけにシンジは思い出したかのように口に出した。

 その言葉にアスカは動じる事無く“やっぱりね”と言う表情を見せながら微笑んで見せた。

「やっぱり気付いたの?」

「今なら……ね」

 

 

「で、どっちを先に食べたの? 大和? 惣流?」

「うっ……」

 

<おしまい>

 

 あとがき

 バレンタインなのに甘くない話で済みません。
 で、シンジくんはどっちを先に食べたんでしょうねえ……。

 パターン1:大和を先に食べた場合
「きいぃぃぃ! 許さない!」と折檻コース行き。

 パターン2:惣流を先に食べた場合
「アタシの手渡しを先に食べないなんてー!!」と折檻コース行き。

 パターン3:同時に食べた場合
「この優柔不断男!」と折檻コース行き。

 パターン4:実は食べていなかった場合
「あんたって最低!」と折檻コース行き。

 どれもダメじゃん(笑)


(2001年2月14日『あっくんの書斎』にて公開)
(2011年3月20日:再掲載)

戻る