拾った宝物



その日は、朝から雨が降り続いていた。
細い、絹を通したような雨だった。
まだ、入梅前なのに、降り止む気配がなかった。


洗い終わった洗濯物を家の中で、除湿機をかけて乾かしていた。
一部屋が洗濯物に占領された。
除湿機のうなるような音が、耳障りだった。

金沢にいた時には、箪笥の裏の壁など、すぐにカビが生えてきた。
新築のコンクリートが乾ききっていなかったのかもしれない。

雨が降っていなくても、北側の部屋には、カビが生えた。
自分の身体にまで、カビが生えてきそうだった。
慌てて、除湿機を買った。

部屋の湿気を取るために買ったものだ。
それで、少しはカビに対する恐怖感が薄れた。
しかし手入れを忘れていると、除湿機にまでカビが生えた。
北陸の冬は辛かった。

太平洋側に移って来てからも、それが雨の日に重宝している。
こちらでは、ほかって置いても除湿機にカビが生えることはなかった。
その代わり、心の中に、カビが生えた。

こちらに戻ってきて、すぐに別れることになった。
今は、思い出したくもない。
でも、いつかは自分の心に決着をつけなければならないのだ。
しかし、今はまだ出来ないでいる。

夕方、子供は持って出た傘を差さずに自分の脇に畳んだまま、頭からずぶ濡れになって帰ってきた。
霧雨でも、長く当たれば雫になる。
髪の毛の先から、ぽたぽた雫が垂れていた。
頭の先から湯気が立っている。
そんな息子を見て、怒る気になれなかった。
眼が輝いていた。
別れてから、こんな息子の目を見るのは、初めてだった。

息子は必死になって、何かを守ろうとしていた。
濡れた両の手に、何かを包んでいた。
それが何なのか、分からなかった。

小さな体中に雨粒を受け、真っ黒の濡れ鼠になった小さな生き物が、差し出した子供の可愛い両の手のひらの中に、横たわっていた。
この生き物のために、息子は傘も差さずにぬれて帰ってきたのだ。

なんて可愛らしいんだろう。
息子にとって、それは守らなければならない命であったのだ。
思わず抱きしめたくなった。
そんなことをしたら、息子はきっと嫌がるに違いない。
抱きしめるのは堪えて止めた。

今まで子供だとばかり思っていた息子が、急に騎士のように見えてきた。
大きくなったら、私を守ってくれるんだろうか。

そんなはずがないことも、よく分かっていた。
あの人のように、いつかは出て行ってしまうんだ。
でもせめてそれまでは、楽しい思いに浸らせて欲しい。

息子が大事に連れ帰ってきたものは、生まれたばかりの小さな鳥の雛だった。
鳥の雛を拾ってきたのだ。
雨にぬれて、羽毛までが体に密着している。
とても鳥には思えなかった。
生きているのかどうか、分からなかった。

その雛の細い脚が痙攣しているように、小さく震えた。
生きていると、訴えているようだった。
心の底を見透かされたようだった。

拾った雛のために、両手がふさがり、息子は
傘を畳んで脇に挟んだまま、濡れて帰ってきたのだ。
同じように頭からずぶ濡れになっている子供の小さな手のひらの中で、
雛は、かすかに細い足を動かしていた。

5センチぐらいの、痩せた頼りない体だった。
生きていることを必死に訴えているように思えた。
髪の毛の先からしずくを垂らしたままの顔で、
「生きてるよね」 
息子はわたしの顔を見つめて聞いた。
わたしは頷いて息子を見た。
濡れた頭から、湯気が立っていた。
その時になって、息子の体を拭かなくては、と初めてのように気がついた。
これだから、別れていったんだ。
テーブルの上に新聞紙をひいて、受け取った雛をそこに置いた。
雛は思ったよりも軽くて柔らかかった。

嫌がる息子の着ているものを脱がせて、体中を乾いたタオルで拭いて新しい服を着せてから、どうしたものかと考えた。
昔小鳥を飼っていた時に使わなかった新しい巣が、どこかにしまってあるはずだった。
わたしは物持ちはいい方だった。
ただ、相手が捨てていくだけだ。
探し出した巣は、まだ使えそうだった。
キッチンペーパーを敷いて、巣の中に雛を入れた。
ペーパーが雛に付いた雨を吸って、すぐに濡れた。
体の上のほうは、ティッシュペーパーを当てて吸い取らせた。
ようやく、生きているように見えてきた。
「死なないよね」
息子が聞く。
「わからない」と言いかけて、「大丈夫」と言いなおした。
眼は開いていなかった。
雛の眼がどこにあるのかも分からなかった。
その場から離れて、食事の用意をした。
夕食を食べている間中、息子の目は雛から離れなかった。
でも、いつかは離れていくんだ。
息子の関心も、そのうちに移る。
そう思って見ている自分に、嫌になった。
まだ引きずっている。
「えさをやらなくちゃあ」
息子が言う。
さすがに、前の餌は残していなかった。
ご飯粒を水で擦り合わせ、爪楊枝の先に付けて雛の口の近くにやったが、口をあけることはなかった。
体が乾いてきて、棒状だった羽の先が、扇子を開くように広がってきている。
真っ黒に見えた羽毛の色が、薄茶色に変わってきていた。
                                         2に 続く