<余り者の美学>
存外に知られていないのが余り者にこそ美学があると言うこと である。余り者が余り者になったのは、余り者じゃないやつら が余らないようにしたためである。 余り者は、余らない奴らがいてはじめて成り立つ訳だから 「なんで余すんだよ」 なんてことは自己否定に繋がるため言えない。彼らが言えるのは 「なんで余らない奴がそんなに卑屈なの?」 だけである。 余り者に美学があるのは、サブジェクトの存在なのに そこに選択肢がないからである。 ね?簡単でしょ?